第082話、重要任務:護衛【レイニザード工房】
【SIDE:駿足のアキレス】
一月前まではただの孤児だった長身の青年アキレスは今、人生のすばらしさを実感していた。
通称はホースメン。
本人は整った細面のせいでホースメンと呼ばれていると思っているが、実際は違う。仲間内からその馬面に乗った髪が、馬の鬣と似ていると笑われて、ホースメン。
ともあれ彼は優秀だった。
ザカール八世との遠征参加回数は既に五回。村人からの職業変え、いわゆるクラスチェンジも完了済み。足の速さを活かした蹴撃で戦う前衛職、新職業ストライダーへとなれたのは遠征組の中では彼だけだった。
故郷周辺の村では一番の出世と言えるだろう。少なくとも本人はそう思っていた。
そんなアキレスに辞令が下った。
現在、名うての女性暗黒騎士が護衛している”機織り姫”。様々な装備を生み出し、ダンジョン塔攻略に大きく貢献している謎の女性。その護衛を一時的に任されたのである。
期間は暗黒騎士がザカール八世と共に新人育成遠征に出向いている間のみ。けれど、大役だ。
馬面と鼻の下を伸ばし、駿足のアキレスはこう思っていた。
うひょー、噂の機織り姫と出逢えるなんて、ついてるぜぇぇぇえ!
と。
しかしだ。今は違う。なぜだろうか――それは工房について、護衛対象との顔合わせとなったからである。隣村のボサボサ髪。きつい目つきが特徴的な孤児仲間が、腕を組んで馬面を眺めていた。
互いにジト目である。
「で? アキレス。なによ、その顔は――」
「いや、ここに噂の機織り姫がいるっていう話だったんだが? なーんで、鳥の巣頭がいるんだ?」
「それはこっちの台詞なんだけど? なんで素敵な英雄様が護衛に来てくれるのかと思ったら、馬面女たらしのホースメンがいるのかしら?」
「……。つーことは、やっぱり機織り姫ってのは……」
「言っておくけど! あたしが名乗ったわけじゃないわよ!」
そんな二人のやりとりを見ていた暗黒騎士が言う。
「どうしたのだ? 出身が近隣の村で面識があるだろうと、彼に護衛を依頼したのだが……」
「クローディアさん! こりゃないっすよ! だって、機織り姫って通称なのにこんな色気のない隣村のガキンチョが出てくるとは思わないじゃないっすか!?」
「はぁあああぁあ!? 誰がガキンチョですって? あなただってそう歳は変わらないでしょうが!」
「ガキンチョより二歳ぐらい上ですしぃい?」
「は!? あなただって正確な歳は分からない筈でしょう! 盛ってるんじゃないわよ!」
ガルルルルといがみ合う二人。
幼馴染に近い関係性を眺め、事務的な口調で暗黒騎士が言う。
「仲は問題ないようだな」
『どこがですか!?』
「別に仲良くする必要などない。互いに顔を知っていて、ある程度気心も知れている仲なのだろう? ガイア嬢が変に委縮して作業が滞ってはまずいと、工房長からは言われているからな。その点。君たちならば問題あるまい」
「あたしは別に委縮なんて」
「そうか? 君はおそらく慣れていない大人相手、特に異性相手だと緊張して上手く話せなくなるタイプだろう?」
見抜かれているガイア=ルル=ガイアが、かぁぁぁぁっと耳まで赤く染め。
「クローディアさん、あなたって意外にあたしのことをちゃんと見てたんですね……」
「これでも指揮系統の能力もスキルとして習得しているからな。相性と呼ばれるような曖昧な情報も、ステータスとして確認できる。護衛可能な能力者とガイア嬢の性格を踏まえ、リストの中で一番相性がいいと判断したのが――」
「オレだったって事っすか?」
「その通りだ。まあどうしてもこの依頼をこなせないと判断するのならば、それでも構わない。次の候補に声をかけるだけだからな。断るのならここで言ってくれ」
本当に事務的で、淡々とリストから判断しているのだと分かる声だった。甲冑のせいで顔こそ見えないが、きっと涼やかな顔をしているに違いない。
しかしアキレスは暗黒騎士ではなく、ガイアの顔にちらりと目をやって。凛々しい声で告げていた。
