033_人魚の涙
『ガーゴイルと人魚の涙』
遥か東の土地にあるサローメ大陸地方の一部漁村で、そう呼ばれる御伽噺が伝承として残っている。
人魚に恋をして悪魔に魂を売った彫刻師の物語だ。
この話は、とある港町に住んでいた見習い彫刻師が、ある日、事故で砂浜に打ち上げられた一人の人魚と出会うところから始まる。
陸の上では短い間しか生きる事ができない人魚は、偶然出会った彫刻師に自身の体を岸まで運んでくれないかと頼み、彼女に一目惚れした彫刻師はその頼みを快諾して海に運んであげる事にした。
助けてもらった人魚は、近いうちにお礼をしに戻ってくると約束してその場を去ってしまう。
美しい人魚にまた会えると心弾ませた彫刻師。
彼は毎日足繫く砂浜を通った。
来る日も来る日も。
しかし、どれだけの月日が流れようとも一向に人魚は現れず、彫刻師はあの日別れた人魚の事を思い焦がれながら、彼女に似せた人魚像を彫って無聊を慰める日々が続いた。
やがて若者だった彫刻師は壮年の男性となり、一流の彫刻師に成長する。
その腕前は近隣の街々にも轟き、その優秀さ故にいくつかの良き縁談の話が舞い込んできたが、人魚との約束が忘れられない彼はその全てを断って、ただただ人魚像を彫り続け、毎日欠かさず彼女と会った砂浜に訪れ続けた。
だが、それでも人魚は現れない。
更に月日は流れて彫刻師は老人となった。
流石の彼も、ここまで待てども会いに来てくれないという事は、最初から戻ってくるつもりはなかったのだろうと思うようになる。
悲嘆に暮れる老いた彫刻師。
そんな彼の前に――一匹の悪魔が現れる。
悪魔は言った。
悪魔は魂を自分に売り渡せば、彫刻師の彫った人魚像に魂を吹き込んで本物の人魚として生まれ変わらせてやろう、と。
その人魚を伴侶するのもどうするのもお前の自由だ。
さあ、どうする?
悪魔の提案に彫刻師は悩んだ。
だが結局、悩み抜いた末に悪魔の誘惑に屈してしまう。
例え本物の彼女でなくとも、死ぬ前にもう一度あの美しい彼女と触れ合いたいと望んだのだ。
悪魔は嗤い、約束通りに彼の彫った人魚像に偽りの魂を吹き込んだ。
契約は果たされた。
要求通り、彫像を生ける人魚へと生まれ変わらせたのだ。
歓喜にむせぶ彫刻師。
しかしすぐに現実を知る事になる。
生ける人魚の肉と魂を得た人魚像は、しかし、碌に触れ合う前にやがて苦しみ悶え、絶叫と共に干からびるように絶命してしまったのだ。
人魚は陸の上では生きられない。
人間と人魚が一緒に生活するなどと、そもそも無理な話だった。
絶望に支配された彫刻師。
怨嗟の叫びと悪魔の哄笑が響く中、悪魔の契約と負の感情によって彼の姿は醜い悪魔の彫刻へと変貌し、恐るべきガーゴイルとなり果ててしまう。
街を壊し、家畜を引き裂き、人を食らう彫刻の怪物。
強力な力を持ったガーゴイルは人間だった頃の習性故か、毎日足繁く通っていた砂浜を縄張りとして、近隣に住まう人々に酷く恐れらた。
そうして更に長い年月が流れたある日の事。
そんな怪物のいる砂浜に、一人の人魚が訪れる。
美しき容姿の人魚。彼女こそがあの日、彫刻師が助けた人魚だった。
海界と地上では時間の流れが違う。
人魚にとって彫刻師が自分を助けてくれたのはつい最近の事だったが、地上ではあまりにも長い時間が流れてしまっていたのだ。
約束通りに戻ってきた人魚を待っていたのは、変わり果てた彫刻師の姿。
狂気と憎悪に支配されていたガーゴイルは、人魚があの日の彼女である事に気が付かずに、自らの縄張りに入ってきた外敵として対処し、彼女の胸をその太く長く鋭い右腕で貫いてしまう。
人魚は、種族の特性として生き物の魂の色を見る事が出来る。
その特性故に、このガーゴイルこそがあの日助けてくれた恩人だと見抜き、全てではなくとも事の事情の一部を察した彼女は、死に際に自分を想ってくれた彼とその残酷な人生に涙を流した。
――そこで、悲しき奇跡が起こる。
人魚の流した落涙がガーゴイルの冷たい石材皮膚に触れた時、人魚の神秘に満ちた涙と死にゆく彼女の想いが彫刻師と悪魔との繋がりを絶ち、彼を怪物の呪縛から解き放ったのだ。
彫像へと変わり果てた怪物の体が崩れ落ち、中から現れた人の姿の彫刻師。
突然の出来事で状況を正確に把握しきれていない彼は、しかし、腕の中で事切れた彼女こそが、再会を夢にまで見たあの人魚であるのを理解してしまう。
あの日、彼が彼女を救ったように、彼女もまた命を懸けて彼を救ったのだと。
潮風の吹く誰もいない砂浜で、何もかもが手遅れになった砂浜で。
人魚の亡骸を抱いた彫刻師の慟哭が寂しくそこにあった。
声が掠れ、涙が枯れようとも。
