第083話、エンカウント~酒場の悪魔~【歓楽街の酒場】
【SIDE:駿足のアキレス】
三時間程度の護衛の仕事が終わり。
後日、暗黒騎士クローディアが遠征で留守にする際の護衛を取り決め、解散となり。そして今、駿足のアキレスは複雑な表情で夜の酒場、細面を尖らせ考え込んでいた。
戦時中であっても、いや戦時中だからこそ歓楽街は絶対に必要と――陛下の側近となった参謀の何者かが、メメメメメっと強く要望し、レイニザードの戦力増強特区ではこういったバーも完備されている。
実際、悩める青年アキレスにとってこの酒場は救いだった。
彼は思いだす。
あのボサボサ少女ガイアがみせた、今日の奇跡を。
あの時。
専用の部屋の、専用の作業台に向かった少女はアイテム生成を開始した途端、人が変わったように神々しく輝きだした――。まるで女神のような表情と瞳で、淡々と装備を生成し始めたのだ。
そこにいたのは、小さい頃から鳥の巣頭と揶揄っていた少女ではない。
美しかったのだ。
本当に。目を奪われてしまうほどに美しい、神秘的な女性がそこにいたのである。
複雑な魔術による式が、工房に広がり。
そしてそれは紡がれた。
見惚れていたのは一瞬。わずかな時。けれど、既に装備が完成していたのだろう。少女の両手には蹴撃に特化した革ブーツ、ペガサスを模した魔力翼が展開される神器”タラリア”。空気抵抗を減らす騎馬用の全身軽鎧、”スーツオブホースメン”。そして、装着者の意志に応じて動く首装備、”遊撃マフラー(改)”までもが握られていたのである。
それらはアキレス専用の、いわば特化装備となっていた。
クリエイトが終わると、神秘的で女神のような表情と美貌が隠れてしまうのだろう。
少女はいつもの顔で、こともなげに、どうよ! と、胸を張っていたが。
「はっきり言ってヤベエだろ。ありゃ。一生かかっても買えねえもんばっかだし……あの鳥の巣頭。絶対、自分がどんな立場に置かれてるのか、分かってねえよなぁ……あの顔は」
まさかここまで常識はずれなアイテム生成能力だとは、アキレスも直接目にするまで気づいていなかったのである。なのにだ。褒めなさいよ! と、軽い気分でドヤ顔だったのだ。
大人の階段を上っているアキレスは酒を口にし、ほんのりと顔を赤くさせ溜め息。重い息が魔力石のカウンターに吸収されていく。天才錬金術師ドググ=ラググが生み出したバーカウンター。その材質自体は木製なのだが、嵌め込まれた魔力石により零した愚痴や酒を吸収し、まるで大理石のような高度と美しさを保っているというが。
アキレスの溜め息も、その魔力の一部となっているようである。
「あいつ、綺麗になってたな……」
前は誰にも届いていなかった。
不器用で、可愛げがなくて、おっちょこちょいで。ボサボサ髪だし、すぐにカッとなってガルルルっと唸る。だからガイア=ルル=ガイアを、少女や女性としてみる男なんて一人もいなかった。けれど本当は、どうだ。あいつの笑う顔は太陽のようで――自分だけがあいつの良さに気付いていればいい。そんな、小さい頃から独占欲に近い感情があったと、大人になり自己分析できるようになったアキレスは冷静に理解していた。
が――!
