第173話、最終決戦―弱者たちの知略―【静謐の祭壇】
【SIDE:主神イエスタデイ=ワンス=モア】
主神イエスタデイ=ワンス=モアによる猛攻は続いている。
神話規模の魔術が矢継ぎ早に詠唱されるのだ。
今もギリギリで魔術による衝撃波を防ぎ切った今を生きる命たちの耳を、詠唱のリズムが揺らしていた。
『嗚呼、汝は主たる罪過を財貨で拭う者。穢れを憎みし鯰の王』
「次は……っ、ムルジル大王の力を借りた異界魔術が来ます!」
吼えたのは、魔術を読み解く狩人の瞳の持ち主。
スピカ=コーラルスターの瞳は正確に、ただ魔術の奥底を見つめていた。神話領域にある筈の魔術の特性を言い当て続けているのだ。
実際に、既に陣形が変更されている。
この異界魔術は、人の業や欲といったカルマ値に似た数値を参照する、特殊固定ダメージの魔術。
所有財産の総量に応じたダメージを与える、耐性を無視した攻撃なのだが――それに対応し、瞬時に動いただろうことはすぐに理解できた。
財産を持たぬ獣神や魔猫達。清貧を是とする敬虔なる聖職者たちが前に出ていたのだ。
『ほぅ? 大王の力を借りし我が魔術の性質すらも見抜くか――』
「だぁっはっはっは! 残念だったな、ネコの旦那! 人間様を舐めるんじゃねえぞ!」
『そうは言うが英雄よ。何人か清貧を尊ぶはずの聖職者の数名は目線を逸らし、列に並ばず後ろに隠れておるが? どうしたことかのう? はてさて、そやつら私腹を肥やしておったな?』
啖呵への返しに、人間の英雄アキレスは怯むことなく。
その身に限界を超えた支援の魔力を受けて、突撃。
主神が詠唱して発生する魔法陣を踏みつぶすことで、魔術の威力を軽減させ続ける。
「それが人間ってもんなんだよ! 善人面した荒唐無稽な連中が全員、ちゃーんと善人なんて妄想を信じるのはガキまでだってんだ」
『然り。ああ、それも人の本質よ』
「だがな! それでもこうして自分の世界を守るために戦ってるんだ、そんなクズでもな!」
魔法陣を踏みつぶして乱れた魔術。
弱まった大王の魔術の核を狙い放たれたのは、一条の矢。
シュゥウウウウウウウウウウウゥゥゥゥ――っと、魔力摩擦による爆音が周囲の地形の性質を変えていた。
「連射します――! 耐えて下さい、みなさん!」
それはやはり、スピカ=コーラルスターの妙技。
スキル名は《魔術妨害の不死鳥矢》。
朱雀シャシャの力を乗せた炎魔術の妨害魔術射撃であるが、前に使ったポエニクス・アローと比べ連射性を重視した性能なのだろう。
イエスタデイ=ワンス=モアを取り巻く白い靄、物理法則を捻じ曲げる神の魔術を炎の矢が十字に射抜いた――その直後。
猛将マイアの鞭が、指揮スキルを発動させていた。
「全軍後退! 背水の二の構えに移行! 守りを固めよ!」
指揮スキルを受けた全軍が猛将の手足のように迅速に動く。
人も魔族も魔猫も獣神も。
まるで一つの命のように、神との戦いについてきていたのだ。
しかし問題は――。
さきほど主神に生まれていた隙だ。
イエスタデイはあえて隙を作ってみせた。相手の攻撃をみたい、どう攻めてくる? それを調べたかったのだが――。
攻撃の機会が生まれたのにもかかわらず、今を生きる命たちは攻撃せずに守りを固めていた。
試すように主神は髯を蠢かし、短文詠唱。
『命よ、灰塵に帰せ――』
酸素を奪い気道を埋める、速効発動の即死魔術を放つが――。
レジスト。
死の属性に対処するべく、魔王と殺戮令嬢が再び魔導書を開いていたのだ。
また一つ、主神に隙が生まれる。
だが――。
生まれた隙を活かし、すかさず発動されていたのは結界の構築。
支援を行う扉の外の連合軍が、魔王軍の幹部たる四天王に魔力を送る。
軍単位の支援を受けた四天王が更にビスス=アビススに魔力を流し、多重支援――バフの重ね掛けをし厚くしたのは、攻撃ではなく防御。
魔導石板が分厚いピラミッド型の結界を展開していた。
やはり全ての力を防御と回復に回しているのだ。
神たる魔猫は、相手の動きを戒める《遅延属性》を込めた氷の矢を振り注がせながら考える。
既に大陸を数度吹き飛ばす程の大魔術を何度も行使している。
しかしその都度、被害は毎回一割程度で終わり対処されている。
一度の攻撃で全滅させねば、今を生きる命たちに協力しているヒーラー魔猫の群れに治療をされてしまう。
事実、原初への《回帰》を果たしていた動物たちは、状態異常を回復され戦線に戻っている。
だが、主神の一撃を耐える防御とて所詮は付け焼刃。
いつかはその防御も途絶える。
守り切るだけでは勝てない。
『解せぬ――時間稼ぎが目的か?』
「さぁて、どうだろうなぁ?」
英雄アキレスは余裕の笑みである。ハッタリかどうかは、今のイエスタデイには判断できなかった。
不審に思いつつも主神イエスタデイ=ワンス=モアは次の詠唱を開始。
すぐさまにやはり、スピカ=コーラルスターが性質を読み解き全員が動く。
主神は訝しんだ。
おかしい。
おかしいことはそれだけではない。
いくら炎熱魔術師といえど、全ての性質を読み解き、威力や効果を弱める魔術妨害を的確に放て続けているのはおかしい。
なにかある。
きっとある。
そもそもだ。
魔猫イエスタデイは考える。
――なぜ、こやつらは攻撃を仕掛けてこない?
