第097話、中ボス戦―最強の魔導書―【英雄魔物フロア】
【SIDE:異邦人アキレス】
此度の遊戯で唯一残されているヴェルザのダンジョン塔。その上層エリアを守る重厚な扉の前。
廃棄された坑道のようなフィールドにて――。
待ち構えていたのはいつもと違うエリアボス。
その姿は巨大鼠、ヌートリアそのもの。
むろん、ボスとして顕現しているので尋常ならざる巨体となっていた。本来なら広い空間を窮屈そうに、ヒゲをギジジジジっと揺らしている。
アキレスは周囲と敵を見た。
瞬時に様々な情報が入り込んでくる。
英雄魔物フロアの”陰鬱とした廃坑風”の壁には、かつて文化が存在した跡が見て取れる。
おそらくここは、前回の世界――全てのダンジョン塔が反転する前の遊戯では、オークやゴブリンといった亜人系の魔物たちが炭鉱街を作っていた場所なのだろう。迷宮とは、滅ぼされた人間か魔物、いずれかの文化や歴史を読み取り形成される、超特大規模な自動生成魔道具といったところか。
だからこのダンジョン塔と類似する魔王領の迷宮では、滅ぼされた人間たちの文化が迷宮となって形成され続けている。今も無限の時を繰り返しているのだ。
命を吹き込まれ本物の世界となったこの世界。しかし、やはりその根底は神々の遊戯盤。
どこか作り物めいた部分が存在している。
この世界そのものが、四星獣が繰り返す終わらないゲーム、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの願いを溜めるための、勝者の願いをかなえるゲーム。それを知っている者、察する領域まで考古学の技能レベルを高めた者はまだ少ない。
勘が鋭く、全ての確率判定を成功に無理やり変更できるアキレスこそが、その数少ない、気づいた者の一人。
全てはあの日、楽園と呼ばれる特殊なエリアの、特殊な異世界の身勝手な神々によって歪められた幸せを取り戻すため。主人を奪われ、己自身も願いをかなえる魔道具へと改造された魔猫が、かつて存在したあの日に帰るための世界なのだ。
そのために魔猫は、無限ともいえる時の中でダイスを振り続けている。
そんな世界に入り込んだイレギュラー。
外来種こそが、いま、かつて人類と呼ばれていた人間が対峙している邪悪なヌートリア。
ただの盤上遊戯だったころの英雄魔物は、魔物を操る側の切り札。状況を返せるほどの力を持った、特殊な駒であった。その根源たるボス駒を乗っ取られた状態にあるのが、この敵。目の前で不敵に笑うケモノだった。
その名を、汚染されしエンシェントオークキング(鼠)。
状態異常、《ヌートリア》がかかった外套と王冠を被った巨大なネズミである。
アキレスは知っていた。
これは世界そのものの敵。排除しなければならない、異物。
このヌートリアの裏に、更に大ボスとなる邪悪なネズミのボスがいる。それこそが、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアを騙した、楽園と呼ばれる場所にいた邪神。
その眷属たるこの敵は、ここで倒しておくに越したことはないだろう。
しかし――。
敵による詠唱が、周囲の法則を書き換えていく。
世界の法則を書き換え、望む形で再構築する。それが魔術の基本原理。
くぐもったケモノのソレはまるで、邪悪な物語を読み聞かせる悪魔の声のようだった。
『我が神、我が主の御霊よ! 汝の名は聖炎のエノク。天に召されし神の御使い。ああ、この身、この駒の名はエンシェントオークキング。否、今はこう名乗ろう。ヌートリアキングと! 我こそが旧人類を喰らい尽くすものなり!』
自らの名と、異神の名が承認されたのだろう。
ぐるぐると吹き荒ぶ砂塵が生まれる。八つの円の重なった魔法陣が、巨大鼠ヌートリアの足元に浮かび上がってきたのだ。
それこそが八重の魔法陣と呼ばれる上位の魔術領域。上位ランクの魔術なのは確実。
アキレスは相手を観察眼で把握し。
注意を促すように叫ぶ。
「この糞鼠、厄介なスキルをもっていやがる! 一定間隔で、耐性のない連中の精神を汚染し――恐慌状態を引き起こすパッシブスキルを持ってやがるんだ。巻き込まれるなよ!」
返事はない。
なぜなら、既にほかの十七人は相手の精神汚染を受けていたのだ。
彼らよりもさらにレベルの低い遭難者たちは、言うまでもないだろう。
「って!? マジかよ!?」
『どうやら、我と対等に戦えるのは貴様だけのようだな――馬面よ』
「ほざけ! 誰が馬だ!」
『貴様……その顔、どこかの資料で。いや、しかし。まあいい、吹き飛ばしてしまえばすべて同じこと!』
巨漢が自慢の人間の三倍はありそうなヌートリアキングが魔導杖を握り、イヒイィイイイイイッィィ!
