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第153話、怪奇からの誘(いざな)い【最終ダンジョン】


 【SIDE:暗黒騎士クローディア】


 甲羅の隙間のダンジョン――冥界の静謐の中。

 鎧は水の流れを観察していた。


 川の揺れが大きくなっている。

 水面が揺れている。

 それは戦いの波紋。もうしばらくしたら箱舟に乗った彼らがやってくるのだろうと、彼女には理解ができていた。


 揺れる川の波紋に、漆黒の全身鎧が映り込む。

 禍々しい兜の隙間からは、揺れ蠢く赤光しゃっこうが亡霊の魂のように覗いている。

 赤い魔力は魔性の瞳。


 最終ダンジョンの大河を抜けた先にある砦。

 待っている女性の正体は――かつて人間だった女性。

 暗黒騎士クローディアである。


 水面に映像が映り出す。


 駒達を乗せたノアの箱舟が進む光景だ。

 やはり順調に進んでいる。

 手を取り合って、かつて殺しあった種族が世界の存続のために協力している光景だ。

 おそらく彼らはこのまま川を渡り切る。その総力戦ともいえる戦力を見れば間違いなく、彼らは神竜たちを打ち破り来る。それも大幅に成長した状態で――。


 もし盤上遊戯が存続した場合はこれこそが聖戦。

 この一連の戦いと主要人物は歴史に名を刻み、そしていつかは世界の存続を勝ち取った英雄たちの神話として、長く語り継がれることになるのだろう。

 時の流れの中で形を変えたとしても。

 実在したか分からない戦いとなっても、おそらくは永遠に……物語となって記録に残り続ける。


『神話、か……』


 ムルジル=ガダンガダン大王の眷属は、神話となる者達の戦いの様子を遠見の魔術で眺め、鎧の隙間から反響音を漏らす。

 漆黒の鎧に身を包む高貴な血筋の令嬢。

 クローディア。

 かつて殺戮令嬢と呼ばれ、また魔境ズムニの長となり、敵に敗れ神の眷属となり。そして――魔王誕生のきっかけを作りだした女性。運命に流され続けて今に至った哀れな人間である。


 その死んだような元は青かった赤い瞳には、英雄アキレスの姿が映っている。

 漆黒の鎧で身も心も包む令嬢は考える。


 ――まだ駆け出しだった頃の英雄わかものを鍛えたのは十八年前、いや、更にもう一、二年は過ぎているのか。どうなのだろうな。いったい、わたしは何をしたかったのだろう。あれは遠い昔……婚約者だったあのひとを愛していた事実だけは変わらない。変わらないが……もはや何もかもが……薄れて感じられてしまう。


 永遠を生きる彼女にとって時の流れの感じ方は、複雑。

 二百年前や五百年前の記憶はすぐに浮かんでも、身近な記憶は掠れた霧のように思えていた。たった一年、二年前となると逆に記憶が曖昧となっていたのだ。けれどあの男の温もりだけは、今でも手に取るように感じることができる。目を閉じると、すぐそこで微笑んでいるのだ。不器用な、けれど優しい笑みを浮かべているのだ。永遠に生きる存在だからこその矛盾した感情と感覚が、たしかにあったのだろう。

 だからこそ、クローディアは自らが育てた英雄を見る。


 ――駒破壊、不老不死を殺せる力……か。


 真樹の森で、哀れなネズミと問答をしている時に再会したあの男は何も変わっていなかった。

 それは悪い意味ではない。

 まっすぐで、自分の信じた道を進む英雄気質はそのままだった。


『ふふ。まあ、ここで終われるのなら――それもいい。今を生きるあいつらの敵として殺され、神話に邪悪な令嬢として名を残すのも悪くはないのだろうな』


 クローディアは手を伸ばし――装備を召喚。

 大王から授かった釣り具神器、首刎ねスプーンを強く握る。

 おそらくは勝てないだろうと分かっていた。


 大王からは去ってもいいと言われているが――。

 どこに去れというのか。

 どこに行けというのか。

 暗黒騎士クローディアにはもはや行き場などなかった。あの大地神の駒の影響を受けて生まれたヌートリアですら道を見つけ、ネズミの夫婦となり、幸せになり……神ナウナウの許に導かれた。


