第045話、入国審査に不備はなし? アルバートン少年の冒険【検問所】
【SIDE:田舎少年アルバートン】
北砦と呼ばれる国交を断っている地からやってきた少年。
アルバートン=アル=カイトス。
父や友からは親しみを込められてアルアルと呼ばれる彼は、困惑していた。
父から礼儀正しく育てられた彼は行列の中で大きな欠伸をする。入国審査に時間がかかっているようで、まだ自分の番にならないのだ。
背負う自分よりも大きな荷物の位置を直しながら思う。
――なにかあったのでしょうか?
アルバートンは十五の少年。
本人はもう好青年だと考えているようだが、まだ顔立ちには幼さが残っていた。しかしその容姿は神秘的。まるで皇族の血を感じさせるほどに、美麗だったのだ。後一年もすれば、戯曲で語られる美化された神話の英雄と同じ。いや、彼らがかすんでしまうほどの美青年に成長するでしょう。そう言ったのは、貴族が権力を持つ北砦の公爵令嬢だったか。
神の寵愛を受けた、絶世の美少年といっても過言ではなかったのだ。
実際、入国審査待ちの列では異様な空気が広がっている。
皆が、その少年に釘付けとなっていたのだ。
性別を切り替えられる美貌悪魔、サキュバスやインキュバスの術中にはまった冒険者のように、皆がごくりと喉を鳴らしてアルバートンに目をやっていた。
そんな目線には気づきもせず、アルバートンがまた一つあくびをする。
人前で無防備に欠伸をする、それはあまり褒められた行為ではないとされていた。魔術迷信の中で、欠伸は人に伝染するという学説がいまだに信じられているからである。けれど、彼は欠伸を我慢できなかった。大人になりたい彼だが、精神面にはまだ子どもっぽさが残っているのだろう。
スラリと長い手足を支える身長も、まだ成長途上。
心身共に、少年と青年の境界なのである。
実際、彼はまだ一人前ではない。
彼がひとりで仕事をするのも、今回が初めてだった。
腰を痛めてしまった父に代わり、一人で御者の仕事、すなわち荷物運びを頼まれたのだ。
場所はかつて一度だけ寄ったことのある地、共同自由都市スクルザード。
ここがその目的地。
依頼主である冒険者ギルドへ荷物を運び終えたら、そのまま少し観光してもいいとお小遣いも貰っていたのだが。
これじゃあ観光する時間がなくなってしまいますねと。人好きのする顔立ちの美少年が、ふぅ……と息を漏らす。
「列、全然進みませんねえ」
声を漏らしただけで、列に並んでいた男女数名が倒れこんでしまう。そう、少年は声まで美形だったのだ。もし劇団員や吟遊詩人、声を響かせることがスキル発動条件の戦術家などがいたら、ぜひ君を弟子にしたいとその場で跪いていたかもしれない。
この声の正体は神の加護。生まれる前から並の神とは一線を画す上位存在に、寵愛を受けていた証である。
彼を鑑定すれば”寵愛されし神の美声”の称号が与えられているとすぐに気づくだろう。
もっとも、彼を鑑定できるほどの魔術師がいるとは限らないが。
ともあれ、人が突然倒れたのだ。
当然、騒ぎが起こった。心優しい少年、アルバートンは慌てて駆け寄っていた。
「だ、大丈夫ですか!? いったいなにが」
もう一度声を出したのだ。
当然、更に犠牲者は増えていく。
列の中には腕のいい冒険者も多くいた。ここは今一番人類に注目されている街、自由都市スクルザード。腕に覚えのある者が集う場所。各町の英雄と呼ばれる存在も集っている。
だが。
そんな英雄たちも少年の”寵愛されし神の美声”の虜となっていた。
国交を断っている北砦、いわゆる田舎者の少年アルバートン=アル=カイトス。
彼が騒ぎを起こしたとして、魅了に抗いながら必死で職務を全うする衛兵に捕縛されたのは、その直後だった。
「な、なんなんですか! 僕がいったい、なにをしたっていうんですか!」
そう。
少年の初めてのお使いは、出だしから躓いたのだった。
◇
共同自由都市スクルザードに未曽有の天災が発生したのはつい先日。
あれは突然の事だった。
きらきらと輝く空。星の海から突然発生した波紋から、様々な魔術現象が地上を襲ったのである。
人的犠牲者はいない。
けれど、やりすぎであるこの馬鹿ナマズ猫が――っと、空で大きな肉球音がなるまで本当に、様々な天災が街を襲っていたのだった。
だから街は騒然としていた。
