第075話、四分の三の奇跡。【旧北砦:レイニザード帝国】
【SIDE:新皇帝レイニー=ザカール八世】
魔王が世界を統治し、五百年。
悍ましき魔族たちが住まう地より北部。
真樹の森という名の、最後の砦のおかげで人類が生存する北砦。かつて貴族社会の公国とされた北部国家も今は昔、一人の強大な君主が治める君主制の帝国へと変わっていた。
名をレイニザード帝国。
ダンジョン塔から降臨し地上を制圧した魔族が人類となった世界において、ひっそりと残った、人類最後の地の一つである。
初代皇帝は女性。
かつてモスマン帝国との戦いにおいて、最前線に立った聖騎士レインの末裔とされている。レイニザード帝国は初代皇帝の清廉な気質を引き継いでいたからだろう、その戦力は騎士や聖騎士、聖職者といった規律正しいとされる職業が多くを占めている。
聖なる気で満ちた早朝。かつて貴族が栄華を極めていたレイニザード帝国にて、また新たな歴史が刻まれようとしていた。
人類最後の砦。残り二本と言われるダンジョン塔からの襲撃に命を落とした皇帝ザカール七世、そのまだ未熟と言わざるを得ない子息に皇位が継承されていたのである。
主君を讃える剣を顔の前で掲げる聖騎士の列。
聖なる魔導書や、錫杖、高位神官の杖を胸の前に抱く聖職者の祈りの中。
儀式の間にて――彼もまた、天に祈りを捧げていた。
本日、二十歳となったばかりの青年ザカール八世である。
聖騎士レインの血筋を引き継ぐ彼は眉目秀麗。線が細く見えることがコンプレックスであるが、皇族としての威厳は及第点。高貴な雰囲気を纏った、長身痩躯の聖騎士である。
ただ、聖騎士であったのは昨日までの話か。
ザカール八世は、皇族聖騎士の鎧をがしゃりと揺らし、宣言する。
「戴冠の儀はこれにて終了した。是より、本日の目的である神との契約に移行する。皆、祈りを捧げよ――! 我が名はザカール。レイニー=ザカール八世。レイニザードの新たな覇者となる神のしもべである!」
まだ未熟な皇帝であるが、その皇位を認めている者は多い。
理由は単純にして明確。
もはや皇室の血を引く者は少なく、なおかつ、ザカール八世は常人では獲得できない、ある称号を習得していたからである。
その称号名は――。
《ラストエンペラー》。
旧人類最後の皇帝の証である。
その称号が刻まれたのは十五の誕生日。鎖骨の中央のわずか下に浮かんだ、魔力聖痕がきっかけであった。
特殊な称号の効果は全能力の大幅向上。そして、家臣とする者達全員の能力向上。背水の陣となった旧人類種に与えられた切り札。特殊な駒と言えるだろう。
それは皇帝の証にして、君主の印。カリスマを高め、統率の御旗にも使われる聖痕を目立たせるため――ザカール八世の鎧には聖痕を覗くことができる隙間が開いている。眉目秀麗だからこそ、不自然に肌を覗かせる鎧の隙間に違和感はないが、本人はあまり好いてはいなかった。
しかし、そうはいっていられない。
所詮、皇帝は国を動かすための見世物。客寄せとして使われる珍獣と同じ、お飾り。ならばせめて、自分のこの聖痕が臣下たちの士気を上げるならばと、甘んじて受け入れていたのである。
ザカール八世は空の棺からザカール七世の聖剣を取り出し。新皇帝を讃える聖騎士達と同じ仕草で剣を掲げる。
「今一度告げる、我が臣民。我が騎士、我が聖職者たちよ! 祈りを、神へと届く真なる祈りを、我が剣に!」
『陛下の剣に!』
『我らは神のしもべ!』
『人類最後の砦として、この命、全てを世界のために!』
それは旧人類の結束。
紛れもない真なる祈りと願い。
だからだろう、天が――揺れ、それは光と共に下賜されていた。
儀式が成功すれば、アイテムが天から贈与されるだろうとされていたが――実際に、今、天から光り輝く強大な書が舞い降りてきているのだ。
成功、だろう。
「陛下、これが――四星獣の力を宿せし、魔導書……なのでしょうか」
「おそらくな」
