006_夢への旅立ち
今の我が家があるアパートから、歩いて数分の大手スーパーマーケット。
高校と我が家の間にあり、通学路のちょうど存在するこのチェーン店は俺もよく利用する馴染みの場所。そこで肉類、魚、野菜類に調味料を買い込んだ魔耶は、荷物持ちとして大量の買い物袋を俺に押し付けた後、その足でそのまま家に帰宅。
我が家は昨日から家具や日用品、魔法の実験道具が綺麗さっぱり片づけられていて少々寒々しい場所となっていた。
壁に貼ってあったよくわからない魔法陣のスクロールや、カーテンなども取り外されてあり、今は居間の中心にトランクケースがポツンと一つ置いてあるだけ。
一応、男女の共同生活という事で、プライベートな空間が十分にある2LDKのアパート暮らしだったのだが、こうして引っ越し準備を済ませてしまうと普段感じていた以上に部屋が広く感じる。
空っぽになってしまった我が家に、高校の校舎を見て回っていた時以上の寂寥感を感じた。
「これから特製シチューを作る。手伝って」
「あ、ああ」
帰宅した魔耶は私服に着替えた後、早速キッチンで料理を開始した。
ちなみに普段の食事は俺が作る事がほとんどだが、魔耶も別に料理ができない訳ではない。
料理に魔法をかけて作るので見た事ないゲテモノ料理を作る場合もあるのだが、料理の腕前と魔法の力が合わさって俺よりも美味な料理を作る。
何故料理? と思いながらも魔耶手料理を味わえるならと手伝ったのだが……。
「…………」
「これで良し!」
「良し? いや良くないけど!? 明らかに人が食べられるものじゃないぞこれ! 気でも狂ったのか!?」
そして出来上がったのは家畜の餌同然の生ごみシチューだった。
ヘドロのような毒々しい見た目。鼻を突きさす強烈な異臭。人が食べられる物体ではない。いや、これを食える生物がいるのか? 少なくとも味覚と嗅覚のある生物は無理なんじゃないかな。バクテリアとかなら或いはというレベル。
見ているだけで視界が霞んで涙が出る。目を閉じれば今度は臭いが凶器となって襲ってくる。
これ、ご近所から異臭騒ぎの通報があるのでは……!?
大鍋に慌てて蓋をした俺は恐る恐る魔耶の様子を伺うと、魔耶は満面の笑みで、
「気になるなら食べてみる?」
「…………。その言い草だと俺たちが食べるものではないって事だよな」
冗談じゃすまない魔耶発言はスルーしつつ、大事なところを確認する。
悪いがこれを食うのが異世界転移の条件なら、魔耶についていく事は考え直さないといけない。これを食すのは普通に命の危険がある。
冷や汗をかく俺の様子を十分楽しんだのか、エプロンを脱ぎながら「安心しなさい」と言って、
「もちろん。私たちが食べる用ではない。当然でしょ?」
「食べる為じゃない……。という事は、この汚物が異世界転移の為に必要な道具なのか?」
「これがなければ成功しないという意味では、その通りね」
キッチンから出ていく魔耶を見送った後、改めてグロシチューに向き合った俺はこの危険物を何をどうすれば異世界転移に使うのかと少しの間考えていたが、答えが出ない上に益体がなさすぎるという事に気づいて諦める。
その後、部屋の解約について事前に話をつけていた大家さんに家のカギを返した後、俺たちは長年お世話になったアパートを後にした。
ついに全ての繋がりを絶って、帰る家すらも手放した俺たち。
その引き換えに自由を手に入れた魔耶は向かった先は、かつての東山邸があった場所――の近所にある林の中だった。
時期的に虫はそこまでいないものの、まともに木々の手入れもされていないのか鬱蒼とした草木たちが所狭しと生い茂っており、まともな精神をしているものなら特に用もなく気まぐれで入ろうとは思わせない自然の圧迫感を漂わせていた。
夜の時間が近づき周囲が暗くなっていく中、林の手前にある公園に辿り着いた魔耶はためらう事なく自然の中に足を踏み入れる。
「あ、おい。足元とか気をつけろよ」
俺の忠告を聞いているのかいないのか、ガンガン進む摩耶の背中を慌てて追いかける。
闇に沈み悪くなる視界。道らしき道もない歩き辛い足場に体のあちこちを掠る枝草。加えて大鍋をロープで縛って背負い、トランクケースも脇に抱えている状況。
過酷な進行に悪態をつきたくなるのを堪えながら、息を切らしてついていくと、
「――到着」
