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第074話、世界管理者の瞳 ~魔王と少女~【魔王城最奥】


 【SIDE:異聞禁書ネコヤナギ】


 魔王と四星獣イエスタデイの邂逅。

 世界に命を吹き込んだ魔猫の目覚めを察した世界管理者、異聞禁書ネコヤナギは自らが管理する盤上世界を見下ろしていた。

 その視界には、病により寿命が尽きようとしている若き女性の姿が映っていた。その傍らには、クッキーをむっしゃむっしゃと食べながら、機会をうかがっている魔猫がいる。

 ネコヤナギは赤い宝石のような瞳を細めて、はぁ……と大きなため息を一つ。


『もうイエスタデイったら、結局また干渉しているのね。まあ、過度な干渉は避けたみたいだけれど、本当に、甘いんだから』


 魔王城内部に生える太い枝に腰掛ける銀髪美少女。

 趣味である靴装備コレクションをアレでもない、コレでもないと変えつつ――彼女は魔猫と姉妹の物語を眺めている。

 そんな彼女に声をかけるのは、百年前に契約をした魔王アルバートン=アル=カイトス。二人の姿は男女差と、子供と大人の差といった違いはあるが――よく似ている。


『折角五百年ぶりの再会でしたのに、直接お会いしないでよろしかったのですか?』

『たった五百年ですもの、問題ないわ』

『たった……ですか。あなたがたは本当に基準が少しおかしいと思わざるを得ませんね』


 魔王の苦笑にネコヤナギがツンと肩を傾け、足をパタパタ。


『だって仕方ないじゃない。あたし達がどれほどの時を生きて、どれほどの世界を繰り返していると思っているの?』

『実際、どれくらいの時間を過ごしているのですか』

『さあ、どうだったかしら。過去を振り返り続けるイエスタデイならともかく、あたしはいちいち覚えていないわ。木の枝に集る虫たちの歴史なんて、覚えている必要もないと思うし。覚える気もない、必要となったら枝を揺すって記録を引き出すだけの話ですもの』


 まああたしの枝にはちゃんと記録されているけれど、と微笑し。

 銀髪少女は魔猫と姉妹の会話を眺めている。

 異聞禁書ネコヤナギは理解していた――どうせ、この妹の病を治してやるつもりなのだろう……と。


『病を治した所でせいぜいが五十年ぐらい長生きできるだけ。盤上遊戯の歴史に影響なんて与えない、小さな羽虫みたいなものなんだから、あんな子、放っておけばいいのに……どうしてイエスタデイは人の形をした存在に甘いのかしら。やっぱり、大事なあの人を思い出すからかしら。分からないわ。分からないわ。ねえアルバートン、あなたなら分かるのかしら?』


 木の枝から生まれたふわふわな魔猫の花が、頭を傾げて合唱する中。

 魔王はゆったりと瞳を閉じる。


『あいかわらず、あなたは盤上遊戯の駒、我々個人に対しては辛辣なのですね』

『だって世界管理者ですもの。過剰な思い入れを作らないようにしているわ。他の子はみんな好き勝手にやってるけれど、あたしはダメなの。そもそもあたしは魔導書で植物獣神だし、命に対してそこまでの大事さを感じないのよね。それってそんなにおかしいことかしら? おかしいことかしら?』

『僕に対してもそうなのですか?』

『ふふふふ、当然でしょう? だから、盤上世界に入り込んできた異物が暗躍し始めるまで、一度足りとも顕現しなかったんですから』


 まあ綺麗だからずっと眺めてはいたけれど。

 そう囁いて、くすりと微笑む少女は履き替えた赤い靴をうっとりと眺めていた。ネコヤナギにとっては自らが生み出した魔王とて、少し気になるだけの駒。自分の理想を詰め込んだ見た目の美青年、この分霊と同じく好みを反映させた綺麗な存在で、ただずっと見ていられるコレクションの一つに過ぎないのだろう。

 彼女はそんな自分自身を冷たいと自覚していたが、それは植物なのだから当然なことでしょう? と、達観した心を維持していた。


 ――だって愛せないんだから、仕方ないじゃない。


 猫柳の魂に、遠い過去のログが流れ始める。

 まだただの樹だった頃の、最古のログ。


 ネコヤナギの樹は不吉だから伐ってしまいましょう。

 あら、お爺様が泣いていらっしゃるわ。

 勘違いですよ。もし大事な樹だったとしても、もう何も覚えていないご老人なのですから。

 そうね、きっと欠伸でもしていたのでしょう。

 あぁ、枕を濡らさないで欲しいわ。取り替えるのが面倒ですし。


 機械の刃、異界の武器が迫る中。

 当時、ただの樹であり言葉を発せぬネコヤナギは必死に棉花を揺らしていた。


 ――嫌よ、嫌。切らないで。せめてこの人が天寿を全うするまでは、どうか切らないで。だってこの人、あたしがいなくなってしまったら、本当に独りになってしまうんですもの。


