第051話、弱者の宴【自由都市スクルザード】
【SIDE:魔物勢力】
夢魔としての流れをくむ悪魔系の魔物は、人間の恐怖を喰らう。
恐ろしい、怖い、どうしよう。
そういったマイナスな感情を、むっしゃむっしゃと喰らい、その力を糧とし成長をする。
だから低級悪魔で低級魔物であるモブ羊は、人類が好きだった。
人類が食用家畜を愛でるような慈しみをもって、にっこり。
縫いぐるみのような羊悪魔は、今日もルンルン。姿を隠した状態で人類の街を歩く。
羊の瞳が、ギラギラっと黒く輝いている。
『ああ、美味。美味。実においしゅうございます。この負の空気、この罵倒の数々。大変な美味でございまする!』
冒険者にも気づかれない透明状態を維持できるのは、力だけは凄まじい上級悪魔パノケノスのおかげ。
とってとてとて♪
羊は歩いて、道行く冒険者パーティの財布を盗み、別の冒険者パーティの荷物の中に押し込み。
トントントンと蹄で、荷物を叩いてやる。
カバンが空いてますよ~と親切に教えてやったのだ。財布を盗まれた冒険者がモブ羊の誘導するままに、カバンを確かめ、アイテム探索のスキルを発動させる。
するとどうだろう。
肩を怒らせた冒険者が、冒険者に向かい威嚇スキル”殺意の波動”を解き放ち。
「待ちやがれ、てめえら! 俺たちの財布を盗みやがったな!」
それぞれが二流の冒険者集団であったが、これで潰し合う。
こんな連中でも、中層に辿り着く実力はある。だが、これで終わり。
次にモブ羊は、上級冒険者パーティの要となっていた男の、浮気現場を押さえた魔導映像を公衆の面前にうっかりバラまいてしまう。
ああ、これはいけませんねえ、と羊は頬を膨らませてニッコニコ。
映像を目にした魔術師の女性が、精悍な優男の首根っこを掴み。
「ちょっとあんた! あたしだけって言ってたのはウソだったわけ!?」
上級冒険者のパーティは崩壊した。
あ、楽しいな~。楽しいな~と、モブ羊がルンルンで歩いていると、同じく透明状態を維持している巨大な燕尾服の悪魔、脳筋パノケノスが言う。
『なんというか。貴様……こんなことをして、何が楽しいのだ?』
『おや、パノケノスさまは楽しくないので?』
『貴様がやっていることはただの嫌がらせの連続。とても作戦と呼べるものではないと思うのだが』
パノケノスには武人としての気質があるのだろうが。
モブ羊は別。
もはや覚悟が決まった弱者。ステーキ肉のためならば! と。
フンフンと鼻息を荒くし、上司であったとしても毅然と告げる。
『しかしご覧なさい。この美しい景色を――人類が皆、ギスギスしておりますでしょう?』
うっとりと鼻先をヒクヒクさせてご満悦なモブ羊。
まともな者が次々と見切りをつけて去っていく街では、諍いばかりが増えていく。今日もまた、どこかのギルドマスターが静かで大人しく職人気質な仲間を、役に立たない者だと追いだした。
それもモブ羊の悪戯の結果。
『あの者は実に良い革職人だった。あの者が作る皮装備は実に上質だった。盗賊や狩人、軽装戦士や魔術師のブーツを理想の形で生み出すのです。だから、邪魔でした。魔物的にはとてもよくないと、私は思ったのです』
追放されていく者達を見て、羊は穏やかに告げる。
『だから――私は上級悪魔の力を使い、ギルドマスターの枕元に立ったのです。いかにあの職人が凄いか、皆から好かれているか、純然たる事実を、しかし、敢えて過剰に、嫉妬心を煽るように囁き続けたのです! 上級悪魔は、なにをやってるんだこいつは……と呆れた顔をしていましたが、これも全て必要な事』
演説に――。
脳筋上級悪魔は、外見だけは知的だが、中身はそれほどでもない頭をひねらせる。
『確かに、あの革職人の男がやってもいない素材の横流しの件で、ギルドマスターとやらから呼び出され、冤罪で追放されたのは翌日の事であったか』
