1771年シン・タヌマミクス
父に殴られた日から四か月ほど、先月には新年を迎えました。あの日から両親と共に食事を共にすることはなくなりました。私は陣屋の近くにある生業奉行所の屋敷で寝泊まりをしております。今では鯉とタテボシ貝の養殖業は部下の藩士と漁師たちに任せており、私は大平さんと共に按摩事業の運営に注力しております。幸いにして経営状況は好調でございます。私の予想通り今年の売り上げは7億2千万文――18万両となるでしょう。人件費や香油などの材料費を省いた純利益は16万両となり、半分が取り分となります。今月の売り上げはまだ集計途中でですが、大溝藩にあった7万両に近い借金はすでに全額を返済いたしました。ただ2年前の、60年ぶりに黒字化した時のような祝い事はありませんでした。あの父や家老たちに内緒で按摩事業を進めたあの日から、藩の中枢からは距離を置かれています。ただ悪いのは私です。思えば私はこれまでろくに勉学や稽古をしておりませんでした。なぜなら勉強が嫌いだからです。漢字だらけの儒学書を読むだけで頭が痛くなります。前世がFラン大学生だったのには、Fランなりの理由があるのです。今世になっても、私は幼少期から今に至るまで、そのほとんどを養殖などの野外活動に費やしておりました。良くも悪くもそれが今に繋がっているのだと思います。父の怒りも按摩事業だけのことではないのだと思います。父に殴られた後、琵琶湖の大溝に戻った私は、家老の小林さんに反省文を提出しました。父はあれ以降、顏すら会せなくなりましたからね。小林さんも私の意をくみ取って父に渡してくれると約束してくれました。それ以降は生業奉行の筆頭与力として、必要な連絡はしっかりと続けています。
そして元日が過ぎ去り、今年は西暦1771年、明和8年です。季節は春分の終わりごろ、私は今年で20歳となりました。大地震と大津波が琉球に襲い、数千人の死者が出たという瓦版が世を駆け巡るなか、私の元には田沼様直筆の手紙が送られてきました。内容を要約いたしますと――。
去年から始めた按摩事業によって、去年の幕府の税収は5万両も増えました。これは貴方のおかげです。私は大溝藩をまねて、幕府に新たに生業奉行をつくり、そこの筆頭与力にあなたを任命したい。もし受けてくれるのであれば年五千石は出しましょう。生業奉行と言っても定員は貴方一人ですから、そこまで重く受け止める必要はありません。貴方は私が考えもつかないような発想で、幕府の財政を助けてくれた。経世済民の師として私を支えて頂きたい。
つまり政策アドバイザー的なことなのでしょうか?今の私を認めてくれる人は大平さんを除けば、この人だけでしょうね。私はすぐに返事をしたためました。
私にそのような大任を任せて頂けること、大変うれしく思います。謹んでその大任、受けさせていただきたい。ただ、私は父に孝を尽くす訳でもなく、その恩をあだで返しました。今はまだ父の元を離れる訳にはいかないのです。私は父をないがしろにしてしまった。ですが、これまで自分がやってきた事業は間違っていなかったと思いたいです。私は私なりの信念を持って、父に認められるまでこの地を離れるわけにはいかないのです。五千石の俸禄は辞退させていただきたい。ですがその代わり、幕府の生業奉行を大溝につくることは出来ないでしょうか?
この内容の手紙を飛脚に渡し二週間後、田沼様から返信が来ました。大溝から江戸までこの速度とは…飛脚の優秀さに感心いたします。
龍之介殿の私欲を捨てても、信念を貫きたい姿勢、感服いたしました。幕府の生業奉行所は大溝藩に新たに加増した、北高島の元代官屋敷にするよう、私の方からお父上に手紙を出しましょう。どうか、貴方がお父上にその孝行が認められる日が来ることを、切に願っております。
田沼様に感謝を記したお返事の手紙を飛脚に渡した日から一月が経ちました。今は立夏の半ば頃。大溝藩に新たに与えられた北高島の元代官屋敷にて、幕府及び大溝藩の生業奉行筆頭与力としての業務をしております。今の仕事は大溝藩で行う政策と幕府での政策、またその両方でもある按摩事業の三つに分けられます。幕府の生業奉行筆頭与力として、私は幕府の財政黒字化・海外貿易の黒字化・民間産業の発展の三本の矢を主軸とした新田沼政策を立ち上げました。
一、大奥の廃止と側室七人制。
二、市中に対して、商業を目的に金銭の貸し借りをすることの禁止と、
幕府直営の債券取引所の設立。
三、ふるさと納税と、特産品拝借金制の開始。
四、蝦夷地直轄化と、ジャガイモと甜菜を使った蝦夷開拓。
五、全国三十万人の浪人を屯田兵として蝦夷開拓に利用。
六、その甜菜から取れる黒砂糖の専売。
これら六つの政策と、その細かな詳細をしたためた書状を田沼様に送る事としました。なんと田沼様は私が提言した政策の全てを承認してくださり、すでに先週、大奥の廃止と側室七人制のお触書が幕府より出されました。これは田沼様を熱く後援さなっておられる家治様のおかげと、田沼様から聞いております。家治さまは愛妻家と当時から知られております。ほかの政策についても既に水面下では進んでおり、来月には金銭貸し借り諸法度と債券取引所の設立が行われる手筈となっております。またふるさと納税と特産品拝借金に、屯田兵を利用した蝦夷開拓の議論が始まっているとのことです。さすが田沼様でございましょう。田沼様のご活躍を琵琶湖から聞きながら、私もこの地でできることを進めております。これまで特産品を作り、中央政府から金を引き出して事業を行ってきました。私が次取るべきなのは観光でございましょう。