012_親切な人
俺が間違っていた。
他人同士は相手を利用するかされるかの関係が全てで、それは異世界だろうと変わらない。――などと、世の中の厳しさを理解している俺カッケーと、心の奥底で悦に浸っていたさっきまでの自分を殴ってやりたい。
異世界にも心優しき者は存在する。
そんな善の人を捕まえて、臓器売買業者かもだなんて愚かしい想像だった。
「いやしかし。本当にありがとうなセイラさん! 本当に助かるよ」
「そんな……、気にしないでください! だって人は助け合って生きていくものですから、困ったらお互い様ですよ! あと、嫌じゃなかったら私の事はセイラって呼んでください。コタロウくん」
「じゃあ、俺に対しても敬称は外してくれよ。恩人相手に自分だけ敬称呼びされるのはむず痒い」
人口密度の高い大通りから外れた脇道。
建築物の間にある細い道を道なりに進みながら、前を歩いてくれる心優しい少女に再度の礼を言う。
これまでの間に、何度か会話を交わして彼女の行動や言動を観察してきた。
だが結局、彼女に裏は一切なくて純粋な善意だけで手助けをしてくれるだけの、本当にただの純粋ないい人という評価に落ち着いた。
大通りで俺に声をかけてくれた彼女に対し、俺は必要最低限の状況――つまり、異世界をよく知る魔女と二人連れだったのだが、はぐれて迷子になってしまって土地勘もなく困っていた、と伝えた。
すると彼女は俺の言を素直に信じて、人探しに付き合うと宣言したのだ。
それからもう半日ほど時間は経っている。もし彼女に思惑があったとしたら人探しに長時間も付き合ってくれる筈がない。騙して利用するにしてももっと早く事を起こしているだろう。
ここまで何事もなく懸命に魔耶の事を探してくれている彼女には、それ以上の思惑などないのだと結論を出すしかなかった。
俺は彼女に対する警戒の一切を解き、先ほど露店で買ったケバブのような食い物を口をつける。
口の中で広がる油の旨味と、肉、魚、野菜の味。日本で食べた事があるケバブとはやや風味や食感が違うが、普通に美味しい。
ずっと街中を這いずり回っていたので、お腹の虫を鳴らしていた俺にセイラが買い与えてくれたのだ。
本当に有難いし申し訳ない。
ご馳走にまでなってしまって……。
頭の上がらない俺はセイラの進むままに付いていき、やがて噴水が中央にある開けた広場に足を踏み入れた。
ここにも多くの露店が商いを行っているが、先ほどとは違って見世物のようなものある。奇抜な恰好をした奇術師らしき人が宙に浮きながら火を噴いたりと、なかなか派手な芸当だ。魔法ありきの世界でもああゆう見世物職業でやっていけるものなんだな。
目を細めて道行く人々の中に魔耶の姿がないかを探す。
「……。いないな」
「ここもダメですかー……。そうなると、私が知ってる目ぼしい場所には、そのお連れさんはいないという事になりますね。こんな感じの目立つ場所にいるかと思いましたが。ごめんなさい、お役に立てなくて」
「セイラが謝る事じゃないって! 俺一人だったらまともに人探しだってできなかったし、手伝ってくれているだけでも助かっているよ」
しょんぼりするセイラに明るい雰囲気を意識しながらフォローを行う。
今の俺が彼女の働きに対してどうこう言える立場じゃないのだ。感謝すれど不満など思うべくもない。彼女の助けがなかればこの街――ロックフェロー貿易都市を満足に見て回る事もできなかったはずだ。
それにしてもこの街。なかなか広い。
半日ほど歩いてあちこち見て回ったわけだが、これでも彼女が知っている範囲で見晴らしのいい場所を訪れただけに過ぎない。彼女が言うには、今まで俺が見てきた区画は全体の1割ほどしか目にしていないそうな。魔耶を探しながら観光もかねて色々眺めていたが、様々な人や物やイベントが選り取り見取りであった。
そして、まだまだ見てない場所は山のようにある。
しらみつぶしに探すとなると数日はかかるし、魔耶と偶然バッタリ会う確率を考えたら、さらに絶望的確率だ。
全身に絡みつく熱気に空を見上げると、容赦ない太陽の光と目が合って慌てて目をそらす。
昼から夕方に移り変わる時間帯。この時間が一番暑い。
暑さは体から体力を奪っていき、歩き詰めの体を余計に疲れさせる。
……やはり、足で探すというのがそもそも間違いだった気がする。
「私がロックフェローについて詳しければ良かったんですけど……。数日前にこの街に来たばかりなもので、土地勘がそこまであるわけじゃないんです」
「あれ? この街の人じゃないんだ。もしかして農村とかの出身だったりする?」
「え! よくわかりましたね! はい、ここから北東に数十クラード先にあるとある農村の出です。とてもいいところですよ、皆優しくて自然が美しくて!」
セイラの言に合点がいく。
彼女の世間慣れしてない雰囲気と、垢ぬけない様子。
この街の雰囲気に合っていないと思っていたが、田舎から出てきたばかりの箱入り娘だったのか。
そう考えると純真無垢で他人の悪意を知らず、善意のみで行動できる彼女の特性も納得いくというもの。恐らく、村人みんな顔見知りで村ぐるみの家族みたいな環境で育ったから、騙すとか利用するとか、そういう悪意に疎いんだろうな。
