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第145話、異邦神(イレギュラー)【ダイナックの路地裏】


 ◆◆【SIDE:童話書、大魔王ケトス】◆◆


 白紙だった書に刻まれていくのは、一匹の魔猫の物語。

 愛しい焦げパン色の君を探す、路地裏猫の物語。

 ただの弱いネコに転生した男が、魔猫となり、人間を恨み魔族となり、その果てに大事なモノを二度も失い。世界そのものを憎悪するようになってしまった大魔王。


 これは、その現在進行形の姿を記す魔導書です。


 大魔王ケトス。

 それは、多くの世界を滅ぼしてしまうほどのバケネコとなってしまった魔猫の名です。

 出会いと別れに泣いてばかりのネコの名前です。


 これはその終着点の一つだったのでしょうか。

 大魔王ケトスはいつ彼女を見つけたのでしょうか。

 最初からこの世界にいると分かっていたのでしょうか。


 ともあれ大魔王はかつて痩せ細っていた姿ではなく、今の出世した姿、モコモコふわふわなボス魔猫として盤上遊戯世界を歩いていました。

 行動したのです。

 なにを?

 決まっています、大魔王ケトスは愛しい焦げパン色を、この世界で見つけることができたのです。


 大魔王ケトスは冷静でした。

 本当に長い間、ずっと心を揺らしていたのに――落ち着いていたのです。

 もしかしたら誰かの助言か、あるいは未来視を賜ったのか、事前に再会できると知っていたのかもしれません。なぜなら大魔王には友達がいます。かつて共に戦地を駆けた仲間がいます。黒い神鶏と、黒い神狼。

 どちらも神。

 きっと遥か遠い未来すらも見通す、全てを知ってしまう黒い鶏に聞いていたのでしょう。


 この盤上遊戯の世界でなら、再会できる、と。


 そもそも外から発見されていなかったこの世界を発見したのは、偶然、この盤上遊戯の中から発動された魔術のせいでした。それは異界魔術。そう、盤上遊戯の外に在る神の力を借り受ける魔術です。

 黒い鶏には様々な異名があります。

 大魔王ケトスと並ぶほどの強者です。彼を示す名でもっとも使われているのは――。

 魔帝ロックでしょうか。


 彼も獣神。比類なき強者にカテゴリーされる魔性です。見る者すべてを石化させてしまう、悍ましき大魔族の一柱。その性質故に、他者との触れ合いを避ける悲しくも優しいケモノでした。けれど、大魔王ケトスとだけは仲良しです。


 英雄の末裔が発動させた黒い鶏が描かれた魔導書。

 その発動と同時に、盤上遊戯の世界が未来を見通す神鶏に観測されました。

 そこからはもう、一瞬でした。行動は迅速。思い立ったが吉日。


 友である魔帝ロックに事情を聞いた大魔王ケトス、愛しきあの子を探していた魔猫は神父ニャイの分霊を遊戯世界に送り込み――。

 そうして今に至ります。


 つまり、大魔王ケトスは知っていたのでしょう。

 この再会を。

 魔帝ロックに、教えて貰っていたのでしょう。


 だから落ち着いて――……。


 いえ、本当に落ち着いているのでしょうか?

 その尻尾の先だけはソワソワと揺れています。春風に揺れる猫じゃらしのようです。心なしか、鼻から漏れる息も深いです。憎悪を宿す赤い瞳も、ほんのわずかに薄くなっていました。


