一家団欒(江戸時代の武士限定)
突然ですが皆さん、朝起きたら江戸時代の極貧極小藩主の跡継ぎに生まれたことはあるでしょうか?私はあります、今、絶賛中で。この世に生を受けて早8年。琵琶湖西岸にある安雲という川の三角州の一部、ここ重要です、一部を与えられた2万石の大溝藩という場所にて、大溝小太郎として私は生まれました。前世はただの文系を学ぶ大学生です。そんな私は今、小姓筆頭与力の大平さんと一緒に琵琶湖の砂浜を探索しております。
「若、武術の稽古はよろしいので?お殿様にでも知られたら…」
大平さんは藤木君のように卑怯者で心配性です。よく父の事を出汁にして私を諫めようとします。ですが私はその父の為にもチャンバラごっこに時間を浪費する訳にはいかないのです。時間はあっという間に過ぎていきますし、ぼけっとしていたら取り返しのつかない事になります。私は先程も言った通り前世はしがない大学生。将来の夢もなく、数学は苦手でしたのでなんとなくで文系のFラン大学に入りました。勉強はそこそこ、開いた時間の殆どを怠惰にインターネットで浪費する日々。そしてコンビニに昼飯を買いに行こうと立ち上がった時、これまでの人生で初めて感じたほどの激痛が胸に走り……そして私はこの世に生を受けてそれを悟りました。人生はいつ終わりが訪れるか分かりません。その大事な人生において今自分に必要な事をする。私にとってそれはチャンバラごっこではなく、今日のお吸い物の具材を収穫する事なのでです!
「刀を振り回したところで腹は膨れるばかりか、減るだけだからな」
「それは……」
私の言葉に大平さんは黙ってしまいました。怒る訳でも言い返す訳でもなく黙ってしまったのは、大平さんも同じ思いだったに違いありません。私が生まれる前、ここ大溝藩では近隣一体に被害をもたらした、大洪水と火事のダブルパンチをくらい家計は火の車です。当然、藩に仕えている武士たちに与えれる俸禄も雀の涙ほどしかありません。まぁ災害がなくとも、2万石の藩では貧しい事には変わりありませんが。そんな状態ですから武士の皆さんも草履や竹を使った小物を編むような副業をしているのが常でございます。ですから、その藩の跡取りである私が、砂浜で貝拾いのようなことをするのも当たり前の光景なのでです。
「若!なにしてるんですか!」
砂浜を歩いていると、先に砂浜に居た同い年の三吉君が話しかけてきました。
「こっこら!若に向かって馴れ馴れしくするでない!」
大平さんが子供の三吉に向かって怒鳴りました。私はいつも無視しています。大平さんは私には怒れませんが、農民には態度がデカイ人です。やはり臆病で卑怯ですね。
「大丈夫だよ、昨日と一緒。今日も夕飯に食う貝拾い」
「今日もあの小さい貝欲しいですか?」
「うん、見つけたら頂戴。集めてるから」
「うえぇ食べれないのにぃ」
「若が欲しいと言っているのだ!素直に持ってこんか!」
眉間にしわを寄せて怒鳴る大平さんに三吉はビビッて逃げて行っちゃいました。
「大平さん、いいですから、とりあえず貝拾いでもしましょう」
農民を激しく諫めようとする大平さんを逆に私が諫める。20も年が離れているのにおかしな関係が私と大平さんなのです。私たちは浜辺の南側に来ていました。近くには鴨川という川が流れています。鴨川を挟んで南側は幕府の直轄領なので、そこで簡単に貝拾いはできません。ですかここは河口の近くですから、山からミネラルたっぷり、ついでに人間の生活用水もたっぷりの栄養豊富な水で溢れています。下駄を脱いで、浴衣を膝上ほどまで上げると落ちない様に紐で縛った私は、琵琶湖の中に足を進めていきます。