そう、守ってばかりで攻めてこない。
消耗を待っている?
いや、世界を支える主神の魔力が尽きぬことなど、分かりきっていること。
ならば防ぎきるので手一杯なのか?
いや、滅ぼせぬのなら賢き者たちは現実を見つめて考えるだろう。戦いを避け、ヴェルザの街のダンジョン塔を利用し転生という形で外の世界へと生き延びる筈。
――なにか、策がある。なにか。
魔猫イエスタデイの口元が緩む。
『嗚呼、愉快。愉快! 愉快! いがみ合っていた者たちが、駒達が、我が子らが、今こうして協力して神たる我を討とうとしておる! 終わりを望まず、我らが育てしこの盤上を守ろうと蠢いておる! 嗚呼、楽しや! 嗚呼、楽しや! もっと見せよ、さあ我にもっともっと! 汝らの輝きを!』
ならばこそ、その前代未聞の団結に応えずして主神は名乗れまい。
と。
神として、成長した我が子らを試す顔で――。
主神の咢が高速で蠢く。
幾度の魔術、幾度の咆哮。
時に、その身を突進させ、爪による範囲首刎ねを狙うも――全てが九割を軽減され、一割を犠牲にし防がれる。
重傷を負ってもヒーラー魔猫による回復魔術が、負傷者を立て直し続ける。
『嗚呼、よもやここまでとは――賞賛しよう、我が子らよ。我等の無聊を慰め続けた命たちよ』
駒達を褒める魔猫の心には、過去が映っていた。
それは四星獣との遊戯の記憶。
ダイスを何度も転がした日々。
はじめは作業だった、繰り返す世界。
最初に遊戯を心から楽しみ始めたのはナウナウだった。遊戯に夢中になったナウナウは、その自由な気質のままにダイスを振った。
だがナウナウはパンダ。
自分が一番かわいいと思い、何をしても許されると思っているパンダ。バレなければ問題ない、だって僕、世界一かわいいパンダだよ? と、我がままパンダが生み出したインチキダイスを、管理者たるネコヤナギが窘める。
けれど多少のインチキや例外があった方が面白い。
イエスタデイとムルジル大王は顔を見合わせ、ニヒィと魔猫の笑み。構わぬからそのまま続けよと、肉球に握ったダイスを転がし、ナウナウが仕掛けてくる悪戯に一喜一憂する。
作業だった遊戯が、楽しいゲームとなった。
ネコヤナギは仕方ない子達ねと呆れていたが、微笑んでいた。
四星獣は笑った。
心から笑った。
盤上遊戯を自らの世界、自らが作り上げた盤上だと認めた。
遊戯を楽しみ進めた日々がそこにあった。
駒達の成長を楽しむ日々があった。
だからこそ、もっと見たい。
この世界を守りたいと願う、その心を見せよと四星獣の長は唸る。
『汝らは――我らに心を取り戻させてくれたのやも知れぬ。汝らは我らの心を癒していたのやも知れぬ。しかし――嗚呼、分からぬ。なれど、我はあの日に帰りたい。その心もまた真実。故に――我は本気で汝らに問う。この我を止めるほどの輝きを、我に見せよ、我を楽しませよ』
赤い瞳が煌めき、謡うような咢が呪を紡ぐ。
『我、イエスタデイ=ワンス=モアが重ねて詠唱する』
防いでみせよ。
足掻いてみせよ。
ナウナウが愛するこのおもちゃ箱を、ネコヤナギが愛するこの世界を、ムルジル大王が釣り堀と定めたこの広き大地を。
試すように、望むように。
四星獣の長として、イエスタデイ=ワンス=モアが天に吠える。
『嗚呼、其は憎悪を滾らせるモノ。汝は黙示録のケモノ、黒獣の巨鯨猫神よ。大魔帝の名を冠する反救世主よ。外なる全ての魔猫の神よ。光を抱きし、真なる勇者猫よ。嗚呼、昏き天に啼くケモノよ。我が呼びかけに呼応せよ――我はイエスタデイ。イエスタデイ=ワンス=モア。あの日を顧み続ける魔性なり!』
今までで一番大きな魔術だった。
大魔王ケトスと出自をほぼ同じくする、大魔帝の力を借りた極大魔術。
その性質を読み解こうとするスピカ=コーラルスターの瞳から、ギシリと濃い血が漏れる。
「きゃぁ!」
飛んできたヒーラー魔猫が瞳を治療する祈祷を舞う中、赤く染まった目を押さえてスピカ=コーラルスターによる警告が響いていた。
「っぐ……! こ、これ、さっきまでとは規模が違います……っ。無数の星を、降らせる……っ、っく」
「嬢ちゃん!? 大丈夫か」
「自分は、平気です。それよりも――これはおそらく、白き魔猫大魔王ケトスの近似存在、黒き魔猫大魔帝ケトスの力を借りた魔術です! た、たぶんやばいやつです、これ――下手すると、こっちの全力でも防ぎきれませんよ!」
