第020話、それは甘露のように蝕んで【ヴェルザの王宮】
【SIDE:ヴェルザの王宮】
王族や騎士団、魔術師団、そして大司祭。
強者や権限を持つ者が集う場所。
ヴェルザの王宮。
利権や野心に溢れる伏魔殿にて行われるのは、緊急会議。
議題は神の降臨。
そして、疫病の治癒及び、疫病で死したモノの蘇生の機会が与えられるという魔導契約。
幼女大司祭マギが持ち込んだ話は、それぞれの勢力に大きな衝撃を与えることになった。
衝撃を受けた中の一人。
この国の王にして、民からの信認も薄き男。今回の問題を引き起こした冒険者殺しダインの実父とも噂されるアントニウス王陛下は、目つきの悪い顔を尖らせ唸っていた。
「マギよ――つまり、そのネコとやらの条件を受け入れればヴェルザの街が救われると?」
「王よ、迷っている段階は既に終わっておる。妾らヒーラーは魔力も体力も、そして気力も限界を迎えようとしておるのじゃ。魔力回復薬も既に在庫は尽きた。話を受け入れるしかないと、妾は考える、いかがか?」
王と対等に話ができるのは、マギが実際に強力なヒーラーで年長者で、そして何度もこの街、この国を支えていたからだろう。
責任を回避したい騎士団は黙して語らず。
魔術師団は術者としてのマギだけは信用しているため、否定はせず。
他の貴族たちの多くはただ困惑。
王の側近たる複数の大臣たち。
その中で発言力の強い面長の男二人が、それぞれ交互に言う。
「幼女大司祭よ。その魔猫とやらの提案――信用できるのですかな?」
「然り、そして大司祭よ。我も問いたい。そもそも神であるという事も……真かどうかさえもこちらは確認しようがない。のう、右大臣よ」
「左様。どうも信用していいものなのかどうかも怪しいですからな」
否定的な言葉は予想していたのだろう。
マギは冷静なまま、幼女の顔で大人びた声を出す。
「ログもあるが……まあ信じられぬというそなたらの心は理解できる。しかし、妾はかつてあの神と出逢ったことがあるのじゃ……」
「なんと! それは真であるか!?」
「妾の死なず老いぬ体が答えじゃ」
幼女大司祭が不老不死であることは皆が知っている。
実際、まだ人間同士の戦争が盛んだった時代にはその不死を利用した作戦を取られていたと、公文書として資料に残っているほどだった。
ならばこそ、大臣たちは納得していた。
その反応を合図に、マギが言う。
「少なくとも妾を不老不死とした、神の如き存在であるという事は間違いない。もっとも、他者を不老不死にできる存在であっても神と認めぬと定めるのなら、話は別じゃがな」
「神かどうかはさておき、力は本物である――か」
アントニウス王が、ゴツゴツとした指を握り言う。
「その魔猫、捕らえて奉仕を強制させることは」
「吠えたなアントニウス王よ。そして、ヴェルザの街のみならず大陸ごと滅ぼされるか? それもまた一興じゃな。この大陸の人類が愚かだというのなら、それもまた良かろうて」
「茶化すなマギよ。余は真面目に問いておるのだ。あくまでも可能性の一つとしてな」
王の目は良くも悪くも真剣だった。
四十を超える王。
その卑しき野心の気配は、隠しきれずに部屋の中を包み始めている。
悪しき流れを断ち切るようにマギが立ち上がる。
「王よ、敢えて言わせてもらうぞ。無礼を許せぬと思うのなら妾を斬れ。貴様が庇い続けた冒険者殺しダインは性格も行動も最悪であったが、時に上級冒険者を殺すほどの実力を持ち合わせた前衛職であった。そのダインをたった一撫でで首を刎ねたのじゃぞ? 存在としての器が違い過ぎる。親子してその二の舞になりたいか!」
公然の秘密。
王の隠し子をここまではっきりと告げたマギに周囲がざわつく。
王の心もざわついたのだろう。
会議テーブルを叩き、アントニウス王は激昂していた。
「我が息子を愚弄するか、マギよ!」
「ほう! とうとう認めたなこの愚か者めが!」
マギはもはや我慢の限界だったのだろう。
「貴様の愚息のせいで、いったい何人が死んだ! どれほどの人間が、民が、国が犠牲になったと思うておるのじゃ! 今回の騒ぎとてそうだ。ダインめが女盗賊メザイアを殺し、神の怒りを買った。そのダインめがダンジョン塔から疫病を持ち帰り、娼館を通じ多くの人間に感染させた! 王よ、貴様がもっと王としてしっかりしておれば、いや、多少でもあのバカ息子と向き合っていれば、こんな事にはならなかったはずじゃろうて!」
叱責にアントニウス王が顔を真っ赤にさせ。
「今この瞬間より、幼女大司祭マギを反逆者。叛意ある者とする――誰でもよい、いますぐこやつの首を刎ねよ!」
