第061話、眠る世界の獣たち【自由都市編エピローグ】
【SIDE:四星獣の眷属】
世界は眠りについたように静かだった。
四星獣が眠りについた影響だろう、加護を失った世界は色を失いつつあったのだ。
それでも残された人類は今を生きている。
息子を送りだした御者の男もそうだった。
自由都市スクルザードで何が起こったのか、何が起こっているのか。彼にはもはや遠い世界の話。
男の肩には並々ならぬ魔力を内包する小鳥が乗っている。
御者の男は静かに余生を過ごす。
静かな家に、独り訪ねようとしていたのはやはり、既に普通の人間とは変わってしまった令嬢。
似合わぬ釣り竿を背負う女性暗黒騎士である。
真樹の森を進んでいたのだ。
男の肩から離れた小鳥が、御者の男に気付かれぬように言う。
『この方はわたしが責任をもって、その生涯を御守りします。それが眠りに入られたナウナウ様のご命令、そしてわたし自身の意志でもあります』
『わたしは眠りに入られたムルジル大王の命によりここにいる、かつてクローディアと呼ばれていた者』
四星獣の眷属と化した者同士、互いに互いの事情を探っているのだろう。
『知っています。ムルジル大王はなんと』
『こうなってしまった責任は余にもある。せめて、あの少年の父親だけは守ってやってくれ……そう、おっしゃっていた。責任を感じておられるようでな。わたし個人としても責任を感じている、だから――』
未来を司る神の使徒となった殺戮令嬢の言葉を遮り。
『人の形をしたあなたが訪れれば、あの少年がどうなってしまったか――耳に入ってしまうでしょう。ですから、せっかくですがわたし単独で御守りしたいと思っております』
『そうか……やはり、彼は知らないのか』
『はい、伝えておりません。残り少ない人生を穏やかに過ごさせてあげたいのです。だから、わたしは知らせません。真実を知ることが常に正しいとはわたしは思いません』
『承知した。ではすまぬが、これを頼めないだろうか?』
『これは――』
『ムルジル大王からの詫びだそうだ。我が主は、金銭や財でしか感情をうまく表現できないらしいのでな。眠りに入る直前まで、色々と悩んでおられたよ。この金だけはどうにか、自然に渡してやって貰えないだろうか』
『分かりました』
金をアイテム亜空間で受け取り、小鳥は小さく礼をした。
何をするにしても金は必要。
かつて人類だった朱雀はそれを知っていたのだ。
『クローディアさん、でしたか。あなたはこれからどうするのですか』
『ムルジル大王が目覚めるのを待つさ。もはやあの地に残された人類に、未練はない。ウィルドリアとヴェルザの代表、戦術師シャルル=ド=ルシャシャと幼女教皇マギにはもう全てを伝えてある。わたしがこう成り果てたことも、あの少年が魔王として覚醒したこともな』
あのお二人には悪い事をしてしまったと、ムルジル大王の眷属は首を横に振る。
その名を聞いたからか。
朱雀の気配がわずかに変わる。
『ナウナウ様の使いよ、どうかしたか?』
『いえ……』
『幼女教皇マギに用事でもあったか? 彼の御仁は人の身でありながら不老不死の器を手にしたもの、たしかに頼りになる御方であるが』
『戦術師シャルル=ド=ルシャシャとは、生前に面識がありまして――』
『そちらか。して、なにか用があるのなら伝えておくが』
誰かに感謝するような顔で、ゆったりと遠くを見た後。
小鳥は言った。
『母はもう大丈夫だと、そうお伝えくだされば――』
『伝えるのは構わぬが、それだけでいいのか?』
『あの方はとても賢い人です。それだけで、全てを理解してくれますから』
『そうか――また何かあったら訪ねてくる。そちらも何かあれば、わたしを使え。共に主人の目覚めを待つ者同士。いつお目覚めになるか分からぬあの方々のため、協力して動く必要がくることもあるだろう』
『ええ、その時は――では』
告げて朱雀はただの小鳥のフリをして、森の奥へと帰っていく。
