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第134話、英雄の娘達~焦げパンと赤珊瑚~【海亀ダイナックの街】


 【SIDE:魔猫少女ラヴィッシュ】


 亀島に現れた新たなヒーラー魔猫。

 焦げパン色をしたヒーラー魔猫。

 陽気で明るい彼女は海産資源豊富な街を根城に、ヒーラー活動を開始していた。


 英雄達の娘ラヴィッシュは両親の心配を知りつつも、家を出たまま――人々の治療をしながら散歩をしていたのである。

 それはもちろん、あの記憶の中、夢の中で出てくる白ネコを探す旅でもあった。


 自分もこの地に生まれ変わったのだとしたら。

 もしかしたらあの猫も――そんな希望を胸に、少女は亀島を縦横無尽にウニャハハハハ!

 焦げパン色の足がチャーミングな魔猫の噂は、次々と街で広がる。


『ねえ、ちょっと聞きたいのだけれど――』


 彼女は治療をした後、必ず尋ねてくるという。


『こんな感じの、ちょっと頼りない感じの白猫を見なかったかしら? 顔は太々しい感じで、ええ、そう……見なかったのね。やっぱりここにもいないのかしら……』


 と。


『そう、いいえ、気にしないで。まあ、今ここにいるかどうかも分からないから、一応聞いているってだけなの。恋人かって? ふふふ、どうなんでしょうね。あたしがそれを聞きたいぐらいだわ。そう、うん。前世ってやつ? 分かってるわよ、だから言ったでしょう、一応聞いているだけだって。それじゃあお大事に、お代を貰っていくわ』


 ヒーラー魔猫ラヴィッシュは治療が終わるとその家で無理なく払える量の金額や、献上品を受け取り、ビシっとポーズを取って去っていくというのだ。

 魔猫達は夕方になるとどこか分からぬ場所に消えていく。

 頭を下げてそれ相応の代価を提供すれば、見返りに、今でも治療をしてくれるが――明らかに前よりも忙しそうにしていて声をかけにくい。

 だからラヴィッシュの話は広がっていく。


「というわけで――英雄アキレスさんから依頼を受けて、あなたを探しに来たんですけど」


 と、一通りの説明をしたのは英雄の末裔。

 炎熱魔術師と狩人の子孫。

 赤珊瑚色の髪と瞳が特徴的な少女スピカ=コーラルスターは、無傷で魔猫を保護する罠を仕掛けていた路地裏で彼女を見つけ、説明した。

 影矢と幻影魔術で形成された罠。箱庭の中で、とろとろバターがたっぷりと塗られたパンケーキに齧りつく魔猫ラヴィッシュは、カカカカっと目を見開き。


『ま、まさか! こんな罠が待っていただなんて、あなた、やるわね――何者?』

「え、いや……まさか本当にパンケーキで釣れるとは思っていなかったので、こちらとしてはとても驚きというか仰天というか……ともあれ、あなたが今話題になっているヒーラー魔猫の方ですよね? アキレスさんの娘さんの」

『ちょっと、悪いんだけどそのアキレスさんの娘さんって呼び方はやめて貰える?』

「あー、っとごめんなさい。お名前を聞き忘れていて――」

『ラヴィッシュよ、ラヴィッシュ。次からは気を付けて貰いたいわ』


 ふん……っと、ツンとした顔で眼も口元も尖らせるラヴィッシュだが。

 その手にはナイフとフォーク。

 口元はべっちょり、バターのどろどろ塗れになっている。


 甘い香りが路地裏に広がっていた。


 スピカ=コーラルスターは南の大陸の人間。

 昔から魔猫とは共栄共存していたので、魔猫への扱いも慣れている。だいたいがこういう感じなので、会話中にハチミツを召喚して、追加のパンケーキを要求してきたとしても今更驚きはしていない。

 逃げられても面倒なので、スピカ=コーラルスターは追加のパンケーキを召喚し。


「それでラヴィッシュさん、お父さんのところに戻る気は……」

『嫌よ』

「で、ですよねえ。あの、理由とかをお伺いしても構いませんか? 無理に連れ戻す必要はないと言われてはいるのですが、知り合い価格ではなくちゃんとギルドを通した依頼ですので、理由をちゃんとネコヤナギ様の記録ログに残しておきたいなぁ……と」


