第055話、カイルマイルの豪胆な一生【スクルザード共同大使館】
【SIDE:人類側、武装集団代表カイルマイル】
自由都市スクルザードの地――豪華なディナーが並ぶ部屋。
次々と邪魔者たちが消えていく共同大使館にて。
武装集団ネオットの代表の男、野心に溢れた豪胆な戦士カイルマイルは勝利の美酒に酔いしれていた。
それもそのはずだ。
多くのライバルがいたこの大使館は今、閑散としている。カイルマイルの天下と言っても過言ではない状態となっていた。
なにかと口うるさく邪魔だった幼女教皇マギは去った。
十五年前のモスマン帝国との戦争時の英雄だからと、なにかと鼻についた戦術師シャルル=ド=ルシャシャも去った。
勝者となった彼は思う。
それはこの男、自由都市スクルザードの長となるべく動いていたカイルマイルが追放したと言ってもいいだろう――と。
権威を示すために戦う武装集団、その長へと昇り詰めていた男は、本当に嬉しそうに酒を呷る。
「ふはははは! いやぁ、滑稽だったじゃねえか。なぁ、あの連中は。なにが取り返しのつかぬことになるだ。なにが、いまならまだ間に合うだ。貴様らは失脚したのだ、あの殺戮者の小僧を庇ってなにがしたかったかは分からねえが――うっく」
「ちょっと飲み過ぎですよ、カイルマイル様――」
酒を飲み干し大きな喉仏を揺らす男の横。
眼鏡をかけた美人とは言えないが、愛嬌のある顔立ちの女性が呆れた様子で告げていた。
「飲んだっていいじゃねえか、なんだ? 女の秘書ってのは、酒にまで口を出すのか?」
「男も女も関係ありません。仕えるべき主が、泥酔寸前まで飲んでいたら、性別なんて関係なく止めますし。口うるさくもなりますよ」
はぁ……と愚痴る秘書の女性に敵意はない。
彼女だけはどんな時でも、バカだが強いカイルマイルの味方だった。
「だがよ~。これって飲むべきめでたいタイミングだろう? 宗教国家ペイガの姫は暗殺され、魔境ズムニの暗黒騎士は謎の失踪。じゃあ誰が今、この誰もいなくなった街の代表になるかっつったら、そりゃあおめえ、このカイルマイル様しかいねえって話だわな!」
「単純な方ですねえ。あなたの野心は嫌いじゃないですが。これって……さすがになにか、変ではありませんか?」
「ああん? 何が変だってんだ? このオレ様が代表になるのが、そんなに変ってか!?」
素朴な顔立ちの秘書は、存外に大きな胸を触ろうとしてくる主の手を、静かに払いのけ。
「あなたが代表になるのはあたしも賛成ですよ? ま、まああなたを信じてここまでついてきているんですし。でも……やっぱり。ちょっと都合が良すぎます。あなたのライバルだった人たちが、次々に隙を見せ――あなたに排斥される口実を作ってしまうなんて……」
「まあたしかに。邪魔だったヤツら……要人どもが都合よく消えちまってるってのは確かだが」
酒を飲む手をやめた男に、秘書はほっと胸をなでおろす。
「でありましょう? この件は慎重になった方がよろしいかと、あなたを支えてここまでついてきた秘書は存じますが……」
「フハハハハハハハ! だがな! おまえは何も分かっちゃいない! 前から言っているだろう、それはきっと神がオレを選んだのだとな。ここまで都合よく邪魔者を消す口実が手に入り続けていたんだ。この自由都市スクルザードを治めろって、そう言ってるに違いねえだろう?」
「仮にそうだとしても……少し不味いですよ。いくらなんでも、街の重要な人物を排斥し過ぎました。これでは街が成り立たなくなる日も近いかと存じますが」
主の意向を読み取った上で語る秘書に、主導者としての顔でカイルマイルが言う。
「いいんだよ。ここは自由な街。外からも人は入ってくる。これから入ってくる連中は、前にでけえ顔をしてた奴らの古い威光に縛られてねえ連中だ。このカイルマイル様のいう事を何でも聞く、たとえば故郷の連中を呼んで戦力にすればいいだけの話だろう? 今こそが好機。オレは――かつての故郷の皆が安心して暮らせる場所を作るためなら、なんだってする。たとえ汚い手を使ってもな」
「そう都合よくはいかないかと……」
そう、上手く行き過ぎているときほど警戒するべき。普通ならばそう思う。
筈だった。
けれど今のカイルマイルは違う。順調に覇道を進む彼は思っていたのだ。
