026_リーベル校長
グラズヘイム魔法学校の校舎は城壁に囲まれた敷地内に存在する巨大な建造物であるが、単一の外観をした施設ではなく、塔、教会、城といった様々な施設が重なり合って繋がった複合施設だ。
その混沌とした有り様から察する事ができるように、内部の構造も複雑怪奇なものとなっている。
基本的に人が生活する建物はその為に最適化されているものであって、階層が違っても部屋割りが統一されていたり、直感的に構造を理解できるような外来者に配慮した造りになっている。
だが、グラズヘイム魔法学校の校舎にそれはない。
元からそういう造りにしているのか、改装と増築の果てにこのような結果になってしまったのかは知る由もないが、グラズヘイム魔法学校の校舎内は迷宮と言っても過言ではない場所だった。
目的の教室にたどり着くだけでも、ちょっとした冒険になってしまう校舎。
リーベル・シェヘラロッテ校長が待っている校長室もまた同様で、ジェスターが案内した場所は敷地内に複数ある塔の内、最も高い塔の最上階だった。
長い階段を上り続けてようやくたどり着いた終着点には立派な両扉。
ふざけた道化師は入室まで付き添う気はないのか、校長室だと宣言した両扉の前でいつかのように爆発四散して跡形もなく消えてしまった。
彼自身は校長に呼ばれていないから会わないという事だろうか。
衣服に付着した爆発で舞った紙吹雪をはたいて落としながら、真面目顔の魔耶が目の前の両扉を見て口を開く。
「校長とは私が話すから、虎太郎は基本は黙ってて。特に私たちの目的の事については欠片も喋らないでね。どう切り出してどう交渉するかは私がやるから」
無言で頷いた俺を確認した魔耶は扉をノックしようとして、
『――用件を言え』
ノックの前に、獅子を模した真鍮製のドアノブが唐突に喋りだす。
通常のドアノブよりも広く大きい獅子の顔は、表情を変えずにその黄銅の瞳を俺たちに向けて来訪の意図を問うて来る。その反応は無機質で淡泊、そこに生物らしさは感じずどちらかというとロボットのような印象を受けた。
如何にも魔法学校っぽい仕掛けに興味津々で見ていると、腕を下ろした魔耶が真鍮製の獅子に応答する。
「校長が私たちを呼んでいると聞いたので参りました。お取次ぎをお願いします」
『――しばし待て』
そう言って真鍮製の獅子から一切の反応が消える。問い合わせているようだが、生物的な反応がないので獅子の意識がここにあるのかないのか定かではない。
待つこと数秒。
『――入れ』
獅子のドアノブが独りでに回転して両扉が勝手に開く。
遠慮せず堂々と入室する魔耶の後に続いて扉をくぐると、視界に飛び込んでくるのは美しい夜空の輝き。
校長室は一言でいうとプラネタリウムを備えた事務部屋だった。
天井は魔法で透過しているのか、外界の大空を立体映像のように映し出していて半分室内、半分屋外のような様相であり、開放的な雰囲気となっている。
部屋自体は塔の中にある部屋だけあって縦に異様に長く、俺たちが入室した扉は床から高さ数メートルの場所にあり、壁の途中に出入口がある構造になっている。
そこから円形の室内をぐるっと回る構造で内階段が存在していた。長い階段を上ってようやく校長室にたどり着いたのに、入室したらまた少し階段を下りないといけない造り。
壁には書物が並べられた本棚や幻想生物の模型に、歴代校長だと思われる肖像画などがあり、その他にもトロフィーや賞状を飾る棚や様々な調度品が存在した。
整理整頓してはいるもののやや雑多な印象を受ける空間。
それらを興味深く眺めながら内階段を下りて行くと――
「あら、あら! お二人とも、よく来てくれました。入学式が終わったばかりなのに呼び出してごめんなさいね」
骨董品のような趣ある事務机で作業していたらしいリーベル校長がこちらに気が付き、つけていた老眼鏡を外す。
見たところ校長室にはリーベル校長が一人のみ……いや、事務机の端に茶色猫が寝そべっている。校長室も夜の学校内同様に若干薄暗くて背景に同化して、一瞬気が付かなかった。