王冠と外套を輝かせ。
黄色い牙をねちゃり。血の滴る口を高速で動かし、長い尾でリズムをとるように地面を叩きはじめる。
更に長文の詠唱がカカカカカカ!
牙の隙間から刻まれ続ける。
『汝の敵は我の敵。我の敵は汝の敵。敵の姿を汝は見た、それは白き鯨の如き魔性であった。七日七晩以上泣き続け、全てを洗い流した悍ましきケモノであった。ああ、それは貴方の敵。邪悪に滅ぼされし貴方こそが正しき神。貴方こそが尊き御方。白き憎悪の魔性により滅ぼされた世界の犠牲者、《支配者たる集合神霊》よ! 楽園の再興を望むものよ! いまここに、魔力の収穫を! いまここに、肉の宴を! 我が喰らいし命を、あなたに捧げましょう――!』
ダンダンダンダン!
長くネラネラっと揺れるヌートリアの尻尾も、詠唱補助で小さな魔法陣を生み続けている。
魔術の知識がある者ならば、それが異世界の神の力を逸話として理解し、借り受ける、主に魔族が得意とする技術。異界魔術の詠唱であるとすぐに理解できただろう。冒険者たちも全員が把握していた筈。けれど相手のレベルが高すぎて、動くことができないでいる。
大量のログが、一斉に流れる。
行動不能。
行動不能。
行動不能。
状態回復判定――失敗。判定失敗。判定失敗。
明らかに何らかの状態異常が発生しているのだ。
唯一、状態異常の無効判定を引き続けている豪運の青年、アキレスがギリリと奥歯をかみしめる。
――詠唱を妨害しねえとっ……!
このままだと全滅。
本来なら隠しておきたいが、皆が怯んでいる今なら気づかれないだろう。
そう判断し、アキレスは駿馬のように――駆けていた。
「しゃあねえなあ! とりあえず、詠唱を止める最初の一撃だけは――てめえらにオマケしてやるぜっ、って、どうせ状態異常で聞こえちゃいねえんだろうがな!」
鼓舞するように叫んだ蹴撃者は、本来なら前衛職は扱えぬ魔導書を装備。
アイテムボックスから一冊の魔導書を取り出し、自分の周囲に浮かべていた。
祈り、念じ――詠唱を開始。
すさまじい怨念をまとう魔導書だったからだろう。
その書を目にしたヌートリアキングの瞳が、どよっと揺らぐ。
『貴様っ、なぜ人間ごときが、そのような神書を持っている……っ!?』
「ははは、糞鼠! そう簡単に勝てると思うな、人間なめてるんじゃねえぞ――!」
その書の名は。
魔導書:《楽天ゴロゴロ熊猫遊戯譚》。
あの日、レイニザード帝国に顕現した神の魔導書である。
神の逸話を読み解く伝説の書が、蹴撃者の舞踏による不規則詠唱に導かれ、発動される――!
