029_学位による格差
「『痴れ者に罰を。痛みを持って分を弁えさせよ』」
迸る紫紺の閃光。鳴り響く神秘の破裂音。
鋭く素早く紡がれた魔法はアベルに直撃し、その体躯を軽々と吹き飛ばした。
「――アベルっ!!」
決して軽くない人体が軽々と宙を舞う。
ちょうど対角線上にいた俺の方に、手足をバタつかせて回転しながら突っ込んできた。
避ける余裕もなく、そのつもりもない。
俺は咄嗟の判断で自らの全身でクッション代わりにアベルを受け止める。
だが想定していた以上の圧力が全身を貫き、勢いを殺しきれずにそのまま後方に倒れ転げてしまう。
「ぐっ……。おい! 大丈夫か!」
慌てて起き上がった俺は、地面に倒れ伏すアベルの顔を覗き込む。
アベルは歯を食いしばって断続的な痛みに耐えている様子で、呼びかけに応じる事もできずに蹲る。
額に冷や汗を滲ませた彼の表情から、彼がただ吹き飛ばされただけではない事を理解した。
恐らく、物理的な威力を持つ魔法と共に呪いが彼の体の中に侵入し、今この瞬間も全身に呪いが暴れまわって激痛を彼に与え続けているのだろう。
あまりに仕打ちに沸騰する怒りと共に下手人を睨む。
相変わらずの冷たい視線と嫌悪感を隠そうともしない表情。一切悪びれる様子もない在校生に、憤怒に任せて怒鳴りつけてやろうと口を開くが――
「もがっ!?」
「駄目。お願いだから大人しくしてて」
背後から伸びた両手で口を塞がれ、何事かと振り返ると真剣な表情の魔耶がそう告げる。
口を抑えられているので喋る事ができず、視線だけで魔耶に「何故!?」と意思を送るが、こちらの伝えたい事を理解している様子の魔耶は、しかし頑なに首を横に振って意見を曲げない。
「――今の音は!? 何事ですか!?」
先ほどまで教師と立ち話をしていた眼鏡先輩が、状況を理解しきれていない様子で場に駆け付ける。
その傍には会話相手であった男性教師の姿もあった。
眼鏡先輩は俺たちを心配そうに見遣った後、下手人である在校生に視線を向ける。
在校生は取り繕うとする素振りもなく肩をすくめて、
「ふん。身の程知らずの『白花位』が無礼な口の利き方をしたのでな。軽く罰してやったのだ。――何か問題が?」
飄々とそんなセリフを吐く。
自分は間違った事はしていないと言わんばかりの態度に内心苛立つ。
だが、教師の前で言い訳もせずにそのまま事を明かすなんて迂闊なやつだ。
後輩に生意気な態度で口答えされたからという浅い理由で即暴力は普通に犯罪。常識的に考えて、この場で下手人が暴力を咎められるのは避けられない。
俺は今後の展開に希望を見出して行く末を見守る。
だがしかし。
俺の予想と裏腹に眼鏡先輩と教師の反応は薄い。
どころか――
「それは……ご迷惑をおかけしました。すみません、僕の監督不行き届きです」
眼鏡先輩の筋違いな対応に俺は瞠目する。
いやいや、違うだろ?
謝るのは相手の方であって眼鏡先輩ではない筈。
確かにアベルの生意気な態度にも問題はあったが、だからと言って暴力が許されていい筈がない。なのに何故それを咎めようとしないのか?
見れば男性教師の方も「当然の成り行きだ」とばかりに眼鏡先輩の謝罪を静観している。
周囲を見渡すが、誰もが目の前の光景に疑問を抱いている様子はない。
胸中で膨れ上がる違和感。
世界の常識から俺だけがズレてしまったような錯覚。
自分の価値観に自信が持てなくなってくる。
――俺の考え方が間違っているのか?