「今までだってずっと都合よくいってたんだ。今回も平気だ、心配なんていらねえ。オレはおまえを王妃にしてみせるって、あの時に約束しただろう? 辛気臭ぇ話は終わりだ終わり。さあ、今日は飲むぞ、じゃんじゃん飲むぞ! ほら、酒と女だ! このカイルマイル様にひれ伏せ、ってか!」
「分かりました。すぐにお持ちします」
「んだ? オレ様の秘書たる未来の王妃が給仕の真似事ってか? そこらの連中にやらせりゃあいいだろうさ」
ぽっと赤らめた顔を隠すように秘書が言う。
「あなたが次々に追放したせいで人手が足りないのです。それに、今のあなたは数少ない権利持ち……共同出資者という肩書で、このスクルザードの政治を動かせる代表権をお持ちの方。もし毒でも盛られたら面倒でしょう」
「毒だぁ? なんでオレ様に毒を盛る奴がいる――」
「せめて恨まれている自覚をお持ちくださいな。幼女教皇マギも戦術師シャルルも街の民に好かれていましたし、なによりあなたは少し横暴な所がありますから。そうとうに恨まれてますよ?」
部下からの心配と親切心を含んだ忠告に、カイルマイルは微笑を返し。
「んじゃあ、明日にでも不満を垂れてる連中を追いだせばいいだけだろう?」
「はぁ……明日、酔いが醒めた時にもう一度話を聞いてください。今のあなたは少し、酔っておいでのようですから……もういいです」
「分かった分かった。ほら、酒を出せ」
「今やってますよ」
部下の秘書は、こんな上司であっても忠誠心があったのだろう。信頼もあった。それはカイルマイルが口だけではなく、武装集団を治めるだけの武力を有していることだけは事実だったからだ。
力があるということは、それだけである程度の求心力がある証明でもあった。
この女は絶対にオレを裏切らない。
その点に限り、カイルマイルには絶対的な自信があった。
しかし――だ。
なぜか秘書はなかなか帰ってこない。
「おい、拗ねちまったのか? 悪かったよ、今晩はちゃんと優しく抱いてやるから――早く酒と一緒に来やがれって」
酒の追加と、今宵の閨を要求するが。
なしのつぶて。
返事がない。
「おい、聞いてんのか?」
『はいはい、聞いております。おりますとも、今回の作戦の立役者様』
闇の眷属の気配は、突然部屋に生まれていた。
カイルマイルの顔色が変わる。気配も武人のソレに変わっていた。
「貴様、なにものだ……」
『はて、何者かと言われたら名などないのですが。まあ便宜上モブ羊とでもお呼びください』
慇懃に礼をし、とてとてとて♪
弱小としか思えぬ羊悪魔が、カイルマイルの前を歩いている。
武装集団ネオットの代表として、男は眉間に鋭い皺を刻み。
「オレの秘書はどうした――」
問いかけに答えず、瞳をにっこりさせた羊は言う。
『いやはや、本当にあなたには感謝しているのですよ? 邪魔者を消すには、人類自らの手で排除して貰うのが手っ取り早い。もしあなたのような野心と邪心を持つ者がいなかったら、失敗していた筈なのですから――あなたに、最大級の感謝を』
パチパチパチと、蹄で拍手をする音が響く。
「どういうことだ――」
『単純な話ですよ。あなたが追いだした連中が言っていることは、全てが正しかった。それだけの話です』
思考が、停止していた。
こいつは何を言っている。
そんな単語が頭を通り過ぎる最中、羊のにっこりとした笑顔が視界に入ってくる。
『まだ理解できないのですか? いえ、理解したくない。そんな顔ですね。いやはやおめでたい方だ。全てが都合よくいっていた。そうは思わなかったのですか?』
「それは神が、オレ様を――っ」
『知らないのですか? 神は確かに存在します。大地神なる神属性のカテゴリーに含まれる便宜上の神ではなく、本物の神――四柱の面倒な連中がいますよ? けれど、そう都合よく動く存在ではありません。もし今までの奇跡が神の加護に見えていたのなら、それは神を真似た誰かの仕業なのでは?』
あなたのおかげで準備が整いました、と羊は嗤う。
カイルマイルは愚かだった。
しかし、自分がうまく他人に利用されていたと気づくほどの知恵はあった。
「全て……きさまらが。そういう事か」
