第144話、蠢く世界と踊る世界 ~白紙童話書~【作戦会議室】
【SIDE:盤上世界の住人達】
動く時代、動く世界。
魔猫少女ラヴィッシュも動き始めた、世界の終焉。
それを眺めるのはこの世界の管理者ネコヤナギ。
彼女の目線にあるのは、愛しい子供――今を生きる者達。
場所はダイナックの最奥。
行動目的は決戦準備。
ヴェルザの街のダンジョン塔を全員で攻略するか、あるいは甲羅の隙間のダンジョンに突入するか。どちらにしても戦力補充は最優先。
「そっちじゃない! エリクシールはこっちよ!」
「すみませーん! 鍛冶工房から黒曜石の槍が送られてきたんすけどー! これは、どちらのアイテム空間にー!?」
「だから! 携帯食は最上級なモノじゃないとダメ! 道中で魔猫の説得にも使うから、ちゃんとした料理人を使ってくれないと困るの!」
今もこうして、戦いに近い声が響いていた。
その全ての流れを引き受けていたのは――かつて魔女王キジジ=ジキキに仕えた英雄の末裔。
顔も頭もいいが、性格と性癖に難のある男、戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャである。
全ての情報を作戦室となった謁見の間のログに表示させ、それを眺める男の顔は怜悧。
切れ長の瞳に、薄い唇が――いけますね、と呟き。
そして貴族の流れを汲むその洗練された立ち振る舞いと、端正な容姿が、見る者の士気向上にも繋がると知っているのだろう。
戦術師は、スキルを発動。
本性を知らぬ者には絶世の美青年に見える顔を存分に覗かせ――。
「さて、みなさん――確認できたでしょう? 必要な物資は以上となっております。はい、大変な量です。ええ、無理と言える量でしょう。職人の手も間に合わないでしょう、けれど――それでも、この世界のために、我等は動かねばなりません」
かわいい幼女のために……と、ぼそりと呟きそうになる唇をふっと微笑させ。
戦術師はチャームの魔力を存分に発揮。
過労で倒れそうになりつつも眼鏡を輝かせる。
「お急ぎなさい! なれど、過度に慌てる必要はありません。イエスタデイ様による回復の儀式には時間がかかる。その証拠に、あのヌートリア神の姿は健在。アレの姿が薄れて、夢から醒めぬうちは――ようは、消えていないうちは、まだ儀式の途中だという事です」
洗脳とは違う、甘い声音が空間を支配する。
それが上位指揮による効能。
ログを読み取れるものならば――見えたはず。
声を出すことによって、配下にあるものの行動力を三割引き上げる鼓舞スキル。その多重発動が確認されているだろう。
そのままシャーシャは理知的な顔で、バッと、腕に装備した神軍師手袋で手を翳し。
「我等人間と魔族。北部と中央大陸と、南東の島。育った文化も経緯は違えど、この世界を失いたくないと願う心は一つ。さあ、動きなさい! 回復薬の補充を! 足りないのならば生成を! 互いの地域の、互いの利点と欠点をカバーし、最終決戦に備えるのです!」
やはり再度、指揮官クラスのスキルが発動される。
こうして士気を向上させることで、最終ダンジョン突入の速度を加速させているのだ。
その手に装備された新たな手袋は、ガイア=ルル=ガイア手製の特注品。指揮効果を五割増しで発動させるという、チート装備となっている。
それを見た魔王領とヴェルザの街の職人は、終焉スキル保持者はヤベエな……っとなっているが、ともあれ種族も地域も超えて彼らは最後の戦いに備えていた。
準備を進める彼らの裏。
三皇たちも動いている。
そして、その三皇に味方をする四星獣ネコヤナギもまた動いていた。
◇
甲羅の隙間のダンジョンに突入するまでの準備期間であるが、彼らには確かめないといけないことがある。それはこの世界の例外。
そう――大魔王ケトスの動向である。
あの魔猫はヌートリアとは違うが外来種。この世界の絶対的な味方、というわけではない。
だから、それを見極める必要もある。
『と、いうわけで――始めるわよ?』
あれがどう動くかでも、世界は変わる。
故に、多少のリスクを負ってでも観察する。世界を守る異聞禁書ネコヤナギはまずあの魔猫を観測することにしたのだ。
魔猫少女ラヴィッシュを保護できれば一番いいのだが……難航している。
父であるアキレスは動いているというが――報告はなし。
誰かがラヴィッシュの護衛をしている気配もあるようだが……詳細は不明。
ダンジョン突入準備に、魔猫捜索に、大魔王の様子見。
やるべきことはたくさんある。
魔王アルバートン=アル=カイトスが、頷きながら、ふと疑問を口にする。
『神父ニャイの本体をあなたの魔術で探るという事ですが……天上世界ではいま、彼らの本体は対局しているのですよね? あなたの本体が直接、彼らに聞くことはできないのですか?』
言われた少女は、苦笑をして。
『できればそうするのだけれど、はぁ……無理なのよ。天上世界で対局していたあの子達の筈の席には、いま、これが置かれているの』
