第056話、死後契約―願いはタンポポ畑の中で―【エリア:Unknown】
【SIDE:死者カイルマイル】
英雄魔物パノケノスに殺された男、武装集団ネオットの代表であったカイルマイルは赤く染まった、黄色い草原にいた。
思い出の場所だった。
自分が死んだのだと理解したのは、胸に開いている穴の数々。
魔物による魔力氷散弾で殺されたのだと理解できる。
――では、いまここは、どこにいる。
死んだ男カイルマイルは周囲を見渡そうとするが、目が開かない。死んでいるからだ。けれど音は聞こえる。波の音に似た草原の音。
だから死んだ男には理解できた。
ここはタンポポ畑。
思い出の地だ。
指先に何かが振れている――柔らかい感触だ。男はそれを知っていた。
そう、それは村から連れ出したあいつの頬。
届かない筈だったのに、届いていたのだろう。
力を込めて瞳を開く。
『残念であったな――それは我の肉球だ』
声は直接魂に響いていた。
瞳を開けると、そこには白毛布のようなふわふわに膨らんだ、綿あめのようなタヌキ猫がそこにいた。声が、漏れる。
「な……っ――!?」
『そう驚くでない。我がデリケートでグラデーション豊かな焦げパン色の耳が、ビックリとしてしまうではないか!』
思い出の、大切な過去のタンポポ畑にいたのはあいつではない。
魔猫だった。
空の様に青い瞳が、じっと自分を眺めている。男は考える。これは現実ではなく、過去の思い出の中の世界。夢と現実の狭間――。
過去?
死んだ男カイルマイルは理解した。
「おまえは、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアか」
『いかにも』
「するってーと……。オレは、蘇れるのか!?」
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの噂は武装集団ネオットにまで響いていた。時に死者すらも蘇生させるとされ、実際に六十五年前、冒険者殺しの王族ダインに殺された者達を、その肉球で蘇生させてみせたと史実に刻まれている。
眉唾ではない証拠に、当時から現役の幼女教皇マギに聞いたことがあった。
あれは事実であったと。
死んだ男、カイルマイルは歓喜した。
自分は選ばれたのだと。しかし――。
『戯けた道化よ――。我はおぬしのようにカルマ低き者を蘇生する気などない』
「ああん? じゃあなんで死んだオレの所にわざわざ来た。冷やかしか?」
『なに、おぬしがやらかした事の結末を見せてやろうと思うただけよ』
言って、魔猫が器用に肉球を鳴らす。
映像が、タンポポ畑の空に広がった。
「なんだ……これは――」
『戦争だ。魔物と人類のな』
告げて魔猫イエスタデイは更に肉球をクイっと蠢かす。
映像をより鮮明にしたのだ。
そこに映されていたのは、魔物の群れ。悲鳴で揺れた自由都市の光景だった。
様々な工作で弱体化された人類を襲うのは、逆に悪しきカルマを喰らい成長した塔の魔物、悪魔族達である。
絶大な魔力と巨体を持った燕尾服の山羊悪魔はエリアボスだろうか、配下全体にバフを与えつつ悪魔軍を指揮し街を襲っている。
その肩の上には、奇妙な執事姿のヒツジが満面の笑みで、メメメメッメっと踊っている。
そして、魔物軍の先頭にいるのはティアラを装備した悪魔族の少女、魔導戦車にも似た蜘蛛女悪魔の姿がある。
あの蜘蛛女の顔に、カイルマイルは覚えがあった。宗教国家ペイガの姫である。
そして何よりも。
死体が、多く転がっていた。
住人だった。
男は呆然としていた。
ぞっと、肌に冷たい汗を浮かべていたのだ。死後硬直が始まる口から、声が漏れる。
「どう……」
『どうしてとは言うまいな? 欲に溺れた人類カイルマイルよ。これが汝が選び続けた裏切り、その後始末。多くの死者が出ている、壮絶な市街戦よ』
戦地となった街では、一人の少年が駆けていた。
その少年の名はアルバートン=アル=カイトス。
後ろに続き、棒状の遠隔武器で攻撃しているのは失踪した魔境ズムニの代表クローディアだろう。
死んだ男カイルマイルが鼻梁に濃い皺を刻み言う。
「なんで暗黒騎士のズムニ野郎は、釣り竿なんかで戦ってるんだ……」
『ヤツに力を貸したナマズの趣味だろうて。あれでも神が授けた神器、おぬしが装備していたナマクラの十三倍は強いだろうて』
「でも、めちゃくちゃ戦いにくそうにしてるじゃねえか……」
『ま、まあ、釣り竿だしのう……』
瞳を閉じ、組織の代表としての顔でカイルマイルが言う。
「状況はどうなってやがる」