 赤髪少女の言葉に、魔猫ラヴィッシュのネコ片眉が跳ねる。


『あなた、お父さんの知り合いなの?』

「あ、申し遅れました。あたし……いえ、わたくしはスピカ=コーラルスター。炎熱狩人魔術師の職にある者です。まだ海亀の島ダイナックが誕生する前、魔族の方とも北部の方とも交流が開始される前の事件で一緒にダンジョン塔を攻略したことがありまして――」

『そう、お父さんの旅仲間ってことね』

「旅仲間……かどうかは分かりませんが、一緒に行動させては貰いました」


 パンケーキとハチミツ、そしてバターの脂で照りつくネコの鼻頭が動く。


『お父さん、どういう人だった?』

「とても強い方だと思いましたが……どうかなさったんですか?」

『べ、べつにぃ――こっちだとどうだったか、ちょっと気になっただけよ』


 スピカ=コーラルスターは高レベル狩人の扱う観察眼を発動させていた。

 彼女もアキレスほどではないが、観察眼に優れている。それは狩人としての素質、対象を見定める、機微を読み取る力に長けているおかげでもあった。


「なるほど、理解しました。ラヴィッシュさん、あなた、アキレスさんの娘さんってことで色々と期待されたり、逆に期待外れだって勝手に失望されたりするのに疲れている。そんな感じのアレですね?」

『そんな感じのアレとか軽く言わないで頂戴。ていうか、あなた! 冒険者だからっていきなり心を探る系の能力を使うのってマナー違反じゃないの!? 狩人だから観察する瞳”斥候スカウト能力”を持ってるって自慢!?』


 ウニャニャニャニャ!

 愛らしい顔を尖らせ、フシャーフシャーっと毛を逆立てるラヴィッシュを見て。


「す、すみません。依頼人からはあなたの心も探ってきてくれと言われていたので」


 眉を下げて謝罪するスピカ=コーラルスターは、ラヴィッシュとほぼ同い年。

 そして、境遇も少しだけ似ている。だからだろう。

 赤珊瑚の少女は、優しい笑みを浮かべて言葉を紡いでいた。


「ラヴィッシュさんは、お父さんが嫌いってわけじゃないんですよね」

『そりゃまあ……うざいとは思ってるけど』

「とりあえず依頼内容はあなたの無事の確認と……ああ、ログをみせた方が早いですね。”娘がこの辺にいるのは確かなんだ。い、いや! ちげえよ! 説教するために探すんじゃなくてだな? その行動目的を知りたいっつーか……。なあ! 探ってくれ、頼む、女房に顔向きできねえし、あの子が心配なんだよ! オレの観察眼もアイツにだけはうまく機能しねえし、なあ! この通りだ! な! 頼れるのは、お嬢ちゃんしかいねえんだ!” と、まあこんな感じで」


 四星獣ネコヤナギの樹に保存されている記録を見て。

 娘ニャンコは、じぃいぃぃぃぃぃ。


『ったく、お父さんたら、まーた……自分の器量の良さを気にしないで、こんな年頃のお嬢さんの手を握ってお願いしちゃって……悪かったわね。あの人、そういうところにかなり無頓着なのよ』

「あ、あぁ……まあ、……はははは。ちょっとドキっとしちゃいますよね……」


 ある意味で、それは面倒な男。

 恋心とまでは言わないが、尊敬できる年上の男性ということで多少は意識しているとスピカ自身も自覚をしていた。相手は娘を真剣に心配する、英雄。自分を道具のようにしか思っていない両親に対して、あまりいい感情を持っていないスピカにとっては、理想のお父さんにも見えるのだ。

 ようするに、ちょっとしたファザコンを意識させてしまう相手なのである。


 ラヴィッシュは、またこれか……とネコ吐息。

 はぁ……と髯を揺らす程に零れる息は重い。


 北部でも、本人の無頓着ぶりで多くの人間を無自覚に誑し込んでいた父。その行動は娘にとっては結構な重荷となっていた。

 不老不死という事で、年齢が若く見えるせいだろう。年齢に見合わない娘ラヴィッシュを見た彼女たち、神の恩寵を受けた英雄の魅力にてられてしまった、誑し込まれた女性たちからの――英雄の娘への反応と瞳は、いつだってキツイ。

