第175話、最終決戦―戦士たちの切り札―【静謐の祭壇】
【SIDE:主神イエスタデイ=ワンス=モア】
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアはもはや答えを決めていた。
猫の瞳の目の前で、ピカピカに輝く宝石たち。
盤上遊戯の駒達、その心の煌めきに魅了されているという自覚もあった。
だから、これで終わり。
少なくとも四星獣にして主神イエスタデイ=ワンス=モアと今を生きる命たちとの戦いは、本当にこれが最後となるだろう。
どちらが勝ったとしても結末は同じ。
主神が勝利しても自らを犠牲にし蘇生を、駒達が勝利すればそのまま彼らは理不尽な神を破った英雄として現代を抱き、未来に向かい、まっすぐ前に進んでいく。
そしてその記録は形を変えても、永遠に残り続ける。
過去現在未来、そして記録。
あの日に帰りたかった猫は思い至る。
ここにはかつて自分では成しえなかった自分がいる、と。
あの日、ふわふわな幸せを抱いた日常を神の理不尽により壊された自分とは違い、成長し、理不尽に立ち向かう力をつけたもしもの自分がここにいる、と。
――我は、満足だった。これで、いい。これで。
今を生きる命たちは既に満身創痍。
常に防戦一方であったが、次第に防御が足りなくなってきている。
だが、やはり何かを企んでいるのは相変わらず。
英雄アキレスが叫ぶ。
「気張れよ、てめえら! ここで負けたら、全部が台無しになっちまうんだからな!」
「もぅ~、英雄さんはうっさいわねえ。わぁってるわよ、わぁってる。だからロロナだってちゃんと戦ってるでしょう~?」
状態異常を得意とする拷問拳闘家ロロナが、はらりと前髪を垂らしながら強気で応じている。
その後ろにスピカ=コーラルスターが控えている。
飄々としつつも口の悪い女魔族は、護衛。魔術の性質を読み解き、妨害の矢を的確に放ち続けている赤珊瑚髪の少女を守っているのだろう。
スピカ=コーラルスターが崩れたら終わり。
少女はただの英雄の子孫。
少女はただの家出娘。
どこにでもいる、かつて優秀だった者達の血を引いているだけの、百年単位で発生する、ただちょっとだけ強い人間にしか過ぎない筈だった、少女だ。
けれど、少女は既に要となっていた。
結局、直接的な神の恩寵がなくとも人は成長するのだろう。
ぶにゃはははははははは!
神は笑った。
魔性として暴走する巨獣ではなく、かつてヴェルザの街に降り立った時のような陽気な仕草で、愉快な哄笑を上げていた。
『見事なり――人間に魔族、そして英雄魔物により人間社会に忍び込まされた亜人族。並びに四星獣の眷属になりしも、かつて人間だった獣や獣神たちよ。我は汝らを認めよう、故に、これが最後である! 耐えてみよ! 或いは打ち破ってみせよ!』
白い靄から飛び出したのは、タヌキ顔の魔猫。
白いふわふわ毛布、あの日のふわふわの花の中心にうっかりココアを零したような模様の、太々しい顔をした神、イエスタデイ=ワンス=モアが詠唱を開始する。
獣毛が膨らむ、足元から発生する魔法陣に揺れた尻尾がふわふわの花のように――靡いていた。
『記録を司る四星獣ネコヤナギ。汝との契約を代価に、我は奏でる』
パキン……と。
盤上世界が揺れる。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの足元に、幾度も繰り返した世界の中で築いた、ネコヤナギとイエスタデイ=ワンス=モアのログが魔力となって浮かび上がる。
『未来を司る四星獣ムルジル=ガダンガダン大王。汝との契約を代価に、我は謡う』
四星獣の力を借り受ける魔術を自らで詠唱し、主神は彼らを見た。
この魔術が遊戯でも悪戯でもなく、本当に決着をつける最後の魔術だと悟っているのだろう。
魔王でありながらも勇者の力を発揮するアルバートン=アル=カイトスが、勇者だけが持つ力である強力なカリスマ――仲間の能力を飛躍的に強化する統率の力を発動させ。
吠えた――。
『僕は魔王です、既にニンゲンではないでしょう。けれど、僕は全員を守ります――人も魔族も、獣も。いつかこの世界を好きになれる日が来ると信じています。だから――!』
「今だ――! てめえら、これが最後の踏ん張りだ!」
アルバートン=アル=カイトスによる支援魔術を受けた英雄アキレスが跳躍する。
その身には今を生きる命たちの支援魔術やスキルが全て乗っている。
威力偵察の時に魔王アルバートン=アル=カイトスが単騎で戦いを挑んでいたように、今、あの時を超える全ての支援が英雄の身を高揚させているのだ。
単独での単純な戦闘力も戦闘センスも、おそらく英雄アキレスがこの盤上世界で最も優れている。
人選も悪くはない。
