第090話、幕間~羊たちの暗黙~【レイニザード帝国】
【SIDE:帝国会議】
会議の席。重鎮たちが集まる中で、終焉皇帝ザカール八世は困惑していた。
日々変わる状況には慣れていたが、今回の外来種襲撃事件の報告書を眺めるその怜悧な瞳には、明らかな動揺が走っている。
なにしろ四星獣が三柱、このレイニザード帝国に集っている状況が、一瞬でも起こっていたからで――。
胸の上の聖痕を、くぉぉぉんと輝かせ。額に成長した手を当て――視線を向ける先は神の使い。老賢者と老メイドを付き従え、皇帝の御前でも構わずステーキをくっちゃくっちゃする神の眷属ヒツジに、問いかけていた。
「状況は理解しました。それで、あの……饕餮ヒツジさま。この魔猫寺院の建設申請とはいったい――」
『此度の襲撃はわたくしにも不確定要素が多く、多少の犠牲者を出してしまいました。けれど不幸中の幸いと申しましょうか、最上の計算外と申しましょうか――四星獣イエスタデイ=ワンス=モア様がレイニザード帝国に興味を持って下さったご様子。蘇生の儀式の際に蘇ることを望まず、魔猫へと転生した人間個体が複数観測されているのです。もうお分かりですね? 魔猫寺院こそが、新たに生まれた魔猫の働く場所。彼らをこの地域にとどめておくための重要拠点となるのですよ!』
「は、はぁ……」
『おや? あまりお喜びではない?』
「そもそも魔猫寺院という単語に対して、こう、しっくりこないというか――何なのですか、これ」
老メイドにワインを注がせ、ごっくんゲプゥ!
理解を深める必要があるとばかりに饕餮ヒツジは、老賢者ワイザーに視線を一つ寄越す。賢人は意図を理解した上で、遠征ばかりの若き皇帝に目線を送り。
「陛下、魔猫の能力や特性はご存じですかな」
「魔猫といえば、回復に特化した種族。通称ヒーラー魔猫。彼らは人間という種を下僕と認識している傾向にあり、宝や料理を魔猫に献上しつづける便利な道具だと思っている。故にこそ、彼らは人間を治療する。人間という種をある程度は存続させようと、分類は魔物でありながら他の魔物よりも友好的な存在となっている。現在の魔猫は人間を見つけると率先して回復をする傾向にあるともされています……なにしろ人間が滅びると彼らにも都合が悪い、便利な道具が消えてしまうと困るから――」
探るような言葉であるが――。
若き皇帝にうなずき、ステーキで忙しいモコモコ羊に代わり老賢者ワイザーが告げる。
「いかにも。その通りでございます。そして彼らネコという種は、四星獣イエスタデイ=ワンス=モア様の眷属でありながらも、遠い異世界では神のごとく信仰されるケモノ。信仰は力となり、その種族に大いなる力を授ける。人間の衰退によりかつて一大魔術を築いていた大地神が衰退したように……彼らの場合はその逆。崇拝される影響で、魔猫という種族そのものが高次元で高レベルな存在となっております。その強さも、一匹一匹が英雄魔物に匹敵する存在であるとも――」
「それほどに強いのですか?」
「単純な強さもそうでありますが、彼らは癒しのプロ。回復魔術が得意ですからな」
自らを回復しながら戦ってくる中ボス。
そのような脅威を想像しただろう終焉皇帝の喉がごくりと鳴る中。追加のフィレステーキに焼き目をじゅじゅっじゅっと入れている最中の羊が、牙を覗かせ――皇帝にシリアスな声を上げる。
『ただし、彼らは無条件の味方というわけではありません。あくまでも人間が滅んだら下僕が減ると思っているだけ。けして人間を最優先にする存在ではないのですよ。中には友好的な個体もいるのでしょうが――たとえばですが人間が魔猫を捕獲したり、攻撃などしようものなら即座に反撃をしてくるでしょう。そしてその時は間違いなくこの街の終わり。だからこそ、彼らが神に近い存在であると住人に徹底周知させる必要もあるのです』
「魔猫寺院とは、そのような魔猫を崇める場所ということでしょうか」
『半分正解と言ったところですね』
言いながら、メメメメエメッメと魔力によるモニターを投影し。
『これは遥か南南東の魔猫の楽園。ヴェルザの街にある魔猫寺院の貴重な資料です』
「……。あの……すみません饕餮さま、とてつもない膨大な魔力を放っている山羊悪魔の方の、ドヤ顔映像にしか見えないのですが?」
『なんですと!?』
ウメメメ!