かつて恋人と過ごした真樹の森を眺め、暗黒騎士クローディアも道を引き返す。
行きは転移してきたせいか、帰りになって変化に気が付いた。
彼女は見慣れぬ場所に気が付き、足を止めたのである。
樹々の隙間。太陽が入り込んでくるなだらかな丘に、黄色い草原が目に入った。思い出の地に、このような黄色は存在していなかった。
タンポポ畑が生まれていたのだ。
森の隙間の平原。太陽を浴びる、一面の黄色だった。
猫がそこにいた。
あの時のヒーラー魔猫だろう。
あの戦いの後、姿を消した魔猫だったが――。
ただ静かに、タンポポの近くで見守るように座っているのだ。
そこはかつて、クローディアの恋人だった男の墓があった場所と似ている。
だからだろう。
彼女はタンポポ畑に目をやった。
魔猫が強大な四星獣の眷属の気配に気が付き、綿毛のような獣毛を膨らませる。
警戒しているのだろう。
『安心せよ、花を踏みはせぬさ。これでもかつては令嬢でな、そういう分別はついているつもりだ』
魔猫は頷き、瞳を閉じる。
けれど、その目は薄らと開いている。寝たふりをして見張っているのだろう。
『そなた、四星獣イエスタデイ様の眷属であろう? 何かを頼まれたのか?』
魔猫は尻尾を横に振る。
『そうか。ではここが好きなのだな。タンポポ……といったか、この花は。綺麗な花だな』
魔猫は尻尾を縦に振る。
そうして、すぐに瞳を閉じる。たまに瞳を開いては――まるで愛するモノをみるかのような瞳で、魔猫は揺れるタンポポの花をただじっと、見守っている。
魔猫がニャアと鳴いた。
魔力が込められていない猫の声である。
魔力翻訳されていない声は、他種族には届かない。
けれど。
四星獣ムルジル=ガダンガダン大王の眷属と化した暗黒騎士。
かつて殺戮令嬢と呼ばれたクローディアには聞こえていた。
『愛している……か』
タンポポの花はまるで声に応えるかのように、ざぁぁぁぁっと揺れる。
花を見守り続ける魔猫に別れを告げ、殺戮令嬢は真樹の森を去った。
◇
世界は大きな変化を得た。
悪戯な神々が眠った状況は、気まぐれな加護をも失った状態と言える。
ダイスを振るべきケモノが眠る、奇跡を失った盤上世界。
その時は止まることなく、過ぎていく。
人類も魔物も奇跡を失った。
しかしこの世界には、神々の残した悪戯の欠片が残っていた。
真樹の森のタンポポ畑もその一つ。
いつのまにか出来ていた、まるでどこか遠くから転移されたようなタンポポ畑。
そこにはいつも、一匹の魔猫がいるというのだ。
花弁のひとつひとつを愛おしそうに肉球で撫で、ゴロゴロと喉を鳴らし続けているという。
魔猫はタンポポ畑から離れたくないのだろう。
ずっとずっと、そこにいる。
魔猫は何も語らない。人類が呼び掛けても、魔物が呼び掛けても無視をする。
けれど、やはり腹は減るのだろう。
だから――そこにいるための食糧を献上すると、ヒーラー魔猫としての力で返礼をする。
折れた骨も。欠けた腕も、重い病さえも――魔猫は癒しの力で回復してみせる。
必ずタンポポの前にも、ひとつ食料を並べて満足げに頷くのだ。
そして、またタンポポの前で眠りだす。
その瞳はうっすらと開いている。タンポポが傷つけられないように見張り、寝たふりをしている。
いつまでも、いつまでも。
病を治してもらった子どもが、大人になった時もそこにいた。
その大人の子どもが、大人になった時もそこにいた。
ずっと、ずっと――。
彼はタンポポと共にいた。
真樹の森の奥へは進めない。
タンポポを守り続ける魔猫が邪魔をする。
この不思議なヒーラー魔猫を知る者の多くは、こう語る。
あの魔猫はきっと、タンポポに恋をしているのね――。
と。
自由都市スクルザード編 【終】
▽本話にて第一部は終了となります。
次話から第二部が始まりますが、
拙作、殺戮の魔猫の本編部分(完結済)を既読済みだと、
より深く物語を把握していただける可能性があります。
※本作を読む上では未読でも問題ない作りにはなっております。