ともかく、待ち人はリーベル校長一人だった。
リーベル校長はニコニコと笑って、
「お菓子は食べる? 数日前に遠い国から持って帰った珍しいお菓子があって、よかったら召し上がってちょうだい。あと、お菓子を食べるならハーブティーも必要よねぇ。来客用のがあるから今入れてあげましょう。それから――」
「お気遣いありがとうございます。ですが、先ほどご馳走を頂いたばかりでこれ以上は口にできず……申し訳ありません」
「そう? わかったわ。お茶会はまた次の機会にしましょう」
ご厚意を断っても気を悪くした様子もないリーベル校長は、事務机から立ち上がって校長室の真ん中にある応接用の机とソファーに移動する。
校長に促されて、校長とは向かい合わせに座った俺と魔耶。
「うん、うん! まずはお詫びをしなくてはね。今日の入学試験、私たちの不手際で招いてしまったトラブルの解決に手伝ってくれたでしょう? あれ、本当に助かったわ。学校側を代表してお礼させてくださいな」
「――あれに関しては私も少し出過ぎた事をしました。私の使い魔が危険に晒されていると知って、居ても立っても居られなかったので、レナード先生に半ば無理を言って関わらせてもらっただけです。きっと私がいなくても優秀な先生方は上手くやったと思います」
淡々とした態度で感謝を受け取る魔耶。
謙遜しながらも手を貸した事と、お礼を受け取る事に関しては真っ向から否定はしない言葉回し。恐らくこの会話からすでに駆け引きは始まっている。
魔耶としては少しでも恩を売っておきたい……という思惑だろうな。
俺は黙ったまま話の流れを伺っていると、リーベル校長の視線がこちらに向く。
「そう、そう! ジェスターの我が儘で使い魔を試験に巻き込んでしまったんですってねぇ。まったく、あの子はいつも皆を困らせるんだから。……コタロウ君だったかしら。貴方にも謝らないといけないわね。ごめんなさい、あの子の事を許してあげて。悪い精霊ではないの」
「あ、いえ。別に俺は気にしてないです……」
「そうなの! 良かったわぁ。ジェスターが特定の誰かに積極的に関わるなんて珍しい事だから、今後とも仲良くして頂戴ね」
「は、はぁ」
あの道化師と仲良くしろとか全く気乗りしないので、丁重にお断りしたい話なのだが、校長の優しくとも否定し辛い言葉と笑顔に歯切れの悪い返事しかできなくなってしまう。
それにしても、まるで我が子のような話し方だったが、リーベル校長とジェスターの間柄って一体なんだろうな。
俺と魔耶じゃないが、まさか魔女と使い魔の関係だったりするのだろうか。
リーベル校長は頬に手を当てて不思議そうに俺を見遣る。
「それにしても。人間の使い魔というのも不思議な話よねぇ。貴方たちはどういう経緯で知り合ったの?」
「――私の家系の事情で色々ありまして。……すみませんが一族の秘跡に関わる事なので詳しくはご説明できません。どうかご容赦を」
「あら、あら! いいのよぉ別に。それにしてもマヤさんは礼儀正しいのねぇ。魔法使いって個性的な性格の人が多いけど、貴方は丁寧が過ぎるくらいだわ。若いんだから畏まらずにもっと自由でいいのよ!」
リーベル校長のお節介に魔耶が愛想笑いを浮かべる。
そう言えば俺以外に人間の使い魔という存在を見た事がない。異世界に来てから使い魔らしい存在もいくつか見てきたが、鴉や鼠、そこにいる猫とかが主で、たまに幻想生物を使い魔にしている人も街中で見かけたが、人間の使い魔は見かけなかった。
見逃しているだけかもしれないが、一般的ではないのが確かだろう。
「ああ! そうだわ!」
急にリーベル校長が「閃いた!」という表情で手を叩く。
「入学試験でご迷惑をかけてしまったお礼に、コタロウ君を我が校の新入生として迎え入れるというのはどうかしら? 使い魔という立場だけだとどうしても不都合な事が起こるでしょう?」
「――!」
「使い魔は原則、使役学以外の授業に同席する事ができず寮で部屋を割り当てられる事もない。でも、我が校の生徒として正式に身を置く権利あればその問題は全て解決する。
