第053話、殺戮令嬢の過去【北砦、真樹の森】
【SIDE:暗黒騎士クローディア】
四星獣ムルジル=ガダンガダンが提案した解決策は極めてシンプル。
そして現実的な案だった。
暗黒騎士クローディアの傷を癒し、多少の力を授け北砦へ向かわせたのである。
もちろん目的は、事態を解決できる実力を持つ少年アルバートン=アル=カイトスに頼み、自由都市スクルザードに戻ってきてもらう事。
クローディアは、街に忍び込み始めていた魔物達の目をかいくぐり、北へ、北へと進んでいた。
暗黒騎士の恰好では目立つと、服装は貴族だった当時のモノを再現した装備で固めている。
北部への関所は許可がなければ通れない。
しかし、かつて北部で過ごしていたクローディアならば話は別だった。彼女はいまだに、貴族専用の通行証を所持していた。
そういった意味でも、ムルジル=ガダンガダン大王が彼女を使徒としたのは的確だったと言えるだろう。
思わぬ帰郷となったクローディアは考える。
北部の懐かしい森。
神殿の柱よりも太い大樹の数々が、彼女の望郷を刺激していたのだ。
その口から当時より大人びた、二十代後半の、独り立ちした成人女性としての声が漏れていた。
「真樹の森。ここは、変わっていないのだな――」
懐かしさに引かれ靡く後ろ髪と一緒に、首に付けた通行証代わりの貴族のペンダントも揺れていた。
ペンダントを繋ぐ鎖。その金属の冷たさが肌に喰い込んでいるようで、それがクローディアには少しだけこそばゆい。
この貴族の証は、彼女が捨てられなかった過去そのもの。
十五の時、成人する淑女にと愛する者が贈ってくれた宝物。
けれど、その表面は古い血で汚れている。
罪を犯し、街を捨てたその時に、もはや二度と使わないだろうと思っていた。
けれど。
――多くのモノの命がかかっているのだ。私情を挟める余地などない。
四星獣の加護を受けたおかげか、道には迷わない。
しかし、何故か何度も同じ場所、森の迷路に辿り着いてしまう。
「これは――幻術か」
呟く彼女は思いだしていた。
四星獣ムルジル=ガダンガダンから言われているのだ。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアは、あの少年を庇い、静かな暮らしを与えてやりたいと願う父の願いを受け入れたのだと。だから、必ずそこには邪魔をする何かが設置されている筈。
娘よ、実力行使でも説得でもいい。そこにいるイエスタデイ=ワンス=モアの眷属を退け、なんとしてでもアルバートン=アル=カイトスを連れ戻せ。
余らが介入できないのならば、唯一、強化された英雄魔物を倒せるあの少年を連れ戻すしか街が救われる道はない――と。
『おや、気付かれちまったようだね。てことは、おまえ、そこそこできるヤツってことか』
姿を現したのは盗賊や狩人にも似た軽装の女性。
重鎧に身を包む重闘士とは真逆の、俊敏さに重きを置く前衛職か。
姿かたちは間違いなく人間だが、おそらく普通の人間ではない。その周囲には、霧にも似た赤いオーラが蜃気楼のように揺れているのだ。
容姿は美しいと言える造形だが、その肌にも顔にも、無数の傷跡が浮かんでいる。
職業は――。
「パニッシャー、冒険者殺しだと……」
『へえ、四星獣の召喚獣たるオレを鑑定できるとは。おまえも四星獣の関係者、巻き込まれた人類ってことかい。へいへい、お互い大変なようだが――悪いね』
パニッシャーの女は、ぞっとするほどの殺意を滲ませ。
赤く輝く一対の短刀を装備。
戦意を膨らませて、クローディアを睨みつけていた。
『ネコの旦那にここを通る人間を退けろって言われちまっててね。そしてオレ自身にも、この道を守りたい理由がある。あの子をむざむざ危険な目に晒す気なんてねえのさ。帰りな――お嬢ちゃん』
「あの子供の関係者なのか」
『さあて、どうだろうな』
「貴殿の空気感は身内に向けるソレだ。親族という事か」
『――……まあそうなるのかもな。生前はって条件付きだがね。ネコの旦那もその辺を気にしているらしくってな、余興よりもあの子が静かに暮らせる生活を選ぶなんて、ガラにもねえことをさせちまったよ』
さて、と。
空気を切り替え、冒険者殺しの女が言う。
