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第079話、太陽の芽生え【名もなき村】


 【SIDE:ボサボサ少女ガイア】


 帰還には丸二日かかっていた。

 ここは真樹の森の近くの名もなき村。両親を失ったガイアが拾われた村。故郷ともいえる優しく温かい村。

 けれど、今日はなぜだかとても寒い。パラパラパラと音が鳴っている。雨だろう。

 ガイアは薄い毛布をかぶって、頬を濡らしていた。壁の隙間から流れ込んでくる冷たい風が、薄い毛布ごしに肌を刺す。


 あの日――あっさりと戦死してしまった友人。

 カチュアの遺品と共に村へと帰還したガイアは、まっすぐに彼女の両親の家へと向かった。当時のログと遺品、そして戦死者の遺族に与えられる僅かな金を手渡し、少女は言葉少なに帰宅した。

 膝から崩れ落ちる友の家族、幼いころから知っていたカチュアの母親、はつらつで愛らしい娘を愛していた母親の泣く姿を見ていることが、できなかったのである。


 剣士宿舎から発見されたログには、ほぼ全ての状況が刻まれている。そこには最後まで街の人を守り戦死した、勇敢な新米剣士の姿がありありと浮かんでいたのだろう。ガイアが過ごす孤児院、その薄い木材の壁のせいか――おそらくカチュアの妹の前で泣くことを避けた、号泣するカチュアの父の咽ぶ泣く声が届いていた。

 雨風で鳴く真樹の森、全てを包むようなその音が本来なら、強き父親の号泣を隠してくれるのだろう。


 だが――ガイアは昔から耳が良かった。そもそも両親を魔物に殺された時の彼女が生き残ったのも、その耳の良さのおかげだった。

 いや。

 彼女自身はこう思っているだろう。

 耳が良かったせいで、一緒に死ねなかったのだろう――と。


「また、あたしの方が生き残っちゃったのね……」


 どうして、どうして……だい。と、鬱蒼とした森の音に乗った、あの子の父の声がする。

 誰にも聞かれていないと思い泣く、大人の声がする。

 普段はけして泣かない人の、隠れて咽び泣く声がガイアの脳を揺すっている。愛されていた友人を思うと、腫れた目尻を何度拭っても、また濡れてしまう。

 だからガイアはボサボサの髪の横。耳を塞いで毛布に潜る。それでも、あの子の家族の悲鳴が聞こえてくる。


 そんな彼女には、部屋に引きこもっている自分の寝床に迫ってくる足音も聞こえていた。帰還してから顔を見せない自分を心配しているとはわかっている。だから涙を拭って、唯一得意とする涙消しの魔術を発動していた。

 詠唱も間に合った。腫れた目尻も魔術によって、元の目つきの悪い少女に戻る。


 薄い扉を叩く音がする。やはり誰か来た。

 孤児院に暮らす、ガイアにとっては血の繋がっていない弟のような少年だった。歳は十歳。早く大人になりたいと言っている通り、すこしマセた孤児仲間だった。


 少年が毛布に包まるガイアに言う。


「ガイア姉ちゃん。ちょっといいか?」

「なに……?」

「ああ、神父様がご飯だけでも持って行ってあげなさいって……だから来てやったんだが。あのさあ。なにかあったの?」


 そりゃそうだわね、とガイアは思う。

 昨日の今日だ。知っているのは村長様と神父様と、カチュアの家族だけ。少年もあの子とは仲が良かった。カチュアは良い子だったから、よく孤児院の子どもの世話に来てくれていたのだ。それは本来ならガイアだけでやらないといけない仕事だったのに、あの子は文句言わずに手伝ってくれていた。