そう、ラストエンペラーとなったザカール八世の戴冠式。その聖なる祈りの力を、神器召喚の儀式に転用していたのである。この儀式の発案もザカール八世。後ろに撫でつけた金の髪が、聖なる魔力でより神々しく輝いてみえている。
誰もがこの瞬間、ザカール八世の手腕を認めていた。
それほどに、その魔導書の力が絶大だと、遠目で見ても理解できるからである。
儀式魔術名は、《絢爛四星降臨》の儀。
既に存在が確定した四星獣、その力を借り受けるための魔導書を召喚する国家規模の大魔術である。これが北砦に立てこもっている旧人類最後の希望だった。
レイニザード帝国の家臣たちの顔にあるのは、安堵。実際に儀式が成功するかどうかは、発動してみないと分からない状態だったからである。
ただ一つ、この儀式に問題があるとすれば……借り受ける力の先が、選べないという欠点。
四星獣の中からどれか一柱、ランダムでその力を宿した魔導書を召喚できることとなっている点であった。
儀式は成功したが、まだ安堵はできない。ザカール八世は怜悧な美貌を保ったまま、内心ではごくりと息を呑んでいた。
ドクンドクンと音が鳴る。
どうしても緊張が胸をはやらせる。
一つだけ、そうたった一つだけ。この儀式には失敗が存在するのだ。
それは下賜される魔導書が、ランダムであることに起因しているだろう。
大当たりは魔猫。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの魔導書。
彼はグルメさえきちんと奉納し、そして礼儀正しく、良き行いを続けていれば力を貸してくれる。それはなんとか連絡を取ることに成功した、同じく旧人類の生き残り幼女教皇マギからの情報で確定していた。
次に当たりとされたのが、ナマズ猫。
四星獣ムルジル=ガダンガダン大王の魔導書。
大王は破壊的で魔族的な思考の神であるが、その契約自体は極めて容易い。金や願いに見合った財宝さえあれば、どんな契約も可能であるとされていたからだ。
その次は四星獣にして植物獣神。
異聞禁書ネコヤナギの魔導書。
彼女は世界を管理するモノであり、基本的に下界の存在に力を貸すことはないが――世界のバランスを保つ調停者としての性質を持ち合わせている。旧人類へと貶められた人間。そのわずかな生き残りである人間が、魔王という最強の駒に不服を申し立て、魔族に多少なりとも対抗できる力を願えば、少しは力を貸してくれるのではないか――そう、幼女教皇マギは告げていた。
そして、唯一ハズレとされるのがジャイアントパンダ。
四星獣ナウナウの魔導書であるが……。
彼の神は気まぐれにして、楽天家。今が良ければどーでもいい。人間も魔族もどーでもいい。旧人類? 新人類? どうでもいいじゃない、僕、関係ないし。そもそも願って力を貸してくれる存在ではないとされているからである。
部屋の隅に落ちている塵や埃から、助けて下さいと願われても聞きすらしないだろう――と。
しかし所詮は四分の一。四分の三を引けばいいだけの事。けして分の悪い賭けではない。
ザカール八世は手甲を伸ばし、書を受け取る。
その書の名は――。
「《楽天ゴロゴロ熊猫遊戯譚》……? だれか! この書がどの四星獣様を示すのか、分かる者はおるか!」
知っている者は、なんと……と、驚愕に顏をゆがめている。
ざわつく空気の中、強大な聖職者である女性神官が言う。
「畏れながら、おそらくそれは……ハズレでございます」
「では、まさか――……っ」
「ええ、熊猫という単語は白と黒の毛並みを携えるベア種、パンダを示す魔術単語。予想されるのは、あの現在を司る神性、四星獣ナウナウ様かと」
四星獣ナウナウ。
その名に、ざわざわざわ! おう、神よ……と膝から崩れ落ちる聖職者が数名発生していた。
戴冠式という儀式を利用し四星獣の力を借り受ける、一回限りのこの儀式。
その中で唯一、ハズレとされたナウナウの書を引き当ててしまったのだ。
ザカール八世の治世は、出鼻から凶運、波乱とともに始まったのである。