「受けます。受けさせてください」
「そうか。ならばさっそくで済まないが三時間程度の警護を頼む。上のモノとの話があるので席を外したいのだ」
「構いませんが、こっちの魔猫の方も護衛対象なのですか?」
言ってアキレスは長身を屈め、鳥の巣頭ガイア嬢の足元で座っている黒猫の喉を指で撫でる。
「アキレス、あなた……この子が見えてるの?」
「は? 見えてるも何も、ここにいるじゃねえか」
訝しむアキレスの馬面を眺め、暗黒騎士が言う。
「なるほど。君はとても目が良い。アイディア判定……瞬間的な閃きともいえる観察眼のステータスに優れているのだろうな」
「はぁ……」
「分からぬか? この猫は本来ならば常人には見えてはいけない存在。四星獣の眷属、神が遣わせている使徒なのだよ。ようは、この猫が見えているならば文句なしの合格だ、君は護衛に向いている。偽装状態や隠匿状態の察知も可能な筈。そもそもだ。この猫が見えない原理としては不可視の猫、チェシャ属性ともいえる特異体質を有しているのだろうが――と、聞いているか?」
「はい! 聞いていますが、理解できていないだけです!」
胸を張って言う事じゃないでしょ……と、ガイアが呆れる中。
「ともあれだ――君は本来なら見えないモノを瞬時に察してしまったわけだ。それは有益な力となる。影に隠れている敵を発見する能力に長けているともいえるからな。期待しているぞ」
「クローディアさん、早く帰ってきてくださいね。この馬面ホースメンとずっと一緒ってのも疲れそうですし」
「ああ、少し話を聞くだけだからな――それではアキレス。何かあったらガイア嬢を抱えてでも逃げろ、全力でな。君は走りだけならば既にこの国の誰よりも優れている」
言って、暗黒騎士は本来ならば暗黒騎士では使えない転移魔術を発動させ、消えていく。
「……。って!? あの人、いきなり転移しやがったんだが!?」
「そうよ? クローディアさんは単独行動の時はああやって移動するけど、もしかして、あなたは使えないの?」
「おまえは使えるのかよ、鳥の巣頭」
「バカ言わないで頂戴、使えるわけないでしょう? 言っておくけどあたし、職人技能以外のステータスは滅茶苦茶低いわよ?」
「だよなぁ、安心したぜ。これであんな転移魔術が使えますってなったら、オレ、かなりショックだし。てか、あの人、何者なんだ。あんな魔術、無詠唱で発動できるなんてどう考えても普通じゃねえぞ」
「そうなの? まあ、なんか翳がある美人さんだったけど……」
美人と聞き、馬面の耳がピクり。
「クローディアさんの素顔を見たことあるのか?」
「あ……。ごめん内緒にしておいて。まあ、あなたは吹聴して回るタイプじゃないからいいだろうけど、本当に美人な人よ。なんというか、どこかの貴族のご令嬢って感じの、あたしとは正反対のね」
「なんだ、鳥の巣頭。まだ自分の容姿を気にしてんのか?」
「ちょっと頭をワシャワシャしないで頂戴!」
ニハハハハっと歯を覗かせ笑うアキレスが言う。
「まあ、そのなんだ。安心したぜ。どうやら、吹っ切れてるみたいだな」
「吹っ切れた……って、ああそういうこと」
二人の中では、共に草原を走った一人の少女の、はつらつとした顔が浮かんでいるのだろう。同時に草と土の匂いが思い出されたのか、アキレスは大人になった指で鼻を啜り。
ぐっと奥歯を噛み締めていた。
「カチュアを守れなくて……、すまなかったな」
「仕方ないわよ。あなたは別の部署に配属される予定で、そっちの宿舎にいたんでしょう?」
「それでも、もっと早く、今みたいに走れていたら――間に合ったかもしれねえって、どうしても思っちまってな」
「考えてもキリがないわ。どれだけ急いでも間に合わないことっていうのはあるわ」
眉を下げて、ガイアが足元の猫の頭を撫でる。
ふわふわな黒猫は獣毛を靡かせ、少女の小さい手の中で嬉しそうに喉を鳴らしている。アキレスはふと、その黒猫を見てこう思っていた。
まるで、あいつにそっくりだと。
アキレスは黒猫に手を伸ばし、その頭を撫でようとして。
ベチ!