◆◆◆【逸話:楽天ゴロゴロ熊猫遊戯譚】◆◆◆
この世界には四匹のケモノがいました。
彼らは四星獣と呼ばれる、この世界が始まるより前にいた神々。終わらないゲームを繰り返し続けるモノ。
魔猫に、パンダに、ナマズネコ。そして植物獣神。
中でもその長たるふわふわ綿あめのような魔猫、イエスタデイ=ワンス=モアは本当の意味で、盤上世界が始まるより前に存在していました。
彼らはダイスを転がします。
ゲームが終われば勝者の願いをかなえ、勝者となった種族の権利を維持したうえで――世界をひっくり返します。勝者が確定している土地では、勝者が有利な状況を保ったまま敗者の種族が再び蘇ります。ダンジョン塔に配置される敵……迷宮の魔物となって、空から勝者の大地に突き刺さるのです。
ダンジョン塔が生える大空の更に先には、特殊なエリア、四星獣が住まう棲家があります。
星夜の竹林では現在を司る四星獣ナウナウが、星夜の聖池では未来を司る四星獣ムルジル=ガダンガダン大王が、それぞれ眷属を従え地上を見下ろし、モフ毛を揺らしてダイスを転がします。
此度の盤上遊戯では、彼らは魔物が勝つほうに賭けています。けれど、本当はどちらが勝つのかなどどうでもいいのです。
彼らは勝敗そのものにさほど興味はありません。
それは大地を駆ける巨大な竜が、道の端の石ころに気をかけないのと同じです。
四星獣ナウナウは人間が嫌いです。かつてまだただのパンダだったころ、遠き青き星にて人間の見世物にされた愛らしい珍獣だったからです。
あの日の空は、格子状の空の景色。
ナウナウは思いました、ああ、自由に生きたいな~と。
そうして、外を眺めているだけの人生でした。
そこは綺麗な檻でした。
ナウナウは人気者でした。
なぜならナウナウは世界で一番かわいいからです。
けれども。
昨日も外を眺めているだけの人生でした。今日も外を眺めているだけの人生でした。明日も外を眺めるだけの人生なのでしょう。
ナウナウは自由を望みながら、自分を眺めてくるサル達に手を振りました。ああ、かわいい。パンダさんが手を振ってくれてるよ! サルの子供が言います。けれど、違うのです。自由を望むナウナウは僕を出さないと、おまえのその首を吹き飛ばしてやるぞ、と脅していたのでした。
それでも言葉が通じない彼らは、ニコニコわくわく。
パンダさんが可愛いと、眺めてくるのです。視線の群れが、襲ってくるのです。ナウナウはそんな彼らの視線が大嫌いでした。それでも逃げ場はありません。なぜならそこは檻の中。動物園という名の死ぬまで観察され続ける監獄だったからです。
ナウナウは空を見上げました。ああ、あの空を自由に泳ぎたいなぁと。
ある日、檻の前にカラスがやってきました。
彼らはとても嫌われています。ゴミを漁るからです。人によっては怖くも見えるからでしょう。
ナウナウの方がその数倍以上に可愛いでしょう。
それでもナウナウは思いました。
可愛いなんて意味がない。僕は汚くてもいい、君のように大空を自由に飛んでみたいと。
モフモフな腕を伸ばしました。
けれど腕は届きません。空も飛べません、かわいく空を掻くだけです。
なぜならナウナウはとてもかわいいだけの、ただのパンダだからです。
人間はそんなナウナウを見て。
かわいいと言いました。
かわいいと言いました。
ナウナウの心はとても悲しくなりました。
そして思いました。
ああ、いつか自由に飛んでみたい。あのどこまでも青い空の先を見てみたい、と。
何度も何度も願ったのでしょう。
ある日ナウナウの望みは叶いました。
ストレスから食欲を失い、病となって死んでしまったからです。
けれどちっとも悲しくありません。
やっと自由になれたからです。
それなのに。
