第158話、恩寵を得し者達 ―聖戦―【城塞内部】
【SIDE:蹴撃者と暗黒騎士】
異なる属性の魔力の渦が互いに絡まり、天を衝いていた。
それはまるで神の唸り。
戦いの衝撃が、雷鳴に似た音と共に地鳴りとなり、盤上遊戯を伝っていたのだ。
これは神の眷属とまだ人間に踏みとどまっている英雄との聖戦。
人の器を超えた者と、かつて人だった者との戦い。
中立を保つ魔猫達はステーキハウスに呑み込まれて、外の戦いを観察している。
一対一の勝負。
一人は既に神の眷属。
かつて愛する者を失ったことから歯車が狂ってしまった、かつて人間だった殺戮令嬢。
暗黒騎士クローディア。
人間という駒の枠を超えた、人の領域を踏み外した者たちの戦いは壮絶だった。
実際、そこに待機している怪奇スカーマンも動かないでいた。手出しする気がないのか、それとも戦いに巻き込まれることを嫌っているのか――。
ともあれこの戦いは一騎打ち。
彼らだけの互角の戦い。
真樹の森で再会したときは、そのダンジョン攻略達成の経験からかアキレスの方が上回っていたが――今は違う。暗黒騎士クローディアは明らかに何らかの神の恩寵を受けていた。
その鎧の奥から、赤い魔力が煌々と照り始め――。
そして、鎧の隙間から噴き出した霧が剣の形となって城塞内部を埋め尽くす。
暗黒剣召喚の魔術だろう。
全ての暗黒剣を妖しい揺らめきで包んだ殺戮令嬢は、漆黒の手甲を伸ばす。
まるで貴族の令嬢が躾のなっていない臣下を凛と叱りつけるような、芯の強さを感じさせる動作だった。
彼女は本気で――。
英雄アキレスを殺そうとしているのだろう。
『不死たるものとて切り裂きなさい――《天より栄華を滅ぼす剣》よ!』
それはまるで剣の舞踏会。
謁見の間で貴族の男女が披露する、舞踏。
剣が――城塞の壁を駆けるアキレスに向かいリズムよく放たれる。
英雄は壁を床のように駆け、それら全てを紙一重で避ける。
避けたと同時に発生するのは、暗黒剣が壁に突き刺さったことによる暗黒波動。
壁に突き刺さった英雄を終わらせる剣が、暗澹とした魔光を発生させた。
魔法陣である。
アキレスはハッと壁だけではなく天を見上げ、驚愕する。
剣の雨によってそこに描かれていたのは、十重の魔法陣。
殺戮令嬢の甲冑、その装飾が、揺れていた。
煌々と足元で滾る魔力に靡いて、風に流されていたのだ。
まるでその人生の道筋を辿るように――。
淑女の声が、響く。
『我が名はクローディア。彷徨い続ける脆弱なる魂――。今此処に、貴殿に祈りを捧げます――』
くぐもった淑女の詠唱。
鎧の中から漏れこだまする反響音が、砦全体に広がり始める。
『魔力解放:神話再現――さあ、英雄。終わりの時間だ』
「ア、アダムスヴェインだぁ!? 異世界の神話を再現する……っ、くそ!」
歯の奥をギリっと鳴らし、アキレスはかかとに魔力を込め始める。
対処する気なのだろう。
しかし――。
『顕現せよ、不死を殺す輝ける剣。我が前に立つ敵を、屠れ――!』
刺さった剣と剣。
亀裂が走るその壁の中心から、不死者を殺す聖剣が召喚される――。
アキレスの瞳、外れることのない観察眼は、その剣の名を”クラウ・ソラス”。
不死殺しの異界の剣と断定していた。
クラウ・ソラスが光り輝き。
その刀身を輝きのままに増やし始める。
無数に分裂する追撃魔術のように、天井を逆さに駆けるアキレスの足を狙い放たれ始めたのだ。
壁を蹴り、床を蹴り、天井を蹴るアキレスは一本一本、その剣の雨を封殺しているが――その終わりは見つからない。
暗黒騎士クローディアの今の戦い方は、異界の神の戦術と似ている。
神は直接には剣を握らず。
その周囲に侍らせ操るのだと、英雄は異界魔術の書物で知っていた。
「ちっ……輝ける剣たぁ、ずいぶんと暗黒騎士らしくねえ武器だな」
『敵を殺すためならば、血に染まったこの手に似合わぬ輝ける剣とて使う。それだけの話だ』
「だいたいてめえ! 闇属性攻撃だけしかできねえんじゃねえのか!」
『得意ではないというだけだ。きさまとて、好まず使わぬ技術がないわけではあるまい? それと同じ。駒破壊ができるのは、貴様だけではないということだ』
暗黒剣と聖剣による多重攻撃。
