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第078話、太陽が沈んだ日【レイニザード帝国首都】


 【SIDE:ボサボサ少女ガイア】


 黄昏が夜の始まりを告げる夕刻。オレンジ色の景色の中。

 レイニザード帝国のダンジョン塔、その入り口を死守する封印の扉が開かれていた。

 そこにいたのは終焉皇帝ザカール八世とその供となっていた者達、経験値遠征からの帰還である。


 騎馬騎士となっているザカール八世が出迎えた民や臣下たちに手を上げ、健在と、終焉皇帝としての心の余裕をアピールするように微笑みかける。新しき皇帝は、この追い詰められた状況でも微笑んでいる。その威厳も美貌もまさに英雄の偶像、まるで全てを正しく導く、神話から飛び出してきたような偉大なる皇帝の姿だった。

 皇帝の騎馬の後ろには、今回の冒険で成長した若者たちが自信に満ちた表情で続く。


 民たちも臣下たちもこの経験値稼ぎの意図は把握している。

 ザカール八世自らが出向き、入り口に迫ってきている強力な魔物を退治してくれた事も知っている。目前まで迫る脅威を倒し、街の安全を確保しつつ新人兵士の教育を行っている。なんて頼りになる陛下だ。まだ皇位を継いだばかりなのに、もはやそのカリスマに惹かれぬ者はいない。

 これからそんな偉大な陛下の役に立つのだ。

 新人兵士たちは皆、そう思ったことだろう。


 胸の上の聖痕イコンを輝かせ、黄昏を背にザカール八世が告げる。


「此度の遠征は実に有意義であった! 既に配属先は発表されているだろうが、今宵から明日にかけて、正式な魔術メッセージにて契約魔術が発動される。疲れがたまっていることは重々承知しているが、国の力となってくれるものは同意をしてくれると大変心強い。そのまま兵士となるモノは明日からの配属となろう! すまぬが、貴公らの力を余に貸してくれ! 我らレイニザード帝国には、汝らの力が必要なのだ!」


 それはまるで終わる筈だった世界を照らす陽光。希望そのもの。

 未来を示す陛下の言葉に起こるのは、拍手喝采。終焉皇帝は解散を宣言し――新人たちは明日に向かって、帰路に就く。


 それぞれに結果を出し、あるいは出せずに終わった一日の冒険の終わり。彼らはこれから成長に応じ、それぞれに才能を見いだされた場所へと配属される。

 たとえば一番の剛力だった女性はそのまま突撃部隊へ。一番の俊敏性を誇った男性は遊撃隊へ。体力と奇跡の御手に優れた信心深い少年は聖騎士見習いとして、それぞれ新たな人生を歩むことになる。適材適所。皆が皆、新たな自分の才覚に心を躍らせる。


 だが、何事にも例外はある。その帰路の群れの中にいた目つきの悪い女性村人、ガイア=ルル=ガイアもその例外の一人だった。

 ガイアは徴兵されたばかりの新人。歳は親を失っているので不明。けれど体つきが少女から女性になり始めたことから、十六前後ではないかと言われている。兜を脱ぎ捨て、鎧を返却しボサボサの髪をふぁさりと揺らした少女ガイアは、上司に向かって告げていた。


「もう! これで分かったでしょう! だからあたしなんて徴兵しても意味なかったって!」


 ガルルルルっと唸るガイアに、上司の、この国では珍しい女性暗黒騎士も苦笑する。


「ああ、だが才能を見いだすこの遠征の意図は君も理解していただろう? 君は、その……戦いの才能が皆無だったが、な、なんというかだ、君のお友達はみんな合格していただろうし。いや、違うな。すまない、わたしはこういう時、どう慰めたらいいかあまり分からない性分でな」

「わかってるわよ! 支離滅裂な慰めは却って相手を傷つけることがあるって、知ってます!?」


 キツイ瞳の少女のジト目に、上司は甲冑兜の下で反響する声を出す。


「そ、そうだな。すまん。君ほどなんの戦闘センスもない子は初めてで……いや、しかしだ、戦闘センスがないといっても人間として劣っているわけではないわけだから、君が悔やむこともないわけでだな」

「その不器用な慰めが気に入らないって言ってるんです! どおぉぉぉぉぉせあたしは役立たずですよ! だから来たくないって言ったのにっ! これなら皆のためにイモの一つでも蒸かしている方が貢献できたはずよ!」


