第041話、たった一つの――【馬車道】
【SIDE:御者の男】
鬱蒼とした暗い世界、太陽も届かぬような深い森だろうか。
目覚めた御者の男は揺れる馬車の中。
荷台の上、横たわっていた。
ガタリガタリと暗い道を進んでいたのだ。武骨で無個性な男は考える。これが死者が向かう冥府への道なのだろうか――と。
その手にモスマン達から託された卵はない。
どうかこの子達をと、託された命は燃えてしまった。
おそらく、自分自身も燃えてしまったのだろう。
御者の男は納得していた。
ああ、死んでしまったのだなと。
男は死を受け入れていた。妙な達成感があったのだ。少なくとも、悪夢のようなあの日々を強く生き抜いた。四百の命を救い、皇帝から頭を下げられ感謝された。
普通の馬使いならば、そんな経験できはしない。
やり切ったのだと、男はそう思っていた。
ガタリガタリと馬車は進む。
操縦は少々荒い。本来持っていない馬操縦スキルを、無理やり習得した。そんな雑さを感じさせる運転だった。
御者の男は荷台の中から顔を上げる。
馬を操縦しているのは――蜥蜴人だった。
妙に陽気で、能天気そうに鱗を輝かせるリザードマンだったのだ。その胸の前には、大事そうに抱える何かがある。布のようなモノで小さなものを包んでいる。
ともあれ、こんな明るそうな死神がいるのだろうか。
御者の男が不思議そうにリザードマンの操縦を眺めていると、蜥蜴人が不意に振り返った。
「おう! 目覚めたのであるな!」
「人間の言葉が……わかるのですか」
「当然である! 吾輩はこう見えても人間の友達がいっぱいいるのだ! だから言語も理解しておるのだぞ! どうだ! 凄いであろう!」
「それで、これは――いったい……どういう状況なのでしょうか。これはどこに向かって。あなたは、いえ……なによりも――わたしは、死んだはずでは……」
混乱する御者の男にリザードマンは言う。
「まあ落ち着け。落ち着け。吾輩、二つ以上の事を同時に聞かれると、頭が混乱するのだ!」
「す、すみません……その、わたしは死んだのですよね?」
「そうだったと聞いておるぞ?」
「では、これは地獄へ行く道でしょうか」
「違う! 吾輩はネコ師匠に頼まれ、量産型劣化エリクシール(仮)を街に届けるついでに、お前を運んでいるところなのだ!」
どうやらリザードマンは少々抜けているタイプらしい。
ただ、悪意はない、善良な存在ということだけはすぐに分かる。
荷台には無数の箱が置かれている、荷を運ぶプロの御者には、それが高価な薬品なのだと理解できた。
「わたしは、なぜ生きているのでしょう」
「たしか――ああ! ネコ師匠が女に頼まれ蘇生させたといっておった!」
「蘇生……ですか」
「おう! おう! ネコ師匠は凄いのだ! 吾輩に錬金術の知識、至宝を伝授してくださった恩人である!」
恩人だ! 恩人だ!
リザードマンは呑気に鼻歌を夜の森に泳がせる。
にわかには信じがたいが、その信じがたい事を実現できるネコを御者の男は知っていた。
「四星獣、イエスタデイ……さま。ですね」
「ネコ師匠はネコ師匠なのだ!」
「……」
どうやらリザードマンはあまり話を聞かないタイプらしい。
「それで、モスマン帝国がどうなったのかは――」
「……。滅んだそうだ――今では繭の居城があった場所に、天を貫くほどのダンジョン塔が出現したと聞くぞ」
どうやらリザードマンは、一応空気を読んでシリアスな口調もできるらしい。
「そう、ですか……滅んだのですね」
「おまえの事情をあまり知らないが。泣くのなら泣いてもいいのだぞ? 吾輩は気にせぬ!」
「いえ、そう親しかったわけではありませんから――」
「捕虜であったのか!?」
「どうなのでしょうか。途中からわたしも、分からなくなっていましたから」
御者の男は考える。
モスマン達は確かに恐ろしい存在だった。
けれど、そこには確かな暮らしがあった。人類が獲物を捕らえ生きる糧とし、文化を繁栄させ、命の営みを行っていたように。モスマン達にも生活があったのだ。
その捕食対象や、生活品に使う材料は人間を加工したモノだったが。
ただ人類と魔物が入れ替わっただけ。そんな印象を抱いていたのである。
それは狂った生活の中で、彼の精神が自分自身を守るために、そこに温かみを見出しただけかもしれないが。
「そうだ。もう一人、もう一人人間がいたはずなんです。わたしの蘇生をネコ様に願った方。馬車に乗っていませんよね。ご存じありませんか?」
リザードマンは答えない。
答えを知っているが、言葉を選べず答えられない。そんな印象で、鱗の頭を悩ませているようにみえる。
御者の男は察した。
「彼女は、死んでしまったのですね……」
「……。ネコ師匠は確かに他者をも蘇生できる神。偉大なる御方です。実は吾輩も死したところを助けられたと、竹林の王から聞きました。回復の神のみが行使できる、蘇生魔術というやつでしょう。なれど、依頼者であるその女性にはネコ師匠に願いをする資格……良きカルマ、善行値が足りなかったそうなのです」
善行値。
