036_謎の影
「『――今こそ詳らかに晒すがいい。扉の役目は閉じること、開くこと。盗賊の鍵は袖の下。さあ、来客だ。客人を迎え入れよ』」
魔耶の呪文に耐え兼ねるように、金属が共鳴するような異音を奏でる木製扉。
固く閉ざされたそれは、しばらく続いた詠唱の末に軋みながら開く。
「やるじゃん」
「ね! 思ったより時間かからなかったでしょ」
俺たち以外誰もいない暗闇の大廊下。
寒々しい雰囲気を持つ広い通路の片隅で、第七備品室の結界解除に成功した魔耶は、得意顔でこちらを振り返る。
事前に宣言していた必要時間の半分程度しか経っていない。対魔法使い用の結界も、彼女の手練手管の前では形無しのようだ。流石は宝物庫の結界も解いてみせると豪語するだけある。
寮を抜け出して体感時間で一時間が経過しただろうか。
亡霊をやり過ごした後に首尾よく第七備品室を見つけ、魔耶が開錠している間に邪魔が入ることもなく、結界共々扉を攻略することができた。
後は人魚の涙を回収して帰ればミッション完了。
意外と早いもんだ。
亡霊とエンカウントした時はもう駄目だとまで思ったが、それ以降は計画通りスムーズに進行している。
どうやらあれが一番の山場だったらしい。
この調子で人魚の涙を見つけることが出来れば完璧だけど。
はてさて、第七備品室にあるかどうか。
「それじゃあ、中はどうなっているのかな……っと」
魔耶は半開きの扉に手をかけて大きく開放した。
途端、乾燥した空気が零れ、埃っぽい感じに鼻がムズムズ反応する。
扉の向こう側にあった第七備品室内部を覗き込む。
「おお。広い……いや、狭いな」
「縦と奥に長い構造だね。不思議な構造の部屋」
そこは高い天井と深い奥行を持った窮屈感のある部屋だった。
何故狭く感じるかというと、部屋自体が小道かと思うほど横幅が狭く、人間三人が横に並べるかどうか程度の広さしかない為だ。しかし、代わりに部屋の奥まで三十メートル近くあり、天井もそこそこ高いので一概に狭い空間とも断言しがたい。
両端の壁には四角に区切られた備え付けの棚が隙間なく並んでいる。
それぞれの棚にはガロフから聞いていた通り、物珍しい瓶や小箱が所狭しと置かれている。中には何かの動物の頭蓋骨や、淡い光を放つオブジェのようなものもあって興味を引かれる。
一見したイメージで言い表すなら、横壁が木製のコインロッカー群になっている通路という感じか。扉はないので正確な例ではないが、そんな印象を受ける。
その光景を見回した魔耶は振り返る。
「よし。さっきと同じ役割分担をしましょう。私が人魚の涙を探すから、虎太郎は廊下で引き続き見張りをお願い」
「俺は探さなくていいのか? 探し物なら二人でやったほうが効率的だぞ」
「虎太郎は字が読めないでしょ。一つづつ棚を改めていたら夜が明けてしまうじゃない。普通に管理目録か保管台帳を探して、目的の物品の保管場所の目途をつけるのよ。――虎太郎にできる?」
「…………お任せします」
総当たりで探すのだと勘違いしてました。
肩を落として廊下の見張りの戻る。
こういうのは適材適所だ。
廊下の見張りも大事だからな。亡霊が近づいてきたら大変なわけだしね。
背後のゴソゴソと鳴る物音を聞きながら、暗闇の廊下に意識を向ける。
闇に沈んで灯りもなく、窓の外から時折入る落雷の光のみが黒を掃う。
亡霊がそこら辺を徘徊していることもあって、不安を煽る不気味な雰囲気が支配した空間は、一切の物音もなく静寂に沈んでいる。
昼間の騒がしさは見る影もない。
暗闇が俺を招いている。
そんな嫌な想像が湧いてきて生唾を飲む。
……相変わらず不気味な廊下だ。
人魚の涙、早く見つけてくれないかなぁ。
そんな風に見張りを続けて数分くらいか。
ふと、闇の中で何かが目に付く。
「――?」
ほんの少しの違和感。
左手側の廊下の先。大廊下なので遠くまで続く通路には、横道や階段が途中途中で存在するがその内の一つ。
俺から約三十メートル先離れた場所にある横道の陰。というか影。
そこに何故か注意が引っかかる。
……あの影、さっきまであんなに大きかったか?
