第182話、後継者―エピローグ・幼女教皇マギ―
【SIDE:星夜の草原】
かつて人間の王族だった島、海亀の背の大陸ダイナック。
ヌートリア災害の対策として生み出された街は今、三国の共同地域として機能していた。三皇を軸とする連携を維持するため、定期的な会合が行われているのだ。
ただこの地に重々しい空気はない。
島を訪れてくるのは主に観光客と、ケガや病気の治療を求める者である。
なにしろここにはヒーラー魔猫の長がいるのだから。
ダイナックの都市と施設は戦時中と同じく、そのまま継続。
ギルドも維持されている。
ヴェルザ、魔王領、レイニザード帝国。三国から派遣された大使館や、護衛。この地で暮らす人々も多く生活している。
それはこの地が多くの魔猫が暮らす”ネコ島”として機能していると同時に――かつて主神だったケモノ、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの聖地ともなっているからだろう。
四星獣ナウナウが星夜の竹林を所有するように。
四星獣ムルジル=ガダンガダン大王が星夜の聖池を保有するように。
四星獣ネコヤナギが魔王城に根付くように――。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアはこの『星夜の草原』を自らのエリアと認定。
ナウナウや大王のように自由に動かせる領地としていた。
場所は最終決戦に向かった場所。
亀島にて幼女の愛らしい声が響く。
「開け迷宮の扉。妾は汝の使徒マギ。千年幼女、マギである――」
神がここにいるのだから、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの巫女たる千年幼女マギもこの島に定期的にやってくる。
立っていた場所は最終決戦が行われた地。
許可なく侵入はできない、この盤上遊戯世界でもっとも神聖とされる場所である。
▽隠しエリア:あの日の草原。
一面の草原が甲羅の隙間のダンジョンには広がっていた。
そう、ここは神たる魔猫の思い出の地。
かつて帰りたいと願ったあの日がここにある。
おだやかな生活がここにはあった。
尤も、悪しき楽園の神の大半はとっくに滅んでいるので、この地は平和そのもの。
住んでいるのは羊たちと魔猫と、そしてヌートリア。
特にエリア効果はなく、獣たちが暮らす静かな牧草地でしかないのだが――それでもこの地はもっとも神聖な場所なのだと、イエスタデイ=ワンス=モアは常々みなに自慢をして回っている。
お腹を出して草むらで眠るモフモフ軍団。
イエスタデイの眷属たる草原魔猫の道を抜け。
羊の上に乗って太陽を浴びる魔猫の横を過ぎ――幼女はぶかぶかな袖を揺らしながら歩く。
千年幼女マギが護衛の青年に言う。
「シャーシャ坊よ、スピカ嬢の報告にあった門出――大魔王ケトスと魔猫少女ラヴィッシュが外の世界に向かったとの話。まことなのであろうかのう」
「おそらく間違いないかと――」
「ふむ、そうか――にゅふふふふ、にょほほほほほ! とうとう正式にくっつきおったか! 今度この世界に帰ってきたときには、総力を挙げて祝ってやらねばなるまいな?」
草原を進む幼女はご機嫌である。
この人は本当に他人の恋愛事が大好き過ぎると、戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャはモノクルをかちゃり……。
「あまり派手にやりすぎると大魔王はともかく、ラヴィッシュ嬢の方が引いてしまうでしょうからほどほどがよろしいかと」
「分かっておる! 分かっておる! ほどほどじゃな!」
「……そのお顔、絶対に分かっていらっしゃいませんね」
師たる幼女マギが言う。
「さて、そろそろいいかのう――ここは四星獣の管理する特殊エリア。このあの日の草原ならば、盗み聞きされる心配もあるまい。シャーシャよ、なにやら妾も知らぬところでずっと動いておったようじゃが――おぬしの所持する異界魔導書の件で妾になにか言いたいことはあるか?」
「なにもございませんよ」
「そうか。坊がそう言うのならば、問題あるまい。大変じゃったであろう、本当に――ご苦労であった」
「お咎めにはならないのですか?」
勝手に動いていたのは事実。
しかし。
幼女はゆったりと瞳を閉じ――太陽を吸った草原の中で言った。
「シャーシャ坊が悪いことをする筈ないからのう。なにしろ妾がまだ幼きおぬしのおしめまで取り換え――」
「その話はやめてください。さすがに少し恥ずかしいです」
「可愛くないことを言うのう」