 彼らは愛を見つけることができたのだ。

 取り戻すことができたのだ。

 けれど――。


『わたしは、独りのまま――吹かれるままの葦と同じ。本当に……』


 何がしたかったのだろうな。

 と、自嘲が漏れる。


 クローディアはもう一度、揺れる水面を覗き込んだ。


 そこにはやはり、哀れな亡霊がいる。

 漆黒の鎧に身を包み、首を刎ねることに特化した神器たる釣竿を装備する自身の姿だ。

 かつては澄んだ青色だった赤い瞳が、後悔の心のままに揺れている。


 しかし、クローディアは一瞬、鎧の隙間の赤光を細めた。

 何かが、いる。

 背後にいる。


 今を生きる命たちの壁として立ちはだかる役割のある彼女の後ろには――赤い影が浮かんでいた。彼女自身の影ではない。魔力でもない。

 風が起こり再度。水面は揺れる。

 それは一人のドスの利いた女性の声。


『よう、ナマズ大王さんの小間使い、元気にやってたのかい?』

『その声は――切り裂きジェーン。イエスタデイ様の眷属スカーマン=ダイナックか』


 そこにあったのは本来なら魔王の守り刀として常に装備されていた、血に飢えた短刀。

 赤い刀身が、怪しくきらめいて――。

 キシシシシっと傷だらけの女が現れる。


 赤い霧と共に。

 怪奇がそこに顕現していたのだ。

 男勝りな口調の女が言う。


『眷属なのかどうかは知らねえが、まあそうだね。オレがあの怪奇スカーマンさ。前にも一度会ったことがあるだろう?』

『ああ、覚えているさ』

『はは、まあそりゃあそうか。あの時の選択で、世界は大きく変わっちまうことになった。いや、変わったって言い方は変か。ま、どうでもいいがな――かつて人間って呼ばれた連中のほとんどが驕りのままに消えていくことになった……。あんた、まだあの時のことをウダウダ思ってやがるのか』


 キシシシシと闇を帯びた女の声が響く。


 そう、クローディアとスカーマンはかつてのあの日、一度対峙している。

 まだ英雄だった少年アルバートン=アル=カイトスを連れ出すあの日に……一度だけ。

 それもクローディアが歴史の中で成した、何度も繰り返した後悔の一つ。


 殺戮令嬢は兜を魔力の霧へと戻し、スゥっと魔力を揺らす。

 美麗な金糸を編み込んだような美しい髪を覗かせ、頭を下げていたのだ。


『すまない。貴殿にも、貴殿の御子息にも――申し訳なかったと思っている』

『おいおい、よしなよ大将。オレは今の息子あいつが失敗だなんて思ってねえんだからよ』

『しかし、ご子息に道を踏み外させ』


 言葉を遮り、スカーマンが腹の奥から押し上げるような唸りを上げる。


『ああん? 国を一つどころか、世界の八割を治めてる王のどこが道を踏み外してるって?』

『し、しかしだ。人を殺させてしまっ……』

『かぁぁぁぁぁぁ! バッカだな、てめえは。オレの息子は立派なもんじゃねえか。ちまちま快楽で人を殺していたオレとは違って決意が違う、単位が違う、スケールも違う。知らねえのか、国の初代王ってやつはだいたい英雄がやるもんだ、英雄ってのは一番敵を殺戮した存在だろう? だったら、問題ねえだろ? それのどこが悪いってんだ?』


 価値観の違いに、暗黒騎士クローディアは露骨に困惑し。


『貴殿は、いささか考えが過激すぎるな』

『そりゃあ、そういう風にしか育たないゴミ溜めにいたんでねえ』

『――それで、何の用だ』

『はははは。お友達になりきたってわけじゃねえんだ、そんな警戒するなよ』


 陽気とも無責任とも感じられる怪奇スカーマンに、クローディアは眉を顰める。


『すまないが、本当に貴殿の意図が読めぬ。わたしはあまり智謀には長けておらん、察しろと言われても無理だからな。何かあるのなら単刀直入にしてくれぬか』

『お貴族様らしいご命令どうも』

『そういうつもりではなかったのだが、気を悪くしたのなら――』


 また言葉を遮り。


『あぁあああああぁぁぁぁあっぁ! うざってえな、じゃあ要件を言うが、どちらを選ぶかこの場で決めな』

『選ぶ?』

『ああ、てめえも理解はしている筈だ。このままだと成長したあいつらにここで敗れて、それだけじゃねえ。おそらくイエスタデイの旦那もそのまま敗北することになるってのは、分かってやがるんだろう?』

『それが神意であるからな』


 そう。

 思惑は違えど、神々はその結末を望んでいる。


 過去を司るイエスタデイ=ワンス=モアは、世界そのものを在りし日の主人に戻すことを望みながら――その裏では、終焉を望まず……自らの愛した駒達自身の手で止めて貰いたいと願っている。

 現在を司るナウナウは、駒達の動きがまだ見たい。観察したい。遊びたい。そして気に入った駒が見つかったら、動物園のコレクションにしたい。その素直な欲望から、おもちゃ箱といえる遊戯の存続と継続を願っている。

 未来を司るムルジル=ガダンガダン大王は、友としてイエスタデイの願いを叶えたいと願っていると同時に、おそらくは――イエスタデイのもう一つの願いでもある、止めて欲しいという願望も視野に入れて動いている。


 そして記録を司るネコヤナギは完全に駒達の味方。

 彼らを愛し、彼らを肯定し、庇護と慈愛の対象としている。


 だから、おそらくは――。

 クローディアは赤光輝く瞳を閉じる。

 かつて幸せだった日々。本当の令嬢として、紅茶を啜っていた唇が動いた。


『神話となるからには、敵も必要であろう。人間と魔族、そして神の眷属。彼らが協力して巨悪を倒したとするための分かりやすい敵がな』

『それがてめえで、イエスタデイ様ってか?』

『わたしでは少々荷が重いがな。仕方あるまい、ヌートリアレギオンの中にはあの方の最も大事とする存在がいるのだ。アレを討伐すればいいという単純な話ではないのだからな』


