第093話、人類と旧人類【応接室(チェシャの部屋)】
【SIDE:幼女教皇マギ】
急遽行われた魔王軍幹部との話し合い。
会談場所は先ほどのレイニザードの使者と行った普通の部屋ではない。幼女教皇マギは魔族をそこまで信用していないのだろう。ここはそれなりに威厳のある応接室だった。
複数の鈴が重なった神楽鈴による多重の結界が、部屋の中を清める中。ヴェルザの街が崇める神、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの神像が並んでいる。そして並ぶ神像の隙間には、うにょーっと体を伸ばすネコの群れ。
魔猫が巣とする王宮は、彼らの家、どこでも彼らが見張っている。
いわば来客は、嗅ぎ慣れぬ匂いと魔力を放つ不審な侵入者と同じ。
だからこそ、魔族は焦っているように見える。
通された応接室のソファーに腰掛け――。
不可視の属性、チェシャ属性を持つ魔猫の視線を横目で見るのは猛将マイアを名乗る魔族。見えない魔猫に警戒しているのだろう。その頬にはわずかな緊張が浮かんでいるのだ。
薄く化粧されたその唇が動く。
「幼き身と見合わぬ魔力――そなたが幼女教皇であるとお見受けする。わたし……我が名はマイア。これでも魔王軍幹部の座にある者。まずは突然の不法入国を詫びさせていただこう」
「いかにも、妾こそがヴェルザを治める教皇マギ。詫びは、まあ話次第であるが――不法入国のう……どうせ、魔王か、あるいは四星獣の誰かの力を借り転移してきた。そんなところかの」
猛将マイアの眉が小さく跳ねていた。
しかしそれは一瞬、動揺を飲み込むような威圧感のある声が紡がれている。
「ほぅ、人間にしては落ちついているな――」
「一応、話し合いを提案してくる相手であるようだからな。無駄に警戒しても仕方あるまい。それにこちらとしても、潜伏されたまま散られて行動されていたら……なにかと面倒であるしな。して、何用じゃ? まさか、人間に対して降伏勧告を突きつけに来たわけではあるまい?」
「棘のある言い方であるな」
「五百年前、いや、今はもう少し前か――ともあれ、当時の人間は確かに愚かじゃった。どうしようもない連中ばかりであった。むろん、中には良きカルマを持つ者も多くいたがな。それでも、あの小僧を追い詰め魔王へと覚醒させたのは間違いなく人間の負の部分のせい。なれど……なれどじゃ。アルバートン……あやつは良き人間さえも最終的には滅ぼした。人間側が仕掛けた戦争であったとしてもだ、思うところはある。妾はおぬしら魔族に対し良い印象を持ってはおらん」
多くの人間は魔族に殺された。
この地には、他地方から命からがら逃げてきた人間の子孫も多い。旧人類の代表として、幼女教皇としての立場にあるマギは魔族に対してそう友好的ではなかった。
もっとも、彼女本人の意思とはまた別の問題であるが。
「見解の相違だな。スクルザードダンジョン塔の中層で静かに暮らしていた、陛下。我ら魔族の祖、アルバートン=アル=カイトス陛下の安息の地を穢し、攻め込んだ汝ら人間が愚かであっただけの事であろう? そして二度と攻め込まれぬようにスクルザードの地を統治した陛下に難癖をつけ襲ってきたのは、やはり人間だと聞いているが?」
「当時の魔王アルバートン=アル=カイトスは末端の部下、知恵浅き本能に生きるタイプの魔物までは制御できておらなんだ。無駄な戦いを望まないと宣言しておきながら、オークやゴブリンが近隣の村を襲い、男を殺し、女を攫い、金品を強奪する。そのような状況で戦わない、平和的な解決と言われても、のう?」
それらはあくまでも五百年以上前の軋轢。
魔王に難癖をつけ襲ったのも、制御できていない魔物が村を襲って回っていたのも、どちらも真実。幼女教皇マギはどちらの言い分も知っていた。
