第081話、終焉スキル《オワリのハタオリ》【戦力増強特区】
【SIDE:レイニザード工房】
気まぐれなる四星獣から齎された慈悲。
羊の策謀は着実にレイニザード帝国に広がっていた。
神の領域に届くとされる鍛冶の達人が見つかったのは、先週の話。神域の魔術書を解読する新人考古学者が見つかったのは、その三日前。既に神域の聖剣や魔剣が生み出され、量産され始めている中。
剣聖や拳聖、大賢者などの高位職業の素質のある若者も発見された。
およそ一月で、帝国の戦力は跳ね上がっていた。
一度上昇の兆しが見えた効果は非常に大きかった、陽光皇帝とも称されるほどに神々しいザカール八世を御旗として、士気も大幅に向上している。
人々は太陽を見上げた。蹂躙されるだけの終わりではなく、前に向かって歩く未来を信じ始めているのだ。
そして今日もまた、羊の策謀が成就しようとしている。
場所はレイニザード帝国の職人区画。
饕餮ヒツジが新設した、旧人類の最後の砦として生み出された戦力増強特区。
その工房での出来事であった。
◇
「次――」
少女の声に――工房は騒然としている。
慌てて、他の職人が次の防具品のレシピを提出する。
神を降臨させたかのような瞳で、ボサボサの髪を魔力で膨らませるのは”名もなき村”から招集された少女。
ガイア=ルル=ガイア。
彼女は職人たちが使うアイテム生成用の魔力石に手を乗せ、その手の甲に浮かんだ聖痕を輝かせていたのだ。
聖印ともいえるその紋章を知らぬ者はいないだろう。遠征を繰り返し己自身も成長し、多くの新人英雄を生み出しているザカール八世、その胸の上に輝いている終焉皇帝の証と類似した、特異存在としての証。
ついさきほどまでは、ただの少女に見えただろう。
熟練の工房と職人たちの威圧感に気押され、怖気づいていた少女に見えただろう。
早く帰りたい、きっと誤解よ、そりゃあ子供たちの服は作れるけど――と、不満と愚痴をあらわにしていた素朴な少女はそこにいない。
新人とは思えぬほどの巧みな技量で、瞳を神々しく魔力で染めた少女の口が、動く。
「次――」
これは本来、新人への嫌がらせだった。才能を見いだされたらしい少女があまりにも田舎者で、生意気だった。口も悪いし目つきも悪い、だから先輩職人が無理難題を押し付けたのだ。それは発注書の束。王宮から依頼されていた、新人用の装備の数々。
もしかしたら裁縫系の装備ならできてしまうかもしれない、だから、先輩たちは嫌がらせに革装備の依頼も混ぜていた。
これで失敗させて、帰るならそれで終わり、成功させるならそれは腕がいい証拠。手のひらを返して歓迎会。明日から有能な新人として指導をすれば国のためになる。それに、才能がないのなら早く追い返した方が本人のためでもある。だから、嫌がらせと余興と、ほんの少しの親切心から少女はいきなり王宮からの依頼の束、その全てを押し付けられることになった。
少女自身もできないと思っていた。これが帰れる口実になるのなら、それでいいとも思った。
だから、作業台に向かってできません。
そういうつもりだったのだ。それに――孤児院という気を使う特殊な環境にいた少女には見えていた。”早く追い返した方が本人のためになる”、そういう言葉と行動の裏。厳しい優しさをみせた大人たちの、辛辣さの裏を読み取るだけの観察眼が備わっていたのだ。
ここには心の底からの悪人はいない。
もういない。もはや旧人類にそれほどの余裕はない。だから、少女は辛辣な先輩たちに気分を害したりはしない。
最後に失敗して、少女の冒険は終わり。その筈だった。
けれど――いざ作業台に座ったら。
こうなった。
淡々とアイテム生成を続ける彼女の背には、まるで女神のようなオーラが浮かんでいる。
それは全てが濃厚で繊細な魔力の渦。
少女は思う。
――なぜか、理解できる。と。
手が勝手に動く。いや、脳が理解をしている。
次々にレシピが頭に入り込んでくる。楽しいと感じていた。これは唯一、ガイアが得意としていた裁縫の延長。手先が器用な少女に手が届く領域で――。
作業台の上に魔力によって計算された図式、型、布地の強度、材質、ありとあらゆる要素を計算する魔術による式が展開されていた。足りない部分は錬金術のスキルを勝手に習得し、自動で発動する。材質が違うのならば、一度最小単位にまで下げて再構築、錬金術師の奥義とも言われる《天地創造》が習得される。
もはや誰もが思っただろう。
神の領域に届きうる人材が、また見つかったのだろう、と。
神がかり的な光景を見て、ようやく声を上げたのは護衛となっている暗黒騎士クローディアだった。
「どうやら、本物だったようだな――。護衛を厚くする必要があるだろう。工房長はどの者か?」
「はい騎士様――あっしでございますぜ」
言って前に出たのは曲がった腰と牡牛のツノ兜が特徴的な、声だけは若いが、かなり高齢のドワーフだった。
職人と言えばドワーフ、ドワーフと言えば職人。そう言われたのはもはや過去の話。多くのドワーフは亜人に近い性質からか、魔族の側に下っている。
角兜の下の影のような顔から、歯だけを白く輝かせるドワーフ工房長。
その大きな角兜に目をやって。暗黒騎士クローディアが、甲冑の下からわずかに低い声を漏らしていた。