慌てて映像を振り返る饕餮ヒツジの赤い瞳に反射しているのは、録画用記録クリスタルを片手に、ヴェルザの街でグルメ観光する神獣バフォメット=パノケノスの映像で。どうだ、わが友よ。我の近況を知りたいであろう? と、クリスタルに向かってグハハハハハ! と、哄笑する姿が見えている。
『あの方は、もう――神獣となってからは毎日を満喫しちゃってまあ。これは……忘れて下さい』
「は、はぁ……」
『ともあれ、この神獣の裏に映っている施設がモデルケースとなりますね。冒険者から金やグルメ、アイテムを受け取り治療をしている姿が見えるでしょう? 魔猫の方々に住んでいただいて、対価と引き換えに回復を行ってもらう施設というわけです。その有用性はお判りでしょうね?』
ザカール八世は怜悧な美貌で考え込み。
「今までは僧侶系の職業の人間は貴重で、回復手段は限られていた。しかし、回復施設が増えれば――国で管理している者以外の、力あるものが台頭してくる可能性がある。でしょうか」
もふもふモコモコ。羊毛を膨らませた饕餮が頷き。
瞳を細め――メヒヒヒヒ!
『理解が早くて大変によろしい! かつての人間種がダンジョン塔攻略の拠点としていた組織、冒険者ギルドの復興もまた可能という事です。そもそも追い詰められていたせいとはいえ、戦力が国家にだけ集まっていたのは極めて危険な状態でもあります。なにしろ、国ともなればクッソ面倒な規則や格式がありましたからねぇ。しかし、その格式を破れば国への信頼は損なわれ、忠誠心や信仰心といった戦力に影響を与える数値が、ゴソっと減る。その辺の面倒を省いて直接動くことができる組織は、なかなかに便利なはずですよ』
老賢者ワイザーが補足するように皇帝に言う。
「それだけではございません。経験値遠征に行き、頭角を現すことができなかった若造の中にも、眠れる才能があったモノはいる筈。大器晩成の職業や人間というものも必ずや存在しましょう。残念ながら、その芽を今までは拾う事が出来なかった。なれどです――ギルドがまともに機能するようになれば状況も変わりましょう。そういった、まだ育ち切っていない芽を育てる場所としても……都合がよろしいでしょうな」
老賢者の言葉に異論はない。
もし饕餮ヒツジが悪魔故に人間側の事情や心境を読み違えても、老賢者ワイザーがいつも必ず訂正し進言する。”それは人間にとってのタブー、おそらく反感を買い逆に戦力をそぐことになりましょう”と、臆せず伝えるのだ。饕餮ヒツジは側近の言葉に耳を傾け、作戦との妥協点を毎回模索する。短期間の計画なら心情を無視した作戦も有効だが、年単位の計画となると心情を読み違えるのは愚策。
だからこそ、饕餮ヒツジは老賢者を重宝していた。
既に彼らにはそういう、種族差や価値観の違いを補う信頼関係が築かれていたのだ。
それを周囲も知っている。
狡猾なる神獣と老賢者、両方が頷いているのなら――。
冒険者ギルドの復興。
その第一歩として、魔猫を快適な空間に招き、代金を払い治療を行ってもらう関係性を構築する。そのための魔猫寺院。また一つ、ダンジョン塔完全制覇。踏破への階段を進めようとしていた。
◇
会議が終わり。魔猫寺院建設が確定した直後。
オヤツのステーキを想像し、ウメメメメェとスキップする饕餮ヒツジは、突如謎の空間に引きずり込まれていた。
今頃、護衛の者たちは度肝を抜かしているだろうが、饕餮ヒツジはまったく動揺していない。話し合いの場。内緒で語る空間を仕掛けてきた相手に気づいていたのだ。