 ソワソワを隠しきれていなかったと、黒い鶏と黒い狼が見ていたのなら笑っていたでしょう。

 それでも。

 大魔王は行動しました。愛しいあの子と会うために。


 あの日。

 ……。

 守れなかった、愛しいあの子に詫びるために。


 なのに――。

 結果は、駄目でした。

 最強の護衛を送ってあげたのに、振り返った彼女が毛を逆立て言った言葉は。


『うにゃにゃぁぁぁぁぁん!? ス、ストーカー!? た、助けたのに……罵倒された……っ、のにゃ!?』


 ストーカーと言われ、ガガーンっとネコの口を広げ昏倒。

 どすん……。

 路地裏の隅で倒れて、長い尻尾をぐでんぐでんと揺らしていました。


 あの子が本気のダッシュで、逃げていきます。

 慌ててカボチャ装備の魔猫達が追いかけます。

 なにしろ護衛として、最強に近い戦力を呼んだのですから。守ってもらわないと困ります。


 もう一度、彼の事を童話書に記します。

 あの魔猫は間違いなく、世界最強クラスの魔猫です。

 盤上遊戯の外の世界において、最強の一角です。


 実際に、一度暴走した大魔王ケトスは止まりませんでした。人間と魔族と、多くの異世界の協力者によって討伐されるまでは破壊の限りを尽くした、恐ろしい存在です。

 今でも、けして手を出してはいけない強者として名を連ねている、邪神。

 獣神の一柱です。


 けれど、今の彼はモコモコふわふわな身体を寝かせ、ぶにゃぁぁぁ……。

 路地裏で不貞腐れるばかり。

 路地裏の冷たい感触に頬毛を曲げて、伸ばした肉球で地面をグギギギっと掻いています。


 大魔王ケトスは拗ねていたのです。

 せっかく愛しいあの子に出会えたのに、すぐに会いに行く勇気もなく。だったら追われているところを助けて、颯爽と登場するはずだったのです。

 けれど失敗です。

 だから困っています。ズリズリズリと身体を転がし……路地裏から入り込んできた日差しの温もりの中、ぬーんと口を三角に尖らせます。


『はぁ……不思議だね。今のワタシならば世界を壊すことすら容易いのに。どうしてこういうことは難しいのだろうね……』


 彼の頭の中にはきっと、あの日の路地裏の暮らしがあったのでしょう。


 焦げパン色の君。

 ずっとずっと、探していた、あの日の君。

 この盤上遊戯の世界ならば、あの子が再生する可能性がある。夢の中のような、特殊な世界なら――。


『しかし、ストーカーかぁ……いや、まあ、やっていることはそう見えなくもないけれど……。どうしたものかな。ワタシは、どうしたらあの子と正面から再会できるのだろうか?』


 大魔王は悩みます。

 考えます。

 本当に出会えたことで、彼の心がまだ現実に追いついていないのです。


 そんなときでした。

 大魔王は時空と次元の揺らぎを感じ、耳先をピンと尖らせました。


『この気配は――』


 彼には仲の良い友が二匹います。

 一匹はさきほど名前が挙がった、黒い神鶏。

 そしてもう一匹は、一つの世界を支配するほどの高みにある主神。

 名前はブラックハウル卿。


 神聖な神の遣いにして、しかし人間に呆れ、疲れ、魔の王と共に道を歩んだ黒い魔狼です。


 次元や亜空間、世界の境界線ともいえる場所を自由に渡り歩く能力のある魔狼は――次元の隙間からシュっとした顔を出し、まるでシベリアンハスキーのような狼の顎を蠢かします。

 朗々たる声は主神クラスの遠吠え、世界が悲鳴を上げそうになります。


『ぐわははははは、見ておったぞケトスよぉ。おぬしぃ、振られてしまったのではないか?』

『ぶにゃにゃ!』


 不貞腐れていた大魔王ネコはがばっと顔と耳を上げて。

 ジトりと友を睨みます。

 友をからかう黒い狼を睨む大魔王。その丸い口から、低く甘い端整な声が漏れていました。


『何を言っているんだい、あ、あれはワタシのことを知らないからそうなっただけであって、だね……!』

『ストーカー、のう?』

『ス、ストーカーじゃないのニャ!』


 声が、ズーンと世界を揺らします。

 動揺していたから魔力を抑える暇がなかったのでしょう。

 両者ともに、最高峰の獣神。ただの会話でも大きく世界に影響を与えます。


 衝撃波でレンガが剥がれていく中、主神クラスとされるブラックハウル卿はニヤニヤニヤと笑いながら、黒い肉球でトントントン。

 壊されていく盤上世界を復元します。


『最強の魔猫とも呼べるおぬしが、ぐふふふふふ。まさか恋の一つでここまで動揺するとは、いやはや、長生きもするものであるのう~!』

『キミ、ワタシをからかって楽しいかい?』

『まあこういう時にしかマウントが取れんからな。たまには良かろうて』


 ぐわははははは!

 次元の隙間から、顔だけをシュっと出す凛々しい黒い狼はひとしきり笑い。

 ふと顔を引き締めます――ブラックハウル卿は真面目な話をしようとしているようでした。


『さてと、ケトスよ。この世界の主神、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの件だが――』

『ああ、知っているよ。主人のため、愛する者のため……この世界に掛けられた状態異常、まあ名前は定まっていない古代魔術だから……勝手に呼ぶけれど、《遊戯世界化》を回復させようとしているのだろう?』

『単刀直入に聞こう、どちらの味方に付くつもりなのだ』


 ブラックハウル卿の声はとてもシリアスでした。

 モフモフな狼耳も、鋭い咢も、そして真っ赤に染まった魔性である証の瞳も――真剣でした。

 けれど大魔王は尻尾の先と肩を、ふふんと竦めてみせます。


『さあね、いま決められる問題でもないだろう』

『しかし、もはや時間はないぞ。そしてあの哀れなる魔猫イエスタデイ=ワンス=モアの部下たちも、一筋縄ではいかぬ……。この世界の主神の眷属魔猫たちは輪廻の輪から抜け出したもの……、それはすなわち上位存在。いわば解脱を果たし、悟りを開いた仏と同じ。覚者思想めざめたものたちを魔術体系としてとらえた場合、一つの境地に達している者たちであろうて』