『ええ! 革職人は悔しさに拳を握っていた。憎悪する瞳で、この街を睨んで去っていった。二度と、戻ることはないでしょう。これでもう、上質な革装備は手に入らない。これで人類はひとつ弱くなりました。この積み重ねこそが、我らの勝利に繋がるのです!』
モブ羊は丁寧に、陰険に、大人しいが縁の下の力持ちとなっていた者達を、巧みに追放していく。
荒れていく街を眺め、うっとりニッコリ。
『人類とはとても愚かなものです。彼らは自分たちの強さがどこにあるか、まるでわかっていない。力ある者だけが人類の強さを支えているわけではない。ああいった、地道に働く者達も強さの一つなのであります。それを理解せずに、簡単に放逐してしまう。ちょろいですね~、甘いですね~』
言いながらも、モブ羊は武器屋の値札を勝手に張り替え、また一つ騒動の種をまいていく。
ジト目で、せこい工作を眺める上級悪魔パノケノスは言う。
『う、うむ。良き負の感情、マイナスのカルマであるが……』
『ご不満があると?』
『うむ、なんというか……地味過ぎはせぬか?』
だからあなたは脳筋なのですと、ビシ!
モブ羊が、蹄で指差し雄弁に語る。
『しかし、どうですか! 今まで以上の力が漲ってくるでしょう! あなたはエリアボス! 上層への扉を守るべく特別な存在として配置された、特殊悪魔。悪しきカルマこそがあなたの力となるのです!』
『しかし、どうものう……』
『ウィルドリアの冒険者ギルドも去った。ヴェルザの街の冒険者ギルドも去った。小生意気にも優秀だった彼らがいなくなったこの街の残りのギルドは、ナンバーワンギルドの座を狙ってほくそ笑んでいるのです。全てが我らの掌の上だと知らずに!』
メメメメメ!
邪悪な愉悦の中で羊は謡う。
『共同出資者とやらは利権を狙って、それぞれが勝手に動きを見せている。そこに協調性など皆無。だから私も動きやすい――! この土地は、間違いなく我らの城となりましょう!』
雄弁に語って低級悪魔ことモブ羊は、トコトコトコと透明状態で移動する。
そんな彼らの後を追っている者がいた。
モブ羊は雑魚なので気づかない。
しかし上級悪魔パノケノスは気づいている。
『何者かが我らの存在に気付いているようだが?』
『……。いや、ようだが? じゃないですよ……他の人間に気付かれないように殺してください、今すぐに』
『しかし、雑魚であるぞ?』
『あのですねえ、雑魚の私がこうして人類をひっかきまわしているという事を、お忘れですか?』
ふむと上級悪魔は魔力弾を飛ばす。
エリアボスの波動は瞬時に追手を吹き飛ばしていた。
相手は暗黒騎士。
『やったのですか?』
『おそらくな』
『……。あのですねえ、おそらくでは困るのですが?』
上級悪魔は脳筋ゆえに、確かめもせずにこう答えた。
『このパノケノスの腕を疑うのか?』
『そうでした。あなたは力だけはあるのでした。失礼失礼。今度からはこちらの気配に気づいている者がいたら、即座にやっちゃってくださいね。この計画、北砦のあのアルバートン少年と、彼を追従しつづける四星獣に気付かれたら終わりなのですから』
モブ羊は上級悪魔の力だけは信じていた。
これで本当に追手が雑魚だったのならば、問題はなかった。
けれど、もし――追手が腕に覚えのある、国を代表するような暗黒騎士だったとしたら?
この街の異変に気が付き、完全武装していたとしたら?
そしてもし、上級悪魔パノケノスがもう少し弱かったら、相手を雑魚と侮らなかっただろう。
完璧だったモブ羊の策に、一つの穴が開いた。
死の直前で踏みとどまった暗黒騎士クローディアが、負傷した身体で――。
とある衛兵の元までたどり着いたのは、しばらく経っての事だった。