「工房長。そなた、まだ健在であったのか……」
「はい? あっしは前線に立つこともありやせんし。街に魔物が湧いたら、即座に逃げやすからねえ。そりゃあそうでしょうよ」
「そう、だな――すまぬ。高齢な方だと聞いていたのでな。忘れてくれ」
「ああ、こんな爺が工房長で驚いたと。すいやせんねえ。それでもあっしは昔からこの辺りを取り仕切っておりまして、ええ、はい。自慢なんですがね? 歴史書に、あっしの名も刻まれておりやすんで。今度、見てやってくだせえな」
「そうか。善処しておく。皇帝命令だ――使えると判明した以上、正式にガイア=ルル=ガイアを工房に入れる、異論ないな?」
同じ装備を作ったとしても、職人の腕で性能に差が生じる。付属効果がその最たるものだろう。そしてガイア=ルル=ガイアが生み出している装備品に共通して発生しているのは、幸運補正。
昔は軽視されがちだった幸運だが、今ではかなり重要視されるステータスの一つ。
全ての判定、ダイスロールに影響を与える極めて重要なステータスだとされている。どれほどに強くなろうとも、運が悪いとどうしようもない。逆に多少劣っていても、運さえよければその差を覆せるからだろう。問題は、幸運を補う装備は作ろうとしても作れない事。そして、どれほどに鍛えようとしても鍛えられない分野であることだろう。
しかし。
この少女が生み出す装備には全て、最上級の幸運補正が追加されている。
これを認められない職人は、ただの無能だと分かる。だから、誰も反対しない。むしろ、急ぎガイア=ルル=ガイアの専用室を作り出すべきだろうと、先達たちは既に迅速に動いていた。
当然、ドワーフ工房長も騎士の問いに頷いていた。
「それにしてもですよ、騎士の姉御。こりゃあいったい――なんの冗談なんさね。あっしも六百年ぐらい生きておりますが、こんな現象は初めてでさぁ。この嬢ちゃん、あっしよりも腕が上ですぜ。間違いなく」
暗黒騎士クローディアは魔道具を用いず鑑定の魔術を発動させる。
それ自体がかなりの高等技術。そんな最上位暗黒騎士が護衛についている理由を、他の職人も理解しているので大した騒ぎにはなっていないが。
「”トランス状態”。極度の集中状態、いわゆるゾーンに入り込んでいるようだな。スキル名は《終焉ノ機織》。あの手の紋章、聖痕は分かるだろう?」
「ええ、ありゃあザカール坊主と同じ……」
「ああ――おそらく終焉皇帝ザカールと同系統、終わる直前の旧人類に与えられた特殊な補正。盤上遊戯の終盤、敗者側がゲームに逆転できるために仕掛けられた特殊な駒の発生。それがあの聖痕”終焉スキル”のカテゴリーなのだろう。ガイア=ルル=ガイアはその特殊な駒として覚醒したのだろうな」
ドワーフ工房長が悪い顔をして言う。
「なるほどなるほど。あの羊様が言っていた通りになってますわな、こりゃあ、本当に人間も分からなくなってきやしたね」
「饕餮ヒツジか……はて、あの者もどこまで信用していいものか」
「おや、騎士様はあの方がお嫌いで?」
「嫌いかどうかという問題ではない。そなたも六百年近く生きているのなら知っているだろう。あれは当時の自由都市スクルザード崩壊の因となったダンジョン塔の悪魔。魔王誕生のきっかけともなった、智謀の獣。その御霊が神に召し上げられ饕餮へと進化した姿だ。腹の内では、何を企んでいるやら」
工房長の、角兜の下の口が蠢く。
「おんや、当時を知っているとなると騎士様も異形種や、あっしと同じくドワーフやらエルフやらで?」
「まあ……近いものだ」
「お聞きしても?」
「余計な詮索はせぬことだ――」
冷たくあしらい暗黒騎士は言う。
「ともあれだ。聖痕が浮かんだものの周囲には、なにやら不穏な影が付いて回っているという。わたしも護衛に集中するし増員を要請する、工房側でも細心の注意を払っておくように――頼むぞ」
「かまいませんが――影とおっしゃいますと、塔からの魔物ですかい? たまに街に湧いて暴れる、あの」
「さあ、どうだろうな――」
この盤上世界には異物が入り込んでいる。
彼女は既に人ならざる存在なのだろうか――暗黒騎士は工房を囲う気配に気が付いていた。
まだ仕掛けてくる気配はない。
ただの様子見だろう。
しかし――油断はできない。戦力が増しているとはいえ、まだ人間は絶滅寸前だという事実に変わりはない。
クローディアが守れる数には限界がある。
どれほどの命が守れるのか、分からない。そして、その命に優先順位をつけなくてはいけない。
ガイア=ルル=ガイアはおそらく、他の大を切ってでも救わなくてはならない存在になるだろう。
「すまぬが、工房長よ」
「へいへい、伊達に歳はとっておりませんからね――言いたいことは分かっておりますよ。優先させるのは嬢ちゃんの命、そういうことでありましょう?」
「すまぬ。人の命の重さを決めなくてはならないとは――少々悲しいな」
これほどの腕を見せられたら――他の職人も既に心は決まっているのだろう。
二人の会話で、自分たちが置かれている状況を理解したようだった。
有事の際は、命を盾にしてでもこの新人を守れ――そういう暗黙の了解が生まれていた。
全ては人間という種族が生き残るため。
旧人類と呼ばれ。
種の存続が危うくなってようやく生まれた結束は、強固だった――。