『で? あんたはどうしてあの子を連れ出したいんだ。ぶっちゃけ、他人ばっかりなんだろう。その自由都市ってのは』
「貴殿、どこまで知っているのだ」
『四星獣イエスタデイ=ワンス=モア、ネコの旦那。オレの飼い主様は、まあなんでもできる御方らしくってな、オレを話し相手に、だいたいの事は語ってくれてるよ。そっちで山羊と羊が暴れてるって事もな。いいから、なんであんたがあの街を救いたいのか、その理由を聞かせてくれよ。なあ、いいだろう?』
自由都市スクルザードの事情は筒抜け、と判断し。
クローディアはまっすぐに相手を見据えていた。
「よくある話だ。わたしは拭えぬ過去を抱える身。贖罪を果たしたいと、そう願っているだけ。あの少年がいれば、あの街を救える可能性がある。だからこうして今、わたしはここにいる」
『贖罪ねえ。あんた、なにをやらかしたんだ?』
「貴殿には関係あるまい」
『そうでもねえぜ? ここを通すための理由、そうだ――納得できる理由になるじゃねえか。ほら、オレを説得してみなよ。説得できないのなら戦って追い払う。説得できても、戦って追い払う。けれど、手加減ぐらいはしてやるよ』
問答を要求している。
まともに戦って勝てる相手ではない、そう本能的に悟っていた暗黒騎士クローディア。
彼女はしばし考え、相手の要求通りに語り始めた。
「わたしには昔、婚約を誓った恋人がいた。愛していたし、わたしもあの男から愛されていたと思う」
『そりゃ。お花畑みたいに綺麗なお話で、反吐が出るねえ』
「ああ、反吐が出る話さ。わたしの恋人は優秀だった。惚れた欲目を抜きにしても、他者に好かれ、尊敬される男だったと思っている。けれどだ、アレは優秀過ぎたのだ。とある貴族の嫉妬と怒りを買ってしまったのだ。だから殺された。咎なく処刑を命じられたのだ。公国というのは貴族社会。貴族が中心に全てが動いている、そして貴族の順位でその発言権が決まるのでな。そういう意味では、アレは優秀だが馬鹿正直な男だったのだろう。あっさりと死んでしまったよ」
過去を眺めるような瞳で、クローディアは淡々と語る。
「わたしは恋人の首をこっそりと持ち帰り、誰の目にも届かぬ場所として、この地に墓を建てた。もちろん、許されてはいない行為だった。けれど、どうしても、あの男の首をそのまま晒しておくことが我慢できなかったのだ」
『分からねえなあ。死んじまってるんだろう? 弔いを否定するつもりはねえが、時と場合ってもんがあるだろう。そこに魂がないのなら、ただの肉の塊じゃねえか。あんたの恋人だって、自分の死体のせいであんたを不幸にしたくはなかっただろうに』
「それでも――抑えきれぬ感情が、当時のわたしを突き動かしていたのだろうさ」
まるでその時の――愛するモノの首を抱いていた、あの瞬間のような顔と仕草で。
クローディアは森の奥を眺めていた。
この鬱蒼とした森の中で、恋人の首を抱き、女は強く泣いたのだろう。
『で、どーなったんだ。そこで話が終わりじゃねえんだろう』
「わたしを快く思わぬ、おしゃべりな奴がいたのだろうな。墓は貴族たちにすぐに見つかり、呼び出されたわたしの目の前で砕かれた。わざと形を残すように、何回にも分け、執拗にな。奴ら、あいつの骨を砕きながら――それは嬉しそうに笑っていたよ。それこそが貴族どもの悪戯、よくある、何度も行ってきた余興だったのだろうな。わたしがどう嘆くか、どう泣くか、楽しみで仕方がなかったのだろう。けれど――わたしは泣けない女だった。どうやら、先祖代々の武人の血が濃かったようでな。その時、わたしは初めて知った。人間とは本当に怒り狂うと、正気を失うのだとな――」
冷たい美貌に過去を浮かべ、殺戮令嬢は凛と告げていた。
「気が付いたらわたしは、奴らの首を刎ねていた。全員、殺していた。嗤いに来ていた、その一族共々な。皆殺しという言葉が似あう光景が、そこにあった。あいつとの思い出で溢れた、この森。真樹の森に、綺麗な断面の首が並んでいたのさ」
『ヒュー、派手なことをするじゃねえか!』
「貴殿は眉一つ変えぬのだな」
『ま、殺戮勝負なら負けちゃいないぐらい、オレの手は汚れてるって事さ。自慢じゃねえがな。殺戮数ならオレの方が上だ、そこは忘れるなよ?』
