第032話、蛆虫の晩餐、見つめる瞳【北部モスマン帝国】
【SIDE:スカーマン=ダイナック】
ウィルドリア王宮に呼び出された衛兵長が顔を真っ青にしている裏。
ポーション利権を握ろうとしていた魔道具屋協会が、老剣士イザールによって糾弾されているその最中。
遠く離れたモスマン帝国の地では、二人の来訪者を迎えていた。
一人は女を運んだという馬車使いの御者。
三十歳ぐらいの、特に強い個性はない寡黙そうな男。
そしてもう一人は――。
モスマン帝国の皇帝、蛾帝マスラ=モス=キートニアは王者の衣で身を包んだ、その蛾そのものの顔面を面白そうに歪めていた。
『ほう! 貴公がかの有名な怪奇が一つ。スカーマン=ダイナックであるカ』
「そういうあんたがモスマン帝国とかふざけた名前の、地図上にいきなり現れた国の皇帝さんかい? ああん? なんだ、人間じゃなくてモスマン。ただの魔物じゃねえか。まあ、知恵はあるようだが――意味がわからねんだがねえ?」
答えた傷跡女はスカーマン。
エリクシールを強奪し、この騒動のきっかけとなった人物の一人である。
その横には殺されてもおかしくなかった御者が、いまもなお、生きた状態で付き従っている。もはやその顔は諦め。捨て犬が、自らが捨てられたことを悟った後のような、無といった表情でそこにいた。
モスマン帝国は近年になって突如発生した帝国。
その詳細を人間たちはあまり知らない。ただスカーマン=ダイナックにとっては、駆けこむことのできる場所だという直感があった。だからこうしてやってきた、手土産となる桐の箱を持って。
スカーマン=ダイナックは思う。
周囲を囲う蛾の群れもおそらくモスマン。
蛾と人間の合成生物か、あるいは人間の脳髄を喰らった魔物の蛾が職業進化したか。どちらにせよ、面白い。
そんな連中が国を作っているなんて、意味が分からない。
だから面白い。
対応を間違えれば一瞬で終わる状況とて、女は笑っていた。
そんな女の歪んだ笑みを見て、魔物皇帝は、ふぅむと弦のような口を蠢かす。
『人間の中でも忌み嫌われる者ヨ、余が魔物で何が悪いか?』
「悪かねえけどよ。この辺って、たしか昔ダンジョン塔と街があったんじゃなかったか?」
『ふむ、そうカ。人類は知らぬのか――』
蛾の顔を持つ皇帝は、触角を蠢かし。
ぎちりと粘液を纏う口で言う。
『ダンジョン塔からの侵略が成功した地には、我らの拠点が発生する。それがこの帝国。我らは余の種族を名乗り、モスマン帝国と名付けたが。まだできたばかりの帝国故、汝にも聞きたいことが山ほどにある。人類の文化、人類の知識。人類の情勢。全てが我らには足りぬ――故にこそ! 余は汝を歓待しよう! スカーマン=ダイナックよ、悪い取引ではあるまい?』
「おう! いいねえ! 人類よりもよっぽど話が分かるじゃねえか!」
ケラケラと嗤う殺戮者と魔物の皇帝。
その横で、御者の男は息を吐く。
『時にスカーマン=ダイナックよ。その男は』
「悪いがこれはオレのオモチャでね。譲ってはやらねえよ」
『そうか、新鮮な恐怖を味わえると思ったが、貴公との取引に水を差すのは避けよう。さて、その桐の箱の中身こそが、神の秘薬エリクシールだというのハ――』
「ま、おそらくは本当だぜ。責任は取れねえがな」
『それを我らに譲るト?』
「ぶっちゃけ、開けられねえ箱に価値はねえ。だったら交渉に使った方がいいだろう?」
割り切りが肝心だと、スカーマンは微笑する。
『何が望みだ』
「とりあえず寝床が欲しいんだよ。あと、飯だな。殺せるオモチャがあるならもっと最高だ!」
『よかろう。後で人間の捕虜を数体くれてやる、好きにするがよイ』
「で、あんたらはオレに何を望む?」
『言ったであろう、汝らの知識――人類の中から見捨てられた落とし子とて、人の文化に触れし者。人類については余よりも詳しかろう』
スカーマン=ダイナックは訝しむように眉を顰める。
「ああん? 捕虜に聞いた方が早いんじゃねえか。自慢じゃねえが、オレはそこまで知恵者じゃねえぞ」
『捕虜はもろくてナ、自我の大半が壊れておる』
「刺した時に反応は」
『それは残っておる。必死にも逃げるのデ、汝の暇つぶしにはなろう』
「オーケー。交渉成立だ、あ、ただオレのペットには手を出すなよ?」
言って、スカーマン=ダイナックは御者の男の頭をペチペチ叩いて爆笑する。
『産卵の準備はどうするのだ?』
「産卵? なんの話だ」
『ふむ、まあよい――すぐに汝の詳しい話を聞きたイ。構わぬな?』
「雇い主の命令だ、従ってやるよ」
邪悪な交渉が成立する。
◇
傷跡女は魔物に人類の手を明かす。
どうせ人類からも捨てられた者、そこになんの躊躇もなかった。
魔物の皇帝は頷き、秘書がそれらの言葉を魔導書として保管している。
スカーマン=ダイナックはナイフを操りながら、雄弁に語る。
「つーことで、人類はギルドって場所で技術を共有させてるんだよ。オレみたいな除け者はともかく、そうじゃない連中は、たとえばだが――誰かがポーション……回復薬を開発したら、その権利を買ってポーションを製作できるようになるって仕組みだ。一匹殺しても、別の個体が同じか、ちょっと劣化した技を使ってくるだろうさ。分かったか?」