そして水面が膝下より少し低い位置まで進んだ私は腰を曲げて、半透明にきれいな琵琶湖を睨みつけました。水がきれいだからすぐに見つけられます。右手でつかんだ黒い2寸ほどの貝がタテボシ貝と呼ばれている二枚貝です。貝殻の内側は真珠のように虹色の光沢をしている貝です。味はさっぱりしたアサリだと思ってください。簡単に言うと非常においしいです。お肉があんまり食べれない江戸時代においては貴重な蛋白源の一つです。私はこの貝を腰につけた竹籠に入れていきます。この籠は我が藩の藩士が副業で作った大溝藩を代表する最高傑作のひとつです。ちなみにもう一つは草履です。
さて、20個ほど取りました。まだまだ沢山ありますが、今日はこのぐらいで許しといてあげます。他の人も取りますし、あんまり取り過ぎても環境に悪いですからね。
8歳の息子に貝拾いをさせ武士のメンツを潰されながらも、お腹をすかせながら美味しいタテボシ貝のお吸い物をすする父の顏が目に浮かびます。藩主である父にしてみたら複雑な心境でしょうね。それでも我が藩に住んでいる人間は上から下まで苦しい生活をしていますから、そんな偉そうなことを言っている余裕はありません。父も家臣も領民も見て見ぬふりです。
「若!タテボシ貝の小さい奴もってきました!」
「ありがとう、これ、少ないけど手間賃」
私はそう言って浴衣の裏に縫われた衣嚢から三文ほどを三吉君に手渡しました。最初の事はこんなものでお金になるのかと私を怪しんでおりましたが、今では嬉しそうに小銭を握りしめています。
「また明日もお願い」
「うん!分かりました!」
そう言って三吉君はまた遠くの浜辺の方まで走り去っていきました。見れば同年代の友人と楽しそうに水浴びをしているようです。私はその姿を見届けた後、鴨川の浜辺の砂を手でかき分けると、そこに三吉君に貰ったものと自分でも拾っていたタテボシ貝の種苗を一緒にばらまきました。あとは砂を軽くかぶせて終わりです。先週からやり始めておおよそ200個程の種苗を河口付近の浜辺にばらまいたでしょうか。鴨川の河口付近は幕府の直轄領の境目なので、農民たちはあまり来ません。ここなら地面に植えた種苗が奪われることはないでしょう。野生の魚や鳥に食われたり、タテボシ貝が移動するかもしれませんが、まだ種苗なのでそこまで移動することもないと思います。タテボシ貝の成長は水温が関係しており、春から夏にかけて急成長しますから、来年の夏が楽しみですね。ちなみに河口付近に種苗をばらまいたのは他にも理由がありますが、まだ内緒にしときましょう。あぁ焦らないで、いずれ分かりますから。
さて、陣屋に帰った私は兄弟も居ないので一人寂しく読書の時間です。この時代には漫画なんてものはありませんし、浮世絵は広く流通していますがこんな貧乏藩ではそんな娯楽はありません。今自分が持っている平家物語の現代語訳も3代前のまだ比較的に財政に余裕があった時のものです。我が大溝藩で50年以上も本の一冊も買えておりません。さて、適当に本を読みながら時間をつぶしていたら夕飯の時間です。居間に移った私は母と共に正座で父を待ちます。目の前の掛盤には玄米と漬物、山菜とタテボシ貝のお吸い物だけです。一汁一菜。これが我が大溝藩のデフォルトになります。あと週に一から二日に琵琶湖で取れるタナゴやハゼの佃煮もでます。私がタテボシ貝を取って来なければこの小魚が我が家が唯一取れる動物性たんぱく質と言っても過言ではありません。さて、少々足がしびれて来たところで父の大溝安勇が居間の障子を開けて入ってきました。仕事の疲れなのか、元からなのか分かりませんが父は無表情で重苦しい顔をしています。
「遅れた…疲れただろう、足を崩してもよいぞ」
脚を崩しながら畳に座った父は私たちにも足を崩すように言ってくれました。とても優しそうに見えますが、これは父が持病で右の膝が上手く曲がらないからです。妻も息子も礼儀良く正座しているのに、家長の自分だけが足を崩して座るのが嫌なのでしょう。ですが父の面子のためにも私も母も素直に足を崩します。正直、長時間の正座はつらいですしね。