「そなたら魔族の何割かは、その略奪時の子が含まれておる。誘拐されたエルフやドワーフなどの亜人族も同様じゃ。今は魔族としての誇りを語っていても、その始まりに蛮行があったのは事実。小娘よ、汝らの歴史の中にもそういった負の部分があるとは、自覚しておくがよかろうて」
僅かな動揺が魔力を滾らせるのだろう。大きな悪魔角を輝かせマイアが言う。
「こちらは幹部クラスの魔族と、我に準ずる二人の魔族を連れているというのに――その余裕。引かぬ豪胆さ。あえて部下を席から外し、戦いとなった場合を想定し巻き込まぬよう……単独となっている様子を見ると、不老不死との話は真であったか」
「失礼な魔族じゃな。相手の能力をすぐに詮索し指摘するなど、マナーがなっとらん。まったく、これだから若造は困る。魔族が人材不足だという噂を耳にしたこともあったが、なるほど、これではのう――魔王アルバートン=アル=カイトスは無礼な部下しか持ち合わせておらんのか」
マギからの見え透いた挑発であるが、猛将マイアは気にせず微笑するのみ。
隣に座る食人鬼の女性は愛嬌のある顔を尖らせ、ああん!? と凄味を見せるが、すぐにその横に座る屈強なアヌビス族の”魔犬の拳骨”を喰らい、口を尖らせるばかり。
幼女はそんな彼らを眺め、へにょーっと表情を和らげる。
「なるほど、敵意がないことは理解した。少々試すようなことをしたが、すまぬな。許せよ」
猛将マイアとその側近に見えるアヌビス族の男は、小さくうなずくが。
食人鬼の女が吠えていた。
「ちょっとちょっとぉ! なんなのよぉ。あんたらだけで分かっちゃってさあ、あたし、全然分からないんですけど!? ねえビスス=アビスス! 教えなさいよ!」
「ああん!? うるせえな、ふつう分かるだろうが」
「えぇぇっぇ? 意味わかんない。わかんないから聞いてるんでしょうが!? ワンコの頭の中に詰まってるのは、プリンなんですかぁ? 腐ったウニですかぁ?」
アヌビス族が持つジャッカルの耳を、ペコペコペコ♪ 馴れ馴れしく叩いて教えなさいよ~と繰り返す女に、ガルルルルッ。ジャッカル顔の男は犬歯を震わせ。
「だぁあぁあぁぁあぁぁっぁ! 止めろ、バカ! だからこの短絡的殺人女を連れていくのには反対だったんだ! ようするにだ、こちらの幼女様はわざと挑発するような言い方をしてこっちの出方を待ってやがったんだよ」
「……? どういうこと?」
「使者を名乗っているとはいえこっちは不法入国者、しかも敵対種族だ。てめえだって五百年以上前に魔族が旧人類をほぼ全滅させた話は知ってるだろうが!? 信用しろってほうが無理。だから本当に敵意を向けてこないのか――安全な存在かどうかを確認する手っ取り早い方法だろう!?」
アヌビス族の男に言われ、腕を組んでブスッとした顔で女が言う。
「なにそれ、超ムカつくんですけど~。人間の分際で、あたしらを試したって事ですかぁ? 下等生物ごときが生意気なんじゃないですかぁ?」
「そこまでだロロナ――陛下の命を忘れたか?」
一瞬見せた敵意に反応したのだろう、猛将マイアの凍てつくような視線がロロナと呼ばれた食人鬼に刺さる。魔王軍幹部クラスの本気の睨みは魔力が込められている。ぎょっと顔をヒクつかせた女は胸の谷間に、球の汗を浮かべ。
「わ、わかってますよ。問題を起こすな。絶対に手を出すな、でしょう?」
「分かっているのなら静かにしていろ。お前は少々短気だからな」
「えぇ……? あたしだけに言います? 先生も似た感じで、短気ですよね?」
ビスス=アビススと呼ばれたアヌビス族の男がこっそり頷いているが、構わず猛将マイアが言う。
「というわけだ――こちらに敵意はない。とはいっても、まあ陛下を迫害したかつての旧人類たちに思うところは多々あるがな。ただ今は敵対の意思はないのだ。少なくとも魔王陛下の命令に従い、そちらに手を出すことはないとご理解いただきたい」