詠唱を続ける主神イエスタデイ=ワンス=モアの瞳が、少女を見る。
後ろに結んだ赤珊瑚色の髪を魔力で揺らす、まだ若い少女。
スピカ=コーラルスターを眺める。
瞳の奥に魔力の光が走っている。
少女の瞳の奥とリンクしていたのは、戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャと饕餮ヒツジの視界。
詠唱の中で、口元をブニャっと蠢かし主神イエスタデイ=ワンス=モアがほくそ笑む。
『なるほど――軍師の職にあるものと視界と知識を同機させておるのか。嗚呼、愉快。愉快、それもまた、種族を超えた協調であるか』
「ちぃ……! おい変態戦術師、こっちのネタがバレてやがるぞ!」
駿足を生かし回復アイテムを部隊全体にバラまき続けている英雄アキレスが叫ぶも、軍師たちの動揺は皆無。
どこからともなく、声がする。
「問題ありませんよ、アキレス殿。よもや主神たるイエスタデイ様が、虫けらの如き我らの連携を狙って断つなどという、矮小な真似ができるとは思えません。ですよね? 饕餮ヒツジ様」
『メメメメェェェ! 当然でしょうなあ! まさか、イエスタデイ様ともあろう方が駒達の連携を”あえて”狙って妨害するなど、できるはずもありますまい?』
▽挑発が発動されていた。
それは主神ほどの強者が、魔術の性質を読み解いている弱者達の連携を邪魔するのか?
という、神への嘲笑である。
ダイス判定は――成功。
主神イエスタデイ=ワンス=モアは、あえて妨害はしなかった。
スピカ=コーラルスターと軍師たちの魔術的繋がりを断つことを、挑発により禁じられたのだ。
『しかし、この魔術を防ぎきれるかどうかは――別であろう? さあ、耐えてみせよ。弱者たちよ、創造主に抵抗してみせよ! 我の望郷を破るほどの、命の輝きをみせよ!』
▽イエスタデイ=ワンス=モアの魔術が発動する。
天が輝き、天体が蠢く。
天に遍く星々が盤上遊戯に向かって落下する。
それは異界の魔猫王にして魔猫神が得意とする天体魔術。
「しゃぁあああああああああぁぁ! この時を待ってたぜ!」
星を降らせる究極魔術。
その発動を眺め、幾度の戦場と死線を乗り越えた英雄が吠える。
英雄の瞳には、主神の放った魔術の閃光が反射していた。
ニヒィっ――と、アキレスが勝利を確信した様子で、大地に長い足を踏み込んだのだ。
光が、天に向かい伸びる。
それは足で刻んだ軌跡により発動する魔術。
英雄アキレスが得意とする秘儀――アイテムによる回復撒きや防御、攻撃行動の付属効果として走った道に描く魔法陣。
十重の魔法陣が輝き、英雄の端整な顔立ちを光で染める。
「自分の最強魔術で、大ダメージを受けやがりな!」
『反射魔術か――』
狙いはこれだったのか。
確かに、最強魔術は時に最強の諸刃の剣として跳ね返ってくる。
回復を得意とする主神を滅ぼすには、主神自らの放つ魔術を跳ね返すことも王道か。
反射魔術に、支援魔術が乗算されていく。
人間と魔族の支援能力者が、反射魔術の性能を上げているのだ。
それは数倍の威力となって術者、すなわちイエスタデイ=ワンス=モアに返ってきた事だろう。
だが――。
誰かが、口を開けた。
遅れて声が、響く。
「な……!? これは――」
確かに魔術は反射された。
天から降り注ぐ星の魔術が、主神イエスタデイ=ワンス=モアの身に降り注いでいる。
けれどその星は――天体ではなかった。
周囲に、甘い香りが漂う。
塩の香りも続く。
魔猫イエスタデイの身に、甘いお菓子が降り注いでいたのだ。
そのお菓子の雨の中、ニヒィっとタヌキ顔のネコがドヤ顔で吠える。
『我が解き放った天体魔術は、《キラキラ霰流星群》。アラレと呼ばれる星の形をした製菓を降り注がせる、召喚天体魔術――よもやおぬしら、我が反射を警戒していないとでも思ったのか? ぶぶぶ、ぶにゃははははははは! 笑止! 片腹痛いとは、このことなのニャ!』
反射を警戒し、相手を騙したことで喜ぶ魔猫。
やーいやーい、騙されおったな!
と。
その喜ぶ魔猫の姿からは、少しずつ魔性としての赤き色が失われつつあった。