「……まあいい。別に大事でもなし、今後はこのような事がないのを祈るばかりだ」
周りから注目されるのが鬱陶しくなったのか、下手人の在校生は吐き捨てるようにそう言ってこの場から去る。
眼鏡先輩も異論はないようで、去りゆく在校生に頭を下げつつその背中を見送る。
やがて緊迫した空気が元に戻り、黙り込んでいた新入生や在校生たちがそれぞれの行動に戻っていく。
その光景を見つつ俺は頭を振る。
「何が何だか……。あの男がどうして無罪放免なんだよ。訳が分からん」
「私も失念していた。そういえば虎太郎とアベルは入学式に参加していなったから『色冠学位制度』について説明されていないのよね。まずはその事を説明するべきだった」
俺の口を開放した魔耶が立ち上がりながら発言する。
事情を知ってそうな魔耶に俺は振り返る。
「色冠学位制度? 何それ?」
苦しむアベルに肩を貸して起こしつつ、魔耶に続いて立ち上がった俺に彼女は人差し指を立てて説明する。
「端的に説明すると、生徒間に存在する学位の差を『色』で分ける仕組みの事よ。グラズヘイム魔法学校は学年制ではなくて単位制なんだけど、ひとえに単位を全て取得すれば卒業できるというわけではないの。必要分の単位を取得した後は、定期的に実施される進位試験を合格して学位を修める必要がある」
「学位を色で……?」
俺の脳裏にある閃きが過る。
思い出すのは、必ず制服の胸元に装着する花冠の徽章の事。
先ほどあの在校生も白花位がどうとか言っていたし、学校案内が始まる前に魔耶も黄花位とか言っていた気がする。前後の発言から考えて、つけている人の身分というか立場に関わる事だと察せられる。
確か下手人の在校生の胸元で光っていたのは青色の花徽章だった。
自身の胸元を見下ろすとそこに在るのは白色の花徽章。
これの事か……?
「学位は段階的に七つに分けられている。それぞれ一つずつ進位する事で、基礎的な授業内容からより専門的かつ先鋭的な内容へとシフトしていき、より高度な学びを受ける事ができるようになるのよ。逆に言えば、学位が上がらなければいつまで経っても低レベルな授業しか受けられない」
そうして最高学位の生徒が卒業試験を突破する事で、ようやく正式にグラズヘイム魔法学校を卒業が認められる。と、魔耶は概要のみを簡単に説明する。
魔耶の説明によれば、俺が察した通りに学位は徽章の意匠と色で判別できるようになっている。
――白花位、黄花位、赤花位、緑花位、青花位、紫花位、黒花位。
この順番で学位は並んでいる。つまりは白が一番低く、黒が最も高い。
当然だが新入生の俺たちは一番下の白花位だ。
「でね。特に注意が必要なのは、学位は単なる勉学の進捗具合を示すものだけではなく、学校内での立場に直結しているという点よ。――文字通り、学校内では学位が高い生徒ほど偉い。それは決して建前や形式上のものではなく、本当の意味で暮らしも地位も違う」
昨日、住まう寮が学位によって快適な環境になっていく話を寮主から聞いたが、あれはそういう事だったのだ。あの時は大して疑問に思わなかったが、今はその意味を痛感する。
学位が高ければ高いほど、授業も優先的に受けられるし、設備利用も優先的に申請できる。
食堂で食べる事ができる量や質も学位によって差があり、備品の補充も先も高学位の者からまわされる。衣食住の全てにおいて学位によって優劣があるという事。
極めつけは先ほどの事件。
明らかに青花位の在校生に非があったにも関わらず、暴力をお咎めなしで済まされたのは、この事件が青花位から白花位へ対する暴力行為だったからだ。
貴族が奴隷に暴力を振るっても、それが不自然だと声を上げるものはいない。
それが当然の常識であり、正しい立場の在り方だからだ。
それと同じ事が、この色冠学位制度にも言えてしまう。
「もちろん、最低限守られるべき校則は存在するし、色冠学位制度だけでは測れない学校外の立場の問題もあるから、一概に全てが学位によって決められるわけじゃない。――さっきの事件も、白花位生徒が青花位生徒に対して楯突いたという前提がなければ暴力を咎められていたでしょう。あれはアベルの言動が不味かった。公衆の面前で色冠学位制度に反する行動をすれば、それに対する誅伐も正当化されてしまう」
「……チッ。そういう事か。しくじっちまった」
俯きながら俺たちの話を聞いていたアベルが顔を上げる。
表情から少し疲労の色が滲んでいるが顔色は悪くない。
「アベル! もう大丈夫なのか!?」
「おうよ。一時的な苦痛の呪いだったらしいな。痛みが治まってきたぜ」
