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第072話、魔王アルバートン=アル=カイトスの苦悩:前編【魔王城】


 【SIDE:魔王アルバートン】


 無数のログに覆われた大樹が、自らの意志で魔族を守る魔王城。

 魔王という魔力の塊を、外から紛れ込んできた外来種から守るために魔王城となった四星獣、異聞禁書ネコヤナギの本体ともいえる魔導書の中の隔離エリア。

 至る所にネコの花が咲き、くすりくすりと微笑む場所。


 謁見の間に集うのは魔王軍幹部や部下、急ぎ召喚した魔族学園の教員マイアと生徒が二名。

 そして、一柱の魔猫。


『――以上がこの書に刻まれた、創生時代の神話。かつてあった物語であるが』


 創世神話の魔導書を閉じ、いまだ慣れぬ玉座にて。

 《美貌帝》とも呼ばれるほどの端正な顔立ちの魔族、魔王アルバートン=アル=カイトスは重々しい口調を意識し、すぅっと怜悧な瞳を細めていた――。

 およそ五百年前に受けた神の恩寵は健在。銀髪赤目の神秘的な魔族の王者が、重厚な玉座に鎮座していたのである。


 その声も顔も空気も気配も、魔力さえも――他者を魅了する固有スキルの塊。魔王アルバートンこそが、神々が戯れに作り出した最強の駒。ただ以前と違っている部分がある。五百年の時が少年だった彼の容姿と雰囲気を変えたのだろう、そこにいたのは少年ではなく支配者。かつて少年だった男は――凍り付くほどに美しい《魔を統べる覇者》としての貫禄を纏っていたのだ。

 常時発動スキル”覇者の威厳”をあえて抑えていなければ、この場に倒れ伏す者も何名かいただろう。謁見する者達は皆、圧倒的な威圧感に潰されそうになっていた。


 そんな魔王が、やはり蠱惑的な声で告げる。


『我が臣下たちよ――汝らに問う。今語り、告げた物語。創生魔導書の内容を理解できたものは――おるか?』


 反応はない。皆が皆、理解できぬ自らを恥じる顔をし跪いている。

 人狼王。竜王。死霊王。蛇人王。

 賢人と謳われるそれぞれの種族の長達も、理解ができずに首を横に振るばかり。


 知恵に長けた種族がそれなのだ。

 知恵より武を重んじる種族の長達ならば、ますます理解ができぬ様子。


 ただそれでも全員が全員、魔王アルバートン=アル=カイトスを敬愛していた。深く頭を下げていた。

 それなのに。ただ一柱、空気が読めていない魔猫がいた。

 ぴょっこぴょっこぴょっこ♪ 床に敷かれた絨毯の材質を確かめるように、肉球でフミフミ! ソレは縦横無尽に、好き勝手に――謁見の間を駆けまわりながら言う。


『まったく、たるんでおるのう新人類。これほどの頭数を揃えて、誰一人、世界の在り方を告げる魔導書を読み解くことができぬとは――技能不足と言わざるを得んな』


 ビシっと空気が固まる。

 魔王の威厳に怯まぬ魔猫を連れてきた次期魔王軍幹部候補、猛将マイアが慌てて魔力で伸ばした影でザザザ! ――魔猫を抱き上げ回収しようとするも。

 スルリ♪

 魔猫はにょほほほほ! っと、華麗に回避。もう一度、回避! 猛将マイアの額にイカリマークを作り出すことに成功している。


 猛将が小声で――。


「(頼むから……っ、おとなしくしていろ。庇いきれなくなるっ)」

『しかしだ、マイアよ。このような広き謁見の間、そして床を彩るこの金赤の絨毯。実に爪研ぎしがいのある布地。しばし中を観察するべきだと我は思うが?』


 なんだこの魔猫は、そう皆が唖然とする中。

 魔王だけには理解できていた。


 今、目の前で頭を下げる者達の頭を、ペチペチと肉球で叩く白い毛布のような魔獣こそが神。ただの遊戯駒であったこの世界の住人に、本物の命を吹き込んだ、全ての始まりの魔猫であることを。

 アルバートンの進化前の種族は人間種、旧人類だった。だからこそ長い歴史で育った種族技能が充実している。それになにより魔王は特殊な駒。新人類よりも、旧人類よりも”考古学アーケオロジー”に優れていた。この場で彼だけは、この魔猫の本質とその物語が見えているのである。


 魔猫はぐるりと周りを見渡し――呆れの息を漏らす。

 鑑定魔術の結果が芳しくなかったのだろう。


『やはり純粋な筋力や魔力といった数値しか伸びておらんのか。これでは汝の苦労も知れるというもの――久しいな、アルバートンよ。壮健そうでなによりだが、どうやら心労は溜まっておるようだのう』