 願いは届かなかった。

 おじいさんの人生が詰まったネコヤナギは、倒され、死んだのだ。

 おじいさんは泣いていた。

 孤独な家の、孤独な部屋の中で、ただ静かに――。

 ネコヤナギはその人の最後の顔を見ることもできなかった。


 ああ、せめて共に成長したあなたを看取ってあげたかったのに――それが彼女の願いだった。


 ネコの尻尾のような綺麗な棉花と共に、ネコヤナギの魂はそらをさまよっていた。

 本当に長い間。ずっと……ずっと。最後におじいさんと一緒に居てあげられなかったことを後悔して――。

 そんなある日。

 タヌキのような毛並みの猫がやってきて、肉球を伸ばしたのだ。


『願いを断たれた哀れなる者よ。我と共に、来る気はないか――』


 と。

 最古のログを思い出し、感傷に髪を揺らす異聞禁書ネコヤナギ。

 その横顔を眺め、魔王が訝しむように言う。


『どうかなさったのですか?』

『ううん、なんでもないわ。ただ、昔を思い出していただけ……きっと、イエスタデイが目覚めたからてられたのね』


 魔王はあえて深く聞こうとはしなかった。

 そんな魔王を眺めて、ネコヤナギが言う。


『ねえ、ひとつ聞きたいことがあるの』

『珍しいですね、なんでしょうか』

『あなたにはもう伝えてあると思うけれど――全ての世界塔が踏破された時、あるいは全ての世界塔からの魔物の侵略が完了した時、ゲームの勝利者が決定される。その時の群れのリーダーとなっている者、今ならあなたと幼女教皇マギかしら、どちらかの勝利者の願いを叶えることになる。あなたはいったい、何を願うつもりでいるのかしら?』


 魔王が言う。


『願いなどありませんよ。成り行きで魔王となり、成り行きで旧人類と戦い……その大半を葬ることとなってしまった。僕は、産まれたその時から何かに流されたままに生きていますから』

『そう、つまらない本心ね。無欲なのはいいけれど、少し、歪よ――ここから逆転できるとは思えないけれど、それじゃあマギはどうなのかしら』


 旧人類の生き残りが住まう、ヴェルザの街の映像が映る。

 そこは魔猫の楽園。魔猫に対して奉仕し続ける旧人類、そして、自らの奉仕種族を守り続ける魔猫との共存共栄を果たしている特殊な大陸。それはあの時、幼女司祭だったマギが初手土下座で獲得した、魔猫との絆の恩恵だった。

 あの土下座はまさに神の一手といっても過言ではなかっただろう。

 アレがなければ、とっくに旧人類は絶滅していた。


『でも、よく考えておいて? どちらかの願いを叶えた後――また世界は経験を引き継いで、遊戯のやり直し。もしこのまま魔物と魔族が残り二本の世界塔からの侵略に成功すれば、あなたたちが勝利者。考える間もなく、願いを問われることになるわ』

『そうしてしばらくしたら――リスタート。世界は文字通り天地が反転され、空から世界塔が出現し、地上に根付き――今度は魔物扱いとなった人類が降りてくる。あなたがたはその終わらぬ戦いの中で、誰かの願いを叶えて力を蓄え続けている。あの日の世界に戻したがっている、魔猫イエスタデイさまの願いを叶えるための力を――そういうことでしたね』


 それも世界の真実の一つ。

 技能スキルが足りないと、理解できない世界のシステム。

 現在のこの盤上遊戯の最終目的は、魔猫イエスタデイの願いを叶える事。あの日、楽園と呼ばれる別世界の神々に奪われた故郷を取り戻すために存在する。そのために魔猫はひとつひとつ、世界を再生させ、本物の命を吹き込んだのだから。


 それなのに。

 異聞禁書ネコヤナギは、魔王には語らず地上を見下ろす。

 そこにいたのは魔猫と、姉妹。


 またそうだった。魔猫イエスタデイが、本来なら自分の願いのために貯めている力を解放して、不治の病魔に侵されていた姉妹、その妹の病を癒している。また一つ、あの子の願いは遠くなる。力を溜めるための駒に過ぎない彼らに、心を寄せている。勝利者以外の、善のカルマを持つ者以外の願いを叶える時――願いを叶えるのに必要な代価は大きくなる、その代価を払うのは本来なら願う側の負担となる。

 けれど――。


 ――これじゃあ本末転倒じゃない。


 泣き崩れて感謝を告げ、病が癒えた妹を抱く姉の前でドヤ顔をしている魔猫は、その負担を引き受け笑っている。

 分からないわ、とネコヤナギは思う。

 あの時、姉のマイアとの契約が切れた時に見捨てたって良かったのに。

 どうして、愚かな駒の事で心を揉む必要があるのか。それがどうしてもネコヤナギには分からない。


 ――どうして、駒に過ぎないコレらを慈しむことができるのかしら?