いつまでもいつまでも、そこにあった――。
* * * * *
語りに耳を傾けていた魔耶。
聞き終えた後、彼女は小さくため息をつく。
「人魚姫といい八尾比丘尼といい、どうして人魚にまつわる話は悲劇が多いんだろうね。私はバットエンド系の物語は嫌いなんだけど」
後味が悪くて敵わないと、風に煽られて乱れる長髪を抑えながら物語の感想を短く言い放った。
俺たちの視線の先で箒にまたがる同級生の姿。
恐らく初めて箒で飛ぶのだろう。
自転車に初挑戦する園児のような有様で皆に見守られている。ヨロヨロと不安定ながらも地面から足が離れると、周囲から歓声が上がって盛り上がっていた。
一種の公開処刑だな。
ちなみに今は魔道具学の授業中。
南校舎エリアにはサッカーの試合ができる程度には広い芝生の運動場が存在しており、屋外授業という事でこの場に移動した俺たちは、学校側が用意した箒や絨毯を利用して空を飛ぶ体験授業を行っている。
魔道具学最初の授業なので、まずはメジャーな魔道具を使ってみようという初歩中の初歩の段階。
小難しい説明よりもまずは体験してみようという意向は生徒に受けが良く、広い運動場のあちこちで好き勝手に箒を乗り回す生徒たちからは、楽し気な反応と歓呼の声が上がって皆楽しそうだ。
衣服の下からも豊かな筋肉を感じさせる大柄な体格の男性教師は、楽しむ生徒を諫める事なく笑顔で見守り、上手に使いこなせない生徒に関してはかいがいしく教えて回っている。
面倒見のいい体育教師といった感じの先生だ。
童心に帰って遊ぶ生徒。
世話を焼く先生。
――そして、元々騒ぐタイプではない一部の生徒たちは、アウトドア派のはしゃぐ様子を授業に参加しているかどうかのギリギリの距離から眺めていた。
俺と魔耶もそのタイプだ。
「でだ。今の話の信憑性、どう思う?」
俺たちは周囲の輪から離れた位置で、こそこそ話を続ける。
「……もしかしてガーゴイルに人魚の涙が有効かもしれないって言いたいわけ? 図鑑や専門書を読んでも弱点は見つからなかったと今言ったばかりじゃない。今の話だって単なる御伽噺でしょう?」
「それがどうも、今の御伽噺はどうも事実に基づく物語らしいんだ。それにガーゴイルとは別に人魚についても調べたけど、人魚の涙って強力な魔力媒体らしいぜ。ならそういう不思議な力があってもおかしくはないと思うが」
「ま。人魚の涙は特別な刺激を与えると真珠に変化すると聞くし、他にも色々な用途があるのは事実。――でも、ガーゴイルに有効と聞いた覚えはない」
「だから魔女である魔耶に確認したいんだ。今の話、信憑性はどの程度だ? 真実である可能性は?」
俺の言に対して、魔耶は思案に耽るように顎に手を当てる。
一考の余地はあると判断したようだ。俺の調査も無駄ではなかったらしい。
結論として、昼休みの間に行った資料を漁ってのガーゴイル調査は、セイラに手伝ってもらったにも関わらず成果を上げる事はできなかった。
ガーゴイルの生態に詳しくなった副産物はあったが、かの怪物に弱点らしい特性はなくそれ故に門番や番人に有効であるという逆に知りたくなかった事実が発覚して、本来の目的からは遠のく結果になったのだ。
魔耶を説得して図書館に連れてきた挙句、その魔耶を司書に押し付けて自分だけ調べ物を行ったというのに、成果ゼロでは合わせる顔がない。
そう頭を抱えていると、セイラが昔聞いたという興味深い話を聞かせてくれた。
それが今の御伽噺、「ガーゴイルと人魚の涙」だ。
『昔から村に伝わる御伽噺です! 私が幼い頃、お母さんに寝物語として聞かせてもらったりしましたねー。懐かしいです! ああ、でも何故か誰もこの話を知らないんですよねぇ。マイナーなお話なんでしょうか?』
そう言って首を傾げていたセイラの姿を思い浮かべる。
事実、ガーゴイルの文献調査で今の話は欠片も出てこなかった。
一部の田舎にのみ伝わる民間伝承であるために、一般的には知られていない御伽噺は数奇な軌道を辿って俺の耳へとたどり着いたのだろう。
セイラがいなかったらこの話を仕入れる事はできなかった。
彼女には本当に感謝してもしきれないな。
実話が元になっているとされる御伽噺。
果たしてその信憑性に対して英知ありし賢き魔女は、
「………………可能性は、ある」
悩みながらもそう告げた。
「実話を元にしたそういう話は意外と多くてね。ほら、お姫様のキスが王子様の呪いを解くとかあるじゃない? あれって実は神秘的にもそういった特性が備わっていて、実際に解呪の魔道儀式に親しい人の接吻を利用したという実例があったりするわけ」
「ほう!? ちなみに魔耶の呪いにそれは……」
