第089話、――願い――【レイニザード帝国襲撃編:エピローグ】
【SIDE:駿足のアキレス】
パンダと銀髪美少女が去った後。
思い出の草原に、ソレは顕現した。
ここが記憶の中の世界だからか、山のようにでかい魔猫が陽炎のように浮かんできたのだ。
白きモフ毛をふわりと揺らした、毛布の中心にココアを垂らしたような偉そうなネコである。
彼ら二柱の話を信じるのならば、このタヌキのような魔猫こそが四星獣イエスタデイ=ワンス=モア。この世界で唯一、蘇生の力を行使する魔猫たちの王にして神。
山そのものが地鳴りを起こすように、重厚な声が響く。
『我こそがイエスタデイ。過去を顧みし者、死した汝の……と、おぬし、なんだその顔は、我がせっかく久々の人前での蘇生という事で、ドヤ顔をしておるのだが?』
「いや、悪いんだが……既にあんたがくることは変なパンダと樹から生えた女の子が教えてくれていたっていうか」
『……。では、凛々しく登場した我が、もったいぶってペカペカ輝きながら汝を蘇生させてやるという、超絶神々しいイベントのことも――』
「あ、はい。なんつーか。すんません……知ってます」
タヌキのようなふわふわな魔猫の瞳は、ぬーんとジト目。
丸いお口を、くっちゅくっちゅ。
『我、帰る』
「だぁあああああぁぁぁ! 帰らないで下さいよ! 俺、蘇ってあいつを守ってやらないといけないんすから!」
『ではちゃんと驚いてくれる場面からやってくれるか?』
「お、驚けばいいんですね?」
魔猫はしばし考え。
ポンと足元サイズのネコになり。やる気をなくしたように、座り込み。
『もうよい、今からやり直した所でそれも茶番。我はぜんぜん気にしてなどいないが、見せ場を奪われて拗ねても仕方あるまいな?』
「は、はい。確かにオレもそう思います」
アキレスは細面をぬーんとさせ、あぁ、あのパンダと少女の同類だと内心で強く納得する。
『して、貴様。ネコヤナギから何を受けとった』
「分かるのですか?」
『当然であろう。我は四星獣の長。この盤上世界が誕生するよりも前に存在する始まりの神性。それが分からずして長は務まらんだろうて』
我、とっても偉いな?
と、例のパンダのように念押ししてくる面倒くさいネコに、アキレスは律儀に応対していた。
『で? 何を受け取ったのかと聞いておるのだが?』
「実は三つの選択肢を与えられたのですが――」
『そこの蕾か、ほう。不死に継承可能な神器に、不死殺しに豪運か。赤色の花が消えているという事は、なるほど。汝はもっとも茨の道、死なぬ肉体を選んだか』
「どれほどに攻撃されようと死なないのならば、あいつを抱き上げて、ずっと……逃げることもできる筈でしたから。それに――不死の身が盾となり、永久的に相手を押さえつけることも可能だと判断しました」
魔猫は道化のような顔を投げ捨て。
神の声で唸りを上げる。
『そうか。だが、そなた――不死ゆえのリスクの説明を受けたのか?』
「え? いえ。あなたの蘇生が始まる前に付与しないと怒られると、そう仰っていましたから。時間がなくて」
『まったく……ネコヤナギめ、あやつも世界管理者でありながら享楽主義的な一面があるからのう……説明義務を放棄しおったな』
「何か問題があるのですか?」
魔猫がしばし考えいう。
『我は一度、そなたと同じく人間の幼女を一人、不老不死としたことがある。それはヤツ自身の願い、純粋で美しく輝く光のような願いであった。当時の我はまだ人間という存在を理解していなかったのだろうな。安易に、その願いを叶えてしまった』
思い出の草原の遥か先、神は遠く離れた空を見て。
『あやつは今でも孤独の中で生きておる。大事な者が死に、新しくできた大事な者も死に。どれだけの邂逅を果たそうとも、いずれは指からこぼれて消えてしまう関係性に、心を痛めておる。死なぬとは、無限ともいえる別れと同義。これから永久を生きることの意味を教えず……いや、我ら四星獣は皆――そうか。所詮は無責任に干渉しておるだけ。今更良識を問う権利など、我にもあるまい』
「よく分かんないっすけど、大丈夫っすよ」
イエスタデイという神性が、威圧感のない神だからか――アキレスは神の前で物怖じせず。
思い出の草原で、遊び続ける過去の自分たちを眺めながら笑顔で言う。
「オレ、バカだから分かんねえっすけど。あそこで笑っているオレ達みたいな子どもの笑い声を守れるのなら、きっと、後悔しないっすから」
それに――と、青年は存外に聡い顔で続けて言う。
「実は、不死についても対策がちゃんとあるんです」
『ほぅ? 聞かせよ』
青年は大事な者を守る、その決意を笑顔としていた。ここは輪廻を待つ走馬灯と似た空間。暮れていた筈の空が、過去へと遡るように明けていく。
太陽が、草原の表面を煌々と照らす。子どもたちの笑顔も照らす。
不死となった青年の決意も照らしていた。
「貰ったのは……一つじゃないっつーか……。全部っていうか。だから、オレには不死を殺す力もありますから、本当に寂しくなったら、自分で自分にトドメをさせば――休むことができるんで」
『……。今、なんと? 全部? どういうことだ?』
