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第026話、ただ海に潜っただけなのに【西大陸】


 【SIDE:西大陸ウィルドリア:冒険者ギルド】


 かつて世界各国が協力し、魔導による地図製作が実行された大規模な計画。

 世界地図統一化。

 正確な世界地図が今後必要になるだろうと、幼女教皇マギ主導の下で行われたかの有名な挑戦は、人々の記憶にもまだ新しいだろう。

 現在も使われている統一地図。

 魔道具屋で安価で、誰でも購入できるあの魔導地図の始まりである。

 世界魔導地図誕生の経緯は近代史においても重要視され、後の歴史でも語り継がれる事となるだろうと、有識者たちの見解は一致している。


 あの事変において、ここ、ウィルドリアが西大陸――。

 ウィルドリア大陸と称され、他国にその名が上がるようになったのも魔導地図計画のおかげであった。

 ここはその首都。

 ウィルドリアの街。

 城の中央にダンジョン塔を抱えるここでも、また、新たな時代の変化が起ころうとしていた。

 大規模遠征の準備が進められていたのである。


 街は初めて魔物側へ奇襲を仕掛けるという事で、大賑わい。

 老若男女、種族も問わず人で溢れていた。


 打倒、塔の魔物!

 塔の中層に人類の防衛拠点を作るのだ!

 もう街へは魔物を降りさせない!

 ――と、街は活気だっていたのだ。


 つい先日、あの事件が起きるまでは。


 そう――そんなウィルドリア大陸にて、かつてない規模の大嵐が発生したのは三日前。

 人的被害こそ少なかったものの、本当に未曽有の嵐だった。

 職業上、神の声による”神託”が届くこともある神官や僧侶や巫女職、そういった神の力を借りて魔術を発動させる職業の者は戦々恐々とした。

 ご神託があったのだ。

 神託の主は大陸に住まい、守護する大地神たち。


 ウィルドリアを支える神達は、スキル”神託”を扱える神官職全員に通達したのだ。

 土下座せよと。

 それは神託にしては珍しい、はっきりと意思表示された厳命だった。


 大地神に曰く、人類の何者かがやらかしおった。

 世界創生時よりも前。ただ無しかなかった時代においても既に存在していたとされる神。上位存在とされる神の中でも、更に上位とされる原初時代の神がいる。人類はその逆鱗に触れ、大いなる怒りを買ったというのだ。

 あの大嵐はその証。

 それは罪なき者への略奪を罰する、神の天災。

 今一度告げる、人類よ土下座せよ。土下座せよ。

 ――と。


 属性スキルや魔術を極める魔術師が、攻撃魔術を行使する際に力を借りる大地神。

 火水風土。四大元素を司る、比較的人類に協力的な神々。

 人類とは別格のナニか。

 そんな彼らが怯えている。

 それは前代未聞の出来事であった。


 大地神といえば、塔の要所を守るフロアボスとさえ一線を画す”上位存在”。

 そんな彼らですら慌てふためき、到底太刀打ちのできない相手。比類なき魔力を持つ古代神となると――浮かぶ候補は限られてくる。

 その中で有力だったのは星に住まい、地上を盤上と称し、人類と魔物の流れを眺めつづけているとされる四つの柱、四星獣。

 怒り狂ったのはそのうちの一柱だと推測されているが――まだその正体は判然としていない。


 真意は分からない。

 けれどいまだに海は荒れ、実際、東大陸からの貿易船が一艘、海の藻屑となったというのだ。

 魔術による遠見の結果も同じ。その多くの船員が、海に呑み込まれてそのまま消息を絶った。

 この大嵐において唯一の人的犠牲者である。

 よくない噂のする船員達であったからか、その死を嘆く声はあまり街では聞こえてこない。


 ただ一つ。

 そこに例外があった。

 その船には、戦力としても錬金術の知識者としても有力視されていた、リザードマンの錬金術師。

 ドググ=ラググが乗っていたと、魔術通信による訃報が入ったのである。


 だからだろう。

 西大陸の首都にあたるウィルドリアの街。

 ダンジョン塔を囲うその城下町に悠然と聳えていた巨大組織、ウィルドリア冒険者ギルドの空気は沈んでいた。

 そんなギルドの片隅。

 狩人の弓筒を背負ったまま、唇を震わせる青年の姿がある。


 彼の名はアークトゥルス。

 友を失ったと悟った、上級冒険者である。


 ◇


「俺は信じねえからなっ!」


 バーカウンターとなっているギルド酒場に響いたのは、遠くまでよく通る男の声だった。

 アークトゥルスはエルフを彷彿とさせる細身の、髪を後ろで結んだ男であったが――種族は人間。装備から判断できる職業は、斧による中衛と弓による後衛……どちらも可能な狩人。

 素人目にも分かるほど、アークトゥルスは酷く酔っていた。


 大ジョッキを一気に傾けた男は喉をギュッギュッと上下させ、ダン!