外の世界の、神も人々も消えた楽園が映し出される。
大きな神の樹、おそらくネコヤナギの本体と思われる側には、根元に齧られた跡が目立つ盤上がある。それがこの世界なのだろう。
その横には、猫の置物――。
ともあれ、今はそこは重要ではなくネコヤナギは対局していた玉座を映し出す。
そこには本当なら、神猫と神鼠がいる。
筈だった。
終焉皇帝ザカール八世が、映像に眉を顰め。
「あの、ネズミとネコの、ぬ、ぬいぐるみ……にみえるのですが」
『ええ……ヌートリアのぬいぐるみと大魔王のふわふわぬいぐるみよ』
偉そうな巨大白猫ぬいぐるみと、偉そうなヌートリアぬいぐるみが。
玉座の上で、どでーん!
まるで彼らの代わりとばかりに、偉そうに置かれているのだ。
シリアスな空気に、わずかなひびが入るが……やっていることは神域の魔術らしく、ネコヤナギの表情は真剣そのもの。
『どういう原理か知らないけれど……ルール無視。これが代わりって事で、置いたみたいね。もう……いったい、楽園の神とそれに匹敵する大魔王って、どんな魔術を使っているのかしら。法則も何もかもが、めちゃくちゃよ。本来なら盤上遊戯が終わるまでは拘束され、席を外せないはずなのに――だから彼らは魔力あるアバターを置いて盤上世界を騙したのよ。両者ともにね? この世界の中に、神の本体が入り込んでいるのよ……』
分霊ではなく、その本体が――。
それを聞いた三皇の目線は映像ではなく、貢物に群がり、うまうま! とグルメを漁る巨大なヌートリアに向かっている。
幼女教皇マギが、ぶかぶかな袖から出した指で頬を掻き。
「うーむ……、まあ、実際、滅んだ楽園の神々を内包するヌートリアの本体。聖父クリストフがここに降臨しておるしのう……」
「それに、ネコヤナギ様もここに降臨されている、この根は……あなたの本体の一部、ということですよね?」
会議場ともなっている謁見の間の中央に根付いているのは、大きな大きな神の樹。
文字通り、天を衝くほどに大きな樹の幹が一本、生えているのだ。
その木の枝に腰掛けて――微笑む少女こそがいつものネコヤナギ。
四星獣ネコヤナギの分霊。
ならば、この樹は――となると。
終焉皇帝の言葉に、ネコヤナギは頷き。
『ええ、この幹こそがあたし。外の世界にいるあたしの本体が、この世界と接続している状態にあるわ。だから、もしこの世界が終わるとき、あたしも一緒に終わってしまうから――ちゃんと頑張ってくれないと、駄目なのよ? 駄目なのよ?』
『あなたも僕が守りますよ』
『あら、アルバートンったら。あなたもそういう社交辞令が言えたのね。成長したのね、成長なのね。それはとっても嬉しいわ。けれど、少し不安だわ。そのうちにあなたも今より精神的に大人になって、恋をしたり、誰かを愛したりするようになるのかしら?』
あたし、子供が見たいわ、と。
くすりと微笑むネコヤナギに、魔王も冷たい美貌にわずかな色を乗せ。
『からかわないでください……』
『あら、揶揄っているんじゃなく祝福しているのに。まあいいわ。ともあれ、大魔王ケトス。あの魔猫一匹で全てがひっくり返っちゃうのは全員の意見が一致している。だから、あの魔猫が今どうしているか、それを探るわ。あそこまでの大神だと本当なら行動観測なんてできないのだけれど、見ていて頂戴ね。あたしも少し、あなたたちのために本気を出すわ』
言って――少女神は動きだす。
おおきく真っ白で立派そうな、けれど、何も書かれていない魔導書を開いていたのだ。
バササササ。
その大きな白紙の魔導書は、銀髪少女ネコヤナギの小さな手の上。
自動的にページを開く。
これは今、大魔王ケトスが何をしているか。
そして魔猫少女ラヴィッシュが、どこにいるか。
それを確かめるための神域の魔術。
凛とした声が、空間に雫を落とすように響く。
『魔術開放。権能、履行。世界管理者たるあたしが――命じます』
それは詠唱。
神樹の枝に座る銀髪少女……ネコヤナギの背後には、彼女の本体ともいえる神樹の幻影が浮かんでいる。
そこには無数の猫の影がいた。
彼らは四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの眷属とは違い、神ネコヤナギの眷属。
世界を愛することを覚えた神樹の、枝の上。
ふわふわな植物から生み出された魔猫達が、一斉に踊り出しているのだ。
『さあ、出番よあなたたち。準備は……ふふふふ、もうできているみたいね。そうよ、踊りなさい。舞いなさい。願いなさい。あなたたちはあたしの花。あたしの子ども。イエスタデイの眷属にだって負けないんだって、あの子に見せつけないと――いつまでたっても、ずっと自分が一番でいられると思われているのも、ちょっと面白くないじゃない?』
それは祈祷。
植物のネコ達による、ネコヤナギの魔術詠唱を補助する舞い踊り。
んんにゃら、ぶにゃぶにゃ、んにゃんにゃ、んんにゃ!