『いえ――やったのはあくまでもあなた方です。我らはほんのすこしきっかけを与えて、傍観していただけ。ですから――人類でありながら、我らのために貢献してくださり、誠に感謝しております。いえ、本当に。こうも都合よく騙されてくれる馬鹿が、街の代表に入っていたなど、あなたではありませんがこう思ってしまいますね。神は我らにこの地を征服しろと言っているのではないか――と』
告げる羊悪魔の足元には、先ほど酒を取りに向かった秘書が転がっている。
低級悪魔と言えど、非戦闘員にとっては脅威。
ただの一兵卒だった頃から支えてくれた女性の死に顔が――魔物にいいように利用されていた男を眺めていた。
秘書の死体に、カイルマイルは激昂していた――。
召喚した魔剣に、その戦意が乗算されていく。
武器そのものに闘気を纏わせる戦闘方法なのだろう。
「雑魚が! オレ様を、舐めるなぁあああああぁ!」
『挑発に簡単に引っかかる。それも減点ですね――警戒する必要などありませんでしたか』
言ったモブ羊が肩を竦めた、その瞬間。
性格はともかく、戦力としてだけは優秀と評価されるカイルマイルの胸板に、闇の氷散弾が突き刺さっていた。
優秀な戦力にして代表――つまり、自由都市スクルザードが人類の街として機能する、人類側のエリアボスの一人。カイルマイルの真後ろには、魔物側のエリアボスが立っていたのだ。
「ぐはぁ……っ、伏、兵……かっ」
『目線を引き付け、背後から襲う。まあ常套手段ですからね。それでは、さようなら。我ら魔物の恩人よ。ああ、どうかご安心ください。私は弱い魔物ですので、最後まで生き残れないでしょうし。そんなに睨まなくても、いずれ死んでしまいますから』
カイルマイルは倒れ、その胸から大量の黒い血を流す。
致命傷だった。
豪華なディナーが並ぶ部屋。
ああ、これはもったいない。もったいないと、モブ羊が男に代わり、満面の笑みでグルメを喰らう中。
血にまみれた、男女が横たわる。
秘書の亡骸を目にし、崩れる男――。
カイルマイルは死を悟った。
走馬灯が走り出していたからだ。
なぜ、こうなった。
男は思う。
ああ、なぜ彼女の警告に耳を貸さなかったのかと。
その脳裏に、かつての女の声が再生されていた。
――もう、しょうがないですね。あなたみたいな馬鹿についていけるのは、あたしぐらいなもんでしょうし。いいですよ、一緒に出世しましょう。けれど、勘違いはしないでくださいね。別にあたしは、あなたのことなんてこれっぽっちも……。
ちょろい女だと思った。
オレに惚れてる癖に素直じゃねえ女だと思った。
けれど、使える女だと思った。
だから。
――バーカ、安心しな。オレについてくるなら、てめえは必ずオレに惚れるさ。なんたって、村一番の英雄カイルマイル様だぞ? ちゃんとてめえを、世界で一番幸せな王妃にしてやるよ。
と、そばかすが残る女の頬に指を当て、勝利者となる男の笑みで言ったのだ。
女はバカですねえ……と言っていたが。
笑っていた。
タンポポ畑の草原で、頬を撫でられ嬉しそうに笑っていた。
黄色い走馬灯の中。
死にゆく男カイルマイルは手を伸ばした。
すまなかった――と指が伸びていた。
愛していた女の亡骸を抱えるように――せめて最後に、その頬を撫でてやりたかったのだろう。
しかし、その願いは叶わなかった。
届かなかった。
男の腕は途中で力尽きていたのだ。
黄色い走馬灯、タンポポ畑も消えていた。
死んだのだ。
届かぬ指。
それを眺めていたのは強大な存在、英雄魔物。
山羊の瞳に、死んだ男女が映っている。
巨体を屈め、愚者の遺骸に手を伸ばす魔物の王が言う。
『過ぎた愚かさは害悪にして罪か。哀れな男よ――』
『おや、山羊悪魔王さま、どうかなされたので?』
『いや、武人の最後を眺めておっただけだ。気にするな』
二人の死体が発見されたのは、翌日の事。
邪魔者を消し続けた愚かな男。
武装集団の代表カイルマイル。
戦犯ともいえる男の届かなかった筈の指は、なぜだろうか――。
まるで最後に撫でるように。
女の頬に乗っていた。
そう、発見者からの報告書には記されていた。
突如発生した魔物による、カイルマイルの戦死。
それが自由都市スクルザードを取り巻く魔物と人類の戦争の始まり。
戦乱の幕が切って落とされた瞬間であったとされている。