もちろん、進級や卒業における諸事情はマヤさんの学位に合わせるという条件で考えているのだけど、どう?」
「…………」
急な提案に魔耶は即断せず、悩む素振りを見せる。
俺はグラズヘイム魔法学校の生徒ではなく生徒の使い魔という立場。
そうである以上、生徒が甘受できる当然の権利を俺は受ける事はできない。極端な言い方をするならば、俺は学校内では基本的人権に守られていないような状態なのだ。普通に生活する事すら魔耶というご主人の存在が常に必要になる。
その問題から解放されて、一生徒としての立場と権利を得る事ができる。
これは……悪くない提案ではあった。
だが、聖杯を使わせてもらう事に対して直接的の関係がある訳ではない。
入学試験で被った迷惑のお返しとしては、やはり聖杯に紐づく事で返してもらった方がいいだろう。
ここは一旦断って、会話の流れを聖杯の話に持っていく方が――
「……願ってもないご提案です。是非、彼を新入生として入学させてください」
「え?」
俺の考えとは違う答えに思わず驚きの声を上げてしまう。
「いいのか……?」
「虎太郎の処遇は私も気にしていた事だし、折角だからご厚意に甘えましょう。それとも何か反対意見でもある?」
社交用の笑みを浮かべる魔耶に、俺は「むう」と口を噤む。
その表情からは真意は読み取れない。家族同然の長い付き合いとは言っても、常に以心伝心とはいかないのは悔しいところだ。俺の立場を上げた方が最終的には得になると考えたのか、あるいは別の思惑があるのか。
ともかく、俺は魔耶の判断に従うまでだ。むしろ俺としては正式な権利と立場を手に入れられるのでその判断は嬉しい。
俺が異論がない事を伝えると、リーベル校長が嬉しそうに頷く。
「あら、あら! なら、コタロウ君の入学に関してはこちらで取り計らっておくわ。他の新入生たちと同様に授業に参加できるようにしてあげる。任せて!」
「ご配慮、ありがとうございます」
「そう、そう! それと、マヤさんが推薦入学者として我が校に入学してくれるという事は、貴女が保有する第二百九十四番世界由来の文化に知識、そして魔法技術に関しては提供していただけるという事でいいのかしらぁ?」
「はい。そういう約束ですから。記録に残すとなると時間はかかると思いますが」
魔耶が少しだけ困ったような苦笑いを浮かべる。
そもそも魔耶に推薦入学の話が来たのは、俺たちの世界の魔法文化が衰退して地球由来の魔法が使えるものが魔耶一人になってしまった事が原因。
絶滅危惧とされたそれらの知識と魔法を保護して記録に残す為、魔導文化保護団体が魔導委員会に保護依頼をして、委員会経由で管轄下のグラズヘイム魔法学校が知識保護の為に魔耶を学校に呼び寄せたのが経緯だ。
入学が決定した以上、魔耶も学校側の要求に答えなくてはならない。
法的な義務はないらしいが……これを突っぱねるのは魔女として暗黙のルールに反するのだとか。
「いえ、いえ! 別に慌てる必要はないわ! 若者は何よりもまず勉学に励むべきですもの。そうねぇ、卒業までに文書や物的記録を提供してくれればこちらとしては問題はない筈よ。
この件は図書室のイルフィール司書に話を通しておくわ。時間に余裕がある時にでも会いに行って頂戴。詳細は彼女が教えてくれますから」
「承知しました。色々な手配、ありがとうございます。
……それにしても魔導委員会から文化遺産の保護まで任されるとは。単なる学び舎だと思っていましたが、グラズヘイム魔法学校は希少な知識や遺産を管理する場所でもあるんですね」
魔耶は本棚にある数多くの書物を眺めながら、今思いついた風に言う。
その視線は本意を見せる事なく、探るようにリーベル校長に向けられた。
「国立図書館並みの蔵書量を誇る図書室があって、価値の高い文化遺産や魔道具を保管する宝物庫もあると聞いています。
聞けば、国宝級の宝もこの学校にあるとか。
――人を魅了して狂わす呪いの黄金や、絶対の未来を示す魔水晶玉。後は……そうだ、飲む者の万病を癒す命の水を生み出す聖杯! 話を聞くだけで胸が高鳴る宝ですね。それらと一緒に私の知識も保管されるとは光栄です」
