第141話、盤上遊戯の秘密、その4【謁見の間】
【SIDE:神々と生きる者達】
盤上遊戯の歴史や秘密を紐解く一場面。
終焉皇帝ザカール八世が、胸の魔力聖痕を輝かせる。
そこには先ほどのネコヤナギがしてみせた物語再現魔術に似た光景、過去の映像の投影が開始されている。精度は数段落ちるが、塔の最上階の攻略途中からの映像が流れだしたのだ。
映像は、暗闇で満ちていた。
戦闘フィールドが、闇の力で汚染されているのだろう。
『落ちやがれっつってんだろうがぁああああああぁぁ!』
映像の中で目立つのは蹴撃者。
英雄アキレスだろう。
額から流す血で片目を赤く染め――それでもなお犬歯を食いしばり、雄々しく唸っている。その足はまさに神の速度、壁と壁とを破壊力を伴う魔力を纏い、神速で駆けまわっていた。敵はおそらくダンジョン塔の大ボス。鉄の魔杖を握る、無数の豹の顔を持つ異形なるダンジョンボスだった。
英雄は単騎で攻撃を仕掛けていたのである。
まるで異世界神話にあるような敵の、多頭の咢から刻まれるのは、同時詠唱による複数の異界魔術。
積み重なる九重の魔法陣が、神をも屠るとされる”鉄の魔杖”の先端から紡ぎだされている。
敵の魔術が発動された――。
《終末に蠢く666》。
それは、当時現場にいた全員にとって未知の魔術だったのだろう。
効果は広範囲にわたる、一撃必殺の即死魔術。
闇の海による侵食――黒い魔力が全てを飲み込む勢いで、フィールド全体に呪殺攻撃となって発動していたのだ。
英雄が言う。
『呑み込まれるな! 範囲が広すぎて避けられねえっ、防ぐしかねえぞ!』
『あなたはどうするのアキレス!』
『ガイア! オレは大丈夫だっ、だから――ラヴィッシュを頼むっ』
ガイアと呼ばれたボサボサ髪の女性が頷き、拳に浮かぶ聖印を輝かせる。
アキレスのみが単身で、即死の海を駆ける中――。
聖印を輝かせる者たちが、一致団結し結界を構築する。それが終焉スキルの合成魔術であることを察していたのは、映像を眺める強者たち。
死の海に呑み込まれたアキレスの体力が、大幅に奪われていく。
敵は不老不死にもダメージを通せる、駒破壊のスキルを有しているのだろう。
英雄アキレスのダメージは深刻。
しかし、まだ生きている。
すかさず朗々とした、何者にも屈さぬ王者の声が響き渡る。
それは指揮官クラスとしては最上位にあたる終焉皇帝の、家臣を鼓舞する詠唱。
『我が名はザカール! 全ての国民、全ての心を束ね集いし最後の皇帝。主よ、偉大なる異界の大神。大いなる光よ――願わくは、我等の大願を聞き届けよ! 異界の神よ、我等を慈悲の光で照らし給え――《大神転輪天照》!』
戦場を覆う闇の中。
岩戸から光が漏れ零れるように、割れた天から回復の力が満ちる。
終焉皇帝も戦闘に参加しているのだろう。
家臣たちが持つ終焉スキルを全て同時に使用しているのだ。だからこそ、この場には終焉スキル保持者がいる。非戦闘員であっても最上階攻略に参加しているのだろう。終焉皇帝が家臣の終焉スキルを扱う条件に、少なくとも距離が含まれているだろうと推察できる。
本来なら隠しておきたい情報なのだろうが、この場で明かしたのは彼の度量の広さか、それとも他に切り札が存在するのか。あるいはその両方か――ともあれ、最終決戦の様子が皆の前で開示されていた。
誰もが思っただろう。
異形なる多頭の豹の後ろにある、重厚で神聖な扉こそがダンジョン塔の終わりの扉なのだと。
一体の大ボスを前に、ギリギリの攻防が繰り広げられている。神の加護や、聖痕によるブーストを得た高レベル冒険者たち、彼らが知将ともいえる饕餮ヒツジの作戦を得て、更に力を全員であわせてようやく――。
互角。
過去ではなく今、映像を流している終焉皇帝が言う。
「この後は三日三晩、このボスと戦い続けることになりますので――結末に移っても?」
『ええ、そうね。このままだとなかなか終わらないモノ。興味はあるけれど、今はここは大事じゃない。みんなも構わないわよね?』
四星獣ネコヤナギの鈴の音に似た声に、皆が頷く。
時は加速され――。
辛勝となった最後の戦いの終わりが映り出す。
人々はダンジョン塔のボスを倒した先にある世界を眺めていた。
しかし、数人の視線は魔猫化した少女ラヴィッシュと、彼女の両親である悔しさに歯を食いしばる英雄アキレスと、その妻ガイアの咽び泣く姿を眺めている。
壮絶な戦いだった。
多くの犠牲者を出した戦いだった。けれどその犠牲は、一人の少女の献身によって帳消しとなった。
魔猫と化した少女は、なぜそんなに悲しんでいるの?