これは何かの前触れではないか。魔物の襲撃の前兆か。意見は割れた。割れに割れた。なにしろスクルザードは自由都市、共同地域ゆえに各国が口を出すことができる。
会議は踊るが進まない。
多くの意見が集まり纏まらない、それが利点であり欠点でもあったのだろう。
しかしそれは、外から荷物を運搬してきただけの少年には関係ない。
取調室では美少年アルバートンが、むすっと腕を組んで衛兵を睨んでいる。
「中に入れて下さいよー! 荷物を届けないといけないんですってば! 子どもが入国させて欲しいって言っているんですよ~! このまま入れないつもりなんですか~! ここは自由都市なんでしょう!」
隣の部屋にまで届く少年の声に、ホットミルクを温めていた取調官の衛兵が言う。
「だーかーらー! 騒ぎを起こしたんだから、ちゃんと君の調査が終わるまでは無理だと言っているだろう! それに君はまだ子供だろう! それなのに一人で入国してくるなんて、どこからどう見ても家出じゃないか!」
「家出なんかじゃないっていってるじゃないですかー! 御者の父が腰を痛めてしまって、だから僕が馬車の代わりに担いでやってきたんですよー!」
「馬の代わりができるわけないだろうがー!」
「運べる量だったんですってば―!」
荷物を背負っていた少年は脇に置かれた大量の荷物を指差し、配達品だとアピールする。
けれど、なしのつぶて。
そもそもこの門前払いには少年に落ち度がある。馬車に付けてあった配達人証明書を忘れてしまったのだ。そして門番を任されている衛兵は、上司からも呆れられるほどに真面目で、不正を許さない性格だった。だから、規則に則り入国は不可能。
そもそも騒ぎを起こしたのだから、入国拒否はそこまでおかしい話ではない。
人がいいのか、取調室に戻ってきた衛兵は、はぁ……と肩を落とし。
少年にホットミルクを差し出し言う。
「とにかく、入国審査を通過したいのならもうしばらく大人しくしていなさい。ただでさえ今この街はピリピリしているんだ、怖い人に見つかったら本当に入国できなくなってしまうよ」
どうやら入国審査は進めて貰えているようだとアルバートンは安心する。
初めてのお使いで失敗などしたくない。優しい父の事だ、そうか、仕方ないと頭をゆっくり撫でてくれるだろうが――アルバートンはそろそろ子どもを卒業したいと思っていたのだ。
「それで、入国の理由は?」
「ギルドに荷物を届けに来たんです」
「さっきも言っていたが……その話は本当なのかい?」
「んー……ああ、そうだ! 冒険者ギルドに話は行ってると思うので、確認していただくというのはいかがでしょうか? 僕の言葉よりも、皆さんが知っている街の人の言葉の方が信用できるのでは?」
「まあ、それが手っ取り早いか――それで、届け先のギルドはどこなんだい?」
これで少年を入国させることができる。
なんだかんだで入国させてあげたい真面目な衛兵は安心するが。
少年はキョトンとした顔で言う。
「え? 届け先のギルドって……ギルドって一つじゃないんですか?」
「え? どこのギルドに届けるのか……」
「知りませんねえ……てっきり、ギルドって街に一つだけだと思っていたのですが……違ったのですか?」
衛兵は理解した。
この少年は田舎者なのだと。
「あのだねえ……ここは十五年前に様々な国が共同で作り上げた街。金を出したり、人員を出したり、複数の国家が関係しているんだ。だからその国ごとにギルドを創設している。君、そんなことも知らなかったのかい?」
「あははははは、はは……」
「その様子だと本当に知らなかったようだね……入国できたとして、それでどうやって届けるつもりだったんだい?」
「その、あの――ごめんなさい」
父さんもきっと知らなかったんだろうなと、少年は言葉に困ってしまう。
真面目な衛兵は面倒見もよかったのだろう。
「はぁ、分かった分かった。今、各ギルドに連絡を入れてみるよ」
「ありがとうございます!」
「それで君はどこの街から来たんだい。問い合わせに使いたいんだが」
「北砦って知ってます? 田舎の公国なんですけど、ここからずっとずっと北にあるダンジョン塔を囲っている街で――」
「ああ、あの国交のない街か」
メモを取りながら呟いて衛兵は顔を上げる。
