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第181話、あなたはあたしの……―エピローグ・大魔王ケトス編―


 【SIDE:大魔王ケトスと魔猫少女ラヴィッシュ】


 冷たい路地裏の、野良猫たちの物語――遥か遠い過去の別れを経て、今再び、彼らは出会った。

 レイニザード帝国の王宮。

 そのてっぺん。

 勝手によじ登った一番高い場所から平和な町を眺めるのは、二匹の魔猫だった。


 一匹は白きモフモフの君、大魔王ケトス。

 そして、もう一匹は焦げパン色の君――英雄の娘ラヴィッシュ。


 あの日の別れから何十年、何百年、何千年経っているのだろう。

 焦げパン色の君も何度、この盤上遊戯の中で生まれ変わっていたのだろう。

 その都度、彼女は死に別れた白猫を思い出していた。


 この再会が運命の再会だったことも、彼女はもうしっかりと理解している。

 ラヴィッシュが首を傾けて隣のネコを見る。


 頼りないが、頭は回る情けないオス白猫の顔がそこにある。

 隣にいると安堵できる顔だった。

 今はまた、隣で座って互いのモフ毛に寄り添って、温かい太陽の下でポカポカと休んでいる。


 魔猫少女ラヴィッシュは自分を探し求めてここまで来た、かつて弱虫魔猫だった大魔王に言う。


『ねえ――別にあの人の許可がなくたって、いいんじゃないかしら?』


 大魔王ケトスの世界に顔を出す話である。

 ラヴィッシュの父の了承は取れていない。だから二匹はまだ、ここにいる。

 大魔王が苦笑と共に髯を揺らして言う。


『そういうわけにもいかないだろう。彼もまた不老不死、きっと相当に長い付き合いになるだろうし――なによりだ、やはり祝福されて送り出された方が気分もいいだろう?』

『そうは言うけれど、お父さん頑固なんですもの――』

『それだけキミのことを愛しているという事さ』


 それはとても幸せなことだと大魔王は白いモフ毛を膨らませて、ニヤリ。

 クハハハハハハっと城のてっぺんから哄笑が響く。


『どうだい? 今のはなかなか格好いいセリフだったんじゃないかな?』

『はいはい、あなたは格好良くなりました――』

『それじゃあ昔は格好良くなかったみたいな言い方じゃないか』

『あら、あの時のあなたって格好いい要素があったかしら?』


 うにゃ!?

 っと、頭の先まで毛を膨らませた大魔王が眉を下げる。


『これは手厳しいね――それでも、キミを守ろうと路地を駆けたあの時のワタシは必死だった。それは事実なのだけれど』

『知っているわ。でもまさか、あの時のよわよわ猫が、こんなに凶悪な魔猫になって戻ってくる――迎えに来てくれるだなんて、普通信じられないわよ』


 かつての記憶の中の大魔王は猫としての常識を知らない、なにもしらない、狩りもろくにできない魔猫だった。

 それでも――。

 群れを率いる知識をあの頃から持っていた。


 動かぬ自分の死体を温めようと、ペロペロと舐めていた猫。

 賢いから。

 もう死んでいることなど分かっている筈なのに、そういう時だけネコの顔をして、死んだと認めないように寄り添って眠っていた猫。


 それが今は大魔王。

 弱虫猫が大魔王になるまでには多くの歴史があったのだろう。

 本当に、いろいろな経験をしたのだろう。


『ねえあなたの世界ってどんなところなの? あたしたちがいたあそこじゃないのよね?』

『すまない。あの世界は――……ワタシが壊してしまったからね』

『そう。優しいあなたが世界を壊したくなってしまうほどの、よほどの事があったのね』

『ああ、とても悲しいことがたくさんあったよ』


 伝承によれば、それはまだ大魔王と呼ばれる前の、魔猫ケトスの主人の死。

 それでも誰かを信じようとした魔猫は裏切られ。

 とうとうその涙は、世界の全てを洗い流した。


『キミが死んでしまったあの日に、もしワタシに今ほどの力があったのなら――その時に、あのタイミングで全てを破壊してしまったのかもしれないけれどね』

『ねえ、世界を壊そうと思えば壊せてしまう力を持っているってどんな感じなのかしら』

『そうだね。例えばだけれど、今あそこの道を歩いているアリが見えるかい』

『あの子達のこと?』


 ラヴィッシュは焦げパン色の手と肉球で指さしてみせる。

 猫の瞳には遠く離れた草原を這う、小さな虫たちが見えている。


『ああ、そのままキミが肉球を叩き付ければ死んでしまうだろう?』

『そりゃ、まあねえ』

『ジャレたい時じゃないのなら、そんなことをする気も起きないだろうけどね。じゃあ、あそこの市場の人間たちを見たときは、どうだい?』

『どうも思わないんじゃないかしら。敵対しているならともかく、ふつうに買い物をしてるだけですし。なに? まさかまたお腹が空いちゃったの? さっき陛下から奪って食べたばかりじゃない……』


 ザカール八世の食卓に上り、縦横無尽に暴れまわった三匹の神。

 三獣神のグルメに対する欲を理解している終焉皇帝は笑って、余興として認めているが――。

 一応、国民であるラヴィッシュとしては、なにやってるのよ……と突っ込まずにはいられない。


 もっともザカール八世も食わせもの。

 三獣神と良好な関係を築いていると、周囲にアピールする政治的な意図もあるようだが。

 ともあれ大魔王は、市場の人々を見下ろしながら言った。


『ワタシにはアレが全部、アリに見えている』


 大魔王は赤い瞳を輝かせていた。

 ギラギラギラと、憎悪を滾らせていた。


『人の街並みも、町そのものも、国も、大陸も――全てが脆弱なアリにしか見えていない。草原に這うアリも、市場で這う人間も同じ弱き命にしか見えていないんだ。だからね、たまに――ついうっかり、潰してしまいそうになることがある』