 背中まで伸びるボサボサの髪を逆立て、目つきの悪い顔を尖らせる少女に女性暗黒騎士も、あはははは……と笑顔でその場を濁すしかなかった。そう。本当に目つきの悪い少女ガイアには、戦いの才能もセンスもなかった。半日ほどの遠征、早朝の六時にダンジョンに入り十二時間の戦いの中。彼女が転んだ回数は八回、味方にうっかり投擲武器を当ててしまったのは五回、支給されている昼食をうっかりとダンジョン崖の下に落とし、奥から魔物を呼んでしまったのもダメだった。

 ザカール八世陛下は敵の急襲への対応の訓練になると、皆を鼓舞しその場を乗り切ったが。

 今回の経験値遠征に参加したモノ全員が思っただろう。


 こいつに戦いは無理だろ、と。

 それでも蔑みや罵倒はなく、お前が戦えない分まで俺たちが頑張るからと士気が向上しているのだから、人間は大きく成長している。そして――ガイアのおかげか、今回の遠征はある意味で大成功を収めていた。あまりにもダメな少女がいたおかげで、皆の心が落ち着き、新人のプレッシャーも減っていた。新人たちは委縮することなく、その戦闘訓練を積むことに成功していたのである。

 上司の女性暗黒騎士が言う。


「まあ、たしかに。君はおそらく、二度と徴兵はされないだろうな」

「当然よ」

「まったく、胸を張って威張ることじゃないだろう。これからの戦いは我らに任せよ、村に戻った後で辞令が発表される。おそらくは、王宮やギルドや街での後方支援の仕事に回されるはずだ。今日一日、ご苦労だった。賃金を受け取り帰還してくれ。訓練に参加してくれた、それだけでも君は頑張った。その事実だけは忘れぬように」


 それではな――と、女性上司は王宮へと戻っていく。

 英雄と呼ばれる者の中に紛れても、劣らぬ気丈さと強さを見せる女性暗黒騎士。その背を眺めて少女ガイアは思う。

 少しだけああいう女性騎士に憧れがあったのだ。もしかしたら自分も今回の遠征で、ああなれるかもしれない。そんな少女らしい憧れである。


「ま、あたしはああいう人にはなれないわよねえ」


 少しだけ、期待していたのだ。

 この遠征で才覚を見出された者は多い。隣町の孤児仲間アキレスだって足の速さの才に目覚めた。いつも偉そうにしていたアンダンテだって魔術の才能に目覚めた。一番の友人の幼馴染カチュアなど、新人の誰よりも優れた剣の才能を覚醒させた。けれど自分は?

 ただ足を引っ張っただけ。


 民を思う陛下は、気にするなと涼しげに微笑していたが……。

 周りがどれほど気を使ってくれても、人の良い陛下が本当に気にしていないと明言していても。やらかした本人にとっては、気にしないことなどできないわけで。

 ガシガシガシっとボサボサの髪に指を突き入れ少女は唸る。


「あぁあああああああぁぁぁぁぁ! もう、やめやめやめ!」


 今日一日は用意されている街の宿屋で一泊し、明日にはとっとと村へと帰ろう。

 そう思い歩く彼女の背に、同じ村や近隣の村からやってきた同輩の声が届く。


「あれ? 失敗ボサボサ娘のガイアじゃねえか?」

「一人だけ配属が決まってないんだって? まあガッカリするなよ。陛下と共にダンジョンで敵を倒せて、いい思い出になったじゃねえか」

「足手まといだったのは確かだから、仕方ねえだろう。なに、俺たちがちゃんとおまえの分まで頑張るからよ! おとなしく待ってろって」

「あんたが良い娘だってのは知ってるし、友達としては過ごしやすいけどさ。悪いんだが、一緒に戦うとなると……ね?」


 彼らの言葉に蔑みはない。

 本当に、心から思っているのだ。あんたの分まで頑張ってくると。それが分かっているからこそ、少女ガイアは唇をぎゅっと噛み締める。

 その背をボサボサの髪ごと叩いたのは、同じ村の友人カチュアだった。


「カチュアね!? いきなり叩かないでよ!」

「はははは、ごめんごめん。あんた、やっぱりダメだったんだって?」

「その通りよ、ご覧の通りよ、あなたの予想通りよ!」


 ガルルルっと唸るボサボサ少女ガイアに、剣士としての道を見つけたカチュアがポニーテールを揺らし。


「でもさあ、わたしはこれでいいと思うよ? ガイアさあ、あんた料理もできるし、ほら! 手先も器用じゃない? ただ戦いの才能がなかったってだけで、あんたの人格の全てが否定されるわけじゃないでしょう? そりゃあまあ落ち込むなとは言わないけどさあ」