その間にも、その手に握る釣り竿による遠隔攻撃がアキレスを襲う。
『どうした、逃げてばかりではわたしは殺せぬぞ』
「うるせえ、てめえだって一撃も与えてねえじゃねえか! つーか、その禍々しい暗黒鎧で武器が釣竿ってのはどうなんだ!?」
挑発スキルが発動されるが、クローディアは全く動じない。
『姿を気にして勝負を捨てろと………? 愚かな、それでは本末転倒であろう』
「……ああ、そうかい」
聖剣の切っ先を、足先のみに集中させた強固な魔力でいなし、全てを回避したアキレスは逃げ回りながら敵を睨む。
殺戮令嬢。
その姿はだいぶ様変わりしている。
赤黒く揺らめく漆黒甲冑はまるで黒い太陽のようだった。
そこは前と変わらない。
けれど明らかな差異が、存在した。
甲冑の腰から、片翼の黒い翼が生えているのだ。
異界の魔力が込められているのだろう。
その翼の裏には、死者たちの声が響いていた。ジジジジジィ。ギギギギィ。空間が、軋むほどの羽音もしている。
まるで蝗のような魔力の虫が、翼の裏の空間に集っているのだ。
以前にはなかったその腰の翼こそが、彼女が外なる神と契約を交わした証か。
四星獣ムルジル=ガダンガダン大王以外の力も授かっている。
それも未知の神性。
それが厄介極まりない。
そして何より、甲冑の隙間からこぼれてくる赤色が恐ろしい。
暗黒騎士クローディアは本気なのだ。
本気で、瞳を赤く染めているのだ。
感情を暴走させ果てしない魔力を得た”魔性”の証である赤い瞳が、甲冑の中で恨みがましく、彷徨い続け、鳴き続ける亡霊のように蠢いているのだ。
何を犠牲にしてでも取り戻したい。
あの日に帰りたい。
あの安寧の日々。思い出の中に――。
それがイエスタデイ=ワンス=モアの力も共鳴させているのだろう。
殺戮令嬢が再び凛と腕を伸ばす。
来る――とアキレスは、かかとを強く意識した。
『滾れ、我が積年の妄執よ!』
暗黒騎士が放っているのは、先ほどと同じ剣の雨を操る魔術。
それは自動攻撃を繰り返す暗黒剣の束。
定期的に周囲を攻撃し、また守りを担う攻防一体の自動追尾魔術。魔術師が自らの周囲に魔導書を浮かべるように、彼女は周囲に無数の剣を浮かべていたのである。
それは、剣の筵。
顕現させた殺意の剣山。
避けたらまた魔法陣を描かれ、不死殺しの聖剣が召喚されるだろう。
ただアキレスも負けてはいなかった。
彼は神々の恩寵を受け不老不死となった――人間最高峰の蹴撃者。
まだ駒という体裁を保っている、間違いなく上位に位置する今を生きる命。
彼は諦めてなどいなかった。
そもそも勝機がなければ、こんな一騎打ちなど挑まない。・
剣の筵を攻略しようと瞳を光で輝かせた英雄が。
――唸る。
「後で数倍返しを要求されそうで怖ぇが、あんたの力を借りるぜ――」
告げた途端、さきほどからアキレスの周囲に浮かんでいた魔導書が反応し始める。
戦場となった城塞内を暴れ馬のごとく縦横無尽に駆ける、その彼の背後には常に一冊の魔導書が追従していたのだ。
その書もまた、神話に名を残すだろう一冊だった。
《楽天ゴロゴロ熊猫遊戯譚》が舞踏する剣を妨害するためか、城塞内部に無差別な重圧攻撃を開始する。
『重力を操る魔術だと』
「んなに驚くなよ。見るのが初めてってわけじゃねえんだろ?」
それは気まぐれなる神の力を借りた魔術。
砦内にランダム範囲で重力のボールが発生していたのだ。
殺戮令嬢は重圧で動きを鈍くした剣たちを眺めるも、その甲冑からは侮蔑の声が漏れていた。
『くだらぬ――魔術師の真似事か、駿足よ』
「使える手段は何でも使うさ」
『あの日と変わらぬ勝利に貪欲なその姿勢だけは認めよう。だが――我が剣の舞を妨害……多少遅くしたところで、動きが止められないのなら意味があるまい? よほど自己強化に魔力を使うべきであったのではないか?』
蹴撃者は本来魔術を得意としていない。
蹴撃に全てのリソースを傾ける、尖った職業と言える。けれど、足を使う技ならば大抵なんでもできてしまう。
だからこそ、足による舞踏も有効。陰陽師が扱う足による魔術祈祷”禹歩”の技術も習得している。
それは暗黒騎士クローディアも知っていた。
