第039話、帝国崩壊【モスマン帝国】
【SIDE:スカーマン=ダイナック】
やられたらやり返される。
それは魔物であっても同じこと。
あれからたった三日だった。
三日で状況は逆転した。
モスマン帝国はウィルドリアからの奇襲の最中にあったのだ。
あまりにも迅速な進軍だった。
なぜ、毒が消えているのか。
なぜ、この場所を把握しているのか。モスマン達の動揺は計り知れない。
ありえない侵攻。
計算の外だからこそ、この人類の一手は効果を発揮する。
モスマン帝国最大の誤算は人類が連れている不死鳥。
明らかに格の違う神獣にあるだろう。
鑑定名は朱雀。”不死鳥の加護”と呼ばれるスキルが、人類側への毒攻撃を完全に無効化しているのだ。
毒耐性を得た熟練の老剣士が無双する。
それは正しくトンボ落とし、達人を越えた先にある剣閃がモスマン達の翼を落としていく。女王不在の穴を埋めるかの如く、最後の灯となって老人が――駆ける。
叩き落されたモスマンに逃げ道はない。魔術による爆撃と必中の矢が確実に突き刺さっていく。
巧みな連携は、冒険者達だろう。
「怯むな! 毒は無効化される! 奴らが別の攻撃手段を用意する前に、攻め落とすぞ――!」
「分かってるわ!」
「イザール殿に続いてください、この機を逃せば我らに勝利はないのですから」
戦術師の男が魔導書を翳すと、再び不死鳥が動く。
人類軍に毒無効を付与し、その翼を羽ばたかせるのだ。
それだけではない、不死鳥が鳴く度に人類側の基礎能力が向上していく。
あれだけが明らかに異質。
あれを倒さねばモスマンに勝機はない。
だからこそ、モスマンの皇帝。蛾帝マスラ=モス=キートニアは、動いていた。かつてダンジョン塔のエリアボスとして君臨していた魔物の姿となり、使用可能なありとあらゆる魔術を解き放っていたのだ。
しかし、毒を軸として戦うモスマン達は圧倒的に劣勢。
モスマンが飛び交う事を想定した、玉座の間の広い空間。
赤と金、二つの刺繍が刻まれた絨毯の上。
ダンジョン塔のエリアボスが行使するような、大規模な魔法陣が生まれる。
『其は破滅を知る者。其は滅びし世界の主神。恐怖を知るモノよ、畏怖たるその身を揺らし嘆く魔性。余は恐怖を知る者、蛾帝マスラ=モス=キートニア! 我に力を貸せ異神よ』
大規模魔法陣が回転する。
大地を渦巻く魔力の奔流が、天を貫くように伸びる。
異神魔術:《燃えし星の・恐怖大王”》が発動されたのだ。
それは人類では届かない領域にある、極大魔術。火属性のダメージと恐怖状態を付与する異界神の力を借りた、この世界とは法則の異なる奥義。
マスラ=モス=キートニアの必勝の策であった。
いままでこれを喰らって生き残った人間はいない。
太陽の如く輝く火球に、不死鳥が飲みこまれていく。
だが。
パキンと、魔術が弾かれていた。
ピイィィイイィィィィっと鳴く、その不死鳥に傷一つ与えることができなかったのだ。
人類側の裏切り者、スカーマン=ダイナックは思わず叫んでいた。
「な、なんだい! このバケモノ鳥は……っ」
『高位のダンジョン塔を支配するエリアボス、朱雀の系譜であろうっ。余よりも遥か上位の、魔物神の一柱……っ、よもや、よもやあの四星獣ナウナウが人類側に味方しようとは――やつの気まぐれを甘く見ていた。余の失態、誤算の極みといえるかっ』
「ナウナウ、あのパンダが!?」
『現在を司るナウナウ。愉悦を尊ぶ熊猫の王。奴は人類の魂を神へと昇華させる能力を有していると伝承されている。おそらくは人類側の何者かの魂を気に入り、召し上げたのだろう。その代価こそがこれ。人の魂を捨て、人への転生を捨て眷属になる引き換えに、不死鳥となったこの者は、願いを一つ叶えて貰ったのだろうさ』
「そんな雑な理由で、神らは戦況をあっさりひっくり返すってのかい!」
そう。
だからこそ四星獣は悍ましいとマスラ=モス=キートニアは知っていた。
圧倒的な強者は自分勝手に盤上を揺らす。
賢き皇帝は終わりだと、悟っていた。
蟲の王者は冷静だったのだ。
人間の髑髏で作られた杖を握り、淡々と弦のような口を蠢かしていた。
『逃げよ、スカーマン=ダイナック。汝がこの場に付き合う義理はなかろう』
「逃げられるわけねえだろうがっ。義理じゃなくて、状況的に逃げ場なんてねえんだよ! ボケ蟲が……っ!」
言いながらもスカーマン=ダイナックはダガーナイフを振りかざし、人類軍に攻撃を仕掛ける。
少なくとも彼女にとっては、人類よりもモスマンの方に思い入れがあった。
温かい寝床に、安心して眠れる場所を提供してくれた蟲人類の方がよほど、彼女にとっては人類に見えていた。
冒険者殺しのスキルが発動する。
それは同類殺しに特化した、殺人技。
握る短剣が漆黒色に変貌していく。人間相手に特効を持つ、無数の投げナイフを召喚するが。
盾を構える女聖騎士がうなりを上げていた。
「させはしない!」
「聖騎士レインだと!?」
「その顔は――人類の情報を漏らした者がいたとは予想されていたが。まさかスカーマン=ダイナック、貴様が絡んでいたとはな――っ」
「ちぃぃぃぃ! 泥船に乗っちまったじゃねえか!」
殺人ナイフを弾き飛ばされ、スカーマン=ダイナックは回転しながらバックステップ。
影の中へと潜伏しようとする殺戮者。
その潜伏スキルに狩人のスキル”猟犬の眼光”が発動される。
「逃がしはしねえさ――」
「索敵スキル!? しまったっ……」
それは隠れる敵を発見する狩人のスキル。
潜伏スキルを妨害されまともに姿を現した怪奇スカーマン。
その無防備で傷跡だらけの体躯に向かい、必殺の矢が放たれる。
射手は狩人アークトゥルス。
その眼光は鋭く、澄んだ殺意で尖っていた。
シュゥウウウウウウウウウウゥウウウウゥゥウッゥゥゥ!