だからこそ、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアは詠唱を続ける。
『現在を司る四星獣ナウナウ。汝との契約を代価に我は願う』
記録を辿り。
未来を眺め。
現在を認め。
そして――。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの目の前に、一冊の童話書が浮かんでいた。
それは逸話魔導書。
イエスタデイ=ワンス=モア自身の悲しみを綴った、世界に絶望し、憎悪し、望郷を望んだ魔性イエスタデイ=ワンス=モアとしての魔導書。
『過去を司る我、イエスタデイ=ワンス=モア。我と盤上世界との契約を対価に、我は叶える。嗚呼、世界よあの日に帰れ。神話再現:アダムスヴェイン』
▽《我が愛しき過ぎ去った日々よ、もう一度》が発動された――。
過去を司る自らの逸話を神話再現魔術、アダムスヴェインにより呼び起こし。
世界をあの日へと塗り替えていく。
ふわふわな花を抱き、幸せな日々が続くと思っていたあの草原へと――全てを回帰させていく。
代価は四星獣としての世界との契約。
主神としての器を魔術の生贄として行使。
四星獣の長として、四星獣の権能を全て使用し――本来なら再現不可能な、《限定空間:盤上遊戯内》の時を歪め、時間逆行魔術を発動させていたのである。
全てが、過去に戻る。
全てが、あの日に戻っていく。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの瞳にはあの日の幸せが見えていた。
草原には主がいる。
原初への回帰。
世界の法則を捻じ曲げる、どんな願いでも叶えてしまう危険性のある盤上遊戯だからこそできる、最後の魔術でもあった。
この回帰現象を防がなければ、全てが終わる。
本当に、終わってしまう。
もし今を生きる命たちがここまで成長していなかったら、神はこれを使うつもりはなかっただろう。
しかし、我が子達の成長を確信したイエスタデイ=ワンス=モアは禁断の魔術を発動させたのだ。
さあ、止めてみせよ――!
と。
過去へと塗り替えられていく世界を止めるべく、彼らは動いた。
拷問拳闘家ロロナが、胸元から大地神の駒を輝かせ――。
天に向かって放り投げる。
「ずっと、ずっと待っていたわ。この時を――今よ! カイルマイル!」
その名は、タンポポ畑を守り続ける真樹の森の守り神の真名。
光輝いた大地神の駒から、その守り神は顕現していた。
空席となっていた大地神、自然発生する盤上遊戯の神としての座に、魔猫と化したあのカイルマイルの魂が憑依したのだと推測される。
真樹の森の鬱蒼とした大樹と共に魔猫が顕現し、静謐の祭壇を塗り返しだしたのだ。
何もない、むなしいだけの空間にタンポポは咲き乱れ始める。
一面の黄色いタンポポを守るべく、かつて人を捨てた魔猫神の一柱は凛々しく吠えた。
声が響く。
今度こそは、守り切ってみせる。
あの日、守れなかったおまえのために――。
世界がイエスタデイ=ワンス=モアの言うところの”あの日”へと帰るのならば、大切で大好きなタンポポも消えてしまう。
だから守り神は必ず動く。
だから、拷問拳闘家ロロナはずっと――世界が侵食される瞬間を待っていたのだろう。
あの魔王城襲撃事件の後始末の時。
秘かにタンポポ畑と、そして真樹の森の守り神と契約をして。
▽大地神カイルマイルの咆哮が、発動される。
守り神の力は、大地神の駒を取り込み強大な力となって発揮されている。
続いて動く者が在った。
真樹の森を得意フィールドとする殺戮令嬢、暗黒騎士クローディアが魔力で浮かべた無数の釣竿を背景に――冥界神レイヴァンの魔導書を開く。
「黎明の神よ! どうかわたしに、世界に償う力を――!」
ロロナの差し出した駒の力と共に、大地神と化したカイルマイル。
世界の過去への浸食を抑えるその力に、冥界神の力が乗算されていく。
殺戮令嬢の身は、淑女のドレスを纏っていた。
飄々とした黒衣の異神レイヴァン=ルーン=クリストフ。女性に真摯で、楽園で数少ない人徳者だった神に授かった力を、不老不死ではなくなったその身で、行使しているのだ。
さらに続いて、赤珊瑚色の髪が揺らいでいた。
スピカ=コーラルスターが術妨害ではなく、攻撃魔術を詠唱しながら弓を引いていたのだ。
「星と歴史を紡ぐ神々よ。過去から生まれ、現代を歩き、未来を見据え――物語を観測する者達、汝の名は四星獣! 我が声に応えよ、四星獣よ! 我は全てを熱で射抜く者、スピカ=コーラルスターが命じる――神よ、我等に現在と未来を授け給え――!」
構える矢の先端からは、魔力摩擦による次元を揺らす暴風すら発生していた。
狩人の本能が、ここで射抜かねばならないと察しているのだろう。
今、詠唱の力を重ねている矢こそが全力の攻撃魔術、攻撃射撃なのだろう。