青年となった少年は、ブスッとした顔で慣れない酒を飲み干し。
「……。許さんぞっ。あいつをずっと守ってやってたのは、オレとカチュアなんだっ。いまさらどこの馬の骨かも分からんヤツに奪われるなんてっ。オレとカチュアが許さんっ」
そんな言葉を拾うように、何者かが顔を覗き込んでいた。下からである。
気配はあの時のネコと少し似ているか。けれど、存在は明らかに違う。
見た目は、執事服を着たヒツジ魔獣である。
『おやおや、見慣れない顔ですね。あなた、お酒を飲んでよろしい歳なのですかな?』
「故郷では、十五を過ぎれば酒を飲んで良いって話なんで……って、足をバタバタ伸ばして、なにやってるんだ?」
『決まっているでしょう? カウンター席に座ろうとするも、足が届かず奮闘しているのですが?』
自慢げに言えることじゃねえだろう。
と、思いつつもアキレスは長身に見合った長い腕を伸ばし、縫いぐるみのようなモフモフな羊を高い椅子に座らせてやる。
『ありがとうございます。あぁ、マスター、お肉に合う最上級ミルクをお願いしますよ』
「……。なああんた、なんで鉄板ステーキなんて持ち込んでるんだ?」
『はて? なにか問題がおありで? ここは飲食の持ち込み可ですので、規則やルールに反しておりませんので。ならば最大限の権利を使用させてもらう。そこに問題はありませんでしょう? ええ、はい、というわけで、少々肉の香りを失礼しますよ♪』
告げて、羊はエプロンを召喚し装着。そのままなにやら念じて、じゅうぅぅうぅぅぅぅ♪
鉄板に軽い炎の魔術を通し、タレを流して赤身だった肉に色を付けていく。
メヘェっとヒツジはうっとりと恍惚顔で、鼻をスンスンさせている。
「ドググ=ラググが生み出したっていう持ち運び用の肉焼き鉄板か……」
『ええ、これこそが錬金術の奇跡。旧人類の中で生まれた稀代の天才が生み出した、世紀の大発明でございましょうなぁ』
「いや、ドググ=ラググつったらエリクシールだろう……?」
『そうとも限りませんよ。彼の発明品で一番使われているのは、あなたも使用なさっているデキャンタ。酒や水の温度を適温に保つそのガラス錬金だという事をご存じないと?』
ご存じない? とは、いやはや、と羊は器用に肩を竦めてみせていた。
アキレスがこの羊に対して違和感を覚えない理由は単純。既にこの街には、様々な召喚獣。さまざまな魔獣、さまざまな精霊が使役されていて――戦力になるならとその行動も自由。人間が生き残るためには、もはや種族の垣根などなくなっていたからである。
アキレスは適温に保たれたデキャンタを眺め。その表面を指でなぞり。
「これがあのドググ=ラググの発明品ねえ……。本当に、色んなもんを作ってたんだな」
『五百年前の魔王アルバートン=アル=カイトスとの交渉決裂、旧人類と魔族との全面戦争に発展していなかったら――もっとこういう技術は発展したのでしょうけれどね。わが主人もそれを嘆いておいでだった。旧人類の価値の九割は喪失したと、ほとほと呆れておりましたよ』
「五百年前の交渉決裂?」
『おや? それもご存じない!?』
メメメメメッメメメ! 大げさに驚いた羊が、牙を覗かせ焼き目の付いた肉をパクリ。
酒場全体に濃厚な、豆酵母ベースなステーキソースの香りが広がる。
むっちゅむっちゅと、口の端から肉汁が滴っていた。
「悪かったな知らなくて。こっちは田舎もんなんだよ」
『おっとそれは失礼。いえいえ、別に難しい話じゃありません。魔王アルバートン=アル=カイトスは当時、まだ人類だった旧人類との共生共栄を提案したんですよ。まったく、もしわたしだったらそんな面倒なことなどせず、とっとと奇襲して街を落としていたんですがね。ともあれ、驕っていた当時の旧人類は魔王に勝てると思い込み、スクルザードの中層に築かれていた魔王の街に攻め込んだ――しかも彼の父親を人質にすると脅したとされています。穏健派だった魔王もさすがに反撃しないわけにはいかなかったのでしょう。その最初の戦争がきっかけとなり、旧人類は次々と街を失った。愚かな話でありますよ』
おーろか、おろか! 人間、おろか!
