第031話、無邪気なダイスロール【星夜の竹林】
【SIDE:四星獣ナウナウ】
雲を貫くウィルドリアのダンジョン塔、その人類未踏の天よりも遥か先。
宇宙に近い特殊なエリア。
まるでミルクを垂らしたような道、ミルキーウェイ。
その星夜の竹林に築かれたオリエンタルな大宮廷に、四星獣ナウナウは棲んでいた。
現代を司る四星獣の護衛も錚々たるもの。
まず目に入るのは――この二柱だろう。
清浄を是とする龍の如き神獣、麒麟。
魔さえも喰らう獣面羊の凶神、饕餮。
星夜の竹林のナウナウ屋敷に侵入してくるものを睨み、その眼光のみで征伐も呪殺も容易く行えてしまう。
もしダンジョン塔で彼らと出会う時がくるならば、それは人類がまだ届かぬ先の高みにあるフロアのボス。今の人類ならば彼らが蹄を伸ばすのみで、容易く滅んでしまうだろう。
他にも無数の神が、ナウナウに付き従い星夜の屋敷に滞在している。
無数の瞳にて豊富なる知識を学ぶ獣神、白沢。
無限を望み自らの尾を噛む犬厄神、渾沌。
例を出せばキリがない程の、厄ネタがこの屋敷には転がっている。
そんな獣神に守られる。
いや、使役する屋敷の主こそが黒白モフモフな身体を持つ四星獣、ナウナウ。
ぐでーんと、布団の中から地上を見下ろすクマの如き神獣。
ジャイアントパンダである。
尻尾がふわっと丸く、耳もふわっと丸い。
縫いぐるみのようなフォルムも丸い。
目の縁取りの黒は一見すると大きく愛らしい目に見えるが、実際の目は、よくよく見るとそんなに笑ってはいなかった。
彼のモットーは一つ。
今だけが良ければ、それでいいじゃない。
今が面白ければ、過去も未来もどうでもいい。
異界の地にて人間を支配し、信仰されるネコ。
そのネコ様信仰とはまた違った形で信仰される、パンダと呼ばれる巨大な哺乳類。
時に政治にさえ利用されるというその信仰力は――絶大。
なにしろ存在するだけでカワイイのである。
もはや転んでもカワイイ。ご飯を食べてもカワイイ。
なにをしてもカワイイ。
だから愛され、許される。
たとえ地震を起こしても、たとえ津波を起こしても、たとえ星々を降らせて大災害を起こしても。カワイイから許される。
ゆえにこそ。
ナウナウは今日も無邪気に善悪関係なく、人々の行動にダイスを振る。
神の悪戯を発生させ、人々の運命を絶対的な力で操作し、無邪気に黒い口をモフモフモフ。
『えへへへ、えへへ。今日はあの奴隷を超幸運にして、主人の貴族よりも権威を持つようにしちゃおうかな~。奴隷君、かわいそうだし良い事だよね~。ああ、楽しみだな~。あの主人。奴隷君にいつも酷い事をしてたのに、立場が逆転しちゃうよね~。どうされちゃうのかな~、やっぱりボコボコに仕返しされちゃうのかな~。土下座するのかな~、泣いて妻だけは許してくださいって、靴でも舐めるのかな~。えへへへ、えへへへへ、楽しみだな~♪』
空気だけはほわほわ、ふわふわ。
本当に、ただ気まぐれに奇跡を起こして人間で遊び、観察する。
それがナウナウだった。
『あははははは~。あー、奴隷くん。ご主人様をぶん殴っちゃった~。仕方ないよね~、いままでずっと殴られてきたんだもん。そりゃあ、反撃の機会があったらやっちゃうよね~』