何故か黒猫に手をはたき落とされる。そのままツンと気丈そうな顔を尖らせ、黒猫は工房の奥へと去っていく。黒く靡く尻尾も、まるでポニーテールのようにみえる。
「……。マジであいつにそっくりだな、あの猫」
「ぷぷぷ、そういえばあなた。あたしにやるみたいにカチュアの頭をワシャワシャしようとして、こうやって叩かれてたわね」
「やっぱり、嫌われてたんかねえ。オレは――」
きまり悪そうに叩かれた大きな手を振るアキレスに、ガイアは驚きを隠せぬと言った顔で。
「え? あなたそれ、マジで言ってるの……?」
「なんだ、鳥の巣頭。朴念仁でも見る顔で――」
うわぁ……マジかぁと、言わんばかりに顏を顰めた後。
少女は空気を切り替え言う。
「――……ところで、あなた本当にちゃんとあたしの護衛ができるの? こう見えて、あたし、本当に弱いから。ちょっと敵に襲われただけでアウトよ?」
「いや、胸を張って自慢げに言う事じゃねえだろう……」
アキレスは少女のボサボサ頭に手を乗せ。
おどけた顔や口調ではなく、一人の戦士としての精悍な顔立ちで告げる。
「守ってやるさ。今度は絶対に間に合うように――もっと早く走れるように。その一心で、オレは早くなった。自慢じゃねえが、本当に足の速さなら誰にも負けない自信があるんだぜ?」
「あなた、昔から大げさだし……どうだかねえ」
「心配するな。これだけは本当だ。オレは――もう決めたんだ。速度だけなら誰にも負けねえ。おまえさんがどこにいても駆けつけて、担いで走って、どこまでも逃げてやるさ」
太陽の下で、少年だった青年は言った。
「もう誰かを守れなかった思いをするのは、嫌だからな」
「そう――同感ね。あたしも、誰かを守りたいと願う誰かのために。一生懸命、防具を作ることを誓ったの……。あたしの防具が誰かを守る誰かの力になってくれるなら、そのために今、あたしはここにいるのよ」
互いに大人びた声だった。
子どもの頃、隣村の孤児院同士の交流会で遊んでいた、あの時とは違う成長した声だった。もうあの日には戻れない。大事な一人が欠けてしまった。守れなかった無力感を二度と感じないためにも、少年少女だった彼らは立ち上がっている。
アキレスは思う。
こいつも成長しているんだな、と。
観察眼に優れたアキレスの瞳には、少女だったガイアの背が、前よりも伸びていることを正確に捉えていた。いつも交流会の時は揶揄っていた。ガイアは他の子よりも発育が悪く、少し要領も悪く、ガキ大将に近かった自分がいてやらないと、すぐに虐められそうになっていたから。
昔から目が離せなかったのだ。今だってそうだった。アキレスにとってガイアはチビでガキンチョで、だからこそ守ってやらなくてはと思える存在だった。過保護すぎる男を、カチュアはいつも呆れた顔で眺めていた。ガイアの方はきっと守られているなんて自覚はなく、いつも揶揄ってくる面倒な男の子としか思っていなかっただろう。ガイアの瞳には、いつも一人の少女。カチュアしか目に入っていなかったのだから仕方がない。
それがアキレスには少しだけ悔しかった。嫉妬していた。
もっと自分を見ろと、そう思ったことも何度かあった。
――きっと、こいつは分かってねえんだろうな。
と。
あの日の草原の香りを思い出しながら――、アキレスが言う。
「とはいっても、鳥の巣頭。おまえさんはまだ見習いみたいなもんなんだろう? 大丈夫なんか、おまえ。周りについていけなくて、昔みたいにキーキー唸ってるんじゃないだろうな?」
「そうね。まだ完ぺきとは言えないけど、先輩たちには色々と教えて貰ってなんとかやってるわ。あたしだって皆のために頑張りたいのよ」
前なら噛みついてきたような場面でも、少女は大人びた対応である。
アキレスの方が調子を崩され頬を掻き。
「つーかだ、おまえが機織り姫ってのが一番意味が分からねえんだよなあ。そりゃあ、昔はおまえに服を繕って貰ったりもしたけどよぉ。もしかして、本当の機織り姫は他にいて、本命が狙われないように囮にされてるんじゃねえか?」
「それならそれで構わないんだけどねえ」
「怒らねえのか?」
「だって、あたしが一番信じられないぐらいなんだし」
少女はふと考え。
「そうだ。護衛っていうのならあなたにも装備を作ってあげるわ。たぶん余った材料でできるから、上から文句も言われない筈よ」
「へえ、鳥の巣嬢ちゃんが実演してくれるのか。いいねえ、作ってくれよ。機織り姫の装備は高いからなあ、オレの給金じゃあたぶん一生買えねえし」
「了解。あなたは……ストライダーね。うっわ、レア職業だなんて、生意気じゃない」
「生意気な嬢ちゃんに生意気って言われてもなあ。まあ、頼むわ。オレをめちゃくちゃ格好よくしてくれよ?」
ニハハハハっと笑顔を見せる幼馴染に、ガイアも空気をやわらげた。
アキレスはその時、本当に何の気なしに言っただけだった。子どもの時に皆に配っていた、小さな御守りのようなモノでも作ってくれるのだろう。そう思った程度だった。
しかし――。
少女が作業台に向かった時。
その思考は一変する。この護衛の意味も、重要性もすぐに理解することになった。