神の樹が揺れる、枝が揺れる。
葉が揺れる。少女が腰かける大きな樹の上で、モコモコダンスが舞い起こる。
植物魔猫の同時祈祷で、魔術の波が発生している。
赤白黄色……エトセトラ。
さまざまな魔力が色となって、空間を駆け巡っているのだ。
鮮やかな魔力螺旋の中で銀髪を揺らし。
微笑む神が言う。
『さあ、始めるわ――アルバートンにザカールにマギちゃん、そして、世界の終わりを止めたいと願う――ここに集うあなたたち。このあたしが味方をしてあげているんだって事を、忘れないで頂戴ね』
地母神ネコヤナギのリンゴ色の瞳が、キラキラキラと輝いている。
彼女の目線にいるのは、三皇。
そして、この世界の終わりを食い止めようとしている人間と魔族。
彼らの守護神ともいえる少女は、すぅっと息を吸う。
慈愛に満ちた声音で――世界を揺らす。
『大魔王ケトス、そして焦げパン色の魔猫の少女がいま、どこでなにをしているのか。この童話書に物語として書き写す。それがこの魔術、”夢猫童話魔術”。どうか、成功することを祈っていてね? 相手は大魔王。失敗すると、ちょっとあたしでも危ないと思うから……』
それでも――。
今優先するべきは、この世界を守ること。
魔族達の大事な思い出となった魔王城の記憶を引き継ぐ少女の身体が、煌々とした魔力を纏い始める。
追加詠唱を開始したのだ。
少女の瞳が、淡々とした神の覇気を帯びていく。
外の世界では計測限界とされている十重の魔法陣が、展開され。
そして長文が。
刻まれる。
『其は昔ではない今。其は今起こっているあなたの情景。あなたの命、あなたの呼吸、あなたの瞬きよ。さあ、みせて頂戴。あたしは管理者ネコヤナギ。権能は記録。四星獣の名の下、管理者権限としてこの世界で行動するあなたに命じるわ。あたしはあなたの物語を綴ります。拒否権はありません。再度命じます、あたしは管理者。我が名はネコヤナギ。盤上世界を愛する女神。世界はあたしであたしは世界。故に、何人も拒むことはできぬ筈。契約のもと、あたしが命じます――この童話書に――あなたの足跡を刻んで頂戴』
バサササササササ!
白紙だった童話書に色が付いていく、絵が入り込んでいく。
いや、魔力螺旋によって描かれ始めていた。
童話書の中に、路地裏の光景が浮かび上がってくる。
教皇の姿をした幼女が、言う。
「どうやら、成功のようじゃな」
『ええ、マギちゃん。これで大魔王がいまなにをしているか、観測できるわ――』
童話のタイトルは――再会。
それはいつかのあの日ではない。
今。
あの日の路地裏に似ているが、現実の場所。
焦げパン色をした魔猫少女を見守る、大きくふてぶてしい顔をした――けれど、とても邪悪な魔力を持っている大魔王猫の姿。
物語が始まる。
其は、終わる世界の中で、巡り会う彼らの物語。
今を蠢く異世界魔猫の童話が――魔導書の中で動き始める。




