第037話、迷宮童話、魔猫の宝箱【ウィルドリア】
【SIDE:ウィルドリアの街】
人類にとっても魔物にとっても、そして神々にとっても。
分岐点となるほどの戦いが終わり、一時間ほどが過ぎていた。
現在の場所はウィルドリアの王宮。
毒アイテムを装備していたモスマン降下による被害者が運び込まれ、神官や魔女たちによる治療を受けている裏。
祈祷に全力を掛けている女王不在の玉座の間、重厚なる玉座の上には今、一つの宝箱が置かれていた。
そう、これが世に言う”神の詰まった宝箱”。
魔猫・イン・ザ・宝箱である。
迷宮童話で語られる逸話の一つ。ダンジョン内の宝箱の中から稀に発見される、なんでも願いを叶えてくれるネコ魔物の正体でもあるのだが。あの迷宮童話と今の光景が一致している人間は少ないようだ。
影が薄いと評判な冒険者の支え手、料理上手でギルドマスターの吟遊詩人は、後にこの光景を語るのかもしれないが。
ともあれ宝箱の前には、食料を中心とした奉納品が並んでいた。
そしてその御前には、宝箱を崇める人類たちがいる。
なぜこんな奇妙な形ができあがったのか、それには当然理由がある。
千のモスマンを退けた人類軍であったが、勝利者達の表情は明るくはない。今回の勝利はほとんど偶然の産物。魔力が回復していない今、次に侵攻されたらもはや打つ手がない。
それを痛感しているのだ。
だからこそ、戦術師シャルル=ド=ルシャシャと老剣士イザール、そしてギルド冒険者は集合していた。
人類が救われる道は、あの圧倒的な力を見せた魔猫しかない。
そこで動きを見せた。あの後、宝箱の中で、うにゃーっと体を伸ばしたり丸めたり、色んな体勢で寛ぐ得体の知らない神を宝箱ごと王宮に運び。一番偉大なる場所として玉座の間に設置。
手の空いている王宮家臣たち全員と、先の戦闘で活躍した冒険者たちが集い。モスマンの毒にやられた負傷者の治癒に回っている魔術使いを除く、全員で。
ははぁ……っと宝箱の中で寛ぐ魔猫に頭を下げていたのである。
それがこれ。
全力土下座。
重鎮イザールを含め、ここまでの家臣が揃ったのは女王の戴冠式以来だっただろう。
発案者は老獪なる剣士イザール。
彼だけはかの魔猫の正体を知っていたのだ。
女魔術師カレンも正体に近づきつつあったが、彼女は魔術師でありながら多少の回復の心得もあった。故に現場にはいない。狩人アークトゥルスや妹の聖騎士レインもそちらの手伝いに回っている。
老兵の作戦は功を奏した。宝箱の中から覗く蒼い視線が、じぃぃぃぃぃぃぃっと人類たちを眺めている。
『この貢ぎ物は――我のモノで良いな?』
冷静眼鏡な戦術師シャルル=ド=ルシャシャが恭しく鉄面皮を下げ、国賓以上の扱いで言う。
「もちろんでございます。我ら人類はあなたさまのおかげで生き延びることができました。是は偉大なるあなた様への感謝の気持ち。戦時中ゆえに、大変心苦しいのですが。ささやかとはなります――なれど、できる限りをご用意させていただきました。どうか、お納めください」
『ほう、自ずから土下座とは――良かろう、食料は腐る故、どうしてもというのなら貰ってやらなくもない。感謝するが良かろうて』
宝箱からモフモフな手だけが伸び、ずじゃじゃじゃじゃじゃ!
神速でお供え物を回収。
奉納された鯛の姿焼きを噛み切っているのだろう、鯛の吐息をまき散らしながらソレの口が蠢きだす。
『ふぉっふぉっふぉ! 奉仕生物の分を弁えていると見える。感心であるぞ、人類よ。よい、汝らに我と会話する権利を授けよう。ほれ、話してみよ。この脂の乗ったぷりぷりな鯛に免じて、聞くだけなら聞いてやろうではニャいか』
「ありがたき幸せ――」
事情を理解していない家臣たちは動揺しているが。ともあれ、現地から回収された宝箱は、パッカパッカと開閉を繰り返している。
中から覗くのは綿あめのような動物。
タヌキのような獣毛を膨らませる、見た目だけは間違いなく愛らしい魔猫である。そんなモフモフが、狭い宝箱空間を城とし満喫、優雅な尻尾をふわふわさせながら楽しんでいるのだ。
その口が、重々しく言葉を漏らす。
『ハンバーグには茸を乗せよ。温野菜も必要である、覚えておくと良かろう――』
宝箱に潜む魔物、ミミックのような状態になっているソレは、再び蓋をパッカパカ。
空のハンバーグの皿を、ササっと返却。
宝箱の隙間から蒼い瞳をギラリと光らせている。
一見するとコレは愉快だが、五百のモスマンを一瞬で葬り去った、あの魔猫である。人類の緊張感はそれなり以上のモノであった。
動いたのはこの謎儀式の提案者たる老剣士イザール。
八十には見えず、六十に見えるほどに魔力と筋力をその細い身に纏う英雄が、深々と頭を下げていた。
「確認させていただきたいのですが。貴方様は五十年前のあの時、ヴェルザの街に降臨なさった――あの方、で間違いないのでしょうかな」
宝箱の反響音のせいだろう。
存外に朗々たる声が響きだす。
『ほう、ヴェルザの騒動を知っておるか――その魂、覚えがあるぞ。そなた、あの街におった剣士イザールであるな。出世したようだが……その喋り方、気持ち悪いのう……』