 ブラックハウル卿が理知的な瞳を、赤く光らせます。

 魔術を追求する聖者としての顔で、この世界の戦力を分析し言ったのです。

 同じく、魔術師としての顔で大魔王ケトスが応じます。


『ああ、厄介だね。輪廻から脱した者たち、それがこの世界の魔猫。この世界の性質が偶然そうさせただけかもしれないが、結果的にこの世界の魔猫は全員、悟りを開いた存在なわけだ。解脱といえば、三大宗教のひとつの終着点。まさしく神の境地。それこそ、神クラスの存在を量産させる場所でもあるわけさ。もしかしたら古き神々が盤上遊戯化を魔術として作り出した理由も、本来はそういった遊びではなく軍事的なモノ。悟った手駒を増やす目的があったのかもしれないが……なんにせよ彼らが扱う魔術も、あまり甘く見るべきではないだろうね――』

『盤上遊戯は四星獣の領域。いわば得意フィールドの支援を受け続けている状態にある。外の世界でなら話は別だが、この中での戦いならば――我等の力とて油断をすれば……』


 どう転ぶか分からない。

 その言葉を先読みするように、大魔王がネコの髯をふふんと揺らします。


『理解しているさ。だから慎重に行動しているだろう?』

『おぬしはたまにやらかすからのう……』

『まあ、そういうところも愛嬌だろう? ともあれだ、あの子だけは必ず生かす事にはなる。するつもりもないし、したくもないが――他の何を犠牲にしてでもね』


 今の大魔王の言葉は本音でした。

 この世界の事も、この世界で生きる全ての存在も尊重している。基本的には味方をしてもいいと考えているが――あの焦げパン色の君と天秤にかけた時、その傾きは言うまでもない。

 あの子を救うためならば。


 大魔王はどんな冷酷な手段とて厭わない。


 もし、この光景を眺めている盤上遊戯の生き物がいたら、ぞっと背筋を凍らせたことでしょう。

 大魔王は、理解して貰えるね?

 とばかりになぜか天を見上げて、まるで、誰かに見られているのは分かっていると言わんばかりの顔でした。


 はぁ……と、ブラックハウル卿は狼顔を尖らせ。


『ワレは世界を滅ぼす事を是とはせぬ。ケトスよ、あまり無茶はするでないぞ』

『それは、この世界の住人たち次第だろうさ。ワタシの邪魔をしないのなら、まあ問題はないけれどね』


 ニヤニヤニヤニヤ。

 大魔王は空を見上げています。


『なるほど、この波動は世界管理者か――。大魔王の力で本来なら遮断されている空間を、遠見の魔術とは違う手段で眺めているとは……侮れんな』

『おそらくは童話という形で、世界で起こっている場所を切り取って観察しているのだろうね。よく出来た綺麗な魔術理論、そして無駄のない方式で構築された魔術だ。魔術式に破綻もない、ワタシ達を観測するほどの魔術となると、魔術師としてはとても興味があるね――今度盗ませて貰うとするよ』


 魔術を模倣する猫魔術師。

 それも大魔王の能力の一つ。


『しかしケトスよ、我が友よ。この世界の結末は……どう考えておるのだ。おぬしの意向を汲むつもりではあるが、確認しておきたいのだが?』

『この世界に関しては……正直、どうなのだろうね』


 大魔王は考えます。

 そして、焦げパン色のあの子を眺めます。

 カボチャのネコ達にしっかり護衛されていることを確認して、言いました。


『そうだね、直接主神と会って決めるとしようか』

『直接だと? この世界の主神イエスタデイ=ワンス=モアは儀式場の最奥にいるのであろう? ここからでは突入も通信もできんぞ』

『あいかわらずキミは真面目だね、ブラックハウル卿。魔術による通信が拒絶され、転移も禁止されているのなら――無理やりに入り込めばいいだけの話だろう?』


 大魔王は悪い猫の顔をしています。

 ぶわっと広がった髯の一本一本の先端が、光を反射するほどに尖っています。

 こういう時の悪い猫は、たいてい本当にやらかします。


 慌てたブラックハウル卿はツバを飛ばす勢いで吠えます。


『待たんか、ケトスよ! 無茶をするなと言ったばかりであろう――』

『まあ、いいじゃないか。感情や心を閉じている状態であるのなら、通信魔術も無駄だろうし――直接確認しに行った方が話も早いだろう? ワタシたち魔猫はね、らされるのが嫌いなのさ。それじゃあ転移をするから、またあとでね。ブラックハウル卿』


 告げて、パチン。

 大魔王が肉球を鳴らした衝撃で、空間が歪み。

 クハハハハハハハ!

 クハハハハハハハ!


 大魔王の哄笑が、盤上遊戯を揺らします――。


 ネコと狼とニワトリ。

 大魔王ケトス。ブラックハウル卿。魔帝ロック。

 イレギュラーともいえる彼ら三獣神は盤上世界の駒ではありません。


 だから、どう転ぶかは誰にもわかりません。

 気まぐれな神々なので、きっと、本人たちにも分かりません。


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[一言] 大魔帝ケトスとだけ ↑ここ重要
2024/02/29 17:30 退会済み
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