ナウナウは毛布の中から顔を出し、ぬーん……。
星夜の屋敷から地上を見下ろし、パァァァァァっと瞳を輝かせている。
『えへへへへ。おもしろいなあ~、人類。ウィルドリアは北のモスマン帝国に奇襲を受けてもうすぐ戦場になるし~、女王が遠征用の祈祷でこもりっきりだから事情を全く把握できてないし~。大規模遠征が失敗しても~、成功しても変化があるだろうし~。怪奇スカーマン=ダイナックが暴れだしてるし~。あのイエスタデイまで参戦してるなんて、えへへへへ、いつみても飽きないな~地上は~♪』
毛布から顔を出す巨獣は、えへへへへへっと幸せそうにスマイル。
子どもがご飯を待つような顔で、毛布ごと顔を左右にフリフリ。
ぐでーんと足を投げ出し、海面に大嵐を起こしながら地上を、じぃぃぃぃぃぃぃ。
ずりずりずりと、布団と毛布ごと移動して――モフ手で掴んだタケノコを齧りながら、ワクワク顔で言う。
『えへへへへへ~、それにしても人類、いつ滅びるのかな~』
邪悪な言葉に悪意はない。
ただなんとなくそちらに賭けたから、人類死すべし、滅ぶべし。
でもどんな風に滅ぶか観察できるから、人類は気に入っている。
でも本当に滅んで欲しいとも思っている。だって、もう賭けちゃったんだもの♪
そんな純粋な感情のみで人類を見守っているのだ。
『どうやって滅びるのかな~、やっぱり人間同士の戦争かな~。それともやっぱり、塔からの魔物かな~。えへへへ、楽しみだな~。どうせ死ぬなら殺し合え~。僕らの前で、踊ってみせろ~! だって君たちはいつだって、戦争が大好きだもんね~! 僕はそれを尊重するよ~! だって、それが君たちが選んだ現在なのだから~!』
『ナウナウよ、……邪悪な本音が漏れておるぞ』
そんな無邪気なパンダに後ろから声をかける者がいた。
地上から上がってきた、一匹の魔猫と連れのリザードマン。
魔猫イエスタデイに錬金術師ドググ=ラググ。
『久しいな。相変わらず、無邪気な顔をしてなかなか趣味の良い悪戯をしているようで、呆れたと同時に安心したぞ。変わりないようだな、ナウナウよ』
『その声は~、えへへへへへ。待ってたよ~』
巨大熊猫ナウナウはモフっと振り返る。
黒い耳をモフっと動かし、毛布の中から片手を上げて。
鋭い爪のクイクイで、ずぼらな挨拶。
『やっぱり来ると思っていたんだ~イエスタデイ♪』
『おう、そなたも息災のようで。やはり最後に会った時と同じく、毛布の虫となっているのだニャ……』
その、絶対毛布から出ません! のパンダのぐーたら姿に、思わず猫語になっていた。
けれど魔猫イエスタデイは知っていた。
わざわざ振り返る、それだけでナウナウにとっては最高のもてなしなのだ。
『さて――好奇心の塊のようなおぬしの事だ、既に事情は把握しているのだろう? しばらくこやつをここで匿ってもらうぞ。まあ嫌だというのなら、他をあたるが』
『うん、別にいいよ~。君が乗っているとは知らずにぃ、船に攻撃しちゃったから~。あの時はごめんね~、その埋め合わせってことで~、もう、蜥蜴君の研究工房は作ってあるんだ~』
言って、部下の神獣たちに作らせたドググ=ラググ用の研究工房を輝かせるナウナウ。
その口元と鼻が、自慢げにフンフンと揺れていた。
僕、頑張ったよ?
