第172話、最終決戦―三つの試練―【静謐の祭壇】
【SIDE:闘う者達】
かつて楽園に在った神々は仲間内で争ったことがきっかけとなり衰退。
滅んだと伝承されている。
仲間で争う醜さを主神イエスタデイ=ワンス=モアも知っていた。
駒達は愉快で楽しい玩具だ。
どう動くか分からぬ、愛でていて飽きぬ駒だ。
けれど、彼らには大きな欠点があった。
仲間同士で醜く争う傾向にあったのだ。
冒険者殺しダインをはじめとし、錬金術師ドググ=ラググを嵌めた人間。
朱雀シャシャとなる前の衛兵長の男。
あるいは英雄少年アルバートン=アル=カイトスを悪と決めつけ追い回した人間ら。勝利を収めたその後の平穏を放棄し、心を取り戻した宗教国家ペイガの姫を殺そうとした人間たち。
そしてそれは人間だけではない。
新たに生まれた種族、魔族もそうだった。
彼らは他者を蹴落とす事も厭わず、弱肉強食の中で蠢く武闘派集団。
イエスタデイ=ワンス=モアは思っていた。
多少の小競り合いは児戯であるが、あまりにも醜い足の引っ張り合いは見るに堪えぬと。
けれどだ――。
イエスタデイ=ワンス=モアは見た。
いま、ここに見た。
彼らは今、一致団結し最も気難しい種族たる魔猫すらも説得して、神たる咆哮を防いでみせた。
だから魔猫の王は黒い靄の中。
歓喜の唸りを上げていた。
『フハハハハハハ! 愉快! 愉快! 嗚呼、楽しいぞ、楽しいぞ! 我は愉快である!』
「でっけーのが来るぞ! 次は猛将、てめえの部隊でいなしな!」
「言われずとも――っ、魔導大隊構え!」
猛将マイアの手にする《神器:八尾の鞭》からピンク色の波動が浮かび上がる。
それは異界の魔性が生み出した武器、《色欲》を司る商人狐がこの世界に介入するために流し込んだ、この世界の法則とは異なる武器の一つ。
色欲による魅了の力が、猛将マイアの指揮する魔導大隊の能力を大幅に上昇させていく。
イエスタデイ=ワンス=モアは黒い靄からケモノの手を覗かせる。
その手は巨大な猫の手となっていた。
肉球の先から、詠唱と共に光が生まれ始める。
神猫の口が蠢き、哀れなる魔猫イエスタデイに楽園で力を授けた兄弟神、その弟神を奉る。
『嗚呼、汝は永遠なるロゴス。あの日、我に力を授けし光。原罪を背負いし救世主よ、我が御霊に救いを。我が前の脆弱なる者らに神の眠りを――』
詠唱が世界を揺らす。
イエスタデイ=ワンス=モアを取り巻く黒い靄が、白い靄に変貌していく。
大規模な範囲睡眠魔術だと気づいたのだろう。
「させません――!」
▽スピカ=コーラルスターの《魔術妨害の矢》が発動。
詠唱により世界の法則を書き換える、その空間そのものを矢が射貫く。
ダイス判定が発生する。
だが――イエスタデイ=ワンス=モアは嗤っていた。
異なる神の力を借りた魔術が、祝詞となって紡がれる。
『我、イエスタデイ=ワンス=モアが重ねて詠唱する。嗚呼、汝は天より落ちた太陽。奈落の果てにて全てを喰らい、天を見上げた報復者。冥界神よ――悲しき御霊に安らぎを、終わらぬ悪夢から解放せよ。集い、集い、集い、ああ、集い。滅びし楽園の惨禍を今、此処に』
「判定に負けました、妨害失敗です……っ!」
詠唱妨害に失敗したスピカ=コーラルスターが叫ぶ。
その眼光は赤く輝いていた。
狩人最高峰の瞳が、重ねて詠唱している二つの魔術の性質を読み取っているのだ。
「永遠の眠り……って、これ、まさか――全範囲即死攻撃ですか!?」
「スピカちゃん!? ど~いうこと!?」
「って! ロロナさん!? こんな時にさらりと胸を触ろうとしないでください! 最初の魔術が神聖属性の全範囲眠りの状態異常で。次の詠唱が眠っている相手を冥界に誘う、つまり殺す闇属性の魔術。その二つを同時に並行詠唱しているんですってば!」
その範囲は盤上遊戯全体。
本来なら閉まっている筈の扉が開いていることを逆に利用した、イエスタデイ=ワンス=モアによる選択を迫る攻撃である。
ここで攻撃を防げないと、世界の全ての命が冥界に落ちる。
「ちぃぃぃ! 神は本気のようじゃな!」
今の結界では防げないと悟ったのだろう、マギが祈祷の構え。
千年幼女の祈祷が、周囲全ての味方の魔術的干渉力を増強させる。
すかさず動いたのは殺戮令嬢クローディアと魔王アルバートン=アル=カイトス。
殺戮令嬢の手の先には、冥界神から授かった書が浮かんでいる。
「汝は冥界の王。楽園を恨み憎悪し、滅びを嘲笑った冥界の貴公子。レイヴァン神よ、慈悲深き汝の加護を我らに。我はクローディア! 暗黒騎士クローディア! かつて殺戮によってその名を歴史に刻みし、殺戮者なり!」
『其れは星夜の竹林に住まう戯れなる巨獣。悠久の惨禍を邪気無き瞳で見続けるケモノ。四星獣よ、現在を司るナウナウよ。汝の玩具駒たる我等に、一時の慈悲を。我は魔王英雄アルバートン。アルバートン=アル=カイトス! 盤上遊戯における特殊駒、ただ一つの勇者なり!』
