第057話、愚者の晩餐―策略家の誤算―【戦地スクルザード】
【SIDE:魔物軍】
全てが上手くいっていた。
この盤上は魔物側の完全勝利で終わっていた筈だった。
しかし――形勢は逆転していた。
人数差は圧倒的に魔物軍が上。
けれど現在の総合的な戦力は、人類軍の方が上。
それは突如現れた一匹の魔猫、なぜか一匹だけ残っていたヒーラー魔猫の影響が大きいだろう。低級悪魔にして作戦指揮官となっていたモブ羊は考える。
また四星獣が要らぬ介入をしたのだろう、と。
あの少年はまだいい、戻ってくることも予想されていた。
しかし問題はあれ。
あのヒーラー魔猫。アレは転生した人類の誰かだと推測される。名は分からぬ、生前に誰だったのかも分からぬ。おそらく本人ももう忘れてしまっている者だろう。しかし、確実に人類側に味方をしていた。
この襲撃は人類側の大幅弱体があって成り立っている。特に回復手段を絶ったことがなにより大きい。それなのに。
燃える戦場。
焼けただれた教会の前。
モブ羊は上級悪魔にして英雄魔物パノケノスの肩の上で、ビシっと宣言する。
『メェェェメメメ! みなさま! どうにかあの魔猫を殺してください! いえ、それができないのなら魔力を奪ってください。アレがいる限り、人類側は無限に戦力を回復してくるでしょう! アレを落とせば我らの勝利は確定します!』
「怯むな人類よ! あの魔猫を失った時点で我らの負けは確定する、守れ! なんとしてでも、庇い続けるのだ!」
対する人類軍を率いるのは魔境ズムニの代表、暗黒騎士クローディア。戦術を知る彼女もまた、あの魔猫を軸に戦略を立て始めていた。
人類側で脅威となるのは主に三体。
無双ともいえる強さを誇るアルバートン=アル=カイトス。
生存する人類軍の中で唯一指揮官として機能する、暗黒騎士クローディア。
そして、たった一匹のヒーラー魔猫。
それでもまだぎりぎり魔物軍は人類軍を圧していた。
理由は明白。最大戦力であるアルバートン少年に殺人経験がないことだった。
そう、彼は魔物を容赦なく殺してくる。一歩、間合いに入っただけで次々と首を刎ねるのだ。圧倒的な恩寵の差と実力で、上級悪魔と呼ばれる存在ですら一撃で屠る。しかし、人類の胴体と顔が生えた蜘蛛女悪魔の首だけは、刎ねることができないでいる。
それが英雄少年がもし戻ってきた時の対策。モブ羊の狡猾なる戦略だった。
実際に、効果は抜群。
姫たるアラクネーを殺せぬ英雄、そこに活路がある。
しかし――アルバートン=アル=カイトス。彼は生まれながらの英雄だったのだろう。
成長途中の、ウサギのような愛らしい容姿とは裏腹、英雄の顔でアラクネーに向かい訴えかけていた。
「目を覚ましてください! あなたは、あなたは民や仲間を信じていままでやってきたのではないのですか!」
『煩い、煩い、煩い! 妾は魔物、魔物なのじゃ! そなたの言葉に惑わされたりなど――』
「いいえ、それでもあなたはかつて友だった仲間や民を殺す度に泣いている。あなたは、魔物となった今でも、同胞を愛していらっしゃる。僕にはそう見えます!」
綺麗事が、魔へと改造された姫の心を溶かしている。
口調はもとより、人格すら変わってしまった姫に訴えかけている。
魔に落ちた姫を必死に助けようとする姿は、民の目にはとても気高いモノに見えただろう。
一見すると英雄譚の一ページだが、実際のところは神の恩寵を利用した魅了系統のスキルだと推測される。
けれど、やはり。それは実に英雄的な光景に見えるのだろう。
人類軍の士気が高まっていく。
ああ、なんてくだらない茶番でしょうかとモブ羊は思う。
けれど、魔物たる彼は知っていた。世界はそんな茶番が大好きなのだと。
英雄になる少年がまっすぐな瞳で、神の加護を受けた美貌で――蜘蛛女悪魔と化した哀れな姫に接近。
ほんの一瞬だった。
醜い蜘蛛の身体が生える姫の手を取り。
「僕はあなたを救って見せます、必ず!」
『妾は……』
「僕を信じて下さい!」
蜘蛛女悪魔の動きが、止まる。
洗脳された姫は、英雄のまっすぐな優しさに触れ、正気を取り戻す。
