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第038話、戦力―あの日の魔導書―【ウィルドリア玉座の間】


 【SIDE:戦術師シャルル=ド=ルシャシャ】


 歓声が聞こえていた。

 国を揺らしていた。

 それはモスマンの毒から解放された負傷者たちの、そして死にかけていた彼らが助かり喜ぶ者達の声。


 国は歓喜で満ちている。

 これが物語ならば綺麗なハッピーエンドだろう。

 しかし歓声の広がる玉座の間で一人、昏倒しそうになってしまう男がいた。


 ここから逆転する策はあるのか。

 君達はなぜこんなにも手放しに喜んでいるのか、どうしてこの追い込まれた状況を理解できていないのか。

 そんな現実を見る戦術師。

 絶望的な戦況から策を巡らせるシャルル=ド=ルシャシャである。


 シャルル=ド=ルシャシャは知っていた。

 そして現実的な問題に頭を悩ませる数名も知っていた。


 ドググ=ラググの件でこの国は魔猫も同時に指名手配していた。

 その魔猫こそが、目の前で宝箱の玉座に座る猫。

 今、国全体に毒治療の魔術をかけた本物の神話存在である。


 魔術にも造詣のある軍学校の講師たる彼は、瞬時に計算してしまったのだ。

 もう既に、この国は四星獣たるイエスタデイ=ワンス=モアを激怒させる案件を起こしてしまっていると。

 その上で魔猫は国民を癒してみせた。

 これから人類側はなんとしてもこの魔猫への協力を取り付けなければならない。なのに、既に恩も謝罪も積み重なっている。

 目の前で宝箱のふちに腰掛ける神は狡猾、有利な条件を引き出そうとしているのだろうと、すぐに理解できた。

 ふわふわな尻尾を揺らし、魔猫が首だけを傾け考え込み。


『さて、交渉人は誰とするかであるが。汝らの女王の不在は知っておる。本来の目的、ダンジョン塔への大規模遠征に備え力を溜めている。祈祷を行っておるのだろう?』


 全部分かっていて、この魔猫はシャルル=ド=ルシャシャを眺めている。

 ならば次に打ってくる手は決まっている。


「あーと、じゃあここはこの老体が」

『いや、剣士イザール。剣聖と謳われる英雄よ、汝では我も仏心が湧いてしまうのでな――否である。そうだのう、おう、そこの戦術師よ。そなたでいい、なにやら状況を一番理解しておるようだからな』


 やはりこうなった。


「謹んで拝命いたします、ワタクシはシャルル=ド=ルシャシャ。シャシャ家の長男にございます」

『知っておる。あの衛兵長たる男の兄であろう』


 ぞっと、背筋が凍り付いていた。

 やはり仕掛けてきた。

 人類側の過ちをすべて理解した上で、揺さぶって遊んでいるのだ。

 老剣士イザールがなぜ全面降伏に近い形の土下座を提案したのか。

 なぜ、反対する家臣をその鋭き眼光で黙らせたのか、全てが理解できた。


「愚弟の不始末、申し開きの余地もございません。全てはワタクシの管理不行き届き。どうか、どうか……、この国の事を見捨てないでいただきたいと存じております」


 しかし。

 男に向かい、魔猫が重々しく告げる。


『案ずるな、そして喜べ賢き者よ。我への冒涜――汝らの罪は一人の男の死で帳消しとしておる。弱者が見せた蛮勇。実に我らが興をそそった。その褒美と言えよう』

「我ら、とは……」

『決まっておろう。先の戦いを眺めておった神々である』


 言って、魔猫は天を見上げ――。


『そなたら人類と近しい、自然から発生した精霊の頂点、大地神。汝らの心の闇から生まれし、邪神の類。汝らの心の光から生まれし、光の者達。そして、この世界そのものを外部から眺める我らのような、外なる神。その中でも一番喜んでいるのは、このウィルドリアのダンジョン塔の上。天の川に咲く竹林から地上を眺めし我が友、四星獣ナウナウであろうな――』

「四星獣ナウナウ……っ、様!?」


 イエスタデイ=ワンス=モア以外にも、四星獣が関わっている。

 その事実はあまりにも重かった。


『なに、案ずるな。我も奴も、先のウィルドリア開戦には大変満足しておるのだ。故に、愉悦を欲する奴であってもあくまでも観察するのみであろう。だがな、奴め、ひとつ面倒な我儘を起こしおって……事と次第によっては汝らの敵側に加担する可能性もでてしまった。そこで一つ提案がある』

「提案に、ございますか」

『うむ、本来なら我はこの場に降りる予定はなかった。このまま傍観者として、友と共にどちらが消えるかを観察するだけのつもりであった。なれど、こうして干渉してしまった。まあ、それはモスマン帝国側の策の副作用。奴らは四百のモスマンを生かす代わりに、我を地上へと留めてしまったわけだからな。言っておくが、無条件で助けてやる気など毛頭ないがのう』


 交渉次第。

 ということだと理解できる。


「モスマン帝国……それが攻め込んできた者達の国」

『世界を観測する魔導地図の完成後。人類史で初めて観測された魔物の帝国である。あまり語ると不公平であるだろうからな、多くは語らぬが――っと話が逸れたわ。ともあれだ、ナウナウがとある男の魂を欲しがっていてな。それをヤツに提供してやって欲しいのだ』