「そうなんだけど――あたし……ね? 村の人たちにね? 自信満々に言っちゃったのよねえ。絶対エリート暗黒騎士になってやるって……」


 幼馴染にとって、その現場を想像する事など容易かったのだろう。


「あぁ、あんた……見栄っ張りだもんねえ。言っちゃったかあ」


 うんうんと友人は頷き、そのまま言葉をつづける。


「それでもさガイア――たぶん、あんたが帰ってきたら村のみんなはきっと安心するよ。だって、目つきが悪くって性格もちょっと悪くって、全然素直じゃないあんただけど――わたしは知ってるのよ。お父さんとお母さんを亡くして泣いていたことも、毎日ちゃんと早起きして村の皆のご飯を作っていたことも。一生懸命、生きようとしてるって事をさ」

「え、なに……あなた、あたしのストーカーだったの?」


 うわぁ……と引くガイアに、カチュアは言う。


「違うわよ。わたしだけじゃなくて皆が、あんたが良い子だって知ってるって事。あんたが帰ってくれば、ああ、やっぱり駄目だったかって笑いながら歓迎してくれるって」

「でも、なんかさあ。あたしだけ……、あたしだけ皆のために動けないで逃げるみたいで。ちょっと、ね」

「大丈夫よ! あんたの分まで、わたしが英雄になってやるんだから! イモを蒸かして、村で待ってなさいって!」


 言って友人は、太陽のような笑顔を見せた。

 そのまま彼女は配属先に挨拶に行くと、希望に向かって走っていく。宿から宿舎に私物を送る手続きをするのだろう――最後に友人は振り返り。「ちゃんと良い男を見つけて、結婚するのよ」と、冗談を言い手を振っていた。

 ガイアはバーカと笑って、一人だけの道を歩いた。


 彼らに任せて村に帰ろう。

 そう心を落ち着かせた彼女がカチュアの戦死を知ったのは、翌朝の事だった。


 ◇


 葬儀は聖職者の祈りによって簡素に行われた。

 友人の配属先。剣士宿舎が魔物に襲われ半壊したのだ。

 ダンジョン塔からの侵攻が入り口である下層まで及んでいる影響で、不意に野良魔物が街に沸くことがある。最後の防衛線ともいえるこのレイニザード帝国ではこれもよくある死だと、目つきの悪い少女ガイアも知っていた。


 湧いた野良魔物を葬ったのは、例の女性上司の暗黒騎士。

 駆け付けたのは迅速だったが、それでも何人かの剣士は殺されてしまった。ガイアの友人は住人を守ろうと最後の最後まで勇敢に戦ったと、彼女の死を看取った剣士は言っていた。


 部隊表に死亡と記して回っている剣士が言う。


「我々では顔の区別がつかなくて……この子で、あっているかい?」

「はい……カチュア本人です」

「そうか――すまなかったね」

「いえ――」


 カチュアの名に、線が引かれる。

 死亡確認の証である。


 並ぶ棺を眺め、眠るように死んでいる友を見て。

 少女ガイアは思う。

 ああ、なんであたしはこんなに役立たずなのだろうと。


 ザカール八世。終焉皇帝との遠征では皆が希望にあふれていた。それはかの皇帝がカリスマに溢れた、優秀な指導者だからだろう。けれど、その陽光が届かぬところでは――こうした現実で溢れている。人間は、旧人類。もはや滅びる前の灯火。

 つらい現実が、いつでも誰かの心を串刺しにしている。


 眠る友の冷たい頬を撫でて。

 自らが役立たずだと痛感する少女は言った。


「強く、なりたかったわ……。なんで、あたしは……っ、あなたの仇が討てないほどに、弱いのよ……っ」


 ガイアには戦いの才能がない。

 無力さに打ちひしがれながら、少女は友人の宿舎に向かった。遺品を家族に返却して欲しいと、そう頼まれたからである。

 宿舎につくと、そこには手紙が置かれていた。届け先から察するにおそらく両親に向けた、手紙だろう。内容は確認しなかった。けれど、きっとそれはこれからの明るい自分の未来を両親へと語り、心配しないでと報せる手紙だと読まずとも分かる。

 それほど一緒に過ごしていたのだ。


 まとめた荷物を運びながら宿舎の剣士が言う。


「それでは、悪いが――これを彼女のご両親に」

「はい……」


 本当によくある死なのだろう。

 空いた部屋には、もう次の荷物が送られてきている。

 お辞儀をし、少女は街を後にした。


 まだ日も明るい道。

 爽やかな太陽が泣き腫れた少女の頬を照らす。嫌味なくらいに明るい太陽だった。

 遺品を抱いて。

 少女は歩いた。

 無力さを噛み締め、村への道をただ歩くことしかできなかった。


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