やがて一軒のプレハブが木々の間から現れたところで、魔耶はようやく足を止めた。
物置小屋だろうか。数畳ほどの小さなプレハブ、それが木々が伐採されて拓けたちょっとした空き地スペースにポツンとある。
「なんだここ……」
「実は東山家が所有する物件の一つでね。隠し工房みたいなもの」
「工房……じゃあここが異世界転移の儀式場なのか。雰囲気ないな」
想像していたものとはだいぶ違う儀式場を目にして訝しげに呟く俺。
思わず出た感想に対して、振り向いた魔耶は苦笑交じり頷いた。
* * * * *
「『暗黒に、光あれ』」
呪文が魔女の唇より紡がれる。
聞き慣れた声が不気味な音階を奏でて、魔力を代償に奇跡を発現する。
かざされた彼女の掌。
空っぽなその中から青白い燐光が強く輝き、やがて小さなランプ程度の程よい光球へと変化する。
それは蛍火のように手から離れ、フワフワと小屋の中を不規則に巡回する。
電灯のように確かな光ではないが、暗闇を払い視界を確保するには十分な光源だ。
手元が見えるようになったので腕時計を確認する。
現在時刻は午後7時半頃。ちょうど今さっき太陽が沈み切ったところだ。今は周囲は完全なる夜。
もう少しここに辿り着くのが遅れていたら林の中で迷っていてもおかしくなかっただろう。時間的にギリギリ間に合った訳だ。
安堵のため息をついて、淡い光に照らされた室内を見渡す。
若干埃っぽくてカビ臭いプレハブ内には、何に使うかよくわからない道具が所狭しと置かれている。
工房とは言っていたものの、今はガラクタを置いておく為の倉庫として使っていたらしい。意外にも掃除自体はちゃんとされているのか、空気が悪くて咳が出てくるとかは特にない。
数少ない足の踏み場に寝具を二つと、先ほどの調理で作った数十人前のグロシチューが入った大鍋、およびトランクケースを置くと、もうそれだけで室内のスペースはギリギリ。
そんな中、俺たちはお互いの敷布団の上で向かい合う。
「さてさて。どこまで話した?」
魔法という名の奇跡を引き起こしていながら、一切の感慨もなく話の続きをしようとする魔耶。
彼女にとって魔法とは、人が呼吸をしたり食事をしたりする事と同じように当たり前の事。それは使い魔である俺にとってもそうなのだが、事前告知もなく目の前で行使されたら少し驚く。
こういうのを見ると、やっぱコイツ魔女なんだなと痛感する。
「えっと確か……。異世界へ転移する方法は複数ある、ってとこだ」
「そうそう。それで話の続きだけど、虎太郎の言うとおり次元の壁を越えて世界を渡り歩く方法は決して一つじゃない。
有名どころを挙げると、空間系統の魔法を行使する方法。皆既月食の際に天空に空いた次元の穴を利用する方法。時空航行船の定期便に船賃を払って連れてってもらう方法。とかかな。
――けど、これらの方法は今回はパスした」
「今言った方法じゃダメな理由があるのか?」
「空間系統の魔法を行使する方法。
これは今の私じゃ絶対無理。この魔法系統は数ある魔法の中でも、一個人で使用するのが最難関な魔法なのよ。空間魔法を使えるようになる為には、相当な年月の修練が必要になるし、そこまでやってようやく基礎ができる程度。とてもじゃないけど世界を渡れる域には達しない。
次に、皆既月食の際に天空に空いた次元の穴を利用する方法。
実はやり方さえわかれば魔力を持たない人でも利用できる方法だけど、これは時期が悪い。次の皆既月食は日本だと半年先かな。
当然、それまで待っていられないからパス。
時空航行船を利用する方法は単純にお金の問題。片道一人分のチケットだけで今私が持っている全財産をつぎ込んでもまだ足りないから、私みたいな貧乏学生魔女では無理」
「どれもこれも駄目じゃないか。いくら複数方法があっても全て使えないんじゃ意味ないけど……」
「もちろん。ちゃんと使える方法はある。――という事で、こいつを使う!」
魔耶はパンパンと自分の座る敷布団を叩いた。
「……寝具?」
「そう! 色々方法を吟味した結果、少々危険だけどお金もかからずタイミングも関係ない『ドリームランド経由による異世界転移』を行う事にしました!」
ドリーム……ランド?
遊園地の名前みたいなネーミングセンスだ。
寝具が関係している以上、夢は叶えたい願望や野望とかそういう意味じゃなくて、寝ている時に見るあの「夢」か?