そんな――。
『メェエエエェェェッェ! そんなくだらないお綺麗な話で強制的に負けにされるなんて、納得できるはずがないでしょう!』
『アラクネーを奪われたら敗北は確実。やってよいな!』
『ええ! ええ! やっておしまいなさい! パノケノス様!』
モブ羊を肩に乗せ。
英雄を討つべく魔物のボスは最後の大奥義を検討。それは承認され――。
英雄魔物パノケノスが瞳を赤く染める――。
『我、英雄魔物パノケノスが命じる。人類よ、恐怖せよ。我が享楽の宴の贄となれ。ああ、我が名はパノケノス。汝らが悪魔と呼ぶ者、堕ちたる神の化身也!』
”山羊悪魔の権能”を発動させるべく、大詠唱を開始。
権能、それは上位の魔物のみが放てる、特殊固有スキルといってもいいだろう。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアが過去を司るように、パノケノスにも司る要素が存在している。その司る要素を魔術効果、あるいはスキル効果として展開できるのである。
英雄魔物パノケノスの魔物としての分類は、山羊悪魔。
すなわちバフォメット。
彼は人類の恐怖の対象とされていた悪魔伝承を祖とした上級悪魔であり、その更に祖を遡ると、異界言語パニックの語源ともなった牧羊神パンへと辿り着く。
両手を雄々しく広げるパノケノスの背後に、山羊角悪魔の巨大なる影が広がっていく。
『再度命じる。恐怖せよ人類、我が名はパノケノス! 畏怖せよ、この名の下に、《死後断罪されし教皇》!』
逆十字型の呪いの柱が、大地から空に向かい顕現。
劈くような死者の悲鳴と共に、周囲に大規模恐慌攻撃を展開する。
自由都市スクルザードの地が、暗澹とした闇の世界へと引きずり込まれていったのだ。
パノケノスの権能は恐怖。
恐慌状態をバラ撒くことにあった。
正常の判断を失わせる恐慌状態は、アルバートン少年に最初の冤罪を擦り付けることとなった状態異常でもある。
恐慌状態付与と共に、範囲闇属性ダメージのフィールドが展開される中。
アルバートン少年が言う。
「範囲結界……!? いけない、クローディアさん、みなさんを下げてください!」
「全軍後退!」
人類側の連携は所詮、付け焼刃。
共にグルメを楽しみ、透明状態にて人類の街で遊んでいた悪魔の連携の方が上。
『おっと、させませんよ!』
モブ羊が、アイテムボックスから鋼鉄の金槌を大量に召喚し、投てき!
人類側の退路を断つ。
だが――すでに英雄は、哀れな姫を陥落させていたのだろう。
アラクネーが、人類を守るべく方向転換。
節足を蠢かし、両の手を大きく広げていたのだ。
『させぬ――! 妾の民を、醜く成り果てた妾さえも見捨てなかったこの少年、アルバートン=アル=カイトスを殺させはせぬ!』
「姫様!」
『良いのじゃ。妾は、おぬしを殺戮者と勘違いし、追いたてた。その罰じゃろうて――! 妾が英雄魔物パノケノスの権能魔術を防いでいる今のうちに、あの羊の悪魔を討つのじゃ! ヤツを倒せば、勝機も見えようぞ!』
また綺麗事の連鎖が起きる。
いつだって人類はそうだった。そんな茶番で、全ての状況をひっくり返す。
だが、それもモブ羊には計算のうち。
ヴェルザの街からの救援が間に合ったら、その時点で終わる。タイムリミットは迫っている。
だから、いま決着をつけるしかない。
轟音が鳴り響く中、モブ羊の声は上司である山羊悪魔にしか届かない。
『パノケノス様!』
『うぬぅ……! なにか、何か策はあるのか!』
『あります、それはこの私が囮となること! 奴らは私を倒すことに全力を出すでしょう、その隙こそが最大の好機。私の首が刎ねられた、その瞬間に、この地で溜めたマイナスのカルマの力、その全魔力を解き放ちください。それで我らの勝利です!』
告げて、モブ羊はパノケノスの肩から飛び降りる。
自らが囮となり、その死をもって勝者となる、これで作戦終了だ。
人類側は、一匹となったモブ羊に気付き。
当然、少年アルバートン=アル=カイトスは瞬時に駆けていた。
計算通り――!
