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七色の魔女  作者: 夜鳴鳥
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020_戦いの火蓋

 『朽ちぬ神代の森』には様々な脅威がある。

 探索者の方向感覚を奪う迷宮性は体感した通りであり、それ以外にも数多の困難が存在していた。


 その最たるものは森に生息する幻想生物だろう。


 神秘中央世界には数多の幻想生物が存在する。現代日本では神話上、御伽噺上でしか存在しない筈の彼らは、人が住まない地域や未開の地を縄張りとし、野生の場合、その多くが人に対して多かれ少なかれ警戒心と敵意を持っている。

 試験場たるこの森にも当然のように彼らは生息し、縄張りに勝手に踏み込んできた受験生たちに牙をむく。


 彼らは俺たちにとって、純粋な敵対者エネミー

 森中に迷うならば、対策も取らないくせに彼らと会わずに済ませようなど、虫のいい話だった。



 * * * * *



「……またこの音か」


 技術者見習いの受験生と別れた俺の耳に、いつかに聞こえたサイレン音が届く。

 最初に聞こえた時には気のせいかと思ったが、どうやら違うらしい。

 今度はもっとハッキリ聞こえる。途切れずに高鳴る音は波のように強弱が変わり、森に似つかわしくない音を響かせている。


 これは一体何の音なのか。


 立ち止まって耳を傾けていると、集中した聴力が例の音とは別の茂みが揺れる音をキャッチする。

 反射的に音の方向を見遣ろうとした瞬間――左ふくらはぎを激痛が突き刺す。


「――いっっつう!!」


 意識の外からの痛みに思わず蹲りそうになるのを堪えて、その正体を見る。


 ふくらはぎに食い込む獰猛な牙。

 その顎をから涎を滴らせながら、輝く赤い瞳がギョロリとこちらを見る。


 野犬だ。一目で大型犬とわかるサイズの野犬が俺の足に嚙みついていた。


 唐突過ぎる野生の生物からの攻撃。完全な不意打ち。

 全身の毛が総毛立ち、思考が灼熱し頭が真っ白になりかける。


「――――離せっええっ!!」


 激情のままに右拳を野犬の頭蓋に叩きこむが、それでも牙にかかる力は緩まず噛みつきをやめない。

 ならば何度でも叩き込んでやると、更なる力を込めて殴打を繰り返す。

 すると、拳から伝わる嫌な感触と共に野犬が牙を離す。


 慌ててそいつから離れると、俺は野犬が一匹ではない事に気が付く。


 殴られた箇所が痛むのか、頭をブンブンと振りながらよろける野犬。その背後から一匹、二匹、三匹、と獲物を狙うハイエナのような佇まいでゆっくりと茂みから姿を現す野犬の群れ。

 いずれも視線を俺に固定していて、ゆっくりとした足取りながら確実に俺を包囲していく。焦らずゆっくりと、獲物が怯える様子を楽しむかのような余裕。


 ――標的にロックオンされている!


 初めて出会った敵対者に、俺は痛む足を無視して即座に走り出した。


 完全に包囲される前に虚を突いて野犬の囲いを突破する。そこまではいいが、必死に駆ける俺の背後から追ってくる無数の気配。

 立ち止まる訳にもいかず。とにかく足を動かして逃走を続ける。


 相手は野犬。熊や狼ならともかく犬なら戦う選択肢もあったが、その選択は奴らの全貌を見てすぐに捨てた。

 一見すると普通のやせ細った犬のようだが、その姿は黒い炎のような陽炎を纏い、赤い瞳が煌々と輝いて獲物を狙う。荒い吐息からは鼻が曲がりそうなほどの悪臭を漂わせていて、その臭いと闇そのもののような外見から不吉さを予感する存在。


 この外観的特徴。間違いない。

 魔耶から聞いた事もあるし、ゲームや漫画でもよく登場する幻想生物――ヘルハウンド。


 地球上の様々な地方で民間伝承として伝わるポピュラーな存在。その存在と出会う事は死の兆候とされ、かの有名なケルベロスと同一視される事もある。


 こいつがどれほどの強さなのか、危険性を持つのかはわかない。

 詳しい正体不明である以上は迂闊に手を出すのは非常に危険。

 何たって不吉の象徴とされる存在だ。

 