 そのまま続けて、歴史を見てきた令嬢が言う。


『この先、いつか遠い未来に……人間と魔族は必ずいがみ合う。価値観が違うのだからな。同じ人間だった者同士のわたしと貴殿で既に、価値観のズレがあるのだ……魔族と人間となればもっと大きなズレとなる。必ず争うだろうさ。それは歴史が証明しているからな。けれどだ――ならばこそ、そうなった時のために必ず此度の戦いが必要となるのだ。彼らの中の知者が、種族間の争いを止めるために言うだろう。いや待て、お前たちはあの戦いを忘れたのか? 世界を守るために、手を取り合った英雄たちの物語を、誇りを、栄光を穢すというのか? とな』


 語るクローディアの言葉を出迎えたのは、乾いた拍手だった。

 怪奇は暗黒騎士を揶揄っているのだろう。


『偉い、偉い。将来のあいつらのための礎になるだなんて、立派だよ。あんたは』

『全てを掻き乱してしまったわたしには、その責任がある。それだけの話だ』

『はいはい、お綺麗な考え方だ。反吐が出るくらいにな』


 本音なのだろう。

 怪奇は露骨に侮蔑の色を覗かせているが、嗤ってもいる。

 クローディアは眉を顰めた。


『不服そうだな』

『そりゃあてめえが自分可愛さに、綺麗に死にたいってだけだろう? どこまで経っても貴族様は貴族様だって呆れちゃいるがね、別に不服なんてねえよ』

『貴殿とは話が合わぬ。用がないのならもう――』

『拗ねるなよ。じゃあ要件を言うが、あんまり驚かないでくれるかい?』


 怪奇スカーマンはニヤニヤと嗤っている。


『オレはこのまま予定調和みてえに、ネコの旦那が負ける未来ってのが気に入らなくてね。いいじゃねえか、あんなに誰かのための願いを叶えてたんだ、自分自身の本当の願いを叶えたって。何を犠牲にしてでも取り戻したいってんなら、叶えさせてやりたいって思ってる口でね。そりゃあ結局は世界が残らねえと意味はねえかもしれねえが、最初からすべてを諦めて戦うってのは――違うんじゃないのかい?』

『その結末こそが世界の終わりだと、分かっているのか?』


 暗黒騎士の口から零れていたのは咎めるような口調だった。

 けれど、怪奇は気にせず嘲笑するように肩を竦め。


『世界が終わってでも取り戻したいのなら、仕方ねえだろう? 実際、オレたち駒を気に入る前の旦那はそのつもりだったんだ。迷う前の、ただの駒だと思っていた時の本音はソレだった――そこに間違いはねえだろう?』


 怪奇は言う。

 邪悪に顔を滾らせて――。


『世界の終わりでも構わねえ程に大事なモノが取り戻せるってなったら、てめえなら――どうする?』

『くだらぬ……』

『本当にくだらないのかい? ならもし、世界が終わる代わりにてめえが愛したあの男が蘇るってなったら、どうだい?』


 水面に反射する令嬢の姿が、揺れる。


『スカーマンよ。それ以上くだらぬ話を続けるのなら――』

『くだらなくなんてねえよ、真面目な話だ。朗報かどうかは分からねえがな』


 言って、怪奇は嗤っていた。

 その背に、神の気配を乗せたまま。

 瞬時に警戒する暗黒騎士を手で制し――怪奇の唇は動いていた。


『てめえの願いを叶えたいかどうか。選びな、殺戮令嬢――。もし叶えたいのなら……本気でやつらを潰す気でやりな。こいつが力も貸してくれるってよ。それで――もし奴らを止めることができたら、てめえの愛しいそのひとってやらを蘇らせてくれるって話さね、本当にな』


 殺戮令嬢は考える。

 何を犠牲にしてでも。

 取り戻したい者がいるとしたら。


 口から、否定ではない問いが漏れていた。


『怪奇よ、この神は、いったい――』

『さあな、正直、オレも胡散臭いと思っちゃいるんだが。力は本物だ。その証拠に、四星獣どもが反応してねえ。あいつらから隠れて行動できてやがるんだ、とんでもねえ存在だろうよ。本当にそういう蘇生までできちまう……異界の神だってのは確かだろうさ』


 スカーマンが後ろを煽り見る。


 それはまるで冥界に現れた太陽。

 日輪の如き後光が――。

 駒達の到着を待つ砦を照らしていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] スカーマンが至った境地ってのが常人にはまあ、元から理解はされなかっただろうけども 神域に至って更に、人としての感覚を維持してる令嬢には理解は難しいでしょうね …わっちは運悪くある程度理解…
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