モブ羊は幸福だった。ただの低級悪魔だった彼が、いまや魔物軍の司令官。そしてなにより、絶対に食べることのできなかった、じゅわじゅわステーキをいっぱい食べることができた。
そう、幸せだったのだ。
その幸せを与えてくれたのは――。
モブ羊は最後に上司を振り返った。
低級魔物の言葉をまともに取り合ってくれた、この馬鹿な悪魔上司がいたからだ。
だからモブ羊は、その恩に報いることを厭わなかった。
しかし――。
刎ねられるはずの首が、残っていた。
アルバートン=アル=カイトスの赤き短刀”切り裂きジェーン”は、英雄魔物パノケノスの腕を断ち切っていた。
パノケノスが、囮となったモブ羊を庇っていたのだ。
モブ羊の口が、驚愕に蠢く。
『メメメメ! ど、どうして――! あなたはなにをなさっているのですか!』
『愚か者が! キサマを犠牲にして得た勝利など、何の価値もないであろう!』
権能魔術が、停止されている。
もはや敗北は確定した。
なし崩しに圧され、負けることを確信した賢き雑魚悪魔が言う。
『ああ! あなたという山羊は、本当にバカな御方なのですね!』
『バカであってもいいのだ。友を見捨てる愚者になるくらいならば、余は、潔き敗北を選ぶ! それが、それが余の矜持だ!』
友と呼んだ。
それがモブ羊の誤算だった。
低級悪魔は使い捨て、彼自身もそう思っていた。だからこその迷わず動いた作戦だった。
けれど――この上級悪魔は、低級悪魔であっても、既に同等とみなしていたのだろう。
共に肩を並べる仲間、友だと。
人類側の魔導攻撃を受けながら――。
モブ羊が、言う。
『はぁ……ここで終わりですね。四星獣が既に動いていた、そして人類が彼らの欲を煽った。その時点でもはや仕方なかったのでしょうが。最後に、ステーキを食べておけばよかったですね、一緒に、あのじゅわじゅわを』
『いつかまた、リポップした時にそうすればよい』
『あのですねえ。リポップしたら記憶とか、そういうのは残ってないんですよ?』
悪魔王とも呼ぶべき、上級悪魔が言う。
『そうなのか? では再び友となればいい、それだけの話であろう』
『ダンジョン塔がどれだけ広いと思っているんです? 限りなくゼロに近い確率ですよ。でも、まあ、そうですね。今度またお会いしたら、そういう事もあるかもしれないのですね』
作戦は失敗。
次にリポップする時には、互いに名も顔も忘れて他人となるだろう。
それでもモブ羊は信じていた。
いつかまた、再会できるだろうと。
羊は最後に、人類に向かい蹄を向ける。
『いいですか人類! 私達はあなたがたに負けたのではないのです、ここを見ている、四星獣とかいう迷惑な連中に負けただけなのですからね――!』
『互いに互いを妨害する者達よ。我らの再臨に畏怖しながら、その偽りの勝利を精々楽しむが良かろうて――』
英雄魔物は魔物の長たる貫禄のまま、人類を嘲り嗤っていた。
人類側の攻撃が――。
街を揺らす。
魔物軍は敗退した。
そうしてモブ羊は友の腕の中で、死んだのだ。
人類を追い詰めた英雄魔物パノケノス。
その亡骸の下には、最後まで庇い続けた低級悪魔の死体があったとされている。
◇
人類は惜敗に消えた魔物軍の死骸の上。
勝利の雄たけびを上げていた。
あの状況からの勝利だ、それは壮大な声であった。
歓喜に包まれていた。
周囲が明かりに包まれていた。
けれど、勝利者の顔には笑みはない。
友を庇い死んだ悪魔の死体を見ていたのだ。
少年が言う。
「どうして……この悪魔はあの時、大魔術を止めてしまったのでしょう」
この地へと少年を連れてきた殺戮令嬢が言う。
「我ら醜く同種族で争った人類よりも、よほどこいつらの方が……まともな精神を持っていたのやもしれぬな。勝った筈なのに、なんであろうな――この敗北感は」
人類は勝利者となった。
勝利者となった。
勝利者となった。
それでも――。
英雄となった十五歳の少年の瞳には、いつまでも。
友を守り死んだ悪魔の顔が、頭の中に残り続ける。
歓声が響く宴の中。
少年は、醜く争っていた人類たちの顔の前で、英雄としての笑顔を張り付け続けていた。