「あら、あら! よく知っているわねぇ。正式には魔導委員会が所有するものであって、学校側が自由に使ったり持ち出したりできるものではないのですけど、確かにそういった希少なアイテムも我が校に保管されているわ」
気を良くしたリーベル校長の言葉に、俺は顔を顰めそうになるのを堪える。
聖杯が学校内にあるのは事実。だが、所有権自体は魔法学校にないので自由に使えるものではない。その言を信じるならば、頼み込んで使わしてもらうというのは厳しい要求になりそうだ。
魔耶は敢えて惚けるような表情を見せて、
「自由に使える訳ではないのですね。――それは必要に駆られた場合でもどうしようもない事なのでしょうか? 例えばの話ですが、目の前で大切な人が死にかけていて、学校が保管する聖杯が生み出す命の水でなければ救えない……という状況下でも使用できないと?」
やや強引な例え話に、俺は慨嘆の思いで二人を見てしまう。
多少変に思われても情報を引き出したい魔耶の質問に、リーベル校長は少し驚いた様子を見せ、何かを考えるような素振りを見せる。
「なかなか答えずらい質問ねぇ。もしかして私は試されているかしら?」
「そんなつもりは……。ただの興味本位の質問です。不愉快にさせてしまったのなら謝ります」
「いえ、いえ! 別にいいですよ。そうですねぇ、その場合は使ってしまうかしら。委員会には怒られしまうと思うけど」
意外な答えに俺は思わずリーベル校長を凝視してしまう。
何となくだが校長の立場にいる人はルールは順守する印象があった。
「許可が下りるのですか?」
「まぁねぇ。私はこんなでもヴァルプルギス評議会の末席に連なるもの。多少は魔導委員会上層部に融通を利かせる事ができるから、嫌がられたとしてもある程度は我儘を押し通す事ができちゃうのよねぇ。
――これはあくまで、学校としてではなく私個人が無理を通すという話になるのだけれど」
朗らかな笑顔を浮かべながら、こともなげに語るリーベル校長。
自らの都合で強大な組織のルールを捻じ曲げる事ができる。そんな事が出来てしまうほどに目の前の魔女が圧倒的な強さを保有し、業界に対する影響力が大きく、偉大な魔女として名を馳せている事を意味していた。
もしもリーベル校長が魔耶の呪い解呪に協力してくれるなら、俺たちの問題は一瞬で片が付く。
そして、彼女自体は人が好さそうな性格をしていて非常に親切だ。
命が懸かっている事を説明し、誠実にお願いすればいけるか……?
そんな希望的観測に基づいた願いが胸中に渦巻く。
今は断られたとしても、事情を話しておけば今後の好感度次第で助けてくれるかもしれない。リーベル校長が私情で人を助けるかもしれないという事は、彼女自身の口で今確かに説明された。可能性はゼロじゃない。
全くの無下にされる事はない気がする。
魔耶の方を見ると、彼女も緊張した面持ちで何かを考えていた。
今言いだすべきなのかを悩んでいるのか?
リーベル校長がそんな俺たちの様子に首を傾げ、
「ふむ、ふむ? もしかしてだけど、何か悩み事でもあるのかしら? 貴方たちも今日から私の大切な生徒の一人。相談なら何でも聞くわよ! 遠慮しないで!」
「……!」
その言葉はまさに渡しに舟。今なら相談しやすい雰囲気だ。
魔耶が横目でこちらを伺ってきたので、俺は頷いて彼女の選択を後押しする。
話を打ち明けるなら今が絶好の機会だろう。
今を逃したら後に事を明かした際に「何でそんな重要な話を今まで黙っていたんだ!」という話になりかねない。相談するなら入学初日のこのタイミングがベストなのだ。
そうやって視線で意思を伝えていると、魔耶は数瞬の思考の後に顔を上げる。
「……実は――」
覚悟を決めたらしい魔耶が事情を説明しようとしたその時、
「――――――リーベル校長っ!! 大変な事態になりやがった! 予告状だ! 白の魔女から予告状が届きやがった!!」
唐突に校長室に飛び込んできた女教師の叫びによって、魔耶の発言は虚空に消える事となった。