廊下には調度品や石像、甲冑にショーケースなど、色々と置物があるので遮られた視界の死角に陰ができる。
暗闇の中なので更に確認し辛い。物も多い。
だからあくまで違和感程度で断言はできない。
気のせいかもしれない。
別に亡霊の気配も近くには感じない。
それでも気になる。
何となく影がさっきより濃く大きい気がする。
……少し近づいてみるか? あと数歩近づけばもう少しハッキリ見える。
「……」
念のため、影との距離がまだ結構あるのを確認する。
そこに何か潜んでいて襲い掛かってきたとしても、近づかれる前に余裕を持って魔耶に危険を知らせられると判断した俺は、一歩だけその方向に向かって足を踏み出す。
――瞬間。輪郭が動いた。
「っ!! おい、魔耶! ちょっと来てくれ!」
即座に引き返して第七備品室に飛び込んだ俺は、魔耶を呼びながら扉の陰から少しだけ顔を出して廊下の様子を伺う。
急激に心拍数が上がり、全身の毛が逆立つ。
何者かが飛び出してくるかと警戒するが、
しかし――。
「……?」
――反応がない。
視線の先の物陰で何かが蠢いたのを確かに見た。
だが今こうして木製扉から覗いても、何かが居たと思った物陰は押し黙っているかのように静かで、僅かも変化も動きもない。
ただただ、暗い廊下と脇道がそこにあるだけだ。
……おかしい。何で出てこない?
この感覚からして亡霊ではないみたいだが、見回り警備員的な学校関係者だと考えた場合はこちらに近づいてこないのは変だ。廊下に突っ立っていた俺に気が付かないわけがないし、怪盗騒ぎが起きているんだから生徒であろうとなかろうと捕まえようとするはず。
学校側ではない場合、何かしらの理由で夜の学校に忍び込んだ生徒か、――もしかしたら怪盗の協力者か、怪盗本人って可能性もある。聖杯を盗むために忍び込んだところを俺たちとニアミスした可能性もなくはない。
その場合は、俺たちを放っておいて何処かに行く場合もあるか。
脇道の奥の方に去ってしまったか?
俺が少し目を離した隙に別の通路に入った可能性もある。――もしかして、隠れて近づいてきているのだろうか?
「状況は?」
いつの間にか俺の背後に近づいてきていた魔耶は、緊迫感の籠った静かな声で確認を取ってくる。
一旦、扉の外から顔を引っ込めた俺は、体半分だけ振り返る。
「廊下の先にある物陰で何かが動いた。誰かいたかもしれない。暗くて姿形は見えなかったけど……多分、亡霊じゃないと思う。嫌な気配がない」
「どこら辺?」
「左手側の三十メートルほど離れた廊下の先。槍を持ってる甲冑の隣にある脇道の陰だ。もしくはその周囲に移動したかもしれない」
俺の説明を聞いた魔耶は懐から数枚の形代を抜き取り、無詠唱で素早く魔法をかけて宙に浮かせた。
意思を持つかのように旋回する形代たちは、独特の陣形を組んで廊下に飛び出し、俺が指示した物陰に向かって音もなく飛翔する。
一枚は俺たちの近くで待機し、二枚は目標の手前でお互いに距離を取って周囲を警戒。残りの三枚が順番に、数秒の時間差で目標の物陰に飛び込んでいく。
形代の突入を確認して、数秒後。
魔耶が怪訝そうに眉を顰める。
「……異常はなさそうだけど?」
「誰もいないってことか!?」
「うん。近場も軽く見て回ったけど特には」
間違いないと断言して、魔耶は第七備品室から外に出る。
そのまま廊下の先に進む彼女の背中を、俺は怖々と慎重に追いかける。
宙に浮く形代に見守られながら、例の何かが居たはずの廊下の脇道に辿り着くが、魔耶が言う通りそこには伽藍とした細道が続くのみ。
誰もいないし、特に異常も見受けられなかった。
しばらく形代が周囲を捜索したが、成果もなく一分ほど時間を無駄にした頃。
細道の先を睨んでいた魔耶が、顎に指を添えつつ何かを考える素振りを見せる。
「この脇道の陰に何か居たんだよね?」
「あ、ああ。嘘は言っていない。見間違いの可能性はあるけど俺自身はそれはないと思っている。あれを見た時は瞬きもしてなかったからな……。――本当だぞ」
疑われていると感じ、自然と嫌な汗が額に流れる。
心なしか発言もどもり気味になってしまい、余計疑われると心配して更に挙動が怪しくなる。意識すればするほど駄目になってしまうなコレ。
確かに何かが動いたように見えた。
間違いない。
だが、現実には何もいなく、異常はどこにも見当たらない。
……どうなっている?