と、キョトンとした顔をしている。
焦げパン色の手足と耳をもつ、見事なグラデーションが愛らしい魔猫である。
これは戦い直後の映像だろう。
ダンジョン塔のボスがいなくなったことで、奥の扉が開いていた。
扉の先は聖なる輝きで満ちていた、例えるのならばやはり――楽園への階段。
ヴェルザのダンジョン塔にも似た景色が存在していた。
終焉皇帝ザカール八世とその仲間たちは光の道を進む――。
風が吹いていた。
光が満ちていた。
その階段を歩いた者はおそらく、草原のにおいを感じたのではないだろうか。
そこには、楽園があった。
楽園と言っても、かつて神々が棲んでいたあの楽園ではない。
ただ何もない、綺麗な草原と樹々の世界が広がっていたのだ。
人々も神も死んだ世界。
奥には建造物が見えるが、そこにあったのも、無に近い空間。
緑生い茂る苔とツルに覆われた、廃墟がそこにはあったのだ。
その楽園にいたのは――無数の魔猫。
黒白三毛。グレーに赤茶に錆色。
ネコ達が、くぅくぅくぅ……太陽を浴びて眠っている。映像を見るマギの片眉が跳ねる。
「な、なんじゃこれは!?」
「それは、分かりません。ただエリア名は……クリア者の楽園とだけ……」
「ふぅむ――それにそこに眠る魔猫達も、謎じゃ。これは……もしや、塔から降りてきていた魔猫達であるか? ヴェルザの街に住まう魔猫達も、かつては塔から降りてきた。それは妾も確認しておる……彼らは、ここの住人だったと……そういうことじゃろうか」
そう、扉を抜けた先は猫の楽園だった。
今を生きる終焉皇帝が言う。
「事情や経緯や意図は分かりません。この地をダンジョン最奥に設置した、神の意志も分かりません。けれどあそこにはご覧の通り……ネコの楽園が存在していました……多くの魔猫達が、のんびりと暮らす楽園が……。そしてダンジョン踏破者への報酬として、あったのが……ご覧ください」
終焉皇帝たちが歩んだ先にある、朽ちた神殿。
生贄とされた男とタヌキ顔のネコの神像の前。
それは安置されていた。
魔導書である。
それも映像ですら分かるほどに、絶大な魔力を宿した。
マギが言う。
「この書には、なんと?」
「生前の願いを叶え――外の世界に転生できる権利を与える、と」
「外の世界に転生じゃと?」
「え、ええ……。理由は分かりません、何故かもわかりません。けれど、このネコの楽園に報酬として設置されていたのはたしかにこの、《輪廻転生の書》だったのですから」
言っている本人も理解ができないのだろう。
ただそこにはたしかに、そう記された魔導書が置かれていた。
魔術効果も、外の世界に転生できる権利を得るとしか表示されていない。
それがいったい、なんのための報酬なのか分からなかった終焉皇帝一行は、転移門を形成。
頭を悩ませ帰還したが――。
映像を眺めていた異聞禁書ネコヤナギが、遠くを眺めるような、懐かしむような――時を感じさせる表情で苦笑をし。
『そう……やはりあなたたちはもう、忘れてしまったのね――』
銀髪少女は、髪を揺らす。
髪の隙間から透き通ったリンゴ色の瞳が、細く締まっていく。
『いいわ、ならあたしが忘れてしまったあなたたちに思い出させてあげる。あの日の約束と、あの日の願いを。四星獣イエスタデイ=ワンス=モアと、あなたたち駒との出逢いを――』
まるで子供を抱くような優しい仕草で腕を伸ばす少女――神ネコヤナギ。
細く白い、雪肌色の手には一冊の書が顕現されていた。
それは壮大な逸話書、この盤上遊戯世界の魔導書なのだろうか。
逸話魔導書を開いた少女の神が――。