『既におぬし……武装集団ネオットの代表は戦死。足並みを乱されていた冒険者たちは連携を取れておらず、魔物達の連携によって三つのギルドが壊滅。宗教国家ペイガの姫は魔物達に改造され、人類だった頃の知識を所持したまま――街の要所を襲っておるようだな』
映像の中では、蜘蛛女悪魔と化した姫が高らかに嗤っていた。
なまじ見覚えのある少女の身体が蜘蛛の胴体から伸びているからだろう、人類たちは動揺し、攻撃の手が緩んでいる。
もしこれが作戦だとしたら、発案した存在は狡猾で邪悪。
そんな邪悪と、これからこの少年は向き合うのだ。
それこそが英雄譚。
盤上を彩る物語の一つなのだろう。
カイルマイルは悟った。
あの少年にかけられていたのは、冤罪だったのだ、と。
それもあの低級悪魔……モブ羊の策略。人類の中でもそういった戦術を得意とする者はいる。魔物にもそういう個体がいたのだろう。
終わりを見る瞳で、魔猫イエスタデイが冷たく告げる。
『ウィルドリアの街とヴェルザの街に緊急要請を出したようだが、おそらくは間に合わぬだろうな。これもまた歴史の一ページ。記録を司る、あやつの書に刻まれる戦争となるのであろうが。こうして、終わるエリアを眺めるのは、詮無きことよの――』
「間に合わねえなんてことはねえだろう。幼女教皇マギの方はわからねえが、ウィルドリアの戦術師シャルル=ド=ルシャシャは天才だ。おそらくオレに追放されても魔物の襲撃を予想していた筈。救援が間に合わぬことは……」
『これを見よ』
盤上を生み出した魔猫が、駒を肉球で握り言う。
『魔物軍に特異な個体が発生したようだ』
『あの使い魔。羊の悪魔執事……低レベルの魔物のくせに、知恵が働くアレか』
もふもふな縫いぐるみのような悪魔が、メメメメッメエ!
城壁を破壊するエリアボスの肩の上――『とりゃとりゃ!』と、仲間に向かい投てき、コミカルになにかを投げつけている。
羊の悪魔が投げつけているのは魔法瓶、人類から奪った回復薬を魔物用に改造した薬品だと、カイルマイルは判断していた。
「この羊の悪魔。仲間が死ぬ直前にギリギリで回復させてやがるのか――何かの発動条件が必要な回復薬なのか」
『違うな、おそらくはああして人類を煽っているのだ』
「煽るだと?」
『うむ。おぬしとて、相手を倒しきる直前で体力を全回復されたら、多少はイラっとするのではないか? あの羊はそれを繰り返し、人類側の精神を揺さぶっているのだろう。ヒーラーとしてはヘイトを稼ぎ過ぎている。本来ならばすぐに狙われ、真っ先に落とされるであろうが――』
戦場に立つ戦士としての顔で、カイルマイルが言う。
「本来なら雑魚の筈の低級羊悪魔は、最高戦力であるエリアボスの肩の上。あのエリアボスも何故か低級悪魔を庇うなんていう、今まで見たことのねえ戦法を取るようになっていやがる。人類はヒーラーであるアレを倒せず、なおかつ敵の数を減らすこともできていない。そういうことか――」
魔猫が羊の低級悪魔をじっと見て。
『こやつめ、なかなかやりおるわ。弱者であることを理解した上で、知恵を働かせ盤上を動かし続けておるのだろうな。おそらく人類が他国に救援を出したように、こやつらも異なるダンジョン塔の魔物に要請したのだろう――同時のタイミングで、それぞれの街へ襲撃を行おうとな』
「共闘……っ。そんな事が――ありえるのか」
瞳を細め魔猫が言う。
『我も信じられんが、事実は事実。魔物の共闘など、長き歴史の中で我も初めて目にしたぞ。人類が魔導地図を制作し通信魔術を成長させているうちに、魔物もまた技術を磨いておるということか。他の街に聳えるダンジョン塔のエリアボスと、なんらかの手段で連絡を取ったと推測しておる』
魔猫が肉球の先から別の映像を示し始める。そこに映るのは、スクルザードとはまた別の場所の映像。
それぞれのダンジョン塔から、それぞれ降りてきた魔物。そして、それに対抗する人類たちの光景である。
各地で戦闘が起こっていたのだ。
「これじゃあまるで世界同時戦争じゃねえか」
『然り――奇襲は各地で起こっている、すなわち他国への救援などしている暇がない。それにだ。もとから自由都市スクルザードを、快く思っておらん国もあったのであろう。断れば人道に反し問題となるが、自らも奇襲を受けているのなら話は別――襲撃そのものが救援を断る理由にもなる。モブ羊は人類に、助けなくていい言い訳を用意させたわけであるな――』
「それがさっき言っていた間に合わねえ理由。ウィルドリアの街もダンジョン塔からの奇襲を受け、……幼女教皇マギが治めるヴェルザも襲われ、救援を送れねえってことか」
世界を照らす盤上を眺めての言葉に、ギクっと頭の毛を揺らし。
目線を逸らし魔猫が言う。