魔耶はそんな俺の野暮ったい様子に苦笑して、
「別に虎太郎を疑ってるわけじゃないっての。ただ、ちょっと気になって」
「な、何が?」
俺が詳細を聞くと、魔耶は横目で脇道の奥に視線を送る。
「この先って行き止まりなんだよね。ちょっとした施設はあるけど何処かの通路に通じている訳じゃない。それに、第七備品室前の位置から隠れる場所としても最適ではないなって……。だからなんでこの脇道の陰にいたのかな。と、思ったの」
「……? それって重要なことか? まあ、言われてみれば疑問だけどさ」
魔耶の視線に釣られて俺も暗い廊下の先を見遣る。
闇に沈んでいるために奥は見えないが、先は窓もなく特に暗い。闇夜に慣れた瞳でも見通せないほどの漆黒が広がって、先に何があるかは伺い知れない。
結局、ここにいた奴の正体は不明。
学校側なのか、怪盗関係なのか、無関係の生徒なのか、もしくは人ならざる何かなのか。俺は姿をしかと目撃することなく第七備品室に隠れてしまったので、こうなった以上は確かめるすべはない。
その正体不明の存在は、この奥に用があったのだろうか?
この奥に施設に向かう途中、あるいは帰り道の途中で俺に見つかってしまった。だから隠れるにしては中途半端な脇道の陰に居た。その推測は当然の帰結だが、魔耶はそれに対して疑問に思っているらしい。
何か意味があってこの通路に居たのではと考えている。
「……それで、この先にある施設って何なんだ?」
まずはそれを知らなければ推察しようがない。
尋ねると、魔耶は視線は通路の奥に固定したまま口を開く。
「非常用魔源設備室よ」
「魔源? どういう設備だそれ?」
「うーん。詳しい話をしたら時間がかかるから簡潔に説明するけど。まず、学校内の様々な設備を稼働させるためには莫大な魔力が要るのよ。それらの魔力を生成、供給する強力な魔力炉が存在して、その設備は『魔源』と呼ばれている。で、この先の設備はメインとは異なるサブの魔源設備なの」
「ああ。非常用電源の設備ってことか」
「電力で置き換えるとそういうことね。あくまでメインが何かしらの理由で使えなくなった時の非常用設備だから平時は稼働していない。だから、メンテナンス以外で立ち入る理由ってないと思うんだけど」
魔耶は戻ってきた形代たちを回収しながら説明する。
非常用魔源設備室。なるほど、概要はわかった。
電力の代わりに魔力が、学校全体の設備に供給されているわけだ。
「そっか。重要な設備だけども、でも怪盗騒ぎとは関係はなさそうだな。一応、何かあるかもしれないし、見に行ってみるか?」
「……」
魔耶は思考を巡らしていたようだが、やがて肩をすくめて嘆息する。
「ま、別にいいでしょ。下手に首を突っ込んで緊急事態になりでもしたら困る。亡霊に見つかる危険性を冒してまで調べることじゃない。今日はもう帰ろう。必要なら後日調べればいいし」
「え? いやまだ人魚の涙が見つかってないだろ。もしかしてなかったのか?」
撤収ムードを出し始めている魔耶に指摘すると、彼女はニヤリと笑って、
「人魚の涙なら、ほらこの通り」
懐から美しい細工が施された小瓶を取り出して軽く揺らす。
俺はそれを見て唖然としつつ、同時に心の中に安堵の感情が湧き上がる。
良かった。
ちゃんと第七備品室にあったのか。あってくれたか。
胸をなでおろす俺に魔耶がさもありなんと頷く。
「私も人魚の涙は保管していない可能性あるなと思ってたけど。何か普通に見つかっちゃった。順当にゲットできて逆にちょっと怖いね」