「あの時、オレは選択しました。けれどどれか一つなんて言われていませんでしたし、だから……オレは大事なものを守りたい。もう二度と、守れなかったなんて悔やむのは嫌だ。だから――全部の力が欲しい。皆を守れる力を与えてくれって、そうあの女の子にお願いしたら、お腹を抱えて大笑いして――」
と――三つの花を全て抱えて困り顔の青年を、ネコの瞳が眺め。
『なるほど、理解した。ネコヤナギめ、その流れのまま本当に、全部与えたというわけか――』
「はい……まさか、オレも本当に貰えるとは思ってなかったつーか……」
『フフフ、フハハハハハハ! そうか、愛する者達を守るために強欲となる。純粋な願い。強き心の力。良きカルマを持った上での私利私欲が、あやつの心を揺すったか』
ひとしきり魔猫は笑い。
『理解した。ならば――頼みが一つある』
「神様がオレにですか?」
『うむ。もし、そなたが長い命の旅の中で、終わりを望む不死なるモノと出逢い――そして、終わりを願われたら。どうか、その話を聞いてやって欲しいのだ。叶える必要はない。むろん、叶えても構わぬが。我ら四星獣は駒を直接破壊する事を是とはせぬ。これは人間であるそなたにしか頼めぬ願いなのだ』
「それはいいんっすけど。本当に、全部もらっちゃって良かったんすかね。いや、今更なんですけど」
魔猫イエスタデイは瞳を細めログを漁り。
『そなた、死ぬ直前に子どもを三人救ったであろう? 願いもちょうど、三。ネコヤナギは世界管理者としての権能を使用して、その善行を願いに書き換えたのであろう。おぬし自身が勝ち取った恩寵だ。存分に奮うとよかろうて』
無垢で清らか。しかし強欲な望みを果たした青年を眺め。
魔猫は言った。
『さて、蘇生の時間だ。しかし、覚悟はしておくのだな。汝、アキレスよ。そなたの目覚めを待つ少女は、瞳いっぱいに涙をためて待っておる。現世へと戻った後できっと、色々と言われるだろう』
「まあ、それが生きているってことでしょうから」
『そうか。黒髪の娘が言っていた通りの男だな』
ぎゅっと唇を噛んで、青年が言う。
「黒髪ってカチュアの事……ですか」
『――……魔猫へと転生する前はたしかにそのような名であったはず。なれど、もはやあの者はカチュアであってカチュアではない。同じ魂から生まれた者であることに違いはないが、街の人々を守ったあの少女は死んだ。その命は二度と再生されることはない――それがあの少女自身の選択だ』
「あいつは、いったい……何を願ったのですか」
『はぁ……ネコヤナギめ、願いの対価で魔猫と化す事まで教えているのか。答えはおそらく、あのボサボサ髪の少女が知っておる。目覚めた後で聞くがいい』
神の言葉と共に、アキレスの意識は浮上していく。
声がした。
誰かが泣いている声だ。
あまり心配させないでよ、と。
大粒の涙を浮かべる少女の頭を撫でるのは、欠損したはずの右腕。
失っていた脚も戻っている。
生き返ったのだろう。
まだ虚ろな視界の中で、少女の泣き顔が映る。
額から頬にかけて僅かな焼け痕を残し、少しワイルドさが増した青年は言う。
「悪い……また、泣かせちまったな」
「そうよ、バカっ」
「もう泣くなって、絶対、もう死なねえからさ」
「当たり前でしょうっ……これ以上あたしを泣かせたら、あたし、絶対に、許さないんですからね――」
グズグズと泣く少女は、涙を拭って笑顔を作った。
それでも涙が止まらないのだろう。少女の瞳からはポロポロポロと雫が流れ続けている。
その背を抱き寄せ、悪かった――と、青年は凛々しく詫びた。
そんな二人に近づく影があった。
それはふわふわな魔猫。
前向きに明るい希望へと向かう男女を眺め、かつて人間だった黒きヒーラー魔猫が二人の間に割り込んだのだ。
さあ、撫でて。
わたしを褒めて。可愛いでしょう?
あなた達の事は知らないけれど。けれど何故だかとても大好きなの。
そう言いたげな顔で、ニャーと鳴き。
黒き魔猫は二人に額を押し付け、ゴロゴロゴロ。二人はそんな魔猫を眺めて、微笑んで。同時に頭を撫でていた。
魔猫は頭を撫でられると、うっとりと瞳を閉じる。ますますゴロゴロ音が響きだす。
猫がニャーニャー語りだした。
さあ、撫でて。
わたしはあなたたちが大好きなの。だからあなたたちもわたしを好きになりなさい。
あなた達の事は知らないけれど。それでも居心地がいいから一緒にいてあげる。
ずっと一緒にいてあげる。
だから、撫でて。もっと撫でて。
わたしを構いなさい。もっと愛でるといいと思うの。そうしていれば、涙は止まるでしょう?
だってわたしは可愛いから。撫でるととっても、いい気分になるわ。
だからわたしを撫でなさい。
もう早く。
ほら、幸せになったでしょう?
最初からわたしの言う事を聞きなさいって事よ。
ねえ。あなたたち。
お願いだから。もう、どうか……泣かないで頂戴ね?
なぜだか分からないけれど、あなたたちにはずっと微笑んでほしいの。
だからどうか。
ずっと。
笑っていてください――と。
魔王歴522年。
レイニザード帝国襲撃編 ―終―
次回に一度、幕間を挟んだ後。
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