 まさに、太陽みたいな子だった。

 そんな子の死を、もう一度自分の口から伝えることは――あまりにも辛くてできなかった。


 村長様に、神父様に……事情を伝えるだけでもう心は限界だったのだ。

 だから背を向けた。


「ごめん言いたくないの。たぶん夜には村長様から発表されるだろうから、それを聞いて」


 けれど少年は勘違いをしている。

 おそらく、役立たずだと追い返されて落ち込んでいると思っているのだ。なぜならガイアは暗黒騎士になるんだと胸を張っていたくせに、すぐに帰ってきたのだから。

 姉と慕うガイアの背に向かい少年が言う。


「べ、別にいいじゃんか! そこまで落ち込むなって! 姉ちゃんらしくねえって。やっぱり戦う才能がないって追い返されただけだろ。みんな分かってるって」


 そう、それだけなら良かったのだ。

 落ち込んだりなどしない。


「ごめん、今は独りにして」

「なんだよ! せっかく心配してご飯をもってきてやったのにっ」


 弟分を怒らせた。けれど、今はどうでもいい。


「うるさいわねぇ。そうよ、全部あたしが悪いの」

「はぁ、だからカチュア姉ちゃんにだって心配されるんだっての。あーあ、帰ってきてくれたのがカチュア姉ちゃんだったら良かったのに」


 ボサボサの髪を乗せる背が、揺れた。

 とても大事な友達の名なのに、今は一番聞きたくない名前だった。


「分かった分かった! じゃあ神父様にお願いして、カチュア姉ちゃんにメッセージ魔術を……」

「いい加減にして!」


 怒声が口を伝っていた。

 集団生活を送る孤児院。子どもたちは子どもでありながらも、心の機微に敏感だ。


「ガイア姉ちゃん? 本当に、なにかあったのかよ」

「なにがじゃないわよっ。カチュアは、あの子はもういないの! メッセージなんて、送れないの! あの子はっ、あの子は……――うぅあぁああああああああっぁぁぁあっ……」


 どれほどにドジで間抜けで失敗ばかりの姉貴分でも、ガイアはいつでも元気だった。

 ガミガミ、がるるると大人にだって吠えて食らいついていた。そんな姉が今まで見せたことのない姿で号泣している。幼い子どもであっても、何があったのかを理解したのだろう。

 少なくともカチュアは死んだのだろう、と。

 それほどに旧人類にとっては死は身近。真樹の森に守られ生き延びただけの北の世界の現実だった。


 少年が言う。


「悪い……知らなかったんだ」

「っぐ……ぅぅああぁぁぁ………っ」


 ショックを受けているのは少年も同じ。けれど、彼は姉貴分を気遣い謝罪をしている。

 声がでなかった。


「ご飯置いとくから、ちゃんと食べろよ――ガキどもの世話は、今日はオレがしとくから」

「あんただって……ガキじゃないっ」

「そうだよ。だからガキでもできることをするんだよ」


 弟分が扉を閉め立ち去る。しばらくしてから――ずずっと、少年の鼻を啜る音が届く。けれどすぐに涙消しの魔術を詠唱していた。孤児院の子どもが最初に覚える魔術は大抵これなのだと、いつか神父様は悲しそうにそう呟いていたことがあった。

 少年も泣いていた。

 それが少しだけ、ガイアの心を落ち着かせる。


 少女は思いを口にしていた。


「あとであの子に謝らないとね……義理とはいえ、お姉ちゃんなんだし」


 徴兵から帰還したばかりだから誰も何も言わないが、このまま引きこもっているわけにはいかない。それでも今日だけは許してくれるだろうと、枕に顏を押し付ける。

 枕は太陽の匂いを吸っていた。


 誰か、この世界を救ってくれないかしら。

 力のないガイアはそう思う事しかできなかった。


 ◇


 そのまま眠ってしまったのだろう。

 目覚めると暗闇。既に周囲は暗くなっていた。いつもなら隙間風のせいで冷えるのだが、不思議と寒くない。毛布の上に何かが乗っている。訝しながらもガイアは初心者でもできる照明用魔術で、ランプに火をつけた。

 暗闇の中に、ナニかが浮かび上がってくる。


「え、なに……?」


 そこにいたのは、ふわふわな魔獣。

 起き上がったガイアは腫れた瞼を擦りながら、それを見る。

 まるでカチュアのような綺麗な黒い毛並みの、猫がそこにいた。


「猫? 魔猫よね……、真樹の森の守り神とは違うみたいだけど……」

『にゃー』

「にゃーじゃないわよ。あんた、どこから入り込んできたのよ。たぶん真樹の森に棲んでる魔猫よね――悪いんだけど、帰って貰える? 真珠の森の猫には絶対に手を出しちゃいけない、怒らせてはいけないって村の掟なんだから……って、聞いてないわね……」