「そうじゃのう。じゃが――手を出すことができない、の間違いではないか?」
三人の魔族の前でも、やはり幼女教皇マギは落ち着き払っていた。
そもそもだ。
人間にとって敵対する種族ともいえる魔族、その精鋭たる魔王軍からの会談要請への返答は、本来ならばもっと慎重を期す必要がある筈だった。けれど教皇はその無礼ともいえる申請に応じていた。
理由は多くあるが――。
一番大きな理由は幼女教皇マギを取り巻き懐く――魔猫の群れの存在が大きいだろう。
実力のある者は相手の力量を分析する力にも長けている。ならばこそ、幼女に懐く魔猫を前にして無茶な行動を起こしはしない。安全が確保されている状態だという事になる。
それに気付かぬという事は――この三名の中で、食人鬼の娘だけはレベルが一ランク下という事だろう。
そう。マギによる鑑定は既に終わっていたのだ。
それがこの会談を受けた理由でもある。
もし魔猫の群れという最強戦力に気づかず事を起こそうとするのならば、それは苛烈で無知な連中だという事。民に被害が出る前に、早急に捕らえておく必要がある。それになにより彼女は不老不死であり、その実力も千年の時で尋常ならざるレベルへと昇華されている。
驕りではなく、魔猫の力を借りずとも彼ら三人の相手はたやすい。
幼女教皇マギとしては面倒な存在がどこかに散る前に、何か手を打っておきたいという計算もあったのだ。だからあえて拘束はしない。敵対し散られると面倒だという発言も事実なのだ。
猛将マイアも実力差に気づいているのだろう。
けれど彼女も余裕を保ったまま、どこか野心的な美貌を光らせ唇を上下させる。
「さて。話が逸れたな。無理に仲良くしようなどとは両者ともに思っていないだろう。本題に入らせていただきたいのだが、構わぬな?」
幼女教皇マギはうなずいた。
彼らの話は――……。
一通り聞き終えたマギが、少し困った顔をして言う。
「おぬしらにはすまぬが、その話……既にもう知っておるぞ?」
「そう、貴殿という存在は特殊な駒ゆえに。外来種に狙われ……――」
猛将マイアの言葉が途切れる。
素の声と顔で、マイアが言う。
「は? いま、なんと?」
「えーと……じゃからじゃな? 出所は明かせぬが、実はここにも外来種の情報は入ってきておってだ――妾が狙われておることも、ダンジョン塔の魔物に憑依し始めて何かを企んでいるという事も、知っておったというか……」
口だけでは信用されないだろうと、マギは四星獣から送られてきた情報を投影する。
そこには外来種について現段階で発見されている情報が羅列されている。むろん、知識ある者がそのデータを見れば、マギの語る言葉が真実だと理解できるだろう。
そう。
この三人が持ち込んできた話は、危険を知らせる報告。千年を生きる幼女教皇の力を奪われては、魔王としても困る。だからこその警告だったのだろうが。
結局のところ。あのアキレス青年が持ち込んできた話と、ほぼ同じだったのである。
猛将マイアが言う。
「危険を察知しているという事は理解した。しかし、しばらく我らもこの地に滞在させてほしい。貴殿を含め外来種から特殊駒を守れと仰せつかっているからな」
「監視付きならば、といったところかのう。して、何を企んでおるのじゃ」
「企むなどとは心外だな――」
ダンジョン塔攻略を完了させたレイニザード。
そして、既にかつて人類と呼ばれていた者たちを滅ぼし征服した魔族。
二つの勢力が同時に接触を図ってきた、確かに危険を知らせるという意味もあったのだろうが――。
偶然にしてはタイミングが良すぎる。
――これはこの地になにかあると考えるべきじゃな。
幼女が笑顔の裏で考えを巡らせていた、同時刻――。
自由に行動する使者アキレスのほうにも、わずかな動きが起こり始めている。
三組織それぞれの思惑も、徐々に動き始めていたのだ――。




