002_魔法学校
魔耶は普段からよく突拍子のない話をするやつではあったが、今回、彼女が話し始めた内容は断トツに奇妙な話だった。
『魔法学校』
ファンタジー物の小説や洋画では、魔法使いたちの学び舎としてそういった舞台があったりする。
若き魔法使いたち、もしくは魔法を学びたいと思う一般人が通い、様々な摩訶不思議な出来事や冒険を通して立派な魔法使いへと成長するというあれだ。ある意味、魔女とか魔法使いとかが出てくる物語では定番の舞台と言っていいだろう。
だが、魔女や魔法という非日常的な要素を身近に生活していた俺でも、それはリアルではなかった。
何故なら魔女には、魔耶と彼女の母親である梓魔様以外で会った事がないから。
神秘が薄れたこの世界では魔の力は持つ者、あるいは才能を持つ者、そういった存在の絶対数が少ないのだ。なら当然、学校なんてものは成立しない。
その疑問を魔耶にぶつけると、彼女はニヤリと笑い、
「確かに。神秘の薄いこの世界に魔法学校なんて作れない。――この世界ではね」
「何か、含みのある言い方だな」
「この封筒。カラス頭の配達員が持ってきたって言ってたでしょ」
ひらひらと手紙を揺らす魔耶の発言に、黙って頷く。
「それは『異次元カラス運輸』っていう配達業者よ。――頭は鴉。胴は人。夜刻哭の役を降りて、神秘なるものの使いとして三千世界を渡り飛ぶもの、ってね。もともとは神様の伝令役だった神鴉の血を引くカラスよ。あれは」
魔耶の説明に思わず目を細め、非難の視線を送ってしまう。
やはり魔女はカラス頭の正体について既知だったらしい。知っていたならその時に教えてくれてもいいだろうに。
「……それで。あのカラス頭が神秘的な何かだとして、それがどう魔法学校に繋がるんだ?」
「だから言ったでしょ。三千世界を渡り飛ぶ、と。彼らは配達員単独の能力で世界の壁を越える事ができるのよ。数多の異世界を行き来して配達物を運んでいる。つまり?」
ようやく魔耶の意図に気が付き、衝撃の事実に目を見開く。
「つまり、魔法学校は異世界にある……?」
「正解。こことは違って、神秘が未だに世界の主導権を握る魔法世界にその学院は存在する」
話のスケールが大きくなってきたのを理解し、俺は生唾を飲み込む。
異世界が存在するだろう事実は、これまでの魔女との生活で度々話に出てきて何となくは知っていた。だが異世界とやらを身近に感じたのはこれが初だ。
お互いに干渉できない全く関わりのない世界の話だと思って、深く考えてこなかった。だが、実際に異世界から手紙を届けられた。この事実は大きい。
「何というか……、すごい話だな。まさにファンタジーというか、純粋に興味深い話でワクワクするというか……。とにかく何かすごいな、それ」
「語彙力がゼロなんだけど」
魔法学校に異世界ときたのだ。現実感なさ過ぎて語彙力もなくなるわ。
ファンタジーの出来事がついに現実に、って感じだ。一般の人よりは慣れていると言ってもここまでセンセーショナルな話題には色々ビックリする。
何とか頭の中で情報を整理して口を開く。
「魔法学校からの推薦入学勧誘状……。えーと、つまりは別の世界にいる魔耶の才能を認めて、是非ともうちの学校に来ませんかって話だろ? それって」
唐突な話ではあるけど、凄い名誉な話なのでは?