『ふふふ、なにそれ。あたし知ってるわよ? 異界の魔導書で読んだもの、それって十四歳ぐらいの子供が罹る病。中二病って言うんでしょう?』


 言って、ラヴィッシュは状態異常回復魔術を詠唱し。


『って、あれ? 治らないわね。状態異常じゃなくてバフ扱いなのかしら』

『……。いや、これはそーいうのじゃなくてだね……』


 回復魔術が得意なヒーラー魔猫たるラヴィッシュはあれぇ……っと頭を悩ませるが。

 大魔王が言う。


『なんというか、かつてワタシの同一存在も似たようなことを言われたらしいってことを思い出したよ。難しく考えていたワタシがちょっと間抜けみたいじゃないか』

『そう、じゃあよくあることなのね』


 盤上世界で育った猫と、外の世界で育った猫。

 価値観や常識が多少違うが、それでも――。

 きっと今の話はそうじゃない。

 大魔王が他人とは違う力を自制し、常に力を押さえ続けているとは理解できた。


 風が、獣たちの毛をモコモコっと揺らしている。


 少しずつ、今の大魔王ケトスを知り始めて――またもっと、好きになる。

 そんな乙女心を抱きながら――。

 焦げパン色のラヴィッシュが言う。


『さっきのアリの話は、本当に……あなたには人間たちがアリ程度に見えている。うっかり潰して、消してしまいそうになってしまう程の存在にしか見えない……そういことなのよね』

『ああ。ワタシがちゃんと見えているのは友であるケモノ達と、我が主たる魔王陛下――そしてキミだけだよ』

『いや、だけっていうわりには結構見えているじゃない』

『それはまあ――そうかもしれないけれど』


 苦笑する魔猫の鼻先に、鼻先を近づけ。

 こつん……。

 焦げパン色の手足を輝かせる魔猫が言う。


『しょうがないわね。じゃああたしがずっと一緒に居て、あなたのストッパーになってあげるわよ。あたしが近くにいれば、ついうっかりなんてしなくなるでしょうし』


 大魔王の毛が揺れる。


『一緒に居てくれるという事かい?』

『まあそういう事になるでしょうね。てか、あなた――今更あたしがいなくてちゃんとやっていけるの?』

『無理だろうね』

『それじゃあ、仕方ないわね。あなただけに特別よ』


 返事の代わりに、大魔王はゴロゴロゴロと喉を鳴らす。

 いや、二匹は互いに喉を鳴らしていた。

 魔猫少女ラヴィッシュが言う。


『その、あなたの魔王陛下って方が、楽園でイエスタデイ様に真実を話して力を授けてくれたっていう――冥界神の弟さん、なのよね?』

『ああ、キミとの別れで絶望し、世界と人間を憎悪し呪っていたワタシを拾ってくれた恩人さ――今は地球っていう、遠き青き星にいる。一度転生していらっしゃるからね……楽園にいた頃の力は失っているが、それでも、かなり強い自慢の主だよ』


 それは――まだ世界には入ってきていない、異界の伝承。

 知らないことがいっぱいある。

 知りたいこともいっぱいある。

 魔猫少女ラヴィッシュは言う。


『そう。じゃあ今度そのお礼をしにいかないといけないわね』


 それはこの世界を出ていくという事になる。

 一時的ではあるが――盤上遊戯の駒としては、初めて外に抜け出す命になるのかもしれない。


『ワタシと一緒に、来てくれるかい?』

『お父さんを説得できたらね』

『それじゃあ、行こうか――今、アキレスくんのところにスピカくんが来ているんだ。彼女が助けになってくれるだろう』


 大魔王は肉球を伸ばし。

 慇懃なしぐさで、気取った魔猫の声で言う。


『肯定なら、ワタシの手を握ってくれるかい?』

『仕方ないわね――』


 肉球が重なったその時。

 魔猫少女ラヴィッシュの身体が、元の人間の姿へと戻っていく。

 大魔王がその身の呪いを解いたのだ。


『あの人はきっと、認めるきっかけが欲しいのさ。だから、元のお嬢さんの姿に戻ったキミを連れてワタシが頭を下げれば、きっと分かってくれるよ』

「そういえばお父さん、あたしの身体を魔猫から元に戻すためにヴェルザに向かったんですものね」


 そのまま巻き込まれて、こうなったが。

 少女ラヴィッシュが言う。


「ところであたし、魔猫の姿の方が好きなんですけど。ちゃんと戻れるの?」

『ああ、もちろんだよ。もうキミの意思で自由に切り替えられる筈さ』

「あいかわらず凄いわね。どんな魔術を使ったのよ――」

『さっき鼻を合わせた時にね――』


 姿を変えられた恋人の姿を元に戻すのに必要なのは――。


「古典的な解呪方法。恋のまじないかしら」

『残念ながらワタシは皇子ではないけれどね』

「ふふふふ。いいえ、あなたはあたしにとっては――……ううん、なんでもない。ほら! 行きましょう!」


 四星獣に願う奇跡と同等の力を即座に発動させてしまう猫の神。

 大魔王ケトス。

 運命の相手とまた巡り会えた魔猫が、恋人を連れて帰還できたかどうか――。

 それは記録に記されていない。


 しかし、おそらくはきっと――。


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