003_呪い蝕む
魔耶に魔法学校への推薦入学の話が来た。
口では嬉しいと言いつつも興奮する事なくクールに流す魔耶だったが、生憎と俺はそんな冷静ではいられない。
その後の俺はと言うと、事あるごとに魔法学校の事を夢想するのが癖になってしまい、登下校や授業中も、頭の中では未だ見ぬファンタジー世界を思い描いては現実を疎かにするという失態を重ねていた。
遠足の前日の夜に眠れなくなる小学生のようで、何とも恥ずかしい。
魔耶にも「アホ面を晒す事が多くなっている」と呆れられてしまっていたし、俺自身も子供っぽくてダサいなとは思っている。
しかし、無理もない。
考えて見てほしい。――異世界に、魔法学校だぞ。
今までは単なる妄想の中の産物が現実になるかもしれないと考えたら、胸の高鳴りを抑え込むなんてとてもできない。
ロマン。夢。子供心をくすぐる状況に、忘れていた純粋な感情を思い出す。
一日の学業が終了し、下校中の俺はまたもや輝かしい魔法学校に想いを馳せながら、心ここにあらずの状態でいつもの道を歩く。
「…………」
ふと、そこで嫌な気配を感じて振り向く。
先ほど通った見慣れた架道橋。住宅の塀を越えて顔をのぞかせる植木。交差点にカーブミラー。視界に映るそれらは特に何時もと変わらない様子で眼前に広がっている。
何の変哲もない通学路だが……。
視線を感じる。――気がする。
「……ちっ」
ファンタジー気分を邪魔され、少し不愉快になった俺は舌打ちを一つついて足早に自宅へと急いだ。
* * * * *
「…………はぁ」
学校から家に帰ってきて早々、玄関でため息をつく。
唐突だが俺には悩みがある。
自意識過剰と言われるかもしれないが、真面目な話――どうも俺はストーカーに付け狙われているらしい。
冗談みたいな話だ。見た目の整った魔耶が相手ならまだわかるが、魔耶の冴えない腰巾着役の俺が被害にあっているというのは。――だが、最近になって状況が悪くなってきたので冗談では済まされなくなってきた。
そろそろ魔耶にも真剣に相談するべきか。推薦入学の件で色々調べているらしいし、あまり私事で手を煩わせたくはないんだが……。
それにしても、何でこんな事態になってしまったのか。
最初は何となく視線を感じる、といった勘違いと切り捨てる程度の違和感に過ぎなかった。
それが少しずつ露骨になってきていて、さらに身の回りで不審な出来事が多発するようになった。私物が盗まれたり、逆に身に覚えのない品が持ち物に紛れていたり、クラス内で俺に関する根も葉もない噂が流れたりと、無視できないレベルにまで発展してきた。
先ほどの帰宅時にも常に誰かにつけられている気配がして心休まらなかったし、流石に何かしらの対策はしないといけない。このままだと悪くなる一方だ。
けど魔耶の奴は馬鹿にするだろうなこれ……。
「ふ、ふふ。あはは! 物好きな人も世の中にはいるんだ。凄いね」
その後、遅れて帰宅した魔耶に悩みを打ち明けてみると、案の定馬鹿にされた。
「ったく。笑い事じゃないんだよ」
「ごめんごめん! いやーそんな面白い事態になっているとは思わなくてさ。意外性抜群でテンション上がっちゃった」
「……ともかく、何時もみたいに何とかできないのか?」
魔耶の若干不愉快な態度に目をつむりつつ、両手を合わせて頼み込む。
困ったときの魔女頼み。
魔法ならストーカーの犯人が誰なのかを調べる事も、解決する事もできるかもしれない。
本来であれば魔女に対して願いを聞いてもらう際、重い代償を支払うのがおとぎ話から続くしきたりなのだが、そこは家族サービスで是非とも無料で助けてくれ。
真面目な顔でお願いすると、魔耶は笑って、
「別にいいよ」
「本当か!」
「もしかしたらこっち側――魔道側の関係で付け狙われてる可能性もあるし、念の為に調べておいた方がいいでしょ。そうじゃなくて本当に虎太郎にご執心なストーカーだったとしても、それはそれで私も正体が気になるし」
ニヤニヤと鼻につく笑みを浮かべる魔耶。
どうやら親切心ではなく、保身と好奇心によって助けてくれるらしい。
やや思うところはあるが助けてくれるのは普通に有難い。問題を解決してくれるならこの際、助けてくれる側がどう思っているかなんて二の次でいい。それにまあ、少しくらいは俺の身を気遣う気持ちもあるだろう。あるはずだ。
椅子から立ち上がった魔耶は腕を伸ばして体をほぐした後、「じゃあさっそくやりますか」と告げる。
「まずは虎太郎に追跡系や監視系の魔法がかかってないか確認する。その後にストーカーの正体を探ろうかな。……準備が要るから虎太郎はちょっと待ってて」