詠唱する英雄の末裔。
その周囲には、三つの魔導書が浮かんでいる。
「続けて詠唱します――! 汝は荒ぶる炎精霊の皇太子にして、心優しき魔猫神のプリンス。汝は冷たき殺戮者、なれど静かなる心を持ちし銀魔猫、夢の国を知る皇子。汝は無数の可能性を束ねしモノ、時無き図書館にて世界を編纂せし赤き魔猫の麗しき魔女姫!」
それは炎を纏う凛々しき皇子が表紙に描かれた逸話書。
それは月を背景に抱く、雪色の魔力を纏う月皇子が描かれた逸話書。
それは無数の聖剣と魔剣を浮かべ、赤きドレスに身を包んだ悪戯そうな皇女が描かれた逸話書。
全てが世界の法則を書き換えられるほどの、最上位の魔導書。
四星獣の魔術に重ね、それらの魔術も矢に乗せ赤珊瑚は制御してみせている。
稀有な魔導書に、そしてそれらを同時にコントロールする少女の手腕は――人の器の限界の高さを示していた。
その技量が神をも唸らせたのだろう。
イエスタデイ=ワンス=モアの口から、感嘆とした息が漏れる。
『ほう、これは珍しい! 大魔帝ケトスの血筋、世界最強の魔猫の子供らの書を制御するとは――あっぱれな娘よ。なれど、分からぬ――異界の三柱の魔導書。何故、なにゆえに汝がそのような奇書を所持しておる』
「簡単な話です――わたくしが彼女に託したのですよ」
答えたのは詠唱中のスピカではなく、モノクルをキラリと光らせる戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャだった。
その周囲には、三獣神の魔導書が浮かんでいる。
イエスタデイ=ワンス=モアの瞳が鑑定の魔術を発動させていた。
その三つの書の持ち主として表示されている名は――。
イエスタデイ=ワンス=モアは瞳を僅かに見開いた。
その脳裏に浮かんでいたのは――楽しき冒険の一頁。かつてヴェルザの街の隣、エルフたちが住まうアポロシスの街で出会った魔女帽子。
『魔女王キジジ=ジキキ……。そうか、賢くも優しきあの娘……いや、魔女王は将来的にこうなることを魔女の力で予測しておったのか』
「そこまでは分かりません。けれど稀代の魔女王はわたくしの一族に、禁断の三冊の書を託されたのです。もっとも、マギ様を通じて渡された書もございましたが――それでも、元はあの方の書。魔女王としての務めにその生涯を費やし、愛する老剣士とは子を儲けることができなかった女王は――部下であった我が祖霊を信じ、託したのでしょう。この日のために――」
三冊の魔導書を操り、パーティー全体を指揮強化する戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャの身が、軋んでいく。
元より強大なる異神の書。
人の身でその魔術を行使することがどれほどの負担になるか――、それは彼が流す血が物語っているだろう。
それら全ての魔術や技術を、魔王の勇者としての力が鼓舞して強化。
全ては最後の魔術を破るため。
駒達はキラキラキラと輝いていた。
『ふふふふふ、ふはははははは! やはり歴史とは面白いものよ! キジジ=ジキキ、たしかにあの者は異界の魔猫――巨鯨猫神の名を知っておったからな。アルバートン=アル=カイトスに名付けたその時に、その逸話は多少語られた。ならばこそ、あの娘は異界魔術についての魔導書を保有していたとしても不思議ではあるまいて――!』
過去からの流れが、今。
最後の戦いの、最後の勝利を掴もうと動き出している。
だが、それでも足りない。
世界の過去への浸食は止まらない。
千年幼女マギが魔猫を束ね、常に全体に回復の祈祷を発動し続ける。
猛将マイアが軍全体の支援魔術をその身に宿し、自分の身を媒介にすることで倍増させ返還――軍全体を再強化し、八尾の鞭をしならせる。
ビスス=アビススが、大地神の駒を制御するロロナの肩を支え、魔導石板による支援魔術を最大展開する。
猛将マイアが――吠えた。
「誰でもいい! イエスタデイ様の魔導書を破壊しろ――!」
その中で。
英雄は駆ける。
過去へ戻ろうとする四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの空間。膨張する宇宙の如く、超高速で蠢く次元を追い込みアキレスは駆ける。
それは終わりの一撃を狙う、蹴撃者の全力疾走。
割れた次元と、真樹の森と化したフィールドを何度も超え。
魔術の核。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの逸話書を破壊しようと、駆けている。
「あと少し、あと少しなんだ――諦めねえぞ、オレは!」
だが、届かない。
まだ一歩。
あと一歩。
その時だった。
誰も予想していなかった。
誰も、味方と数えていなかった。
動くものがいた――。