「はぁ、はぁ、く、はあ……っ!!」


 息を切らせながら走る。

 緑の障害物で覆われた道なき道を必死にかき分けて進むが、背後から迫る気配は一向に消えない。


 付かず離れずの距離。相手は犬なのだからこちらより早く走れる筈だが、にもかかわらず獲物の逃げ惑う様を楽しむような追跡。


「――くそっ!」


 木枝で擦過して細かい傷が全身に増え、その間も着実に削られる体力。


 現状を打開する案がないか――――と、一瞬、思考が逃走からそれた時。

 急な下り坂道に勢いよく足を踏み外す。


「――っ!!!」


 空中に投げ出された体躯が荒々しく地面に叩きつけられ、そのままの勢いで急斜面を転げ落ちる。

 全身のあちこちを殴られるような衝撃が駆け巡り、それが絶えず何度も繰り返される。天地の感覚を喪失し、空中とは違ってまともに手足も動かす事もできずに、永遠に続くかのような転倒に必死に耐える。


 やがて勢いが収まり、体の回転が止まった。


 忘れていた事を思い出すように全身のあちこちが痛みを訴える。

 ド派手に転げ落ちたのだ、痛いのは当然だが幸いにもなんとか体は動かせる。致命傷は避けられたらしい。


 ともかく、いつまでの寝ている暇はない。

 早く起きて逃走を再開しなければ……。


 ふらつく体に活を入れて、震える膝のまま立ち上がると――


「ず、随分派手に落ちてきたけど……大丈夫?」


「兄様! 標的はもう近くです。他の受験者など放っておいて、こちらに集中してください!」


 異なる二つの声に顔を上げると、心配そうにこちらを見る少年と、不機嫌な様子で森奥を睨む少女がそこに居た。

 偶然にも彼らのいる場所に転がり落ちたらしい。


「――っ、俺は無事だ。それよりもヘルハウンドが丘の上に!」


 先ほど俺が足を踏み外した急斜面の上を見遣ると、複数のヘルハウンドが丘の上から顔を覗かせてこちらを観察している。

 追跡は辞めたようで、遠巻きに様子を伺うヘルハウンドに俺は眉を顰める。


「……襲ってこない?」


「ふん。ヘルハウンドは自分よりも強い相手には近づかない習性がありますからね。この場には私と、何より兄様がいます。ヘルハウンドごときでは私たちに敵う筈がないですから、近づいてこないのは当然でしょう」


 自分たちの強さに絶対の自信を感じさせる物言いに、俺は視線を少女に向ける。


 シルクのように美しい銀髪を束ねてサイドテールにする少女。

 輝く美貌を持つ彼女は、鋭い目つきで奥の森を睨みつつ腰に両手を当てている。

 腰には華美過ぎず地味でもない美しいデザインの細剣を佩していて、彼女自身の洗練された佇まいと合わせて、少女騎士のような鋭く高貴な雰囲気を纏っていた。


「そうは言っても……ヘルハウンドも怖いよ……うう」


 弱気な声を漏らす傍らの少年。


 今気が付いたがこの二人はかなり近い容姿だ。

 少女の呼称からも少年と兄妹なのが察せられる。


 双子と言うほどではないが、同じ銀髪の髪に目が覚める美貌。同じ制服に帯剣しているのも同じ。

 見た目で明確に違うのは髪の長さくらいか。だが、態度はまるで正反対で、強気で自信満々な妹に対して弱気で臆病な兄。妹の方が長子なのではないかと疑うほどに二人は対照的だ。


 何処かへ向かうでもなく、周囲を警戒する兄妹。


「二人一緒に行動しているのか? ここで一体何をして……」


「お静かに。私たちは貴方の質問に応じている余裕はありませんし、第一、答える義務もありません。引っ込んでいてください」


 傲慢さを感じさせるセリフをぴしゃりと言い放つ銀髪の少女。 


「……言い方」


「何ですか? 貴方が今もヘルハウンドに襲われずにいるのは私たちがこの場に居合わせたおかげでしょう? 感謝されこそすれ、そのような目で見られる筋合いはないですよ」


 横目でこちらを睨む少女に口を噤む。


 癪に障る態度ではあるが、少女の言を信じるなら確かに文句を言える立場ではない。ヘルハウンドの脅威から一時的に逃れられたのは事実なのだから。

 ここで喧嘩腰で返すのは誰にとっても益にならないし、そういう性格なのかと納得して流す。


「――来ました」


 少女の言葉に、兄の方がビクッと肩を震わせる。


 何が? と聞こうとした時、耳が異音を捉える。

 地面を擦るような何かを引きずる音。その音が少しずつ大きくなってくる。


 音の発生源は兄妹の視線の先。ここは木々の開けたちょっとした広場になっているが、俺が転げ落ちた丘の反対側にある雑木林から何かがこちらに近づいてくる。


 飛び出してくるわけではなく、劇的な登場をするわけでもない。

 そいつは木々の間からただ()()()と姿を現した。


「――――シシシシィィィュュュュルルルルル、シュルル」


 細い管から空気が抜ける音に似た鳴き声が静かに空間を支配する。


 そいつの姿を見た瞬間に全身が総毛立つ。爬虫類特有の生々しい動き方と動作に吐き気を催したが、目の前の敵から発せられる気配と蛇の眼光に体を射竦められ、指一本動かす事も迂闊にできない。

