第146話、ともだち―あの日の笑顔を君に―【静謐の祭壇】
◆◆【SIDE:童話書、大魔王ケトス】◆◆
次元を無理やり通り抜け、白いふわふわネコが甲羅の隙間のダンジョンに入り込みます。
太々しい顏の異界神ネコ。
大魔王ケトスです。
ここはダンジョン最奥。
静謐なる場所。ただただ広い空間があるのですが、ここをイメージさせる言葉があるとするならば――。
冥界、でしょうか。
道はいくつもあるのか、この広い空間に辿り着くための階段が山ほど存在します。どのルートを辿っても、最終的にはこの冥界に似た空間に辿り着く構造となっているのでしょう。
ダンジョン最奥に入るための道は全てキャンセル。
全ての途中経過、全ての試練。主神としての四星獣イエスタデイ=ワンス=モアが用意した罠、盤上遊戯の駒達に与える課題のような難関が多くあったようですが、それは無視。
大魔王にとっては造作もないことです。
強引に転移し儀式祭壇に辿り着いた大魔王は、周囲を見渡します。
『ふーむ、回復の儀式が行われている筈……なんだけど。どういうことだろうね』
そこには誰もいませんでした。
儀式を行っている筈の魔猫達が、いません。
大魔王は悩みます。
けれど答えはすぐに分かりました。
営業時間外と書かれた看板を見つけたからです。
ポカポカ太陽が明るい時間は、ちゃんと外で温まりましょう。毛繕いをしましょう。太陽をいっぱい吸いましょうと、時間外労働は固く禁じられていたのでした。
今はまだお昼時。
夕刻過ぎではありません。
なので魔猫達はダイナックの甲羅の上でのんびり、ポカポカ。
日向ぼっことお昼寝をしているのでしょう。
『やっぱり、どこの世界の魔猫もこういうところは……なんというか、アレなのだね……。まあワタシも他猫の事は言えないけれど。緊張感がないというか、なんというか』
大魔王の鼻孔から、呆れと感心、両方の息が漏れます。
大魔王は護衛の魔猫達と戦う気がありました。
けれどこれでは拍子抜けです。
けれども、世界の命運をかけた最終決戦を前にしてもマイペースな魔猫を評価もしています。
『さて、空き巣みたいでもうしわけないが――』
プニプニな肉球が、魔力で生み出された床を歩きます。
そのまま大魔王はただただ広い、冥界のような空間を徘徊したのです。迷宮を棲家とするネコモンスター、通称ダンジョン猫に分類される大魔王には見えていました。
この空間には隠しエリアがあると。
大魔王は基本的になんでもできます。
戦士としても、魔術師としても、盗賊としても一流です。なぜならケトスは大魔王なのですから。
だから盗賊や狩人、斥候が得意とする探索する力、いわゆるスカウト能力にも長けています。
大魔王が探索スキルの発動と同時に、主への祈り。
いわゆる僧侶系の祝福を奏でます。
『我が主こそが偉大なる牧者。我が道に乏しいことは非ず。主は緑豊かな牧場に我らを導き――憩いの水辺へと誘い給う。さあ、道よ開け。我が名はケトス。大魔王ケトス。主の名の下に、正しき道、正しき道程をここに示さん――』
ログに、異界の神の力を引き出した形跡が記録されます。
《詩篇二十三:主は羊を導き給う》――が発動されました。
それは、神聖な魔術。
異界の最高神の力を借りた、光の魔術。
隠された秘密を発見する――奇跡の肉球でした。
ただ広い空間だった中央に、新たな祭壇が生まれます。
いえ、生まれたのではなく目視できるようになったのでしょう。
大魔王ケトス。なんでもできる異界の神。魔猫を束ねる者の一柱――その瞳が、揺らぎます。
毛が、ぶわっと広がります。
大魔王は見てしまったのです。
肉球を伸ばし、大魔王が言いました。
『これは――』
伸ばす手の先に、なにかがあります。
広い空間の中央。
祭壇に祀られているのはおそらくこの世界の魂の核。《盤上遊戯化》の状態異常を受けている、この世界そのものの魂だと思われます。
まるで蝋で固められたような、石化したような男の魂がそこにはありました。
職業は羊飼い、でしょうか。
羊飼いの男は神に慈悲を乞うように、そして腕の中の何かを守るように、必死に……抱きしめています。
その腕の中にあり、毛を逆立て天を威嚇するのは――タヌキのような獣毛と顔をした猫。
硬化されたその魂は……。
イエスタデイ=ワンス=モアです。
これがやはり、盤上遊戯化の《恩寵》なのでしょう。
二人とも、固まっています。あの日の悲劇のまま、固まっています。楽園の神に拉致され、主従ともども盤上遊戯へと変えられた瞬間なのでしょう。
イエスタデイ=ワンス=モアはきっと、羊飼いの男を守るために必死に唸ったのでしょう。神に向かい、叫んだのでしょう。大好きな主人を守るため。必死に、必死に……。
なのにここには静謐しかありません。
なにもありません。
ただただ、ネコの魂から声なき悲痛な叫びが轟いています。
それ以外はなにも……。
本当にとても静かで、まるで――。
『お墓だね……これじゃあ』
硬化した魂を眺めた大魔王が、ネコの瞳を静かに細めます。
そして、振り返ります。
『さて四星獣ムルジル=ガダンガダン大王、我らと同種同族たる魔猫の一柱よ。キミはこれから、どうするつもりなんだい?』
投げかけた声が雫となり。
チャポン……。
静謐の闇の中に波紋が広がります。
静謐の中から。
ナマズの髯が浮かんできます。それは大王の愛用する装備、ナマズヘッド。