「魂を、でございますか……それは誰かに死ねと仰っているのでしょうか」

『いや。その者は既に死した魂。ナウナウはその者の魂を回収し、竹林の家臣へと転生させようとしておるのだ。もっとも転生と言っても変化するのは人ではなく、汝らが神獣と呼ぶ麒麟などといった魔物神であるが。おそらくはそれで満足し、モスマン側に加担することを諦めるであろうて。もし、友の我儘を聞いてくれるのなら――いいだろう。我は此度の戦争に限り、一柱の神を授け、汝らの味方としてやることを保証してやる』

「欲している魂とは」


 魔猫は静かに、しかし、はっきりと告げた。


『決まっておろう。心弱き者にして、騒動の発端となった者の一人。そしてなによりその蛮勇にて神々を魅了した魂、汝の弟だ。シャルル=ド=ルシャシャよ』


 一瞬、思考が真っ白になっていた。


 なぜ、魔猫が自分を交渉人に選択したのか。

 なぜ、どう動くか楽しむように自分を眺めているのか。

 シャルル=ド=ルシャシャは察していた。


 神々は、今もこの光景を眺めているのだろう。

 愛する弟の魂を提供せよと言われ、戦術師の男がどう反応するのか、その心の動きを観察しているのだ。


 シャルル=ド=ルシャシャは考える。

 答えはどちらだ。

 本来なら神に逆らい反対するなどありえない。

 しかし、手放しに賛成することは神の興を削ぐ行為にあたるかもしれない。

 この葛藤こそを神は愉悦をもって喰らい、楽しんでいるのかもしれないが。


「弟は……何と言っているのでしょう」

『どういう意味であるか』

「ワタクシはこの国を愛しております。民たちのことも、家臣たちのことも。ですが、家族の魂を捧げよと言われ、素直に頷けるほどに割り切れる心を持ち合わせていません。しかし、もし死した弟の魂が、どうしたいか。それが分かるのでしたら……そう思ったのです。そしてあなたはそれができる神。だから、弟がどうしたいのか。それを答えにしたいと、そう思ったのでありますよ」

『そうか――それが答えか。つまらんのう』


 魔猫は興味を失ったような仕草を見せるが。

 その瞳はキラキラキラと輝いていた。


『ナウナウよ、賭けはそなたの勝ちだ。こやつめ、国のためと割り切り――即座に頷き弟の魂を売るという選択をせなんだ。家臣として失格であろうに。おう、つまらんつまらん。我がそちらに賭けておけばよかった。しかし、約束は約束だ――人類よ、我はこれ以上の力は貸さん。なれど、受け取るがいい』


 どうやらナウナウとこの状況でも賭けをしていたのだろう。

 その詳細は分からない。

 しかし、告げた魔猫イエスタデイ=ワンス=モアの頭上から。

 光が満ちた。


 王宮が、温かい光で満たされていく。


 そこには一柱の神々しい不死鳥。

 生まれ続ける魂を燃やし続けるような美しい巨大鳥がそこにいた。

 伝承にあるフェニックスに近い怪鳥が顕現していたのである。


『こやつはナウナウの竹林にて新しく生まれた神の一柱。転がるヤツに拾われておった、人間の魂だった者。この国への贖罪を願い、自らの命を捧げし者。生まれたばかりの獣神と言えど、モスマン帝国に負けぬ戦力となろう。連れていくがいい――人類よ。これは、汝らが正解を得た。その褒美である』


 ピィィイイイイッィィィっと。


 不死鳥が鳴く。

 綺麗な声だった。心を洗うような声だった。

 なぜだろうか。

 シャルル=ド=ルシャシャは昔を思い出していた。


 まだ子供だった頃。

 共に、未来を語っていたころ。

 まだ卑怯者と言われる前の愚弟は――伝承にある神獣の本を眺め、こう言っていたのだ。


 この鳥がいい! この鳥がいいよ、兄さん!


 それは異界の神獣を記した、魔導書。

 龍と虎。鳥と亀。東西南北を守るとされる四神。

 もし生まれ変わるのなら、この鳥が良いとあの愚弟は微笑んでいた。

 魔導書が擦り切れても、何度も何度も、その鳥を眺めていたのだ。


 なぜ、いま。

 そんな昔の思い出が蘇るのか。

 答えは決まっている。


 アレは既に四星獣ナウナウの手によって、とっくに生まれ変わっていたのだろう。

 シャルル=ド=ルシャシャが顔を上げた時、既に魔猫は宝箱とともに消えていた。

 深く干渉するつもりはないと、天へと帰ったのだろう。


 不死鳥が鳴く。

 感謝を告げるように。

 何度も何度も空を見上げて鳴いていた。


 人類は、一柱の神たる戦力を手に入れた。

 それは四星獣ナウナウの眷属。

 モスマン帝国に対抗できる力。


 人語を介さぬ不死鳥は、なぜか戦術師の命令だけは素直に受け入れたと、後世の書には記されている。



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