冥界神レイヴァンの魔導書。
四星獣ナウナウの魔導書。
神話領域に属する二つの力を借りた異界魔術が、同時に発動されていた。
効果は相手の魔術に対する抵抗力を上げる事。
まだ魔術名も存在しない混合魔術が、マギの祈祷の力を受けて倍増され放たれたのだ。
防御結界が世界に生きる命を包む。
だが――。
神たる魔猫の詠唱は止まらない。
イエスタデイ=ワンス=モアは既に二つの魔術の並行詠唱を行使しているが、その口が器用に三つ目の魔術を重ねていたのだ。
『我、イエスタデイ=ワンス=モアが重ねて詠唱する』
「さらに詠唱じゃと!?」
『我は過去を司りしケモノ。星夜に輝く禍つ星。嗚呼、汝らを祖霊の在り処へと帰すモノなり。さあ、原初へと帰れ。かつてあったあの日の姿、あの日の魂、あの日の思い出へと――汝らに救いを。今一度告げる、我はイエスタデイ。イエスタデイ=ワンス=モア。過去を顧み続ける望郷のケモノなり』
それはイエスタデイ=ワンス=モア自身の力を使った異界魔術。
主神が同時に詠唱しているのは三つの魔術。
一つは世界全体睡眠。
二つは睡眠状態の者への強制死亡状態付与。
そして三つめは――。
魔術を読み解くスピカ=コーラルスターが叫ぶ。
「元の魂への回帰……っ、いけない! これを喰らったら、たぶん自分たちがこの盤上遊戯の駒へと憑依する前の、元の魂へと強制的に戻されます!」
「どういう意味だ、スピカの嬢ちゃん!?」
「アキレスさんなら馬に、マギ様なら猫に、たぶん自分なら伐採されて死んだ赤珊瑚の魂へと復元されちゃうんですよ!」
言いながらもスピカ=コーラルスターは弓を引く手に魔力を込める。
少なくとも三つ目の魔術を妨害しなければ全てが終わる。
引き絞る矢の先端に、炎熱の魔力が集いだす。
それはスピカ=コーラルスターがいつの間にか手に入れていた、異界の炎帝皇子の力を借りた炎の魔術。
朱雀シャシャが同じ火属性の力を矢に乗せ、告げる。
『スピカ嬢。君の矢にわたしの魔力を注ぎこむ、反動がくるだろうが――頼めるか?』
「任せて下さい、自分は――この世界が好きです。まだまだ楽しいことをいっぱいしたい。恋だって、まだしてないんですから! ここで珊瑚に戻されたらっ、海の中で漂って生きるなんて今更嫌ですよ!」
『そうか、なら――わたしを乗せろ!』
朱雀シャシャが引き絞る矢の先端に、そのまま魂を乗せていた。
スピカ=コーラルスターの矢が、不死鳥の形となり――そして。
朱雀の炎が放たれる。
「魔術妨害、行きます――《朱雀鳥の獄炎矢》!」
解き放たれた朱雀が主神イエスタデイ=ワンス=モアの白い靄を、逆巻く炎で包む。逆立つ獣毛を炙るように、色とりどりの丸いプラズマが発生していた。
イエスタデイ=ワンス=モアの詠唱が、止まる。
しかし――。
その咢が、炎の矢となった朱雀シャシャの身をかみ砕いていた。
「シャシャさん!?」
▽朱雀シャシャは死亡した。
だが、不老不死の力で灰となった身が再臨する。
その灰の身が一瞬、衛兵長の顔となり人間の言葉で告げていた。
『構うな! わたしは死なぬ――三つ目の魔術は弱めたが、完全に妨害はできていない。来るぞ!』
全員が身構える中。
千年幼女の支援を受けた魔王と殺戮令嬢の結界が、二重に展開する。
時間を稼いでいる間に同じ魔術を二重にかけたのだろう。
その刹那――。
神と今を生きる命たちの魔術がぶつかり合った。
主神イエスタデイ=ワンス=モアの魔術は妨害を受け弱体化されている。
発動したのは一つ目と二つ目の魔術。
《光と闇の魔猫鎮魂歌》――兄弟神の力を借りた、睡眠即死のコンボ魔術は威力を弱めつつも効果を発動。
そして三つ目の魔術。《回帰する世界》も発動されていた。
軽減できたのは、九割。
今を生きる命たちの戦力の一割ほどが、眠っている。
それでもなんとか即死は免れた。
即死判定の攻撃を和らげる、終焉スキル保持者の生み出した最終装備を身に着けていたおかげだろう。
だが――《回帰属性》への耐性は付与されていない。
その多くが元の姿……つまり動物の姿に戻っていた。
猛将マイアが吠える。
「怯むな、者ども! 立て直すぞ!」
猛将マイアの率いる魔導大隊が、すぐさまに状態解除の魔術を展開しているが――、動物へと回帰させられた者たちの治療には時間を有する様子だった。
ただ、それでも一撃を耐えてみせた。
主神イエスタデイ=ワンス=モアは防がれた事に驚嘆を抱いているのだろう。
その瞳は獲物を見つけたネコの顔。
『素晴らしい、嗚呼、素晴らしい! この創造主たる我の本気の攻撃を防ぐとは、見事、嗚呼、見事! 嗚呼、楽しや! 嗚呼、もっとだ。もっと我に見せよ、命たちよ。その輝きを、そのピカピカを我に見せよ!』
賞賛と共に、次の詠唱が始まっていた。
主神との戦いは、続く――。