大王がイエスタデイ=ワンス=モアから貰った、中途半端に曲がった耳を隠すための装備。
ムルジル大王が顔だけを出し。
丸い猫顔を尖らせ、探るような声で告げました。
『大魔王ケトス、異世界の魔猫神。憎悪の魔性――ふむ、余が眺めていることなど、ぬしにはお見通しであったか』
『そりゃあね――これでも一応、外の世界では名の知れた破壊神なんだ。キミだって、元は遠き青き星にいたのだから、噂ぐらいは聞いたこともあるんじゃないのかい?』
『さて、余がイエスタデイに招かれこの世界に舞い降りた時には、どうであったかな』
それは異世界の時間のずれ。
歪みのようなもの。
時の流れが違う事で発生する、タイムラグ。
ムルジル大王は波紋の中から完全に姿を現し、すぐさま魔力煌めく肉球を翳します。
ザパァァァァァァ。
雫が飛び散ったと同時でした、大王の周囲の空間が歪みます。
財宝フィールドを構築したのです。
何もない空間に、自分の財を全て曝け出す結界でした。
『異界の魔猫、大魔王ケトスよ。いかにぬしとて、盤上遊戯の中は我らが領域。そして、財宝の中にある余を倒すことは容易ではあるまい? 来られるのならば、ちゃんとルールを守ってから来てもらおうか。直接最終エリアに侵入するなど、言語道断であろう?』
『ルール、ねえ……』
大魔王は財宝フィールドを鑑定しながら言いました。
『夕刻過ぎにならないと本来ならこの迷宮には入れない。それはこの静謐への侵入を防ぐため……というよりも、営業時間外に入ってこられては困るからかな。もしかして……ただそれだけの理由なのかい?』
『無論だ。ガハハハハハハ! ネコならば分かるであろう! そこに他意はない!』
『なるほど、しょーもないことだろうけど、ポカポカ太陽タイムを魔猫から奪うのは犯罪。その考えは認めよう、勝手に入って悪かったよ。けれど――』
大魔王は言いました。
『いいのかい?』
『なにがであるか?』
高く高く積み上げられた、金銀財宝。
財を抱え込んだ、ムルジル大王の全てがここにあります。
そのキラキラと輝く宝たちを眺め、大魔王は言ったのです。
『確かにその財宝フィールドはキミの力となっている。金のために作られ、金のために殺されたキミにとって金はとても大事なモノ。良くも悪くも、金がキミの全て。このフィールドはいわば銭投げ。キミを強化すると同時に、全ての行動に代償が伴う――おそらくは大量の金銭を魔力代わりに消費してしまうのだろう? ワタシと正面から戦ったら、キミは一回程度ならワタシを撃退できるだろうが――、一文無しになってしまうよ?』
そう。
これはムルジル大王の命ともいえる金を使った、捨て身の攻撃なのです。
『それでも、余はイエスタデイの最初の望みを叶えてやりたい。そう願っておる』
『全てを投げ売ってでも? なかなか立派な友情じゃないか』
けれどと、大魔王は声と頬に含みを持たせて言いました。
『そこの二人の魂……盤上遊戯化を受ける彼らについている傷、齧った痕は見えるだろう? それは外来種ヌートリアによってつけられた、世界への傷。その傷から主人の魂の一部は、ヌートリアを逆に汚染した。聖父クリストフのレギオンの核に入り込み、この世界とも意識を共有している。最初の望む形でないにしても、もう再会はできている。キミが全てを投げだす必要があるようには、ワタシには思えないのだけれどね』
そうです。
あの日を望む四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの望みは、違う形では叶っているのです。
けれど。
やはりムルジル大王は言いました。
大好きで、大嫌いで。けれど、いっぱいの財宝の上で、言いました。
『理屈は分かる、それがこの世界で生きる全てを守ることにもなるとは理解しておる。なれど――余は思うのだ。加害者の身体に入り込んだ主人との再会よりも、本来あるべき姿、在りし日の草原で……本当の意味で再会できた方が、望ましいであろうて。きっとあやつは、こうなる前にはもっと……たくさん、笑っておっただろうに』
大王が、硬化した魂を眺めます。
ムルジル=ガダンガダン大王は、貯めに貯めた財宝を武器にして。
その輝きを魔力に変換し、異世界の大魔王に言いました。
『友が幸せになることを望む。そこになんの疑問があろうことか――』
そうです。
ムルジル大王は本当に、イエスタデイの事が大好きでした。
お金しかなかった大王に、お金以外の大切なことを教えてくれた友でした。
だから、大王はこの日のために抱えきれないほどの財宝を貯めていたのです。
悲痛な顔で、無言の叫びをあげ続ける猫の魂の前。
大魔王は、感慨深く口から息を漏らします。
『ああ、そうだね。友達、か――その気持ちは、今のワタシならばよく理解しているよ』
大魔王の丸い口は苦笑の形を作っていました。
相手の決意が固いと悟ったのでしょう。
友の幸せを願う手足短き猫は、細めていた瞳を開きます。
『戦う気であるのならば覚悟せよ。こちらの覚悟は既に済んでおるから安心せよ。余は未来を司る四星獣。怨嗟する者、ムルジル=ガダンガダン大王なり!』
大王の瞳が赤く染まって、輝きます。
怨嗟の魔性の輝きを放ちます。
それは全てを見通す輝きでした。
腕では抱えきれないほどの、きらきら星。
財宝の上。
ムルジル大王は友のために――短い手足で釣竿を握りました。