ナウナウの死骸に群がる人間どもは、ナウナウの顔を眺めています。嘆き悲しんでいるのです。追悼台が置かれています。花を飾っています。子供が泣いています。子供の頭をおとうさんとおかあさんが撫でています。
お母さんが言います。
もう泣かないで。
パンダさんはきっと、あなたのことも大好きだったはずよ? あなたが泣いていたら、きっと、パンダさんも悲しむわ、と。
ちっともそんなことはありません。
なのに、彼らは自分の都合でナウナウの死を嘆きます。
ついに、みんなのことが大好きだよ。なんていう絵本まで作り出しました。
そこにはかわいいパンダがいます。みんなに手を振るナウナウが笑っています。
いっぱい笑っています。
一度も、笑ったことなど、ないのに。
ナウナウは思いました。
やはり人間のことが嫌いだと思いました。
死んで初めて、ナウナウは知りました。
それは自由のすばらしさです。
死による恐怖よりも、むしろ、解放された嬉しさが勝っていたのです。
ナウナウは初めての自由を喜びました。
けれど同時に。
とても悔しかったのです。
空はこんなにも綺麗なのに、いつだって格子状のモザイクの景色。僕の自由にさせてくれなかったなんて。
やっぱり人間は大嫌いだなぁ。と。
ナウナウの魂は大空を彷徨い、自由に飛んでいました。ずっと一人で空を飛び続けました。昇る朝日の眩しさも、燦燦と輝くお昼過ぎの太陽も、沈む夕暮れの美しさも、全てがナウナウには愛おしかったのです。
ナウナウは死んでから初めて、世界を少しだけ好きになりました。
初めて好きを知りました。
だからでしょうか。
いつも世界を睨んでいた細い瞳が。唸りをあげていた口が、緩みました。
笑顔です。
ナウナウは笑いました。
生まれて初めて、笑いました。
それは本当の微笑みでした。
ナウナウは幸せでした。
死んで初めて、幸せを知りました。
笑顔を知りました。
世界の美しさを知りました。
けれど、です。
ずっと一人で飛び続けていたある日。
ナウナウは暮れていく空を眺めて、ふわふわモフモフな獣毛を切なそうに揺らしていました。
思ってしまったのです。
寂しいなぁ、と。
誰か、僕の話を聞いてくれる友達がいないかなぁ、と。
そう、ナウナウは檻の中でずっと孤独だったのです。
それは純粋な願いでした。見世物としてその生涯を終えたナウナウが、自由の次に願った本当の心でした。そこに声をかけたのが、盤上遊戯、終わらぬゲームの相手を探していた異世界の魔猫イエスタデイ=ワンス=モア。彼の初めての友達となる魔猫です。
イエスタデイ=ワンス=モアは自らの事情を話し、そして言いました。一緒に、来てくれないか――と。
ナウナウは悩みました。
けれど自分を監禁し続け、一度も自由にさせてくれなかった人間で遊びながら自由に生きられるならと、モフモフな首を縦に振りました。
ナウナウはとても幸せでした。
初めてできた友達が、大好きになりました。
世界が大好きでいっぱいになりました。
だから。
その友達をいじめたネズミが、大嫌いなのです。
魔導書が、言いました。
あなたに言いました。
ネズミが相手なら、力を貸してあげるよ――。
と。
◆◆◆◆◆◆
詠唱は成功。
神の逸話を読み解いた駿足のアキレスの周囲に、八重を超える九重の魔法陣が生まれ。
ヌートリアキングの大詠唱を、崩壊させていた。
状態異常の人間は誰も気づいていない。明らかに人間の器から逸脱した存在、駿足のアキレスのアシストである。
『ぬぅ……!?』
「ったく、魔術師の真似事なんてさせるんじゃねえっての」
人の器を超えた青年の口から、人間を鼓舞する叫びが――飛び出る。
「ちぃ……っ。てめえら、正気に戻りやがれ!」
アイテムボックスに念じ、ギルド露店の魔猫商人から購入した状態異常回復アイテムを取り出し。
回復系アイテムの対象を全体に変更するアイテムを混ぜ――。
全体に散布した。