「お久しゅうございます。って、これくらいの敬語を使った方がよろしいですかね、魔猫閣下」
『マギが聞いておったら、腹を抱えて爆笑しておるだろうて』
ぴょこっと完全に顔を出す魔猫に、老剣士が眉を下げる。
「正直こちらも距離感を計りかねておりまして。なにしろ最後にお会いしたのはもはや、何十年前だったか――昔が積み重なっていくこの老いた身では、少々思いだすのに苦労をしているのですよ。無礼があったら申し訳ない」
『汝とは知らぬ仲ではない故、語り口調など所詮は言葉の飾りつけ。好きにするが良い。我は心が広い故、一度食事を共にした者を邪険にはせぬ。その身のカルマ、悪行値がマイナスに揺れていれば話は別であるが。汝のカルマは面白くないほどに善に動いておる。昔はもっと中立よりであっただろうに』
他者にも可視化された鑑定の魔術だろう。
老剣士イザールの人類としては最高峰のステータス情報が浮かんでいた。
そこに刻まれたカルマの値は、善人を示す数値となっている。
「どうやら人間という種族は、歳を取ると丸くなる生き物なんでしょうな――相手が悪人であったとしても、あまり、人を殺さなくなりましたのでね」
『そのようであるな。良き魂だ――して、ヴェルザのマギの奴めは息災であるか?』
幼女教皇マギだと、皆はすぐに理解したのだろう。
イザールがかの有名な教皇と旧知であるとは皆が知っている。
だからこそ、多少の動揺が走る。
「あのロリババアですか? ちゃんと王様をやってますよ。本人もその場だけの王の筈だったのに騙されたと愚痴ってやがりましたがね」
『今では汝の方が爺となったか。時の流れとは不思議なものだ』
「今度会いに行ってやってくださいよ。あのロリババア。そろそろオレが自分を残して老衰死するんじゃないかって、不安になっているみたいで。自分を知る人間を長く生かそうと、事あるごとに延命の秘薬を寄こそうとしやがりますから……。時代の流れの中で独り取り残されている現状が、寂しいのでしょうよ」
魔猫が静かに瞳を閉じる。
『左様であったか。あやつには……やはり、悪い事をしてしまったのやもしれぬな』
再会の会話が続く中。
戦術師シャルル=ド=ルシャシャは考えていたようだ。
むろん、この魔猫を一時的にでも味方にする方法である。
彼は弟の死を無駄にはしたくない、その心を胸に抱いているのだろう。
魔術照明に眼鏡を光らせ言う。
「イザール殿。この……尋常ならざる御仁とお知り合いなのですか」
「ああ。オレがまだ若い頃――つっても既に三十にはなっていたが、五十年前に同じ事件に巻き込まれたことがあってな、その時にはすれ違って会えなかったんだが……なんつったらいいのか、この方は……」
この場にいない女魔術師カレンとて、上位存在だとは察していても正体までは把握できていない。
皆の視線が老剣士イザールに集まる中。
宝箱の擬態魔物となっている魔猫が、我を見よといわんばかりに、ムフーっとした顏だけを宝箱からピョコンと出し。
『許す、イザールよ。語るがいい――!』
「いや……、オレはそういう説明は苦手なのですが」
『そうは言うてものう~。我は思うのだ。正体というのは自分で明かすよりも、他者によって説明された方がイイ感じであるとな? せっかくの暇つぶしなのだ、我は楽しみたいと感じておる。ん? どうだ? ぶにゃははははは! 遠慮せずともよいよい!』
髯をピンピンにのばす丸い口から、多少、魚の香りが漂っている。
鯛の脂が口元を汚しているのだ。
そのまま肉球についた脂を舐め始める姿は、稀にダンジョン内で観測される魔物群、魔猫の特徴と一致している。
神だという事は分かっているが、随分と陽気で掴みどころのない神である。
戦術師シャルル=ド=ルシャシャを中心に、真面目な家臣たちはそう思ったことだろう。
しゃーねえなあっと息を漏らし、老剣士が言った。
「四星獣だよ。本物のな」
「はい? 失礼。いま――、なんと?」
シャルル=ド=ルシャシャは思わず素の口調で聞き返していた。
言葉を知っていても理解できなかったのだろう。
「伝説ぐらいは聞いたことがあるだろう? あの四星獣だ。実際、五十年前に一つの国を救ったのは事実だし、オレという生き証人もいるからな。なんつーかだ。正真正銘、伝説の魔猫――四星獣イエスタデイ様、ご本人なんだよ」
告げた瞬間。
な……っと、伝承を知る者達は動揺の息を漏らす。
『どれ――理解力の足りぬ連中に、見せてくれようか』
魔猫はタイミングを見計らったように、肉球を掲げる。
回復を得意とするその肉球が、ぱぁぁぁぁぁっと輝きだしたのだ。
効果はもちろん、モスマンによる毒の治癒。
そしてその対象範囲は――国全体。
国中から歓喜の声が広がる中。
獣毛の一本一本を輝かせるように、玉座の間を彩る、魔力強化ステンドグラスから降り注ぐ太陽を浴び。
魔猫は静かにかく語る。
『というわけだ人類よ――我こそが四星獣が一柱イエスタデイ。汝ら、人類という名の盤上の駒を眺めし者。人よ、せいぜい我とうまく交渉してみせよ。この地が再び襲われる、その前にニャ』
宝箱の玉座の中。
魔猫は不敵に嗤っていた。