勝負などしていないのだが。
妙に子供っぽさを残す女に、クローディアは言う。
「貴殿は、人を殺したことを後悔していないのか」
『ああん? 後悔する暇もなかったよ。悪い事だって知らなかったからな』
そう人を殺すのは当然悪い事だ。そして、貴族殺しももちろん重罪。
しかも殺した相手が、自分よりも位の高い貴族ともなれば、事態は深刻。
『強いっていうのも困ったもんだねえ。で? 続きは? それがなんだっていうんだ』
「我が伴侶となる筈だった者の遺骸を穢した下衆ども、その首を刎ね殺した……。その行為を後悔したことはない。一度たりともな。なれど――わたしは、多くの身内の命を散らしてしまった。反逆者として、我が一族は汚名を着せられたのだ。身勝手な、わたしの暴走のせいでな。それでも、わたしだけは生き延びた。なぜだか分かるか?」
『そりゃあ、強いからだ。オレと一緒だな』
目の前の女は、納得した顔をして。
肌に浮かぶ傷から、魔力をみなぎらせ始めている。
「罪の中で今もわたしは生きている。死んでいった同胞への贖罪のために、わたしは一人でも多くの、誰かの大切な人を救ってみせると決めたのだ。それが理由だ。どうだろうか、手加減はしてもらえるのかな?」
『その前に答えな。その贖罪ってのは、誰かの大切な身内を殺人の道具にしてでも――果たす価値があるのかい?』
冒険者殺しの女は皮肉気に告げていた。
そう。
アルバートン=アル=カイトスは無関係な一般人。ただ強いというだけの、部外者。
それなのに――巻き込もうとしていることは、紛れもない事実なのだ。
「あの少年は一人たりとも殺さなかった。冤罪を擦り付けられ追われながらも、罵倒されながらも。石を投げつけられながらも、それでも一切の反撃をしなかった。わたしのように、怒り狂い首を刎ねていても……おかしくなかったのにな。彼なら、この状況を救ってくれる。そう、わたしはそんな都合のいい夢を、あの少年に見てしまったのだ」
『答えになってねえじゃねえか』
「――……そうだな。あの少年を巻き込む行為について、わたしはわたしの行動を正当化できるほどの知恵がない。きっと、彼を大事とする者からは悪と呼ばれるのだろう。そこを否定するつもりはない。謝罪はするがな」
冒険者殺しの女は考える。
考えて、考えて。
そして、口を開いた。
『なあ、あんた。さっきの話、ここでやつらの首を刎ねたって話だ。もしもう一回、過去に戻って同じ場面に立ったら。どうするか、聞かせて貰ってもいいかい?』
「その質問に何か意味があるのか?」
冒険者殺しの女は答えない。
重要な問いなのだろう。
取り繕う知恵のないクローディアは、素直に内心を吐露していた。
「たとえ過去に戻れても、結果は変わらぬ。おそらく、駄目だと分かっていても。その後、どれほどに多くの身内の命を犠牲にすると理解していても、止められぬ――同じことをしただろうさ。ここに貴族の首を並べている筈だ」
またもう一度、その首を刎ねる。
そんな殺意を感じ取ったのか、パニッシャーが言う。
『ははははは! 正直じゃねえか、いいぜいいぜ、気に入った! 通りな』
「いいのか? 四星獣に命令されているのだろう?」
『たぶんオレが通したって知ったら、あの魔猫の旦那も許容するだろうさ。中立を気取ってるようだが、やつは悪意のない存在と、過去に強い思い入れがある存在に弱いみたいだからな。あんたはたぶん合格だよ。ま、後はあんた次第だ。あの子と父親を好きに説得すればいい。説得できるかどうかは、別の話だけどな――』
せいぜい頑張りな――と、哄笑に似た声を残し。
女の影が赤い短刀の姿となって、森の奥へと消えていく。
装備に宿る精霊だったのだろうか、クローディアはそう判断し。
様々な思い出が詰まったこの森を見た。
その足が。
愛と憎悪で彩られた道を進む。
かつてこの地で、貴族を惨殺した女は森の奥へ進んだのだ。
四星獣ムルジル=ガダンガダンと並ぶほどの強大な神性。在りし日の過去を懐かしむ白き魔猫イエスタデイ=ワンス=モア。
かの神はただ静かに――思わぬ帰郷と過去を顧みる女の後ろ姿を、じっと眺めていた。