おそらく、その時の王は周囲との温度差を強く感じていただろう。
マギはそう感じていた。
それもそのはずだ。
今まで全ての王の言葉に頷き、肯定し、称賛していた右大臣も左大臣も動かない。
騎士団は瞑目したまま。
魔術師団はマギが襲われぬように支援魔術の準備をしている。
それは疫病という国の危機が運んだ、数少ない薬だったのだろう。
マギは疫病騒ぎからずっと働いていた。
身を粉にして、癒し続けていた。
それをここの者達は知っていたのだ。
不正や利権も国が滅んでしまえば全て終わり、国の危機になりかけた時、はじめてここの偉き者達は自らの行いを恥じたのだろう。
亡国への道を回避するために動いた者は多かった。
すると見えたのだろう。
本当にマギは、この国のために動き続けていた――と。
だが、一人は違った。
王が目つきの悪い顔を尖らせ。
「どうしたというのだ、貴様ら! 余の命であるぞ! 左大臣、貴様でいい! やれ!」
「王よ。どうか現実を見て下さいませ、交渉役となっている幼女大司祭を罷免し、斬首でもしたら本当に我が国は終わり。神はおそらく、二度とこの地には舞い降りず。疫病はヴェルザの街に留まらず、他の街、全てにまで蔓延し、もはやこの国は国として成り立たなくなりましょう」
顔面を硬直させ、王が唸るように息を漏らし――皆を睨む。
「ふざけるでない! 余と共に散々に甘い蜜を吸っていたおまえたちが、何を今更物わかりのいいフリをできる! 左大臣よ、貴様が行っていた横領を許してやったのも余であるぞ!? 騎士団長、おまえが孕ませた他国の女の後始末も、余が取り計らってやった! 魔術師団長よ、おまえが――」
「もうよい!」
マギの言葉が空気を裂いていた。
静まり返った空間。
その呼吸さえも重く感じる時の中で、マギは喉の奥から言葉を絞り出していた。
「もう……よいのじゃ。終わりにしようぞ、アントニウス。見苦しい王など、この会議には不要じゃ」
王の幼き頃を知っていたのだろう――わずかな悲しみを滲ませたマギ。
その言葉の裏にあった思い出までも一蹴するように、憤怒に震える王が唸る。
「貴様が言ったのではないか、自分を信じろと。あの日、まだ幼かった余に向かい――!」
「あの時のおぬしは……、まだ権力という名の甘い泥に浸かる前のおぬしは……本当に、良き王になれる才があったはずだったのじゃ。すまぬ、そなたが道を踏み外すことを止められなかった……大人らを恨め。そのように成長してしまった事。権力に溺れ信念まで腐らせてしまった事、そのように教育してしまった当時の大人たちを存分に恨むがいい。なれど――王の座からは引いて貰う」
大臣が頷き、衛兵が動き始める。
それは罪人を取り押さえる動きだった。
それが気に入らなかったのだろう。
王は前衛職ロードとしての力を発揮し、光の剣を召喚。
「我が息子を殺した神との交渉など、余は認めん! けして、認めんぞ! 誰でもよい、今なら許してやる。こやつらを、説き伏せ、余の威光を示す権利をくれてやろうではないか!」
王の乱心を眺める者達の大半は、それぞれがそれぞれに不手際があっただろう。
民に言わせれば全員がろくでなしだと判断するだろう。
しかし――。
側近たる左大臣が首を横に振り。
「王よ――我々は愚かです。それぞれに甘い蜜を吸い、不正を是とし、そして陛下が望むからとダインめの蛮行をもみ消し、各所に圧力をかけ続けてきた。そして我らは見返りを得ました。権力とは……実に甘美でありますな。しかし、疫病で滅びかけ、民たちからの冷たい視線を感じ、今更ながらに思ったのです。我々王宮の官職は腐った者ばかりであったと――」
ですが、と。
腐っていた右大臣が言う。
「我々は、愚かです。もし地獄があるのなら、間違いなくそちらに落ちる側の人間でありましょう。なれど、なれどであります。今のあなたよりはマシであると、そう思わざるを得ません。今、目の前で助けられる術を、故郷を、命を――見捨てられるほどに愚かではありませぬ」
「陛下、どうかこちらに――」
騎士団が、王に退出を促したその時。
王は動いていた。
光の剣を振り上げ、そして――。
その瞬間に、マギの指から解き放たれた雷撃に撃たれていた。
アントニウス王の身体が崩れ落ちる。
生きてはいる、しかししばらくは目覚めぬと誰の目からも理解できた。
「これでも、かつては英雄と呼ばれたこともあった王じゃ。妾が膝に抱き、あやしたことさえあった王族じゃ。丁重に、医務室にお連れしておくれ」
疲れた声で言ったマギに、衛兵と騎士は静かに頷いた。
その後、会議は踊り――。
魔猫イエスタデイからの提案が、受け入れられることとなった。