 年頃の少女の心には少々、酷だったのである。


 それも父との確執の原因の一つ。


 ラヴィッシュの目線に気付いたのか、スピカ=コーラルスターも眉を下げ。


「あ、別にそういう……家庭をどうこうしてやろうとか、そういうのじゃなくてですね? 尊敬できるお父さんってだけなので――」

『分かってるわ。気遣わせてしまって、ごめんなさい。変な誤解をさせるような言動を慎むようにって、今度ちゃんと言い聞かせておくわ』


 言って、ラヴィッシュは真面目な顔を作り。


『とにかく、しばらく家に帰るつもりはないってお父さんに伝えて貰えないかしら? ちょっと、どうしても会いたい人……いえ、魔猫がいて……彼を探しているのよ』

「なるほど……それで魔猫について聞いて回っていたんですね。理由を聞いても?」

『ごめんなさい。言っても信じて貰えないと思うし、それに自分でもちょっと変な理由だっていうのは分かってるから。言いたくないわ。今の言葉をそのままお父さんに伝えて貰って構わないんだけど』


 スピカ=コーラルスターは考え。


「もしかして……魔猫の誰かに、恋をしたとか、ですか?」


 魔猫へと姿を変えられているのなら、たしかにそういう可能性もある。

 それはそれでかなり父アキレスを動転させるだろうが。

 ラヴィッシュはただの恋慕とは違う、時の流れを感じさせる草臥れた色の苦笑を覗かせ――。


 大人びた口調で告げていた。


『どうなのかしらね。それは、再会してみないと分からないの――』


 ――と。


『会いたいの、彼に……どうしても。もう一度、会って――泣き止んで欲しいの。って、言っても何を言ってるのか分からないわよね。あたしにだって、分からないんですもの。とにかく! お父さんには、ぜぇぇぇったい、まだ帰らないからって! 言っておいてちょうだい!』


 路地裏に、太陽の光が入り込んでくる。

 魔猫のモフ毛と髯を、逆光が照らす。

 これからの道を示すように細く入り込んできた斜陽を受けて、魔猫の少女は焦げパン色の足で転移門を開き。

 ニャハリ!


『それじゃあ悪いけど! 逃げるわ!』


 魔猫の少女は闇の霧を発生させ――。

 ザザッザ――ッ。

 ザァアアアアアアアアアァァァァ!


「あ、ちょっと待ってください! まだお話が!」

『いつかまた会いましょう! じゃあねぇ~!』


 空間転移をして消えた。


 スピカ=コーラルスターは唖然とした。

 少女の言葉に動揺していたのではない。

 彼女は熟練冒険者としての視線で、頬に汗を滴らせていた。周囲をじっと眺め――。


「マジですか……!?」


 影矢による結界が、いつのまにか破られていた。転移門形成を防ぐ結界も、いつのまにか破壊されている。

 彼女は優秀な狩人。

 そして伝説の魔術師の子孫。以前のダンジョン遠征と、そして神の駒との戦いで獣神とまでは言わないが、それに近い実力を得ている人間最高峰の駒。

 その彼女が、一瞬のスキをつかれて出し抜かれた。


「こりゃあ、ラヴィッシュさんが本気になったら捕まえられないかもしれない……ってことですよねえ」


 もし保護するにしても、戦力が足りない。

 今は天上世界で神々が手を休めているが、いつまた盤上遊戯が再開されるか分からない。

 だから、彼女の父アキレスとしては今のうちに保護しておきたいのだろうが……。


 とりあえず少女スピカ=コーラルスターの役割は完了。

 依頼は達成している。彼女は赤珊瑚色の髪を斜陽に輝かせ、歩みを再開する。とりあえず、捕獲に使ったアイテムは全ロスト確定である。

 その必要経費請求の件も含め、亀島ダイナック大陸に新設されたギルドで待っているアキレスの元へと向かうべきか。


 スピカ=コーラルスターは道すがら、考える。

 夕方になっているのに、魔猫の気配がない。

 いつもなら、夕食をたかりに市場へ集っている筈なのだが――。


 何かが起こりつつある、彼女はそんな不安を胸に抱いて――潮風が心地よい亀島の街を進んだ。



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