 本能からの警鐘で、先ほどのヘルハウンドとは捕食者としての格が数段違う事を実感する。


 人型の上半身に、大蛇の下半身。


「――ラミア」


 震える俺の唇が目の前の化け物の名を呟く。


 こちらを見下ろす二メートル近い身長。人型の上半身と言っても、肌は緑の鱗で覆われてその下は筋骨隆々の肉体。頭の骨格は完全に蛇顔で性別も判断が付かない、リザードマンのような姿。鋭い蛇の牙と爬虫類が持つかぎ爪を備えている。

 長い大蛇の尻尾はまだ木々の中に隠れていて全容は見えないが、身長の数十倍はあると思われた。


 人の賢さと蛇の狡猾を併せ持ち、獣と言うより怪物というイメージが先行するラミアは、文字通り舌なめずりしながらこちらを睨め回す。


 蛇に睨まれた蛙の如く固まる俺と少年に対して、銀髪の少女はここで初めて笑顔を見せる。


「ようやくちゃんと確認できました。首から下げているのは羅針盤の魔道具で間違いありませんね」


 少女の言葉で我に返り、それを見遣る。

 確かに、ラミアが首から紐で懐中時計のような何かを下げている。

 蛇の体で完全に裸のラミアだが、首から下げているそれだけが人工物で怪物の存在感から浮いていた。


「あの羅針盤は目的地(ゴール)を指し示す魔道具で間違いないでしょう。この試験、どの分野に特化した魔法使いでも合格できる仕組みになっているみたいですが、このラミアを倒せるだけの戦闘力があれば無条件で合格できる。――つまり、()()()()()()()()使()()()()()()()()


 銀髪の少女が一歩前に踏み出す。


 ラミアが放つ背筋が凍るほどの殺意の中、僅かも恐れる事なく立ち向かう小柄な少女に、その場にいた全員の視線が彼女に集まる。


「お、おい!」


「手出しは無用ですよ。こいつは――」


 自らの身を包んでいたローブを片手で脱ぎ捨てる少女。


 体の輪郭を隠していた衣服を捨てた事で、露わになる適度に鍛えられたスレンダーな肉体。軽装になった少女は佩いた細剣を鞘から解き放つ。

 鋭く輝く刀身をラミアに向け、


「――私の獲物です」


 殺意を漲らせ、高らかに宣言する。


 後ろの二人などもはや眼中にないとばかりに、ラミアの視線が少女のみに集中し、気配が鋭く研ぎ澄まされていく。

 怪物も目の前の彼女こそが己の戦うべき相手と認知したようだ。


 銀髪の少女とラミア。お互いの殺気が空間を制圧し、お互いに食い破ろうと鬩ぎ合う。空中の魔力が共鳴し、空気が揺れる。

 まだ戦いは始まっていないにもかかわらず、張りつめた闘争の気配に恐れをなした周囲の小動物が慌てて逃げ出す。様子を伺ってたヘルハウンドすらも怯えたような様子でその場から去った。


 これから訪れる激突の余波に巻き込まれないように。


「『必勝の誓いをここに。戦衣よ、我が躯を包め』」


 銀髪の少女は呪文を紡ぎ、奇跡がその身に降り注ぐ。


 シャツにスカートの最低限に衣服の上から、脱ぎ捨てたローブの代わりに戦衣装が光と共に現れた。

 彼女の髪と同じ白銀をベースにしたドレスがその身を包み、更に輝く軽鎧が顕現する。魔力で構成されたそれらは淡く光を放ち、装着する者の姿に確かなる守りと息をのむほどの美しさを与え、伝説の少女騎士の如き威容をここに再現した。


「さあ、踊りましょう。ソードラゴン家の誇る無双の技がお相手します」


「ギ、ギギ、ギギギィィィィイイイアアアアッ!!!」


 挑発に応えるように、ラミアはその身を躍らせ飛び掛かる。

 両雄がここに激突した。

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