「順当ってわけじゃないだろ。亡霊に見つかりかけたわけだし、まだ人魚の涙がガーゴイルに効くと確認できたわけじゃないからな」
「そうね。それは明日確認するとして――夜間学校侵入の目的は果たした。これを持って帰りましょう」
一度見切りをつけたら未練は一切ないのか、踵を返した魔耶は先ほどまで気になっていた脇道の廊下の奥に目もくれず、さっさと大廊下の方へ戻ってしまう。
俺もチラリと何者かがいた陰の場所を見た後、魔耶の背中を追おうとして――視界の端に白っぽい物が映る。
「……ん?」
暗闇の為に気づかなかったが、廊下の端に何か落ちている。
珍しい物ではない。俺も魔耶も持っている今となっては見慣れた物だ。
近づいて拾ってみると、手の中でフワフワと柔らかさを訴えて来る。
――白花位の徽章だ。
どうしてこんな物がここに落ちている?
「こら。何ちんたらしてんの」
顔を上げると先に行ったはずの魔耶が不機嫌顔で戻ってくる。
痺れを切らした様子で俺に近づき、手の中にあるそれを見て片眉を上げた。
「何それ? 自分の徽章を持ってきたの?」
「いや、そういう訳じゃなくて……。そこに落ちてた」
「――落ちてた? ……へぇ。見せて」
興味深そうに手を出した魔耶に徽章を渡す。
呪文を唱えて指先に微かな光を灯した魔耶は、徽章を近くで見たり傾けたり、数秒の間、観察するような素振りを見せた後に口をへの字にして、
「魔法的術式があるわけでもなし、やや留め具が歪んでいる以外は何の変哲もない徽章だね。普通に考えたら落とし物ってことになるけど」
「……さっきの正体不明の人物のだと思うか?」
「それはいくら何でも露骨過ぎる。仮にさっきのを白の魔女だとして、完全無敗の怪盗様が自分の持ち物を落とすミスをするかっていう話。それならまだわざと落とした線がまだ濃厚じゃない?」
「まぁな。でもそれを差し引いても気になるよな」
俺の発言に魔耶は無言で返す。
答えるまでもないということ。つまりは彼女もこの奇妙な落とし物が気になっているのだ。怪しくとも捨て置くにはもったいないと思っている。
案の定、鼻を鳴らした魔耶はそれを懐に仕舞った。
「それじゃ持って帰りましょうか。これについては私の方で調べておく。正直、宝物庫攻略の仕込みや魔法の開発とかやること沢山あるんだけどね」
「だったら俺が調査するか? 持ち主が誰かを調べればいいんだろ? なら、いくつか方法は思いつくけど」
負担が軽くなるならと提案するが、魔耶は呆れたようにため息を吐く。
「だから罠の危険性があるんだってば。下手に嗅ぎまわって私たちの存在が怪盗側にバレたら不味いでしょ。いいから私に任せておいて。上手にやるから」
「……そうか。色々任せてしまってごめん」
単なる人探しではなく、相手にバレないような隠密性のある立ち回りを考えると俺では力不足。魔法という摩訶不思議な力がある以上、俺では適切な行動はできない。知識も少ない。
本当に何から何まで魔耶頼りだ。
俺の言葉に魔耶は笑って、
「そもそも私の用事に虎太郎を付き合わせている道理だし、別に気に病む必要なんてない。この件は暇な時にやっておくから気にしないで」
「優先度は低めか。そうだな、まずはガーゴイルだな」
頷いた魔耶は、今度こそ帰るために大廊下の方に歩き出す。
「……」
何となく背後の闇を眺めていた俺は、そこから視線を切る。
主の背中を追って脇道を後にした。