推薦を学校側から勧められるというのは、こっちの常識で考えるとよほど前途有望な人材でしかありえない展開だ。
地球という田舎に素質のある若い魔女がいる事に気が付いた学校は、その人材を上手く取り入れる為に推薦の話を持ってきた。これはそういう話だろう。
俺の言いたい事を察した様子の魔耶だったが、苦笑しながら首を振る。
「残念だけど、私の才能を認められたから推薦された訳じゃない。会った事もない魔女の実力なんて学校側がわかる筈ないでしょう」
そう言うと、勧誘状を机の上に広げて細い人差し指を文面に添える。
「この勧誘状に書かれている事を要約すると、『お互いの利益と文化的かつ魔導的な資産の保護の為、グラズヘイム魔法学校に入学いたしませんか?』ってお誘いが懇切丁寧につづられているのよ。
あとは諸々の手続きとか、日程とか必要事項とかが記載されている。
――で、大事なのは『お互いの利益と文化的かつ魔導的な資産の保護の為』という箇所。つまり、学院側の目的は貴重な文化的魔導遺産の保護なのよ」
一部の文章をやけに強調する魔耶。喋りながら彼女は窓の外の風景をチラリと見遣る。
窓の外ではグラウンドで体力測定を行っている学生たちがいて、遠くの方のビル群が立ち並んでいるのが見える。普通の現代風景だ。
「勧誘状によれば、私はとうとう地球上で最後の魔女になってしまったみたい」
「――!」
「実績のある魔導文化保護団体の調査結果みたいだし事実でしょうね。別に驚く事じゃない」
予期していなかった驚愕の事実に絶句する。
神秘の枯渇による魔法使いの減衰。絶滅一歩手前とは聞いていたが、まさか本当に魔耶一人を残して絶滅してしまうとは。魔耶という魔女の存在が身近な俺にとっては割とショッキングな情報だ。
魔女本人である魔耶は俺以上に思うところあるだろうに、感情の色を見せる事なく淡々と話を続ける。
「このままでは地球の魔導文明の記録が消失しかねない、と判断した魔導文化保護団体のお偉いさんが魔導委員会にある依頼をした。
地球上最後の魔女が死んでしまう前に、地球魔導文明の記録と地球発祥の魔法理論を保護してくれと。
そして、依頼を受けた委員会はこう考えた。管轄の教育機関である学院に推薦入学待遇で迎える代わりに、私の知識を学院側に寄贈してもらおうとね。
――これが私に推薦入学の話が来た経緯。理解した?」
「色々裏事情がありそうって事でいいか?」
「随分ざっくりとした理解。大変結構」
茶化し気味にそう言って軽く笑う魔耶。
経緯については何となくだが理解した。絶滅危惧種扱いはやや複雑な気分だが本人がいいなら別にいだろう。
「とは言えさ、やっぱ嬉しいだろ。俺も自分の事じゃないけど何か嬉しい気分になっているぜ。色々事情があると言っても、魔法学校って単語には無視できない夢があるよな!」
「お子様だね虎太郎は」
そう言う魔耶もまんざらでもない様子。
やはり推薦状を受け取った魔耶本人も、何だかんだ嬉しいのだろう。
そうすると魔耶も基本的には入学には前向きに考えていそうだ。最初の「海外に留学したらついてきてくれる?」という問いはそこから来ていると推察できる。
「……それでどうする? この推薦は」
「とりあえず保留かな。最終決定までしばらくあるし、まずはグラズヘイム魔法学校について詳しく調べるつもり。私も入学パンフレット以上の情報は知らないから」
意外な答えに俺は顔を上げる。
「この話、喜んで受けると思ったけど」
「今後の人生を左右する事でしょ。しっかりと吟味して決めたいだけ」
「そうか、まあそうだな」
摩耶の選択はとりあえず一旦保留という事らしい。
グラズヘイム魔法学校は相当に古い歴史を持つ由緒正しい名門校で、多くの優秀な卒業生を輩出してきた選ばれしエリート魔法使いの学院との事らしい。独学で勉強するよりもここに入学する方が魔女として成長できるのは言うまでもない筈だ。
魔導の探求に熱心な彼女であれば真っ先に飛びつく内容だと思ったが、流石に将来を大きく左右する選択には慎重らしい。
それに、と魔耶は言葉を付け加える。
「――私自身が厄介な問題を抱えている訳だしね」
深刻そうに、忌々しそうに、彼女はそう告げた。