避けられる速度ではない。
必中属性が込められている矢を避けるのは愚策。
だから女は正面から手を翳した。
掌を貫いた矢が、そのまま腕の筋に埋め込まれるが――そこで止まる。
心臓への一刺しを腕一本を犠牲にし回避したのだ。
「なっ――自分の腕を捨てただと……っ」
「退いてアークトゥルス! デカいの一発ぶち込むわ!」
直後に女魔術師の放つ爆炎がモスマンの鱗粉ごと、周囲を焼きつくす。
しかし、冒険者殺しは動いていた。
上着の一部を投げ放ち、妨害。
スカーマン=ダイナックは冒険者の連携を防ぎきったのだ。
事前に、衣服に魔術を散らすモスマンの鱗粉を纏わせていたのだろう。
モスマン達は毒を無効化され戦えていない。
皇帝は悠然と告げる。
『もはや結果は見えた。もう一度言う、逃げよ――怪奇よ』
最後の砦となって――人類の凶刃を打ち払っているが。もはや時間の問題だろう。
しばし考え。
スカーマン=ダイナックは言う。
「どうやら、本当に潮時だね。悪いが――オレは退く。受け入れてくれた事だけは感謝しているよ。蛾の皇帝さん」
『ふふ。よもや人類から感謝を述べられるとはな――』
「ああん? 社交辞令っていうんだよ、こういうのは」
そう感謝といっても感謝しているわけではない。
しかし、蛾の皇帝は死を悟った顔で怪奇を振り返る。蛾の顔を凛々しく気高く膨らませ、蛾帝は言った。
『そなたからの情報、実に有益。大義であった。怪奇スカーマン。人類を嫌う人類よ――余も感謝を述べておこう。そして、滅ぶ種族からの最後の願いを聞いてはくれぬか?』
「言ってみな」
『叶うならば――四百の仲間を救った、あの御者の男を拾って逃げて欲しいのだ』
「ああん? もうとっくに逃げてるだろうよ。それに逃げていなくても、あいつは巻き込まれただけ。ここの冒険者たちに回収された方が安全だろうよ」
『そして裁判にかけられ殺されるか?』
モスマンの皇帝は言う。
『ヤツは四百の敵を救ったのだぞ? 人類がそれを許すと思うか? 余の知る人間は違う。汝が知る人類はどうだ? 余は、余たちを救ってくれた者への感謝を忘れる愚帝にはなりたくない。滅ぶのならば、せめて気高くありたいと願う。どうだ――報酬は、もはや払えそうにないが』
「……分かった。逃げる途中で可能なら回収していく。だから、時間を稼ぎな」
すぅっと冒険者殺しの身体が透けていく。
「追うぞ、カレン、レイン!」
「逃げられると思っているの!」
脱出用のスキルだろうと推測したのだろう。冒険者たちは追撃する。
スカーマン=ダイナック、彼女を生かしていては何をするか分からない。
そんな義務感があったのか。
しかし。
蛾の皇帝は最後の力を振り絞って、大規模魔法陣を再度展開する。
『驕るなよ、人類! 余はマスラ=モス=キートニア! 一匹でも多くの人類という虫けらを、葬り去ってくれる!』
挑発魔術で人類の視線を一気に引き受けたのだ。
それはおそらく時間稼ぎ。
人間に捕まれば処刑されてしまう可能性の高い御者を逃がすため。
蟲の皇帝は最後の力を振り絞る。
助けられたから、助ける。
単純な理由だった。そんな当たり前のことを、蟲が披露しているのだ。
だからだろう。
スカーマン=ダイナックはその想いに応えていた。
逃走するスカーマン=ダイナックは、崩壊するモスマン帝国を駆けた。
皇帝の最後の願いを叶えるため。
あの御者を探した。
なぜか利害を考えず体が動いていたのだ――。
おそらく彼女が生まれて初めて、他人のために動こうと思った瞬間だった。