俺の肩から腕を解いて体の調子を確かめるアベルは、憎たらし気に青花位生徒が去った方向を見つめてガシガシと頭を掻く。
「色冠学位制度か。事前に知っていればもっと上手く立ち回れたが……しょうがねぇな。だが、この借りはいつか返してやる。あの野郎、覚えとけよ」
リベンジの炎を燃やすアベルに俺は片眉を上げる。
「な、納得しているのか? 色冠学位制度に」
「ああ? 何か気に入らない事でもあるのかよ。俺はシンプルでいい制度だと思うが?」
「……いや、だって……」
俺は自身の声が震えているのを感じながら呟く。
それでは色々と問題が勃発する。今みたいなトラブルも頻繁にあるだろうし、何より不平等で不満が溜まりやすい環境だ。なぜわざわざ不和を生みやすい学位制度にしてしまっているのか。
普通の単位制でいいじゃないか。他人と優劣をつけて差を広げる必要が何処にある。貴族社会じゃあるまいし、公平感のない学び舎で若い生徒たちが勉学に励めるとは到底思えない。少なくとも、日本でそのような私立高校があったら非難轟々だろう。真面な教育機関じゃない。
何より……受け入れがたい。
学校は交友関係を学ぶ為の場所でもある筈だ。友達を作って皆で仲良く勉学に励むのが理想。その筈だ。
なのに、こんな――殺伐とした学校だなんて。
「日本社会の常識が染みついている虎太郎には、私たち魔法使いの在り方は受け入れがたいのかもね」
「……魔耶」
「いいよ。魔女として当たり前のアドバイスを虎太郎にしてあげる」
色冠学位制度に納得していない俺の前で魔耶は腕を組む。
「魔法使いは選ばれし者の証。故に皆、誇り高く、自信に溢れていて――それに見合うだけの強力な力を持つ。だからこそ、私たち魔法使い見習いが一流の魔法使いを目指して、高みへと這い上がろうとする行いにはある意味で魔法的な儀式が絡む」
「儀式? 魔法を学ぶ事がか?」
「虎太郎は蟲毒という儀式を知っている? 小さな壺の中に複数の毒虫を入れて閉じ込めて共食いをさせる事で、生き残った最後の一匹は強力な毒虫に成長するというあれ」
俺は魔耶の説明に頷く。
漫画や小説では定番のネタだ。概要だけは俺も知っている。
「蟲毒って実は呪術の側面を持つ魔法儀式の一種なんだけど、魔法使いの成熟はあれとよく似ている。
神秘は希少であればあるほど強力な力を持つという魔道法則があって、それ故に魔法使いを育成しようとすれば、勉学で足並みを揃えて魔法使いを大量生産するという方法は根本的に向いていない。大量の人材の中から極一握りの一流を生み出す事こそが最良。
だからこそ私たちは幼少の頃からこう教わる――」
魔耶は周囲の生徒たち全員を示すように両手を広げて、薄く笑みを浮かべる。
「同胞は蹴落として当然。仲間はいつかは超えるべき未来の敵として考えろ。魔法使いの世界は巨大な蟲毒の壺の中。ただ一人の究極の一を目指せ、とね」
「…………」
「名門であるグラズヘイム魔法学校は、ただその考え方に沿って合理的に仕組みを敷いているんでしょう。厳格な階級と格差があるからこそ、生徒は何が何でも成り上がってやると躍起になるし、確かな実力を証明すれば生まれも種族も関係なく上に行ける。……そして、力もなく努力もない者はただ食い物にされるだけなのよ。厳しいようだけどそれは決して悪い事ではなくて、一握りの一流を生み出す為の合理的な学業競争なの」
俺は黙って周りの新入生たちを見渡す。
元気になったアベルは眼鏡先輩に事情を話していて、話の輪に入ったセイラはアベルに謝罪をしている。新入生も思い思いに会話をしていて、先ほどの事件に対して驚いたまま先に進めていないのは俺くらいだった。
この場にはいろんな奴がいる。お転婆な性格の奴。老獪な考えの奴。傲慢な態度の奴。臆病な精神の奴。
その中のただ一人として、学校の仕組みや魔法使いとしての在り方に疑問を持つ奴はいない。彼らにとってはそれが日常で常識の一部だから、そもそも「何故?」とすら考えないのかもしれない。
グラズヘイム魔法学校は深淵を目指す魔法使いたちの巣窟。
俺はとんでもないところに足を踏み入れてしまっていたらしい。
理解はしたが、納得は難しい自分の心情に対しては俺はため息をつく。
「はぁ。制度は認めるしかないけど気が重いな。ここはそんな物騒な場所だったのか。――まるで戦場だな」
「元々戦いに来たようなものでしょ。私たちの目的を考えればね」
魔耶の忠言に俺は肩をすくめる。
再開したらしい眼鏡先輩の学校案内に対して、俺は先ほどまでのファンタジー観光気分で見回っていた感情を一新し、のちの戦場を偵察するつもりで気を引き締めて学校案内に挑むのであった。