語り始めた――。
『これはこの世界に命が生まれたときの話よ――四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの物語でもあるわ』
魔導書から、当時の白猫イエスタデイの姿が浮かび上がってくる。
魔猫はトテトテトテと、闇の中を歩いていた。
そこは底のない底へとつながる階段のような場所だった。
ここではない場所。
盤上遊戯とは異なる世界だろう。
まるで深淵を歩くように、トテトテトテと闇を進むイエスタデイの背が、僅かに煌めいている。
階段が、なにかの光で仄暗くも照らされていたのだ。
それは死した動物の魂だった。
『あの子は駒に命を与える時に、冥界の門を開けたのよ。盤上世界の外の世界には天国と地獄という概念がある、本当に、地獄という場所も存在するの。死後の世界も存在するの。そこには、多くの死んだ命があったわ。転生を待っている、生き物の魂があったわ。あるいは生前の罪により、罰を受け続ける魂があったわ。けれど、罰を受けることもなく、転生ができるわけでもなく。そこに留まっているだけの魂も多く存在したの――冥界にとどまり続けている魂がいくつも存在したの』
ネコヤナギが、謁見の間にいる命たちを眺め。
ふっと苦い微笑みを作ってみせる。
魔王アルバートン=アル=カイトスが言う。
『それが――僕たちの始まり、ということでしょうか』
『ええ、そうよ――イエスタデイの回復の力だったら命を作ることも可能だったわ。実際、あたしたち以外で神として生きる存在、大地神たちを作ったのもあの子ですし……でも、イエスタデイは思ったのよ。一から作るよりも楽、というのもあったのでしょうけれど――消えてしまうはずの魂を拾って、もう一度チャンスをあげた方がいいんじゃないかって――あの子は誰よりも、大事なモノが消えてしまう悲しさを知っているから』
魔猫イエスタデイが忍び込んだのは、おそろしい黒衣の神が支配する世界。
それは――冥界。
『あの子は、命を作るときに外の世界の冥界から――こっそりと命を盗み出したのよ。ほら、こうやってひとつずつ、丁寧に……親が子をくわえて運ぶように、あの子は報われない命を盗み続けたわ』
そろりそろり。耳を後ろに下げ、肉球で音を消し――白い狸顔のネコが、よいしょよいしょと命を運ぶ。
それは盤上世界創生の神話ともいえる物語。
今を生きる彼らが、生命活動を開始した瞬間の逸話。
『本当なら冥界から魂を盗むだなんて、冥界の神に怒られるわ。怖い顔をした、翼を生やした冥界神に咎められるわ。ある日、あの子はとうとう冥界神にその犯行を見つけられてしまうわ。まだ当時のイエスタデイはそこまで強くはなかったから、本当ならここで消されて終わる筈だった――けれど、そうはならなかった』
そこには、黒衣の男がいた。
まるで堕天したように黒い翼を生やした、強面の美形神がいた。
冥界神は、魂を大事そうに銜えて歩く魔猫を眺め、へぇ……おまえさん、消えていなかったのか、と――ケシシシシっと彫りの深い笑みを浮かべている。
その面差しは――願いを叶える置物イエスタデイに盤上遊戯の残酷な真実を教えた、あの兄弟神の兄に似ている。楽園が滅ぶきっかけとなった、殺された兄神に――。
死した兄神が死後、その心を暴走させ強大な魔力を得て冥界を乗っ取った。
そんな逸話が異界には存在するのかもしれない。