 少しだけ。

 そうほんの少しだけ、その感情が羨ましいとも思っていた。

 あの時、枝と身体を伐採された時、全ての感情が壊れてしまった。おじいさんと共に過ごした長い歴史は一瞬で途絶えてしまった。もはや、ログを辿れない。

 物語を記録し続ける樹々であるネコヤナギ。その身に、どれだけの歴史が刻まれようともあの日はもう、二度と戻らない。


『ねえ、アルバートン』

『なんでしょうか』

『あの子を父上って呼んだのって、どこまでが本心だったのかしら。だってあなたたちには血のつながりも、魔力のつながりもないんですもの。他人でしかないわ。ただ本当に、産まれてこられなかった命を救い上げただけ。それは、あなたにも分かっている筈でしょう? 魔王として、あの子と接点を持ちたいっていう打算は大いにあったのでしょうけれど、でも、あなた自身の心も少しだけ感じたわ。世界管理者として、あたし、気になるわ。とっても、気になるわ』


 魔王城の床から咲く、綿あめのような植物魔猫が気になるわ、気になるわと合唱する。


『僕にとっての父はただ一人です。けれど、自分よりも強い誰かを頼りにする。その安堵感は、結構心が落ち着くものなのですよ?』

『そう、それで父上ねえ。あたしじゃダメだったのかしら』

『僕もあなたをよく知っていますからね。あなたはもし世界管理者として僕が邪魔となったら、容赦なく排除なさるでしょう?』

『そりゃあまあ、そういう役職ですもの。例外はよくないわ』

『そういうところですよ。まあギブアンドテイクな関係ならば、悪くはないのでしょうが』


 魔王が言う。


『それで、この創世魔導書を読んだ機会にお聞きしたいのですが――』

『なにかしら』

『百年前のあの日から発生している外来種というのは、やはり楽園の神、異界魔術で使われるような”外なる神々”ということでよろしいのでしょうか?』


 お気に入りの赤い靴で、地上の空を軽く撫で――。

 雨を降らして世界管理者は言う。


『判断できないわ。でも……もし楽園の神だったとしても、たぶん直接は干渉してきていないんじゃないかしら。この間の人形遣いもそう。この世界の外からの侵入者であることは間違いないけれど、どうもね……イエスタデイの世界をめちゃくちゃにした神にしては弱すぎるもの。だからあれらはたぶん使い捨ての駒、神そのものじゃないと断言してもいいわ』

『使い捨ての……駒、ですか。何らかの事情で外なる神々は動けず、何者かを代理に送り込んでいるとお考えなのですね』

『ええ……。たとえばそうね……あなたたちが昔は本当の意味で、ただの駒だったことは知ってるわよね?』


 頷く魔王に、頷き返し。


『この世界は盤上遊戯だった頃の法則を強く引き継いでいる。イエスタデイはあくまでも命を吹き込んだだけですもの。だから、この世界の法則は遊戯に影響を受けている。その遊戯に干渉するのに手っ取り早い手段は、遊戯駒を送ってくることなのよ。命がこもっていない駒を転移かなにかで送り込んで、外の世界にいるままで駒を操作している存在がいるんじゃないかしら。この世界を本物の生きた魂が生きている場所ではなく、命のない遊戯盤ゲームだって思い込んでいる可能性もあるけれど……』

『ゲーム……ですか。たしかにそれならば、どんな非道な行為とて行えますからね』


 異聞禁書ネコヤナギは考え込み。


『楽園の神々は何らかの理由で動けない状態にある。そもそも仲間同士で戦争をしていたって話ですし、ほとんど壊滅状態にある可能性もあるわ。けれど、あなたという魔力の塊は手に入れたい。だから、無関係な誰かを利用して願いが叶う遊戯だって騙して――送り込んでいるのかもしれないわ』

『その推論が正しいのなら厄介ですね。全くの嘘ならば信憑性がないですが……この世界は実際、勝利者になれば願いが叶うわけですから――』


 けれども全ては憶測の域をでていない。机上の空論なので、断定は危険か。

 そんな顔で深く考え込み、赤い瞳を輝かせた魔王が言う。


『その敵こそが、あの創世魔導書の中に出てきた巨大な鼠という可能性は?』

『どうかしらね。その辺りが判断できないからこそ、あなたと契約した。いざとなったらあたしたち四星獣以外の存在でも、この世界を守れるようにしたんじゃない。頼りにしているわよ、だってあなたは――』


 キラキラキラとふわりとした銀髪を輝かせ。

 少女は微笑んでいた。


『あたしたち四柱が皆で、一生懸命に才能ギフトを与えた。最強の駒なんですから!』


 駒と呼ぶわりに、その声はまるで肉親に向ける温かさを滲ませていた。

 けれど――。

 心をあまり理解できていない二人ともに、その声の温もりに気付くことはなかった。もし魔猫がこの光景を眺めていたら、おぬしらは似ているのう……と。

 呆れた口調で笑っていたのかもしれない。



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― 新着の感想 ―
[良い点] イエスタデイ様、ずっと頑張ってるんやなぁ (´・_・`) [一言] 魔王様の故郷の神、悪さばかりしとるなぁ(-ω-;) ひょっとしてイエスタデイ様達、楽園が魔王様の手で滅んだの知らんの…
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