と、本当に自慢げであるが、周囲の神獣たちは、我らが作ったのですが……と、肩を落としている。
二人のやりとりにドググ=ラググが言う。
「ネコ師匠。なにやらさっぱり話が見えないのだが!」
『ふむ。こやつ、ナウナウは我の古き友でな。今、そなたが地上にいれば面倒なことになろうて。故に、我らは宇宙からのんびりと誤解が解けるのを待つ、その間に、汝はこのエリクシールの研究をすれば良かろう。ここならば研究に没頭できる、悪い話ではあるまい?』
告げる魔猫の足元の空間から、ぶぉぉおぉんと浮かび上がってくるのは一つの魔法瓶。
エリクシール。
錬金術の事となると、ドググ=ラググの顔は凛々しく理知的になる。
「ありがたいのですが。ここまでしていただいて、よろしいのですか? ナウナウ様にも、ご迷惑がかかるのでは――」
『えへへへへ、君がエリクシールを作れば~、もっと騒動が広がりそうだし~。どうせいつかは滅んじゃうんだろうけど~、人類が長生きすれば、もっと楽しめるし~。別に~、いいよ~。それに、だって~、君が地上からいなくなってると、面白そうなことが起こるだろ~』
「吾輩が地上を離れると……何か起こるのですかな?」
まだ理知的モードが続くドググ=ラググは理解できずに考え込んでしまうが。
構わず巨大熊猫はニハハハっと大笑い。
地上を魔術映像で映して、ご満悦。
『僕はね~、君のご先祖様を知っているんだ~。昔に~、ダイスを振って助けてあげたことがあってね~? でね~、彼女の血族が持つ、とある権利は~、この星夜の竹林に一時的に回収されることになるからね~。えへへへへ! これって、実は、すんごい面白い状況だよ~! 友達と一緒に、こんなイベントが楽しめるなんて、えへへへへ、僕、ついてるね~♪』
言って、ナウナウはようやく毛布から出てきて、ズリズリズリ。
巨大な前脚に顎を乗せ、ふんふんふん♪
地上を眺めて、ニヤニヤニヤ。
『楽しそうであるな、ナウナウよ……』
『えへへへへ~、楽しいよ~!』
地上の王宮。
遠征準備を進める作戦室で、また新たな動きが起ころうとしていた。
◇
ウィルドリア王宮の作戦室。
女王が瞑想と祈祷を繰り返し、全ての意識を断ち魔力を高めている間。
その留守を任された忠臣の一人。
老剣士の男は、年甲斐もなく思わず声を荒らげていた。
「はぁあぁぁ!?」
ただでさえ謎の生ごみゴーレムが街で行進しているのにだ。
報告が上がってきたのだ。
老剣士の男はダンジョンから帰ってきたばかり。そして、いつものように備品の確認を念入りに行っていた、そのときの事だった。
その握る手にあるのは、基本的で代表格ともいえる回復薬ポーション。
「ど、どういうことだ! 全てのポーションに使用制限が発生してやがるじゃねえか!?」
「え、ええ……お、おそらくは権利を所持している錬金術師がウィルドリアのギルドから抜け、全ての錬金術アイテムの使用権をロストしたものかと……」
「全てだと! 値段のつり上げでもするつもりか!? 遠征で大量のポーションが必要になるっていう時期に、くそ! ギルドの連中は何を考えていやがるっ!」
慌てて老剣士はポーションの簡易鑑定を行う。
権利欄には、歴代の錬金術師の名が刻まれている。
いざという時に必要な回復薬の権利をロストするのは厳禁。なので、回復アイテムの使用権は重要な要素。全て国で権利を買い取っていた筈だ。
エラーの原因はすぐに分かった。
ポーション権利欄の最初。
およそ二百年前と、そして一番新しい欄にエラーの赤文字が浮かんでいた。
その名は、錬金術の母とされるマググ=ラググ。
そして、近代の天才錬金術師ドググ=ラググ。
「ああん? なぜ、あの善良トカゲからの使用許可が剥奪されてやがる! あいつ、他のギルドに浮気するような性格じゃなかっただろうに。おい、てめえら、何か知ってやがるか? オレがダンジョン遠征地の下見に行っている間に、何かあったのか?」
部下たちが目を合わせ。
「ご、ご存じないのですか……?」
「なにがだ!」
「その……実は――」
部下の男がドググ=ラググの騒動を語りだす。
「なるほどな……おそらく、十中八九冤罪だろうな。ヤツにそんな船員を惨殺できるような邪気はねえ。そういや、前にもそんなことがあったが――」
「あ、あの……」
「いや、気にすんな。爺の昔話だよ――はぁぁぁあ……こりゃ、もしあの方が動いているのなら、人類、終わったんじゃねえか」
隻眼の老剣士は、ふぅ……と頬の傷を指でなぞり。
しばらく昔を懐かしむような、深い微笑を浮かべ。
その直後だった。
ぞっとするほどの殺意を押し殺しながら、その唇を動かしていた。
「ぶった斬られたくなかったら――ドググ=ラググを指名手配にした責任者全員を連れてこい。気が長くなった老体のオレが、ブチ切れねえでいられる内にな」
「は、はい!」
老剣士イザール。
現在登録されている冒険者において、その頂点の一つの強さ、剣聖の称号を所持する男の眼光は鋭く。
齢八十にしてその威光も実力も、いまだ健在であった。