 誰もが思った筈だ。

 魔王への不敬を罰せられると。しかし――。

 魔を統べる王の唇は、僅かな笑みを刻んでいた。


『お久しぶりです――そう、ですね。どうも、慣れないことを五百年も続けておりますので』

『仕方あるまい。元から長命な種ではなく、かつて人類であった者にとって五百年という長さは――けして短きモノではない。多少は心を摩耗させるであろうて。して、あの時の姫はどうしたのだ』

『三百年前に、既に……。ああなってしまっても、彼女の心はかつての人類でしたから。魂としての寿命が、尽きてしまったのです。共に永遠を生きないかというこちらからの提案に、彼女は首を横に振りました――最後は安らかに、自らの領地だった場所で』


 時の長さを感じさせる声に、魔猫の鼻梁がわずかに揺らぐ。


『そうか。魔へと改造されたとしても、人類として天寿を全うしたか。永遠を捨てる。それもまた一つの選択であるな』


 魔王と既知の間柄だと分かる会話に、臣下たちがざわつく。

 アヌビス族の青年ビスス=アビススも耳をぴょこんと跳ねさせるが、現場にほぼ偶然いただけの食人鬼ロロナは状況を理解できておらず、頬に汗を浮かべている。

 魔王との謁見で緊張している事もあるのだろうが――。


 構わず魔猫が言う。


『しかしこの魔王城とやらはどういう事だ。我の探知さえ拒絶するという事は、どうやらヤツの体内ともいえる空間であるようだが――。おぬし、ネコヤナギと契約でもしおったか』

『ええ。百年前の外からの襲撃の際に――』

『ふむ、盤上遊戯に顕現した魔力の塊……すなわち汝を何者かが察知し、その魔力を奪おうと侵入してきた。そう、みるべきなのであろうな。ネコヤナギとは話せるか?』

『いえ、今は眠っておいでです。記録を貯め成長をし続けるあの方のログも、外来種の標的となっておりましたので。外敵からその身とログを守ることを兼ねて、魔王城そのものに一時的に転化されているそうです――』

『やはり、これがその証か――』

『会話となりますと……魔王城を徘徊する分霊、魔猫型の綿花とは会話できますが、あの方の御本体とは……不可能とは言いませんが、時間がかかるでしょうね』


 魔猫が言う。


『賢明であるな。ネコヤナギが喰らい続ける記録には、汝ら全ての技能――すなわち魔術やスキル情報が詰まっておる。もし侵入者共の目的が盤上遊戯から力を盗むことにあるのなら、記録を司るネコヤナギが捕獲対象となっても不思議ではない』

『まあ、あの方は非常にお強いですから。全て返り討ちにされていましたが』


 魔王の声には多少の困惑が滲んでいた。


『あやつ、なにかしおったのか……?』

『その、言いにくいのですが――もう、次から次へと面倒くさい! と、大陸ごと吹き飛ばすと仰いまして……なんとか鎮まっていただいたのですが』

『あやつにとっては自らの肉体えだに虫が集っているようなもの。よほど気持ち悪かったのであろうて』


 笑い事ではないのだが、魔猫は笑っていた。

 しかしふとその目が細く締まり、僅かに叱りつけるような口調で言う。


『なれど、解せぬな。もはや無いと思っていた外からの侵入者であるが、その存在を確認したのならばなぜ我らを目覚めさせなかった。ネコヤナギならばできたであろう』

『畏れながら――』


 魔王は言葉を詰まらせるが。


『なんだ、言いにくい事なのか? なれど情報共有は必須、申してみよ』

『いえその、侵入者を確認した百年前に起こしたそうなのですが、”まだ眠いのだ、あと五十年”……と御三方とも起きる気配が全くなく。寝坊されているようだと、お怒りで……どこかの迷宮に眠っているから見つけ出して! と、言い残しお休みに――それで結局こうして、あなたと再会できたのが今というわけなのですが』

『そ、そうか。我らにとっては一年も、五十年も百年も、そう大差ないからのう……仕方あるまい』


 起こしたのに寝坊した。

 よくあることであるな? と、魔猫は自己肯定するように頷いている。

 そんな会話の後――魔王は呼び出した教員と生徒二人に目をやり。


『我が忠実なる臣下、猛将マイアよ。此度の襲撃者を目撃したのは、汝らだけであるか?』


 赤く長い髪と雄々しい角の頭を下げたまま、猛将マイアの唇からわずかに緊張した声音が漏れる。


「は、はい――可能性としては我が妹のミリー、そしてその冒険者仲間の男も接触している可能性はありますが……」

『そうか――此度の発見、大義であった』

「わたくしめには、もったいなきお言葉と存じます」


 魔王に付き従う魔族の幹部が言う。


「陛下――猛将マイアはいったい何を発見したのですか」

『魔猫である――』

「魔猫、ですか……」


 会話には温度差があった。


『ふむ――どう語ったらよいか、いささか悩んでおるのだ。先ほど告げた魔導書の存在こそが、答えであるのだが……汝らには◇◇◇と聞こえてしまうのであったな。だが猛将マイアよ、今のそなたならば多少は理解できるであろう? かの魔猫を宝箱から発掘した、その功績は実に素晴らしい。いずれ我の生涯が尽きる日がこようとも、忘れぬであろうて――』