良き行い。
ああ、たしかに彼女にはそんな要素、微塵もなかったのだと御者の男は思う。
「それでも彼女は願ったそうです。出せるものなら何でも出す、命でも、魂でも、なんでもくれてやるから、このお人好しな馬鹿野郎を助けてくれと」
「命でも、魂でも……」
「ネコ師匠は……その願いを聞き入れたそうです。言葉通り、命と魂を、足りない善行値に代わり奪い取り、その見返りにあなたを蘇生させた。吾輩はそう聞いておりますよ」
御者の男には理解できなかった。
なぜ、あのスカーマン=ダイナックが自らの命を捨ててでも蘇生を願ったのか。
理解ができなかった。
理解できない心が手を動かすのか、男は膝の上で拳を握っていた。
実は蘇生を願った対象は、別の誰かだったのではないか。
そうでなければ、彼女が自分の蘇生を願うはずなどない。
いや――。
しかし――御者の男の口が言葉を漏らす。
「あそこに他に、生きている人はいなかった……お人好しな馬鹿野郎とは、わたしのことですよね」
「しかし、この話は少しおかしいのだ! 吾輩は思うのだ! おまえは馬鹿には見えぬのだ!」
どうやらリザードマンは、シリアスな口調を長く維持はできないらしい。
「いえ……彼女にしてみれば、大馬鹿だったのでしょう。わたしは逃げずに、結局、卵を助けられることなく死んでしまったのですから」
「どうしてそう思うのだ? 命を助けようと動く者をバカとは吾輩は思えぬのだが?」
「それでも――世間ではきっと、それを馬鹿と呼ぶんだと思いますよ」
御者の男は考える。
考える中で、ふと思い出していた。
男はログを装備していた。既に改竄技術が編み出されているログだが、このログを改竄するものなどいない筈。
だから男はログを追った。
スカーマン=ダイナック。
あの狂人が、必死に願う記録がそこには残されていた。
そこには回復の神、イエスタデイ=ワンス=モアが使用した魔術も、ログとして残されている。
▽蘇生魔術。
《在りし日の理想郷》。
人間の命、そして過去の記憶を代価に、他者を蘇生させる代替現象を起こす神の御業。
もし、高位の魔術師がこの魔術のログを目にしたのなら驚嘆したはずだ。
犠牲となるモノの過去、人生そのものを蘇生魔術のエネルギーに変換している。そんな、法則を無視した、過去を司る神だからこそできる魔術であったからだ。
過去を代価に蘇生したからだろう。
ログにはスカーマン=ダイナックの人生が綴られていた。
それは絶望しか知らない少女の物語。
希望を知らぬ少女の、終わりまでのストーリー。
ぽつりぽつりと雨が降り始めていた。
男の拳の上に、粒が落ちる。
本当に、酷い物語だった。
なにひとつ良いことなく、なにひとつ希望もなく。その絶望の中で成長し、殺し方だけを学んだ少女の、世界を呪い嘲笑う物語だった。
けれどだ。
ログの中の少女が言う。
「こんな汚い魂で、こいつが蘇るってんなら。ああ、いいぜ。全部くれてやる。糞みたいな人生と世界にも飽きていたからね。さあ、早くやっとくれ」
『本当に良いのか。汝の魂は永久的に我のモノとなる。もはや人にはなれぬ、転生もできぬ。汝らが召喚獣と呼ぶ、輪廻の輪から外れた存在として使役され続けることになる。それでも――良いのか』
「どうせこの傷だ、死んじまうだろうし。てめえはオレを治す気なんてないんだろう?」
『治す理由もなし、そもそも汝を癒したらまた人を殺すであろう』
魔猫の加護を受けるには、無関係な人を殺しすぎた。
「だろ? だから……いいんだよ、もう。それになんつーか……だ。生きるのに、疲れたんだよオレは――」
少女だった女は疲れ切った声で、そういった。
それは純粋な思い。
願いだったのだろう。
魔猫は頷き。
魔術を紡ぎ始める。
「おい、オッサン。ログで見てるんだろ? てめえにとっては最悪な時間だったかもしれねえが、オレは……楽しかったぜ。これでもな。じゃあな、巻き込んじまって――悪かったよ」
ログの中。
絶望しか知らなかった少女は、最後に笑っていた。
最後の最後で、まるで本当の少女のように笑んでいたのだ。
他人のために命を投げ出し、人を助けた。
汚泥しか知らない少女が他人のために願った、最初で最後の想い。
たった一つの善行。
ウィルドリアの怪奇スカーマン=ダイナックの人生は、こうして幕を閉じたのだった。
御者の男の記憶の中で、女との短い日々が思い出されていく。
過去が、今となって襲ってくる。
女は夜中震えていた。うわごとの様な言葉を何度も繰り返し、うなされていた。
今となっては理解できた。
怪奇の過去を知ってしまった今となっては。
あれはきっと――。
助けて。
「……そう言って、ずっと、泣いていたんだろうか」
「何か言ったであるか?」
「いえ……」
馬車は進む。
街へと進む。
夜が明け始めていた。
もうすぐ街につく。
あの日の目的地と同じ、ウィルドリアだ。
思えば、長い馬車旅だった。
きっと裁判を受けるだろう。少なくとも事情は聞かれるだろう。それでも全てをそのまま語ろうと、男はそう思った。