『何故なのかは知らないわ、けれど、冥界神はあの子の事を知っていたらしいのよ。楽園で見たことがあるというのよ。だから、かしら。イエスタデイが正直に事情を話し、駒達に命を与えるといった時に、冥界神は言ったわ。あの子に魂を託して、怖い顏なのに、笑みを作ってね――言ったのよ。”ここにあるのは、罪人ではない。しかし、生前の魔力も魂も弱かったために転生もできずに残り続ける哀れな魂。いつか主人と巡り会えることを望みながらも、哀れに消えていく、無念の魂たち。消えることだけを待つ、ただの――小動物たちの残滓だ”って……』
あの子は冥界神から、消えるはずだった命を拾った。受け取った。
と――。
犬や羊や猫、蜘蛛やムカデやトカゲ――様々な命を輝かせながら魔導書が当時の光景を映し出す。
ネコヤナギが逸話書を捲りながら、続ける。
『外の世界。あの世界では、弱すぎる生き物は転生できないの。たとえばミジンコだったり、アリだったり。小さな猫だったり……彼らは自己を維持できずに転生もできず、死んだ後は……消えてしまうの。なら、いっそと冥界神はあの子に魂を託したのね。駒に命を吹き込むそのきっかけとなる魂として、イエスタデイは参加者を募ったわ。転生できずに消えると思っていた彼らは頷いた、可能性があるのならばと、魔猫イエスタデイについていった。いつか、飼い主に会えるかもしれない。いつか、大好きだったあの人に会えるかもしれない。可能性はゼロじゃない』
イエスタデイが小動物たちの魂に説明をしている。
全てを隠さず、きちんと平等に――。
いつかこの盤上遊戯は終わると。それまでに塔を攻略できたモノは――その成長を以て魂を昇華させ、外の世界で転生ができると。
さあ、ダンジョン塔を登れ。そこには君たちの願いが眠っている、と。
神猫が肉球を掲げた時、同意した者達は駒に入り込む――そしてあるものは人間となり、あるものは魔物となった。
彼らはゲームを繰り返す。
どちらが人類になるか。どちらがダンジョン塔を攻略するか。戦いを願いを叶えるための儀式魔術として――終わらないゲームを、繰り返し続ける。
勝者の何人かは――元の姿と転生の権利を勝ち取った。
今、ここで語られている神話こそが、もう忘れられてしまった――逸話。
ダンジョン塔攻略の本当の意味。
逸話を知る少女は言う。
『これがあなたたちの最初の物語。盤上世界で今生きているあなたたちの始まり』
神話を語る銀髪美少女。
その赤い瞳が、憐憫の滲んだ微笑を浮かべていた。
『そう、あなたたちはかつて転生できずに消えてしまうはずだった、存在。本当に小さな、消えかけていた魂なのよ。かつてのあなたたちの目的は、転生する事。みんなそう、みんな、みんな、みんな――かつて大好きだった誰かに会うために駒として生まれ変わったの。そう、ここにいるあなたたちの先祖たちは、あなたたちの最初の命は選択したの。だから、あなた達の最初の願いはこの世界から元の世界に転生する事。それがダンジョン塔の最奥に眠る秘宝、命の父であり母である四星獣イエスタデイ=ワンス=モアに誓った願い。その権利を勝ち取るために、あなたたちはずっと、人類と魔物として戦い続けていたのだから』
それこそが、この盤上遊戯に隠されていた秘密の一つ。
けれど。
もはや時が経ちすぎていた。
ザカール八世がその書を見ても、何も感じなかったように――。
困惑しか浮かばなかったように。
それは遠き過去の話。世代を重ね、新たな魂となった彼らには残されていない記録。
もはやこの地こそが、彼らにとっても故郷と言える世界になっているのだろう。
しばらく、誰も、何も言葉を発することができずにいた。
神との対話は――もう少しで終わろうとしていた。