 貫禄に満ちた王の言葉を、魔猫がじぃぃぃと眺め。


『小僧。偉そうになったのう』


 玉座の前まで転移して。

 王を見上げてそれは髯を蠢かしていた。玉座に手を置く魔王、その手に浮かんだ緊張の汗に気付いた者は、はたして何人いただろうか。

 魔王が密談魔術による小声で言う。


『……。あのぅ、すみませんイエスタデイ様。大変申し訳ないのですが。できればもう少し待っていただけませんか? 一応、部下への労いの最中なので。いや、本当。ちゃんとグルメを用意させていますので……はい』

『ふむ、そうか――まあよかろう。さあ、続けるが良い』


 怜悧なる美貌帝を前にして、魔猫はこの不遜。

 臣下たちは訝しむばかり。

 玉座に近い場所に控える魔王軍幹部。その中の骸骨魔導士が言う。


「陛下。何者なのですか、この生意気な白ネコは――」


 皆が、あ……ついに言いやがったと、同意する中。

 魔王が声を引き締め告げる。


『我らは魔族、自由に生きる者。故に止めはせぬが――滅びたくないのならば、言葉を慎むことだな。このお方が本気となったら我にも止められん』

「これはお戯れを。たとえ多少は強き存在だとしても同じように陛下が本気になられたら、この世界に敵うものなど――おりませぬ」

『ほう、我が臣下たちよ。我ならばこの魔猫を押さえつけることができると?』


 他の幹部たちも頷く。

 家臣たちも頷く。

 猛将マイアとその生徒たちは、魔猫の強さの一端に触れているのだろう。魔王を立てるべきか、それとも魔猫を立てるべきか。反応に困っているようだった。

 魔王自身が今の言葉で一番悟っただろう。


 魔王軍は、実力さえも見えぬ集団であると。


 そんな王の吐息を読み取れず、進言のチャンスを得たと判断したのか。

 血気盛んそうな幹部達がそれぞれに魔力を揺らし、語り始めた。


「提案がございます、陛下。この魔猫に、陛下の恐ろしさと優しさを教え込むべきではないでしょうか?」

「ふぉっふぉっふぉ。生意気であってもヒーラー魔猫。これからの戦いに活用できるでしょうからな」

「いいわねぇ、じゃあアタシが立候補しちゃおうかしら?」

「否、それがし調伏ちょうぶくす――」


 大物魔族達の絶大な魔力に圧され、この中で一番弱い食人鬼ロロナはブルブルと身体を震わせる。

 その顔に、なんであたしが巻き込まれなきゃならないのと書いてあるが。ともあれだ。


 謁見の間に緊張が走っていた。

 そもそも部下たちは猛将マイアの功績が気に入らないのだろう。

 幹部連中は明らかに、魔猫とそれを連れてきたデーモン族の代表たるマイアを挑発している。

 ただしこれは今に始まった事ではない。既に百年以上はこうなっている。力こそが正義。その信念のままに彼らは自由に生き続けている。


 今まで通りではダメだと、誰も理解できていない。

 その挑発に反応した、というよりは魔猫を守ろうと動いたのはこの中では格下と言わざるを得ないデーモン族、猛将マイアだった。


「お待ちください。この方はわたしを救ってくださった恩人。いくら四天王の方々と言えど――」

「ほう? わしらに逆らうと?」

「事と次第によっては――そうなります」


 猛将マイアは既に神器:八尾の鞭を装備していた。たとえ上司ともいえる四天王に逆らってでも、この魔猫を守る。そう強い意志が現れているのだ。

 我を守ろうとするとは感心感心と、魔猫が頷く中。

 四天王の一人が言う。


「気に入らんな――小娘が。このような生意気な魔猫には仕置きが必要であろう」

「わたしを不快に思われるのは構いませんが、我が恩人を侮辱することだけは看過できませぬ。訂正を求めます」


 猪突猛進気味な猛将マイア。

 魔族の中でも有数なトレジャーハンターであるが、独善的で強さのみを信じる傾向が強かった部下の一人。強い者には従う、その行動理念が変わっている。誰かを守るという新しい行動に魔王は感心しつつも――こっそりと重い息を吐いていた。


 その目は、重鎮ともいえる部下の四名に向いている。

 声を上げていた四人は魔王軍の中でも精鋭。唯一眠らず健在だった当時の異聞禁書ネコヤナギに曰く、こういう時は異界の書物にあるように四天王を作るべきよ! と、半ば強引に作られた役職であるが。

 辟易する魔王アルバートンは思うのだ。


 やはり――我が部下たちは脳筋過ぎる、と。

 魔王の苦悩は続く。



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