そして、「夢の大地」というのは寝ている時に夢に出てくる世界そのものの事だろうか。
「科学的な観点から説明すると、人は睡眠中に重要なものかどうか取捨選択して長期記憶に定着させる作業をしているらしくて、夢とはその際に見るものだとされている。脳が記憶の整理と定着をする際に起こる副産物だとね。
これの真偽は定かではないし興味もないけど、魔道学には別の解釈がある。
――人は寝ている時、その魂が肉体を離れて別の世界を彷徨っている。その時に見た光景、体験した出来事が、朝、起きた時に夢として覚えているのだと」
「……なるほど?」
胡散臭さがプンプンする。
言っている本人が本物の魔女だけに信じない訳にはいかないが、これが巷の占い師とか霊能力者とかだったら即座に戯言だと思う内容。
もっとマシな信じやすい作り話にしろよって説教したくなるレベル。
オカルト詐欺師としては落第だな。
「夢なんて誰でも一度は必ず見るだろ。じゃああれは全部異世界だって言うのか? それは流石に……。もしそうなら、かなり危険があるんじゃないか?」
「全部が全部そうって訳じゃない。普通は脳の整理的な意味で見る夢で、私みたいに魔力の持つ者や、神秘に対して適性のあるいわゆる霊感の強い者とかが、ごく稀に寝ている時に迷い込む感じ。
それと、魂と言っても分霊のようなものだし、例えその夢の中で死んでも現実にはほとんど影響はないから危険性は皆無よ。
――普通に寝た場合はだけど」
横に置いてあった愛用の枕を手に取った魔耶は、指をパチンと鳴らす。
瞬間、枕および足元の敷布団の表面が幾何学模様に発光して、隠された魔法陣を明らかにした。
「――!」
その光はすぐさま収まり、元の変哲もない寝具に戻る。
目を見開く俺を見つめながら、魔耶は持っている枕を元の場所に置きなおす。
「この通り、私たちの寝具に魔法で細工した。これで私たちは今夜確実にドリームランドに飛ぶ。それも魂だけじゃない。肉体と手持ちの所持品を一緒に持っていくよう調整してあるから、寝具を除いて丸ごと全部飛ばされる」
「俺たちはこの場からキレイさっぱり消える?」
「その通り。朝になったらプレハブには寝具が二つ残るのみ。魔法の効果も丸一日程度だから、万が一残していった寝具が誰かに回収されても何かに悪用される事もない」
自分たちがいなくなった後の事も考えているらしい。
魔法は現実世界では隠匿すべしという掟に従っている訳だ。
「眠った後にドリームランドへ行く……ん? そう言えばそのドリームランドってところに魔法学校があるのか? 異世界は無数に存在するって聞いたが、寝たらもう目的の世界に到着する訳か」
推薦入学勧誘状が届いた後、異世界についての概念を魔耶に少し習ったが、どうやら異世界は複数あるらしい。
それも数える事ができないような無数の別世界で、可能性の分だけ存在する。それらの無限の世界が次元の壁を隔ててそこにあるのだ。
俺の確認に、しかし魔耶は首を横に振る。
「そういう事じゃない。ドリームランドは異世界だけど正確には中間地点なの。世界と世界の狭間にある虚数空間、その隙間世界がドリームランドと呼ばれている。
人が異世界の夢を見る時、必ずドリームランドを通って別世界へと訪れる。帰る時もまたドリームランドを経由して帰る」
「世界を渡る際に通る場所。……部屋と部屋を繋ぐ廊下というイメージか?」
「そのイメージで問題ないと思う」
ふむ。寝て、ドリームランド通って、そこから異世界という順番。
だからさっき「ドリームランド経由による異世界転移」って説明していたのか。
「一応、おおまかに理屈はわかった。でもわからないのはあのグロシチュー料理だ。今の話に出てこなかったが、用途は?」
やはり疑問点はそこだ。普通の食材を調理してシチューにしたのだからやはり用途は「料理」として使うのだろう。つまり誰かが何かしらの手順で食べる……とは思うのだが。
一体だれがあんなものを食べるというのか。
しかもあれ優に数十人前はある。かなり底の深い大鍋にたんまり入れてあるので、いざ食べるとしても食べきれない筈だ。
不安な様子を隠せない俺を、魔耶はニヤリと笑ってあしらう。
「あれは使うときのお楽しみって事で」
「おいおい、悪い癖が出てるぞ魔女様。事前に教えてくれよ」
「別にいいじゃん。いずれわかる事を説明するのも無駄だし。いいからもう寝ようよ。起きてても暇だし」
こっちの抗議を無視して横になる魔女。
俺はさらなる抗議の為に口を開くが、頭上で浮遊していた光源がフッと消えて周囲が暗闇に包まれ、発言の期を逃す。
「早く寝なさいよ。起きてると気になって眠れない」
「……ったく」
ため息と共に横になる。
背中の向かい側には魔耶がいる状況。
こうして一緒の部屋で寝るのは子供の頃以来か。
あの頃は、魔耶と先代様と俺の三人で、同じ部屋で川の字で寝ていたものだ。もう遠い昔の事のような気がする。
お互いもう子供じゃないし年頃の男女ではあるが、その時の経験もあって変な気分になったりはしない。血は繋がってないが兄妹みたいなものだしな。魔耶も何も言ってこない事から抵抗感はないのだろう。
瞼を閉じて呼吸を整え、何時もやっているように静かに眠りに落ちようとする。
だが、敷布団の上でも若干床の硬さが不快で、木が風に晒されて揺れる音と虫や鳥の鳴き声が妙にうるさい。
いつもより寝る時間がだいぶ早いというのもあってなかなか寝付けず、俺はこんなに繊細な人間だったかと心中で自問自答する時間がその後しばらく続いた。