「もうかわいいと言われたい歳ではありませんので」
「そうじゃな――なあシャーシャ坊」
「なんですか」
「戦術師としてのおぬしに聞きたいことがあるのじゃ。あれはもはや何百年と前の話。魔女王キジジ=ジキキはどこまで知っておったのじゃろうか。どこまで未来を知っていて、シャルル=ド=ルシャシャや妾に異界の魔導書を託したのであろうか」
その魔導書が行きついた先が、戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャ。
歴史の裏で動いていた影の英雄。
記録を辿れば見えてくる。盤上世界を維持したまま、同時にイエスタデイ=ワンス=モアと主人を盤上遊戯化の呪いから解放する未来を目指し、動いていた軌跡が――。
常に英雄的な動きと戦果をみせた駿足のアキレスの人生が、まるで物語の主人公に思えるように。
戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャも、その道程を追えば、裏物語の主人公のように見えたのではないだろうか。
同様に、冒険者殺しダインの血筋たる怪奇スカーマン=ダイナックも同じく見ようによっては――。
しかし、マギはこうも思った。
この世界で生きる命。全ての駒、全ての生命が物語の主人公なのではないかと。
「マギさま?」
「いや、すまぬ。少し考え事をしておった――それで、どうなのじゃ?」
「魔女王キジジ=ジキキはどこまで知っていたのか、ですか」
弟子たるシャーシャが言う。
「ほとんど知らなかったのでは?」
「その心はなんじゃ」
「もし未来を観測する三獣神の一柱、黒き神鶏の書を用いて――人類の八割が滅んでしまう未来を知っていたら、伝承にある心優しき魔女王ならば、なんとしてでも止めるように動いたのではないでしょうか」
「しかし、あの時のキジジ=ジキキは既に老年。動けなかっただけやもしれぬ」
「ならば答えを出しましょう。単純な話です。仮に魔王アルバートン=アル=カイトスがああなることを知っていたのだとしたら、もっとも力になってくれそうなあなたに相談していたのでは?」
マギとキジジ=ジキキには交友があった。
ならばこそ。
「ああ、そうじゃな――おぬしは賢いな、シャーシャ坊」
少し老いた声でマギが言う。
「のう、シャーシャよ」
「嫌ですよ。わたしはあなたの引退など認めませんし、後を継ぐ気もありません」
「なんでじゃ! 妾もそろそろ楽がしたいのじゃ!」
「あなたがいないと、魔猫達が調子に乗って暴走しますからね――あれでもあなたには一定の敬意を払って行動しているのです」
「そうか――ならば仕方あるまい。いや、あれで遠慮しておると言われると色々と複雑なのじゃが――」
マギはヴェルザの街と、レイニザード帝国、ついには魔王領までその可愛さと魅力で占領し始めた魔猫の群れを思い浮かべ。
んーみゅと、ぷっくらとした顔で頭を悩ませる。
「モフモフなる魔猫たち――あやつら、結局は新しき盤上遊戯世界、そのほぼ全ての領土を支配しておるからのう……」
「人間は魔猫の奉仕生物となるべき、魔族も同じニャ。さあ、かわいく気高い我等に仕えよ――と、彼らは本気でそう思っているでしょうからね。回復の力も頼りになるので信仰対象にもなりやすい。盤上遊戯の最終勝利者は魔王アルバートン=アル=カイトスだと言われていますが、本当のところは――」
「魔猫の勝ちか、まあその方が話も丸く収まる気もするのでな――よいではないか」
しばし考え――。
マギが言う。
「ま! まだしばらくは妾がヴェルザの長として働くとしよう! じゃが、いつか妾は後継者を見つけ楽をするのじゃ! シャーシャ坊よ、覚悟をしておくとよい!」
「あなたを超える統治者など、そうそうは現れないでしょうがね」
「妾の星占いによると――五年後ぐらいにおぬしがヴェルザの街を治めている姿が見えるが、まあ気のせいという事にしておこう」
「未来は変えられますから――どうでしょうか」
「頑固な子じゃのう――そんなところも可愛いのじゃがな!」
子ども扱いしないでください。
そう言いかけた戦術師のモノクルが輝く。
言葉が止まったのは――。
そこに、太陽のような温かい笑顔があったから。
いつも大事にしてくれた、偏屈な自分を育ててくれた優しき母のような存在。
にこにこっと微笑む幼女。
その優しき師に、戦術師はいつも救われていた。
だから弟子は師に深く礼をして、この話は終わった。
二人は草原にある家を目指して歩いた。
羊飼いの男が住む家。
ここには――幸せに暮らす魔猫がいる。
▽次回:最終話。