故に、その動きは慎重になった。
あまり意味のない魔術にしか思えない。それが躊躇を生んでいた。
重圧が、城塞内部を覆い尽くし始める。
しかしやはり、ただ少し重いだけ。
格下相手ならともかく、同格相手には無駄な作戦にしかみえないのだろう。
殺戮令嬢は、怒気を帯びた魔力を放っていた。
『くだらぬというのが分からないのか!』
シュ――っと空気と次元が裂けた。
刹那。
アキレスの魔術が、散る。
殺戮令嬢が握る神器《首刎ねスプーン》が蹴撃者の舞踏による詠唱を釣り上げたのだろう。
四星獣ナウナウの力を借りた魔術がキャンセルされていた。
だがそれを読んでいたのだろう。
アキレスの口元は釣り上がっていた。瞬時に首に装備した自在に動くマフラーで、魔導書を回収している。
魔術を散らした影響で、剣も一瞬止まっている。
隙が、生まれていた。
「はん、引っ掛かりやがったな。さすがに、逃げ回りながらだとオレには無理だからな――」
クローディアは一瞬、戸惑った。
なにをするつもりなのだと。
英雄は構わず魔導書を開き始めていた。
蹴撃者であるにもかかわらず、手に乗せた魔導書を開き。
「混沌の熊猫王よ、遊興の中で戯れる嫉妬のケモノよ」
『バカな、おまえが魔術詠唱だと!?』
「武芸を極めし汝の秘儀を我に――」
《楽天ゴロゴロ熊猫遊戯譚》が再び輝き、蹴撃者の足元を金赤色に輝かせていた。
英雄の身体を巨大熊猫のオーラがまとわりつき始める。
その状態変化は《明鏡止水》。
稀にですら見たことのない、特異な状態変化である。
アキレスが動いていた。
周囲を舞っていた全ての剣を、まるで自らの体躯を独楽のように回転させ――両脚で打ち払っていたのだ。
スキル名は、《神たる熊猫のカポエイラ》。
殺戮令嬢の剣を皮肉るように、もっと綺麗に、豪胆に舞うように――。
蹴撃者の未知なる技が、剣を次々と撃墜させていく。
「しゃあぁあああああああぁぁぁぁ! どうだ、見たか。一掃だぜ!」
『ほう――』
今までにはない、その未知の変化を観察した殺戮令嬢は告げる。
『武芸の達人たるナウナウ様の力を借り受けることによる、技術と身体強化の魔術か』
自己強化の魔術と察しただろうクローディアは警戒を強めていた。
それはバフ自体への警戒ではなく、蹴撃者が直接魔導書を開き詠唱したことへの警戒だった。
結んでいた髪が崩れたのか。
金糸のような美しい髪が、甲冑の隙間からわずかに覗き始めている。
本当は、戦いなど好まなかった金髪の御令嬢。
運命が狂ってしまった、ただの女性……。
アキレスは警戒する敵対者に同情する瞳で……告げる。
「人間ってのは時代とともに進化してるんだよ、まあ、魔族もそうだろうがな。これはダブル職業、要するにメインとなる蹴撃者以外にも補助的な職業の魔術やスキルを、適性込みで発動できるようになる知恵。旧人類の悪あがき。ヴェルザの街で発展していた技術だ。てめえが詳しく知らねえのも無理はねえか」
『新たなシステム……』
「盤上遊戯はどこまでも発展しやがる。このまま長く生きてりゃ、いつかこのオレを超える英雄も生まれるだろうな。そん時はすげえ悔しい思いをするんだろうな。ああ、きっと滅茶苦茶に悔しい思いをするんだろうが……そのいつかを見たいとも、オレは思っちまってるよ」
不老不死の男は永遠に彷徨う亡霊令嬢の顔をまっすぐに眺め。
功夫の構え。
巨大熊猫のオーラを纏ったままに言った。
「なあ、クローディアさんよ。あんた、この世界をもう嫌いになっちまったのか」
『元より、愛してなどいなかったのだろうさ』
愛する男を理不尽に奪った世界を愛せるはずがない。
全ての駒がこの世界を愛しているわけではない。
憎んですらいるモノとて、存在する。
感情は様々なのだ。
それが世界。
命の在り方。
生きていた証でもあるのか。
英雄は言った。
「なら――しゃあねえよな」
『来い――英雄。愛する者を守りたいのならば、このわたしの屍を越えてゆけ!』
「ああ! オレは妻を娘を、そしてあいつらと巡り会わせてくれたこの世界を愛している!」
その心は強かった。
「だから、てめえには退場して貰うぜ、殺戮令嬢!」
再び――。
衝撃が盤上遊戯を揺らす。