 ネコはくわぁぁぁぁっと欠伸をするように身体を伸ばし、寝具から飛び降りトコトコトコ。

 カリカリカリと、黒いネコは木製チェストを爪でひっかいている。

 足をぐぐぐっと伸ばし、長い胴体を伸ばし――黒猫はまるで太陽のような笑顔で振り返り。


『にゃー』

「もう……なんなのよ。そこには食料なんて入ってないわよ。あるのは――……」

『ニャーニャー』


 知っているわよ。

 そんな顔で黒猫はふふんとガイアの顔に向かってまた鳴いた。

 そのままトコトコと足元まで戻ってきて――標的を目掛けて腰をわずかに振り。ジャンプ。そのモフモフなお腹が、ガイアの視界の間近に迫る。


「きゃ! ちょっと! いきなり飛びつかないで頂戴!」


 抗議をしても気にせず、黒猫はガイアの頬に額をこすりつけ。

 ゴロゴロゴロ。我が物顔で自分のモフ毛をこすりつけ続ける。

 その直後だった、狭い廊下を走る音が響く。

 子どもの足音、弟分の少年だろう。そのまま許可を得ずに扉を開けて――血相を変えて叫んでいた。


「ガイア姉ちゃん!? 今の悲鳴は!」

「なんでもないわ。ちょっと驚いただけだってば――なんか真樹の森から魔猫が紛れ込んできたみたいで……」


 少年は部屋を見渡し。

 まだダメそうかと、同情するような瞳でガイアを眺め。


「はぁ? 何言ってるんだよ。何もいねえじゃねえか」

「はあぁあああぁっぁ!? この図々しいネコが見えな――」


 少年の言葉の通り、そこに黒猫などいなかった。

 それもそうだ。真樹の森から魔猫がやってくるなど滅多にない。


「ごめん、寝ぼけてたみたいね」

「まあいいけどさ。んな幻覚を見るぐらいじゃ、まだ無理そうだな」

「はぁぁぁぁ!? なにが無理なのよ? 無理だって勝手に決めつけないで欲しいんですけど?」


 少年の瞳がわずかに揺らぐ。

 そこにはいつもの姉貴分、口の悪い姉のガイアがいたからだろう。


「んだよ、心配して損したぜ。大丈夫そうなら、その、なんだ。安心した」

「で? まだ無理そうってのは?」

「あ、ああ。まあ急がないんだけどよぉ。神父様が……その、できたらガキどもの服を直しておいてくれないかって。ほら、姉ちゃん手先だけは器用だろ? 姉ちゃんぐらいの皆が徴兵されてるから手が足りねえんだって」


 裁縫か……と、ガイアは息を吐く。

 たしかに、手先だけは本当に器用だ。昔はよくカチュアの服も繕っていた。そう、あの木製チェストの中に当時何度も使った裁縫道具と、布を紡ぐ魔力石が入っている。


「分かったわ。やっておくって神父様に言っておいて。えーと、直す必要のある服は――」

「集会場にある筈だけど。本当に大丈夫なのか?」

「ええ。ちょっと色々とあったし、あたしにできる仕事をしている方が気も紛れるだろうし。明日の朝までにやっておくわ。その、さっきはありがとう。それと……ごめんなさい。せっかく気を使ってくれていたのに、大きな声を出して」


 素直に謝罪と感謝を告げる姉貴分に、少年は少しだけ頬を赤らめ走るように部屋を去った。


「なによ、変な子ね。このあたしがせっかく謝ってやったっていうのに」


 言って、少女は毛布から抜け出し――木製チェストに手を伸ばした。

 中を開けると、そこにはモフモフ。

 狭い木製の空間にびっしりと詰まった黒猫がドヤ顔をしている。


「あなた、この中で寝たいだけだったのね……」

『ニャー』

「って、ついてくる気なの? もう、これ……幻覚だったとしたら、あたし、もうヤバいんじゃない……?」


 ニャーと鳴く猫の下から裁縫道具を取り出し、少女は集会場へと向かった。

 黒猫は少女の後に続く。

 夜の集会場は静まり返っていた。


 そこには宝箱代わりの多くのチェストが並んでいる。


「最悪、どれがウチの孤児院の服なのか聞き忘れたし――」


 まあ、全部直せばいいか、少女は黒猫の背を撫でる。

 どうせ眠れないだろうし――と。

 悲しい事を一時忘れるために、少女は意識を集中させた。


 ◇


 その日、村人は幽霊を見たという。

 それは戦死したはずの黒髪の少女カチュアと、その亡霊と歩く裁縫道具を抱いた少女。

 目撃者は語った。

 誰もいない筈の夜の集会場にて、浮かせたボサボサの髪いっぱいに魔力を這わせ、瞳を神秘的な色に染めたナニかがまるでトランス……神を降ろしたような状態で、淡々と魔力石を動かしていたというのだ。


 名もなき村の集会場に保管されていた秘宝。

 もはや誰も直せぬからとぞんざいな扱いになっていた装備。

 バラの花のように繊細な防具、《朱雀羽の(ポエニクス・)紅聖衣(スカーレット)》が修繕されたとレイニザード帝国の王宮に連絡が届いたのは、そのしばらく後の出来事だった。



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