「それなら何か手伝おうか?」
「そう? じゃあいつもの薬品棚から小瓶取ってきてくれない。必要なのは――。――――っ!!」
前触れもなく、唐突にそれは訪れた。
魔耶の言葉が途中で途切れ、何かと思って彼女を注視すると顔面蒼白になった顔が目に入った。
彼女の長髪が少しだけブワリと浮き広がる。瞬間、肌が異常を検知する。
空気が一瞬で加熱され、室内の気温が一気に上昇した。
熱源は、目の前の少女からだ。
「魔耶っ!!」
崩れ落ちる魔耶の体を慌てて受け止める。
力が抜けて糸が切れた人形のように倒れこんでくる彼女の体は、直接触っていられないほど熱い。
ただ体温が高いだけではここまでにはならない。体内の魔力が暴走して体表から熱として放たれている。
「――っ、あぁ」
「魔耶! おい。大丈夫か!?」
「こ、抗呪丸薬を……。場所は、い、いつものところ……に」
途切れ途切れの言葉に突き動かされ、魔耶をソファーに寝かした俺は慌てて別室に向かい、薬品棚から黒い小瓶を取り出す。
摩耶のもとに戻り、逸る気持ちを抑えて小瓶から黒い丸薬を二錠取り出す。
丸薬から彼女に視線を向けると、苦痛に表情を歪めるその顔に、のたうち回る赤ヘビのような火傷型の呪痕が薄く浮かび上がってるのを見つけ、瞠目する。
「口を……開けてくれ。ほら、慌てずに飲み込め」
「じ、自分で、飲める、から」
震える手で丸薬を受けった魔耶は、それを口に含む。
飲み水も必要だろうかと心配した間に、魔耶は丸薬を飲み込んだ。
「…………っ」
時間にして数秒。それでも悩ましいほどに長い時が流れる。
やがて目を閉じて痛みを耐えるように縮こまっていた魔耶の体から熱波の放出が収まる。少しずつ彼女の体温が下がり始め、表情から苦悶の色が抜けていく。いつの間にか赤い呪痕も消えてなくなっていた。
ふと、目を開いた魔耶の紫紺の瞳と視線が絡み合う。
「……。……顔が近い」
「あ、ああ。体調はもう大丈夫か? 痛みは?」
「心配いらない。もう動けるから」
ややふらつきながらも上体を起こす魔耶を支えつつ、俺は今日一番のため息を吐く。
「ビックリするな本当に。毎回この瞬間は生きた心地がしない。発作は三か月ぶりか?」
「前回が二か月前ね。前々回はその四か月前で、さらにその前が半年前」
「……だんだん周期が短くなってきてるな」
室内温度がゆっくりと常温に戻っていくのを肌で感じながら、俺は日に日に短くなってきている発作の周期に歯噛みする。
俺の手を離れて席に座りなおす魔耶は、どっと疲れた表情で乱れた衣服を正す。
「今回は体の負担も大きかったみたい。魔力暴走が結構しんどくて体も動かし難かった」
「そうか。発作が起きるたびにこれじゃあ、今度は抗呪丸薬が効くかどうかも怪しいな。こういうのは薬が効かなくなるって定番だからな」
「……不安になる事言わないで」
うんざりした声音で吐き捨てる魔耶。
確かに不用意な発言だった。心身弱っている魔耶に対して負担になるような言動は控えないと。
「しかしあれだな。ストーカーどうこうの場合じゃないな。しばらくは安静にした方がいい」
「……ごめん」
「別に魔耶が悪い訳じゃないだろ。発作はしょうがない事だし、ストーカーの件も俺の問題だ。まあ、こっちの件はもうしばらくは様子を見るよ。――それよりも呪いの問題解決が先だ」
早く何とかしないといけない――のだが、本当にどうすればいいのだろうか。
二年前のある一件を境に彼女を蝕むかの呪い。
解決策が今のところない深刻な問題だ。
今は魔法で調合した抗呪丸薬で呪いの浸食を抑える事ができるが、呪いの浸食周期も短くなってきているのを考えると、いまのままではいられないのは明白。
いずれは呪いが完全に彼女を蝕む日が来るのかもしれない。
助けてやりたい。でも誰も助ける事はできない。
地球上では彼女以外に魔女がいない以上、頼れるのは自分自身のみ。病院や医者に診てもらう事に意味はなく、誰かに頼る事もできない彼女はひたすらに孤独だ。ただ一人で何とかしようとあがいている。
魔法の知識も力もない俺が傍にいようと何の頼みにもならない。
先ほどの苦しむ魔耶の様子が脳裏にちらつき、忸怩たる思いに唇を噛み締める。
これが、彼女が抱える大きな問題。
魔女である彼女は普通の人間が罹る風邪には決して罹らない。だが、そんな魔女にも時にどうしようもないものがある。
――呪い。
ある意味で魔女の代名詞とも言えるその現象が、彼女自身を蝕んでいた。