「よく歩いて来れたね。ここから距離もかなりあるし、なにより途中の馬車道は危険地帯。ダンジョン塔から溢れ出た飛竜が群れとなって、巣を作っていると話を聞いたんだが――」
「飛竜ですか? 見かけませんでしたねえ……少しだけ大きいトンボは飛んでましたけど」
「トンボ? ドラゴンフライ系の魔物かな」
「さあ、どうなんでしょう。なにしろ人のことをじろじろ見た後に、飛んで行っちゃいましたから」
「ああ、じゃあドラゴンフライだろうね。彼らは魔物でありながら風の大地神と契約しているんだよ、善行値が高い者を襲わないらしいからね」
告げる衛兵の耳に通信が入ると、僅かに空気が緩んだ。
確かに北方からの荷物を待っているギルドが見つかったのだ。
入国審査用の魔導書類に記入していく衛兵が言う。
「滞在期間はどれくらいの予定なんだい」
「そうですね。ちょっと観光をしていこうと思っているんですけど。ダメですかね?」
「分かった分かった。上目遣いに見ないでくれ、レジストできなくなる」
「レジスト?」
「無自覚か……君、純朴そうだから余計にたちが悪いなあ……」
衛兵という職業上、賄賂や誘惑に負けない精神訓練をしている。
だから少年が持つ、”寵愛されし英雄の美貌”にも問題なく応対できていた。
現在の衛兵は、そういう欲を刺激するスキルに耐性を持っているので、少年の上目遣いもレジストできるが。
これは将来そうとうのタラシになるだろうと、衛兵は苦笑し。
「まあいい。それで少年、君の名前は?」
「アルバートン。アルバートン=アル=カイトスです。名付けてくれた方がカイトス、つまり鯨のお腹ぐらい立派に大成しますようにって、願いを込めてくれたらしいんですよ。故郷ではアルアルって呼ばれていますけど……って、あれ? もしかして、こういう紹介は……」
「書類には必要ない情報だねえ。まあ、そういう話は個人的には嫌いじゃないけれど? たぶん、こういう場所で話したら笑われちゃうだろうね」
「で、ですよねえ!」
本当に田舎者なのだと衛兵はこっそりと笑みを作る。
不審な点はない。荷物待ちの連絡は来ている、あとはギルド側からの荷物の問い合わせが合致すれば問題ない。
入国目的にビジネスと観光と記し、最後に衛兵は軽い気持ちで問いかけた。
「そうだ。君、職業はあるのかい? 十五歳って事は、もう何かの職業についているってこともあるだろうけど。まだなのかな?」
「ありますよ。パニッシャーっていうマイナーな職業なんですけど」
「パニッシャー? 聞いたことのない職業だね」
「えーと、僕もあまり詳しくないんですよ。ほら、職業って自力で就く場合と、遺伝で先天的になる二つのパターンがあるじゃないですか。僕の場合は後者だったみたいで――とりあえず、目に届く範囲の荷物の前に転移したり。後は肉を解体したり、血抜きしたりもできますね」
「ああ、自力での戦闘も可能な過激肉屋の類似職……商人系の職業かな。これでよしっと」
後の問題は一つ。
「君、潜伏スキルか何かは使えないのかい? その、君は人を病的なほどに惹きつける能力を持っているようだからね。その力を抑えて貰わないと入国許可を出せないのだが」
「それなら問題ないですよ。パニッシャーは存在感を消し去る……なんというか、そこらへんに転がってる石と同じ存在に錯覚させるスキルを使えますから」
「狩人や盗賊の持つスキルに似ているね。やってみて貰っても?」
それが必要な事ならばと、少年は潜伏スキル”襲撃者の黒嘲笑”を発動させた。
確かに、圧倒的な美貌が薄れて地図からも消えていた、何もいない状態になっている。恐ろしい程に完璧な存在隠匿だった。
これならば迷惑はかけない――。
そして少年のカルマを示す天秤は、善に傾いている。
決まりだと、印鑑を押し。
衛兵は善良なカルマを持つ少年を受け入れ、いつものお決まりのポーズ。
門番が行う定番の敬礼をしてみせる。
「ようこそ共同自由都市スクルザードへ。あなたの旅が良いものになりますように」
「はい! ありがとうございます!」
こうしてパニッシャー。
冒険者殺しの職業に就く少年は、自由都市に入国した。
◇
その夜。
受けた報告すべてに目を通していた外国からの賓客の幼き悲鳴が、共同大使館に響き渡っていた。
「パパパパ、冒険者殺しが入国したじゃと!?」
それは幼女教皇マギが王座に就いて六十五年。
久方ぶりに発した、心底仰天した叫びであったという。