メヒヒヒヒッヒ! と、羊は他人事のように大笑い。そんな羊をじぃぃぃっと眺め、酔いに赤らめた顔で――アキレス青年は羊の頭をワシャワシャワシャ。
「へぇ! 都会のヒツジはそんなことまで知ってるんだな。すげえな、おい。全然知らなかったわ!」
『いや、こちらはあなたを揶揄ったのですが。デレっとしながら撫でるの、止めていただけませんか? それに、都会とかそういうのは関係なくてですね……? わたし、当時から存在する。いわゆる神の眷属でございますからね?』
酔っ払いに頭をワシャワシャ、トントンとされヒツジはジト目で横を向き。
『ところであなた、なぜそんな軽装備のままなのですかな?』
「軽装備? ふつうの前衛職の装備だろうが」
『おそらくあなた、もっと優秀な装備を持っているでしょう? わたくしはそういう情報もしっかりと握っているのですが、はてどうしたことか、あなたは装備を変更していない。それが気になっているのですが?』
羊に指摘され。
「ん? あ、ああ……別に大した理由じゃねえんだが」
『わたしの退屈しのぎの贄となるべき人間よ! さあお聞かせなさい!』
聞かせろ、聞かせろ~!
とうるさいヒツジにはぁ……と息を吐き。
機密の部分は完全に伏せ、アキレスは事情を説明した。
『なるほど。誰にも狙われない、自分だけの少女だと思っていた幼馴染が、すっかり魅力的になっていたと。それで、その装備をしてしまうのが、なんとなく怖いと……あの、意味が分からないのですが?』
「なんでだよ! 分かるだろう? こう、なんつーか。これを装備しちまったら、美人になってたあいつを認めちまうみたいで、ほら、なんかこう、な?」
『あなたがた人間の感覚はわたしには理解できませんが。ようするに、幼馴染の成長を認めたくないのですか? 心が狭いですねえ、ダサイですねえ』
「うるせぇ、分かってるんだよ」
チビっと酒に口をつける青年に、羊はコホンと咳ばらいをし。
『けれど、護衛となった時はちゃんと装備をしておいた方がいいでしょう。そのよく分からないプライド? ですか、ともあれこだわりでその少女を助けられなかったとなったら、あなた、一生後悔しますよ?』
「……。待て、オレは一言も護衛とは」
『老婆心ながら忠告しておきますよ。お気をつけなさい、他の終焉スキルの覚醒者と同じく本当に彼女が狙われている可能性は高い。大事ならば守り切ることです、そして精々ちゃんと、その心も掴んで子孫を生み出すことです。おそらくですが、終焉スキルは遺伝しますからね。それが後の力、未来の可能性となるのでしょうから――』
そのまま、スゥゥゥっとヒツジの姿が消えていく。
暗黒騎士クローディアの転移魔術を直接目にした経験のあるアキレスは、ハッと顔を引き締めた。これはあの時と同じ転移の波動。しかも詠唱もなしの転移である。
瞬間だった。
戦士としてのアキレスが、既に魔力の塊を蹴撃で押さえていた。
転移の波動を纏う地面を蹴り、衝撃と圧力で魔力波動を相殺していたのである――、だが。
羊は邪悪にメメメメメ!
山羊さんマークの魔法陣を展開し、ドヤァァァァ!
『おや、お早い。妨害への妨害を得意とするわたくしでなければレジストされてしまったでしょう。ふむ、合格です。これならばちゃんと装備をすれば、時間稼ぎぐらいなら問題ないでしょう。安心しました』
「待ちやがれ! てめえ、何者だ!」
『ただの雇われヒツジでございますよ、まあ雇い主は皇帝ですが。ともあれです、良い気分転換ができましたので、あなたに感謝を――あまり単独行動をするとジジイとババアがうるさいので、わたくしはこれで。またいずれお会いしましょう、それでは。メメメメエメッメエェェェェ!』
告げた瞬間、羊の姿は完全に消えていた。
現場は騒然としている。
戦闘能力自体は大したことはなかったが、あの羊の行動には一分の隙もなかった。
そんな酒場に残されたのは――、一枚の紙。
羊さんの蹄スタンプが押された、請求書。
「あ、あのヒツジ……っ、オレにミルク代を押し付けていきやがった!?」
当然、払える額である。もちろん払う義理など皆無だ。けれど、これを代わりに払わない方が逆にせこいという金額でもある。
まさにこれは智謀。なんてせこい嫌がらせだと、アキレスは請求書をぎゅっと握りしめ、ちゃんとその代金を支払ったという。
その日の夜、王宮で、あぁ人間を揶揄うのは楽しいですねぇ!
と、陽気に嗤う悪魔の声がしたらしいと、国に仕えるメイドたちは語っていた。