会場は食事の場。
並ぶ馳走は豪華であったが、それらが本来は人類の食物であったかどうかは謎。
『それが蛆のように育ち湧く、人類の秘密か。なるほど是はいささか問題だ。そしてその蛆どもの女王が、ダンジョン塔に大規模遠征を企て、中層に人類の拠点を築く――か。厄介厄介。ウィルドリアの地のダンジョン塔は圧されていると聞いていたが、それでは困る。我らの支配領域が増やせなくなる』
「ふーん……魔物も魔物で意思があって人間側に侵略してるってのか」
『これは誰が支配者となるか、古からの盤上。種の存続をかけた戦いともいえように――人類はもはやそのようなことも忘れてしまっておるのカ』
スカーマン=ダイナックは出された謎の肉を噛みちぎりながら。
「知ってるわけねえだろう? だが、理解できたぜ――街や国の近くにダンジョン塔がある理由。あれは街の近くに突然生えだしたんじゃなくってだ」
『然り――汝ら人類が、我らの侵略拠点である塔を囲うように街や国を作っているだけの話。いざとなったら肉の盾となり、我らのような帝国が発生することを防いでおるのダ。順序が逆であるな』
「はは、頭のでっかい学者どもが聞いたら、嬉し過ぎて失禁しちまうんだろうが――」
『どうやら汝は、さほど興味がないようだな』
「たりめえだろう? それが飯のタネになるなら別だが、喰えねえ知識に価値はねえ」
ぶしゅっと血が滴るような肉を喰らい、スカーマンはつまらなそうに言う。
「で、蛾の皇帝さんよ。あんたらはウィルドリアに攻め込むつもりなのか?」
『混乱しているというのナラ、好機であろうからな』
「いいねえ、オレも参加するよ。お代は結構だ、あんたらの裏に潜伏して、気に入らねえ奴の首を狩っていくだけだからな」
『後で作戦指揮官に伝えてオク』
「それでだ――てめえら、この大陸をみているアレにはちゃんと気付いているのか?」
蛾帝マスラ=モス=キートニアが弦のような口を蠢かす。
『アレとは?』
「パンダ野郎だよ。いつも人類を見下ろしてるいかれた獣の神だ。ありゃあなんつーか、ヤベエ。話も通じそうにないし、誰の味方ってわけでもねえようだが――」
『四星獣ナウナウか――ならば心配は要らぬ。かの神は今さえ面白ければなんでも許容する、世捨て人の如き上位存在。知恵を貸したり、心境にバイアスをかける存在でも身近におらぬ限りは傍観し、魔物と人類の死闘を愉悦の中で見守るだけであろう』
「ふーん、四星獣ねえ……まあ、あんたらがそれでいいなら構わねえが」
スカーマン=ダイナックは言う。
「四星ってことは、仲間がいるんだろう。そっちは平気なのかよ」
『四星獣は基本的に誰の味方でもない存在。抑だ、四星獣ナウナウが顕現していること自体が奇跡。二柱同時に発生し、同じ大陸を眺めていることなど――万に一つもあるまい』
そう。
そんな超低確率で起こる障害を気にしても仕方がない。
ありえない可能性など考えるだけ無駄。
可能性からは除外される。
ノイズを省いた先にある、もっとも可能性の高い事こそに全力で当たるべし。
『奇跡は起こらないからこそ、奇跡なのだよ』
それがダンジョン塔から人類の拠点を制圧した蛾帝。マスラ=モス=キートニアの戦略家としての持論であった。
北の大地、モスマンの先遣隊が空からの高速移動で南下し、致死性の毒ガス攻撃にて、ウィルドリアの街に奇襲をしかけたのは――この二日後の出来事だった。
この一手で、解決する。
魔物の皇帝は、ふっと勝利を確信した。
◇
くわぁぁぁっとあくびをして、うにょーん。
空から地上を見下ろす魔猫は、パンダの背に乗りぐでーん。
パンダもぐでーんと、のんびりと過ごしている。
魔猫がナウナウ特製の炒飯を食べながら、レンゲをピコピコ。
下界を見下ろす魔術映像器具、星空の水鏡を眺め。
ん? っと眉間にシワを刻む。
黒い粒が、動いているのだ。
魔猫は考える。
我の前を通過しておるのだ、すなわち、叩かれても文句は言えぬな――?
と。
『あれ~、どうしたの~イエスタデイ~』
『のう、ナウナウ。ウィルドリアの街を眺める水鏡に、邪魔な虫が湧いているのだが……、落としても構わぬか?』
『いいよ~、ちゃんと見えるようにしたいもんね~』
容易く奇跡は起こらない。
だが、偶然の神は存在したのだろう。
魔猫はうにゃ~っと狩猟本能を刺激され、鼻をフンフン!
じぃぃぃぃぃぃ。
ゴロゴロと喉を鳴らし、うにょら~♪
目を見開いて、ていていてい!
肉球が、ペチンペチンペチン。
画面を蠢く黒い点を追って、追撃追撃追撃!
ネコとパンダはただ自分のためだけに、世界に大きく干渉していた。
この天災こそがウィルドリア防衛戦の始まり。
地上に下った魔物による人類国家への初の奇襲は、神の気まぐれにより失敗。
ウィルドリアの街は人類の英知による防衛ではなく、奇跡的な偶然にて毒殺での滅亡を避けられたと、後の歴史では語られている。