湖の底にあるような、闇の中。
彼女は雫と共に顕現し、ガチャリと甲冑を揺らしていた。その手には、一薙ぎで軍単位の首をはねる釣り具、《神器:首刎ねスプーン》が握られている。
燃えるように赤く瞳を滾らせた甲冑の中から、くぐもった女性の声が響く。
『饕餮よ、貴様に聞きたいことがある』
『おやおや。これは――ムルジル大王の眷属、暗黒騎士クローディアさんですか。はて、あなたは普通の人間としてレイニザード帝国に潜伏している筈ですのに、最高指揮官ともいえるわたくしに聞きたいことがあると?』
『貴様に問いたいのは一つだけだ。今回の襲撃の件をどこまで計算し、どこまで把握し、どこまで操っていた。返答次第によっては――』
『お待ちなさい。それを一つとは言わないでしょう』
闇の湖の中で、饕餮ヒツジは家臣たちに心配するなと伝達しつつ。
誠実な顔で、同胞ともいえる四星獣に仕える眷属同士の会話を続ける。
『わたくしは確かにある程度、こうなるとは予想しておりました。外来種が力を狙っていることは明白でしたからね。そしてその脅威こそが試練となり、この国の強化に繋がるとも……考えてはおりました。事実、アキレス青年は通常では入手できない力を手に入れた。ついでに魔猫という最大戦力にして、最大のヒーラーを招くことにも成功した。実に素晴らしい成果です』
それはある意味で外道ともいえる見過ごし。
暗黒騎士クローディアの赤い魔力が、揺らぐ中――饕餮ヒツジはあくまでも冷静な顔で。
『ルールに反しない限りであれば、恩寵は重要な戦略的要素。人類にとっては稀少な力であると、貴女もご存じでありましょう?』
『だからといって、街に犠牲を出していいと本気で言っているのか。蘇生が間に合わなかった者もいたのであろう!』
多少ムッとした顔で、羊が顔を尖らせる。
『……。これでも、守ろうとしたのですよ――自分で育てている駒たちです、そしてわたくしの蹄の上で、綺麗に踊ってくれている命たちです。かつて敵対した下等種族の人間といえど……これでも多少の愛着は湧いているのですから。それになにより、わたくしを召し上げて下さったナウナウ様が見ておいでだったのです――なのに、終焉スキル保持者をあと少しで失うところでありました。至らぬところがあったことは、まあ認めましょう。正直、貴女に責められるいわれはないとは思いますがね』
『そうか――こちらも言い方が悪かった。それは謝罪しよう』
謝罪されてしまい、ぬーん……。
嫌味を重ねるつもりだったその羊口が行き場を失い、モゴモゴモゴ。
はぁ……と肩を落とした饕餮が言う。
『一応、弁明させていただきますし誤解されたくないのですが。今回の襲撃の件、防衛よりも育成を優先し街に被害を出した件も含め……選択されたのはわたくしの雇い主。人間代表ともいえるザカール陛下御本人ですよ』
『なに!?』
『わたくしはただ多くの可能性を提示したまで、そしてその可能性ごとにどれほどのリスクがあるか、犠牲者がでるか。そして、リスクの代わりにメリットがあるか。全ての可能性の中から最も人類が存続する可能性の高い、リスクのある計画を選んだのも、わたくしではなく、あの小僧……。こほん、いえ、あの御方なのですからね』
あくまでも選んだのは旧人類だ。そう告げるように慇懃に礼をし、羊はメメメメっと邪悪に嗤う。
『全ては最終目標のため。わたくしが来てから状況は好転しているとはいえ、人間がまだ追い詰められている状況は続いているのですから――どこかで犠牲は必ず出ます。かつて貴女も長だった身。まさか、犠牲者もなしで状況を変えられると本気で思っている程のお花畑ではないでしょう?』