「お天道様に感謝をいたしまして…頂きます」
「…頂きます」
父に従い母と私も両手を合わせながら、目の前の夕飯に向かって軽く頭を下げます。貧乏藩である我が家では毎日玄米を食べれるだけでもありがたいことです。農民はもっと苦しい生活をしていますから。
武士の食事は仏教の禅の精神から基本黙食です。出された漬物も出来るだけ音が出ない様にゆっくりと噛みます。タテボシ貝に関しては料理を作る御膳係の人が気を使ってくれたのか、貝殻はすでに取ってあり身だけなので食べやすいです。食べにくいを箸ではなく手を使うものなら父から叱責と拳が飛んできます。寡黙な人ほど怒らせるとヤバいのは江戸時代でも同じでした。私が美味しそうにタテボシ貝をおかずに玄米を頬張っていると、目を瞑りながら食事をしていた父が、箸を掛盤の上に置いてこちらの方を見つめました。
「稽古のほうは順調か」
私も箸をおいて、口元を隠しながら急いで口の中にある玄米を飲み干します。
「…はい。たしなむ程度には」
「……そうか」
「…ええ」
これで父との会話は終わりました。父は箸を手に持つと、お吸い物にあるタテボシ貝をつまみながら口に入れてゆっくりと噛み始めました。また目を瞑った父をよそに私は漬物をまたゆっくりと噛んでいきます。母の方を見つめると、父と同じように目を瞑って食べていました。
父である大溝安勇はご飯を食べるのが早いです。おかずに比べてやや多い玄米をあっという間に平らげると、また私の方を見つめてきました。
「最近、大平を連れて浜辺で遊んでおるようだな…この貝もお前が取ってきたと聞いた」
「はい、美味しそうだったので取ってきました」
「そうか」
不必要な事はいいません。貧しいのはみんな同じです。父も私がなんで貝拾いをしているかぐらい分かっているでしょうから。わざわざ父の名誉を傷つけるつもりはないです。子供に気を使われることは親としても複雑な心境でしょうし。8歳の子供が無邪気に砂遊びをしている、その最中に貝を見つけたので取ってきた。ただそれだけのことですから。
「私も小さいころ父に内緒でこっそりこの貝を取って食べていた。大人になってそんなハシタナイ事はしなくなったが…やはりこの貝はうまいな」
「タテボシ貝の名前の由来は、その見た目が公家が被る立烏帽子に似ているからつけられたようです。とても気品あふれる食べ物ですよ。私たち武家が食べるにふさわしいものです」
「…どこでそんなことを知った?」
「タテボシ貝を取ってる漁師から聞きました。なんでも先祖代々この地でタテボシ貝を取っているようです」
「そうか…なら随分と縁起のよい貝だな」
「ええ、そうです」
公家から権力と土地を奪った武士が、貴族にちなんだ名前をもつタテボシ貝を食べる。といっても今の公家のみなさん達は貧乏ですから、ある意味貧乏の大溝家が食べるのに丁度いい貝かもしれません。
「私はまだ政務が残っておる、先に失礼するぞ」
「はい、お仕事ご苦労様です」
私がそういいながら軽く会釈をすると、父は黙って障子を開けて居間から出ていきました。8月とはいえ、これから暗くなっていくのによく頑張ってます。これから米の収穫時期ですからその手配もありますし、最近は賭博がらみの訴訟も増えているようです。それもまさに上から下まで。まさか藩士すら賭け事に勤しんでいるとは…一発逆転を狙って…根性なのでしょうか。洪水と火事に借金地獄のこの地では、みんなひと時の興奮と快楽に身を任せてしまうのでしょうか。この先自分の代になった時にどこまで悪化しているのか不安で不安で…。今の内にも出来ることはするつもりです。
といっても私に出来ることは対してありませんが。