それは良い面ではあるが、悪い面でもある。
「そうだ! この街の保安官様に助けを求めたらどうですか!?」
困った風にうんうんと唸っていたセイラは、思い出したという風に声を上げる。
「保安官? 警察みたいな仕組みがこの街にもあるのか? 衛兵や自警団じゃなくて?」
「そのケーサツ? についてはよくわかりませんが、保安官と言うのは、治安維持や犯罪取り締まりを行う正義の人の事です! 地方政府に雇われる凄く優秀で強い人らしいですよ。会った事はないのでよくわからないんですけど」
「……ふむ」
「あと、衛兵や自警団とか言っていましたが、兵士が治安を守っていたのはもう数百年も前の事だと思うんですけど、コタロウって結構古い人だったりします? 見た目が年齢と伴っていない人はままいますし、もしかして……」
「いや、俺は十七歳だ。見た目通りのな」
俺の年齢に「って事は同い年じゃないですか! やったー!!」とはしゃぐセイラを快く見守る。
しかしそうか。一般的なファンタジー世界とは少し常識が違うらしい。
政府形態はどういう感じになっているんだろうな。
一見すると時代は中世ヨーロッパと言う感じだが、魔法が当たり前のように存在しているせいで俺の持つ常識は役に立たない事が多いかもしれない。犯罪の基準ももしかしたら日本の倫理観と食い違うかもしれないし、注意しなければ。
「じゃあ、その保安官に助けを求めてみますか。セイラは保安官がどこにいるか知っているのか?」
「はい! 知ってます! 村を出る時にお母さんから『お前は素直過ぎるから、重々気をつけなさい。何かあったらすぐ保安官様に助けを求めるんだよ。いいね!』って注意されていたので、初日にこの街に着いた時に真っ先に保安官事務所の場所は確認してました!」
「そ、そう。君の素直さは村でも頭抜けていたのか……」
この純粋さは生まれ育った環境だけではなく、生来の気質も関係していそうだ。
彼女が痛い目にあわないように守ってやりたい……が、俺も大切な使命があるし、ずっと一緒にいてあげる事はできないよな。流石に。
セイラのこれからの都会での人生を憂いつつ、陽気な足取りで保安官事務所に案内する彼女の後を付いて行く。
お互いかなり歩いている筈だが、セイラの歩みに疲れはまるで感じさせない。
田舎育ちは野山を駆け回っているから足腰が丈夫だとか、そういうのがやはりあるかもしれないな。
そうしてしばらくした後、セイラはある豪奢な屋敷の前で歩を止める。
「ここです! ここが保安官様がいる場所です!」
「……邸宅だこれ」
周りの建造物とは大きさも広さも違う邸宅がそこにあった。
どこぞの貴族が住んでいるのかと思うほどの立派さ。
小さいながらも庭先と門構えもある。一目見ただけで結構な金持ちが住んでいるんだろうなと言う印象を受けるこの建物が保安官事務所らしい。
交番みたいなのをイメージしていたから……ちょっとだけ面食らった。
そうか、保安官って上級公務員みたいなものと考えたら、結構な地位とかありそうだもんな。そう考えるとちょっとした街の重役みたいのものか。
そんな人が住む場所がみすぼらしい筈もないよな。
気後れするのを我慢しながら、気持ちを引き締める。
「よし。じゃあ行ってくるわ。ここまでありがとうなセイラ」
「いえいえ! 困ったときはお互い様って言ったじゃないですか。――それでどうします? 私は外で待っていた方がいいですか?」
ニコニコと笑顔を絶やさず小首を傾げるセイラ。
どうやら待っていてくれるらしい。
「あー、いや、待たせるのも悪いよな。どれだけ時間かかるかとかわからないし、もう夕方だしなー……」
「だったら、私が借りている宿の地図を渡しておきます。もしまだ何か困った事が続くなら、遠慮せずに頼ってくださいね!」
セイラは懐から取り出した紙に左手を添える。
そうして何かを呟いた瞬間、微かに紙上が光り輝き、やがて数秒ほどで光が収まったと思ったら、それをこちらに手渡してくる。
受け取って紙を改めると、そこにはこの保安官事務所から宿までの道筋がわかりやすく記載されていた。
魔法で瞬時に印刷したらしい。
セイラが何気なしに魔法を使っていたのにも驚いたが、この紙……かなり出来がいい。明らかに中世ヨーロッパの製紙技術ではない。現代日本の画用紙ほどの出来栄えでこそないが、わら半紙程度の使いやすさはある。
これが一般的に利用される紙だとすると、ファンタジー世界の技術力も決して侮れない。
俺は顔を上げて、最後の最後まで助けようと気遣ってくれる少女の顔を見る。
「何から何までありがとう。もし無事に魔耶に会えたらお礼させてくれ」
感嘆しつつ紙を丁寧に折り曲げて懐に入れた俺は、何度目かになる感謝の言葉を口にする。
純粋な善意だけで人を助けてくれる事は何と崇高な事か。
彼女の行いに対して感謝を、そして借りをいずれ返せればと思う。
セイラは何も言わずに微笑みを返し、来た道を戻るように去っていく。
彼女にとっては人助けは何時もの日常かもしれないと、そんな事を思った。
その背中を見送った後、門前の閂に手を付けて開いた俺は、保安官がいる筈の邸宅へと足を運んだ。