「それは無理。――で、話の続きだけど、落涙にも同系統の神秘特性『清浄』や『抗魔』の側面がある。愛する人のために流した涙が奇跡を起こすという話が民間伝承の原型として伝わるくらいにはね」
その説明に俺はなるほどと頷く。
これといって例は思い浮かばないが、様々な物語において何故か涙やキスで恐ろしい呪いが解けたりするシーンが定番としてあったりする。
あれはその方が感動するからという物語上の都合だけではなく、原型と呼ばれる元となった事実や伝承が存在する為に定番として伝わっているわけだ。
魔耶は空を箒で飛ぶ同級生たちを見上げながら、
「だから、神秘性を帯びる人魚の涙ならガーゴイルに対して何かしらの反応を示す可能性はあると思う。実際、ガーゴイルは種族的に悪魔で、涙の特性に対して反属性になるから理にかなってはいるのよね」
「試す価値はありそうって事だよな?」
軽く頷く魔耶に俺は内心でガッツポーズをする。
今回、図書館での調査を提案したのも実際に情報を得たのも俺だ。いつまでも足手まといのままに甘んじるつもりはない。
これで少しは魔耶の役に立てたかな。
人魚の涙が有用と判断してくれたのなら、追加の情報も役に立つ。
「そういう事なら後は調達だな。それなら小耳に挟んだ情報があるぞ! 竜の逆鱗とか、火鼠の皮衣、人面樹の種に、魔法猫の爪。そういった希少な魔力媒体を保管している場所があるらしい。――東校舎エリアの第七備品室ってとこだ。学校内に人魚の涙があるとしたらそこじゃないか?」
これは別口で得た情報だ。
セイラから御伽噺を聞いた後、じゃあどうやって人魚の涙を入手すればいいか考えた時に思い出したのだ。
数日前に調薬学の授業を受けたガロフ。彼は授業後に偶然、調薬学担当の教師が第七備品室で整理をしている場面に出くわしたらしい。
その件について昨日、雑談の話題に出していた。
ガロフは備品室の外で先生と会話しただけ。
実際に中に入ったわけじゃない。
だが、廊下から覗けるだけでも大量の棚に物珍しい瓶や小箱が所狭しと置かれて保管されていたらしく、また、鼻が利くガロフはそれらが日常生活ではお目にかかれない希少なアイテムだと匂いでわかったと言っていた。
グラズヘイム魔法学校ともなれば、希少な素材を多種多様に保管している筈。
そこになら人魚の涙があってもおかしくない。
魔耶は自慢げな顔をしているだろう俺を横目で見遣る。
「当たり前の事を聞くけど、備品室への生徒入室は禁止で備品を私的に持ち出して使用するのもアウトなのはわかってる?」
「当然だろ。というか、俺たちの目的を考えれば今更って感じだな」
遠回しに盗みを働く事を示唆して、フッと悪い笑みを作る。
一応、会話を誰にも盗み聞きされないよう警戒している状態だが、念の為に直接的な表現は控えておく。流石に盗み宣言は迂闊に口にできない。日本語で話してるから聞かれても問題ないとはいえ、だ。
魔耶もわきまえている様子で肩をすくめる。
「形代による調査では、備品室等の場所にはそこそこの結界や見張りがある事が判明している。例の場所ほどではないにしてもね。――それに、大廊下に面している部屋だから日中は人目が多すぎる。何かするにしても時間がかかるから事を目撃されてしまう。何がとは言わないけど」
「へぇ。日中は人目が多いか」
「そう。学校が開いている間は無理」
「――じゃあ夜か」
「うん。誰もが寝静まるタイミング。……深夜かな」
わざとらしく示し合わせる俺たち。
その後、二人そろって箒で滑空する同級生たちを見上げる。
空中には当然信号も道もない。
飛行する箒に乗った魔法使いたちは、広い空間を縦横無尽に駆け巡る。
中には飛行の才能がある奴もいるようで、他とは一線を画すスピードと鋭い挙動でトリックを決めるやんちゃ坊主もいた。赤毛がトレードマークの派手に浮かれる男子生徒。
というかアベルだった。
明らかに尋常じゃない挙動で箒が舞っている。ただ乗っているだけじゃなくて風の精霊の力を借りて速度と制動に補正をかけているのだろう。魔道具に慣れるという授業の本質を無視して、勝手にズルするとは悪い奴だな、あいつ。
まあ、夜の学校に忍び込んで盗みを働こうとする俺たちの方が悪い奴だけどな。
眼前の風景から目線を外して俺を見た魔耶は、ニヤリと魔女の笑みを浮かべる。
「じゃあ今夜決行する。もちろん虎太郎も付き合いなさいよ。集合の時間と場所は後で伝えるから」
「わかった。楽しみだな」
言葉と共に親指を立ててこちらの意向を示す。
魔耶とつるむと悪い事を抵抗感なくやってしまうな。
使い魔は主に似る。ってことか。