『いや……、なんというか。あの地の冒険者はレベルが異常に高いからのう……、既にダンジョン塔からの奇襲は解決済み。あの地だけは例外であるが――場所はここから遠く離れた南東。しかも海を越えてくる必要がある。単純に距離の問題で救援が間に合っておらんのだ』
「これが街のレベルデータか。たしかに、ヴェルザだけが突出してレベルの高い冒険者が揃ってるじゃねえか。これはいったい……」
『ともあれだ――カイルマイル。自由都市スクルザードを終わらせた男よ、これを見て、どう思う?』
問いかけに、男は瞑目する。
……。
自分のせいで、多くの人が死んだ。
「――……てめえは、オレに反省でもさせたいのか?」
『いや、反省などするのなら。この秘書の女に忠告を受けていた時点で、己の所業を顧みていた筈。おぬしは反省などできぬ性分であろうて』
「じゃあ、自分の失敗を見せつける。こんなもんに何の意味があるっていうんだ」
タンポポ畑の草原で。
思い出の地で――。
四星獣たる魔猫が口を開く。
『我は人の願いを叶える性質を持つ、四星獣が一柱。イエスタデイ=ワンス=モア――駒たる人類が抱きし願望を戯れに叶え、戯れに退け。悠久なる時の中で蠢き続ける一つ星。我は汝を軽蔑しておる、なれど、汝を慕う者がこの世界にはおったのであろう。その者は、こう願ったのだ』
黄色いタンポポが、まるで過去の笑顔の様に、輝いて。
草原が、ざぁあああああああぁぁぁっと鳴った。
『どうか、カイルマイルに。あたしが愛したあの男に、最後のチャンスを、償いの機会を与えてあげてください、とな』
魔猫はじっと、タンポポと男を眺めていた。
カイルマイルは気が付いた。
一面の黄色が見えていた。
このタンポポたちは――過去の映像ではなく。
「あいつ……なのか。これは――」
『お前を愛したあの女の願いを我は叶えた。それだけの話よ』
太陽に向かって小さな体を伸ばすタンポポ。
その日輪にも似た、黄色い輝きを眺め、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアが言う。
『死後の己の権利を放棄し、転生も捨て。二度と人の形となることなく、来世の権利をも投げ捨て――あの女は誓った。願った。他者の瞳を和ませ楽しませるこのタンポポとなる、それが代価。だから我は、ここにいる。おまえに最後の機会を与えることにした。貴様のためではない――我は良きカルマを持つ女の、最後の願いを果たすべく、いまここにいる』
肯定するように、黄色い草原が揺れる。
音を鳴らしている。
そんな筈はない、男はそう思ったのだろう。
しかし。
タンポポたちの中で、膝をつき。
男の指は、女の頬を撫でるように伸びた――花弁に触れると、まるであいつのように花は揺れていた。
ああ。
と、男は息を漏らす。
カイルマイルは唇を震わせる。
悟ったのだろう。
男の耳には聞こえていた筈だ。
揺れる黄色い草原、タンポポたちの声を――。
あたし達は失敗したのです。やってはいけないことをしたのです。どうか、街へ償いを――。
と。
男の息が、花弁を揺らす。
「なにをすればいい……なにをすれば! この街は、救われる!」
『……。この街にはヒーラーが足りぬ。なれど、我はもはや直接的な介入ができぬ。故に――咎人よ。提案だ。汝が癒せ。汝が救え。汝がその罪の責任を果たせ。汝の死後の魂を、我が買ってやろう。代価は、この街への贖罪の権利。どうする人類よ、答えよ――咎人よ』
顔を上げると、神たる獣がそこにいた。
空から人を眺めていた。
それが四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの本質なのだろう。
神々しい存在が、遥か上空から――じっと人類を見下ろしていたのだ。
男は願った。
おそらく生まれて初めて、他人のために、強く願ったのだろう。
あの日のスカーマン=ダイナックのように。
それは純粋な願い。
嫌われ者だった男がたった一度だけ望んだ、善行。
願いはタンポポ畑の中。
魔猫は愚者たる男の魂を、拾い上げた。
黄色い草原。
揺れる花弁を踏まぬように、大地に肉球を踏みしめたのは、かつて人類だった魔猫。
男は四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの眷属。
名もなき魔猫の一匹となった。
そこにもはやカイルマイルだった名残はない――けれど。
その前脚と肉球は、やはり、タンポポの花弁を踏まぬように草原を走る。
人類が死闘を繰り広げる戦場。
滅びに向かう自由都市スクルザードの街を、一匹の魔猫が駆け始めていた。