『最終目標だと――』
目的を語れ。
そう言いたげな刺すような鋭い視線に、モフモフな羊毛を膨らませ。
『おっと、失言でした。これは困りましたねえ。陛下とわたくし、そしてわたくしの側近のジジイとババア。ごく少数でとどめておきたいのですが』
『それでも聞かせてくれ。ムルジル大王からは、人間の生き残りを観察するように厳命されている。あまり実力行使はしたくないのだ。分かるな?』
ムルジル大王の名を出されたら、羊も言い返せないのだろう。
ツーンと歯を剥き出しに、饕餮ヒツジは言う。
『最終目標は魔王討伐。アルバートン=アル=カイトスを討つことにあります。或いは、対等な相手として取引させ――種族間の戦争を終結させる。人間が生き残る道としては、まあありがちな話ではありましょう』
『あの子を殺すのには、反対だ』
『おや、これはこれは。暗黒騎士様は実にお優しいですねえ。では旧人類へと貶められた彼らにそのまま滅びよと?』
『それは――』
『優柔不断な方ですねえ。貴女の心はかつて悪魔であったわたくしには到底、まぁぁぁぁったく、これっぽっちも理解できませんがね。わたくしを分類するのならば、外道なる悪魔の一柱でしょう。味方を犠牲にしたこともあります。人を喰らったこともあります。敵ならば、容赦なく外道な手段で排除します。それでも、無責任に行動し続けている貴女よりもマシ。わたくしめの方がよほど人道的だと言わざるを得ませんよ』
言い返せないのは図星だったからだろう。
『自分が巻き込み、あの少年の人生を狂わせた――いわばあなたこそが魔王誕生の始まりでもあると、その自覚はおありのようで』
『言うな――』
甲冑から漂わせていた赤い魔力を解き。
暗黒騎士は少し疲れた声音で、空気を揺らす。
『そちらの行動は理解した。此度の襲撃の件も、人間自身が選択したのならば――わたしがとやかく口を出すことでもないとな。邪魔したな、ナウナウ様の眷属よ』
『お待ちなさい。ムルジル大王は今――』
『まだお眠りになられている。稀に魔力振動を通じて連絡をして下さるがな――どこかのダンジョンの宝箱で、休暇を貪っているとのことだが……場所は知らぬ』
露骨に呆れた声で、饕餮ヒツジは耳を下げ。
『えぇ……。あの大陸全土を揺らす程の謎振動が……ムルジル大王のメッセージなのですか。悪意ある攻撃ではないとは思っていたのですが。なかなか迷惑な話ですねぇ……』
『神は神。器も価値観も違う御方。我ら小さき存在への配慮はあまり得意ではないのだろうさ』
言って、かつて殺戮令嬢と呼ばれた貴族は空間を断つ。
内密空間が解除される中。
消えさった眷属たる同胞。
その残滓を眺めていた羊の瞳が、ゆったりと閉じられる。
『魔境ズムニの長にして、殺戮令嬢。ある意味で全ての元凶となった人間クローディア――彼女もまた、神に振り回された犠牲者の一人なのかもしれませんね』
人間の流れを人間よりも深く読める悪魔。
人間の弱さを最も知る、かつて人類と呼ばれた種を追い詰めたケモノ。
その口から。
狡猾な道化ではなく、長くを生きる神獣としての声音が漏れる。
『死に場所を求めて永久を彷徨う麗人、ですか。哀れな人ですね――本当に。神も惨いことをなさる』
残酷で外道な悪魔。
その口から零れた同情と憐憫。
悪魔の見せた本音を聞いていたものは、誰もいない。
幕間 ~羊たちの暗黙~
―終―