 空のグラスをエボニー材の机に叩き付けていた。


 給仕となっているバイトのウェイターに絡むように、酔った目つきで狩人の男はくらいつく。


「ドググ=ラググ……っ、あいつは、呑気でバカで、どうしようもないほどのお人よしだったが……っ、なんでよりによって大嵐の船に乗ってやがったんだ!」

「し、知りませんよ。アークトゥルスさん、いくらなんでも飲み過ぎですって」

「俺の飲み方に指図するってのか!?」

「そういうわけじゃないですけど……」


 ウェイターの青年は、しゅんと沈んでしまう。

 その姿がまるで弱い者いじめに見えたからだろう。

 アークトゥルスは、後ろで縛った髪を気まずそうに指で撫でながら。


「ちっ、悪かったよ……」

「いえ……アークトゥルスさんがドググ=ラググさんを大切な友人だと思って。いつも声をかけて心配していたのは、知っていますから」

「ちげえよ……あんなやつっ、俺の忠告を無視してっ、独りで行っちまう奴なんてダチじゃねえよ」


 そう肺の奥から声を絞り出す、男の背は震えていた。

 ウェイターはサービスのグラスと水の入ったデキャンタを並べ、小さくお辞儀。

 独りにさせてあげるべきだと、その場を離れる。


 水が揺れるデキャンタ、その水面を眺めるアークトゥルスの瞳も揺れる。

 ズズッと啜る鼻も赤い。

 普通の錬金術師の作るデキャンタは、ただ水やワインを注いでおくだけの容器でしかない。

 ただドググ=ラググが作るそれは違った。

 常に一定の氷の魔術が発動し、その中身の鮮度を保つのだ。

 しかも、ワインならばワインに適した温度。水ならば水に適した温度。それら全てを自動で読み解き、グラス自体が判断するのだ。


 使用期限を延ばすことに特化した、錬金術の新たな方向性アプローチである。


 アークトゥルスははじめ、嘘だと思った。

 そんなもんが作れる錬金術師がリザードマンのわけがねえ。

 錬金術師は人間かエルフ、ドワーフ。そういった、手先が器用か、魔力コントロールに優れているか、誰よりも長命で時間を掛けられる、そんな種族がやる職業だ。

 それを脳筋で前衛職ばかりに特化したリザードマンが、錬金術のまねごとをするなんて、嗤えるわ。

 どんなバカなのだろうか。

 どんなほら吹きなのだろうか。

 そう思って、アークトゥルスは意地の悪い顔をした。尻尾を揺らしギルドマスターに商品を見せていたリザードマンの錬金術師に、近づいたのだ。


 バカにしてやるつもりだった。

 けれど、バカになどできなかった。


 ドググ=ラググは語るのだ。

 錬金術のすばらしさを、ピカピカを作れる夢の職業なのだと。

 自作したさまざまな魔道具を見せつけ、牙を覗かせる大口から夢を語るのだ。

 アークトゥルスには、その顔が、声が、とてもピカピカ輝いて見えていた。


 アークトゥルスは自らの浅ましさと、性格の悪さを恥じ、いつの日からだったか、ドググ=ラググと共にダンジョン塔を上るようになった。

 それなのに。


「ドググ=ラググよぉ……おめえがいねえと、性格の悪い俺には……ダチが一人もいなくなっちまうじゃねえか」


 ぎゅっと唇を噛んだ不器用な男。

 その瞳が静かに揺れかけた、その時だった。


『ほぅ! ここがおぬしの登録している冒険者ギルドか! それで! 飯はあるのだな! あるのだな! 我は米料理が食べたいのであるが!?』


 妙に陽気な声がした。

 東大陸からの海路は荒れているが、他の海や陸路は平穏。

 だからまた、大規模遠征の話を聞いて傭兵か冒険者か、商人でもやってきたのだろう。


 アークトゥルスは思った。

 うるせえ。

 うるせえ、うるせえ。

 あいつがいないのに、そんな嬉しそうに話してるんじゃねえ。


 どんなバカがこんな大声で話しているのか。

 文句の一つでもつけてやろうと、結んだ髪を揺らしながら振り返ったそこには。


「ここのメシは最高なのだ! 十段階で言うと、百点満点ぐらい最高なのだ! ネコの賢者よ、お前は恩人だ! じゃんじゃん喰え喰え! 吾輩、ここは奢ってやるのだ!」

『その言葉に、二言はあるまいな。ドググ=ラググよ!』


 なぜか、あのバカがそこにいた。

 背中に、いつもの大きな荷物と。

 タヌキのような、モフモフふわふわな魔猫を乗せて――。



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